第99.2話:いつも幸せな彼女の場合2
その日は大水練大会の初日だった。
朝から仮とはいえ仕えるべき主人に甘えさせてもらうという失態を演じた(と本人は感じている)メイドの少女はそのぱっちりとした目をやや伏し目がちにしながら、このところの自分の失態を反省していた。
本当ならそれも失態、少女はいまメイドとして仕えている最中だというのに主人のこと以外を熱心に考えてしまっているのだから。
しかしそれを責めるものはこの屋敷にはいない。
少女がどれほどの苦悩を抱えているか、少女がどれほどまでに追い詰められてきたか、知らないものはいないのだから。
これが王城の食堂や、ホーリーウッド城の食堂であれば、主人たちも彼女を嗜めるだろうが、ここはある意味で無法空間だ。
ここはイシュタルト王国の王都クラウディアにあるホーリーウッド王都屋敷、あるいは内クラウディア別邸なんて呼ばれ方もするが、とにかくホーリーウッド家所有の屋敷で、年始の祝祭やなんらかの公務でホーリーウッド侯爵家の者が王都へ滞在する際泊まったり、パーティを催したりするための建物だ。
そして持ち主であるホーリーウッド家の嫡孫であるユークリッド・フォン・ホーリーウッドが、現在通学のために暮らしている。
しかし正当な持ち主の家のものが住んでいるにもかかわらず現在この屋敷を預かり差配しているのは、ウェリントン男爵の正妻、ハンナ・フォン・ウェリントンである。
彼女はその名にフォンを冠するより以前からこの屋敷の管理を任されており、いまだなおその任を解かれていない。
普通貴族の正室に任せる仕事でもないが、もともと王都に済む用事、この場合は子どもたちの通学があり、その教育の一端を担う親という立場と、貴族夫人という身分から任せられたままになった。
そしてさらに状況を複雑にするのがアイラの存在だ。
彼女はハンナ・フォン・ウェリントンの次女にして太子であるヴェルガ・イシュタルトとその正妃フローリアン・イシュタルトとの養女でもある。
さらにおまけの様にユークリッドの婚約者でもあるが、彼女がこの屋敷でもっとも身分が高い。
なにせ、血のつながりはないに等しいとはいえ(実際には四侯爵家の初代がイシュタルト王家の始祖の胤であると伝承されており、先代ホーリーウッド侯爵の孫に当たるアイラにも当然その血は入っている。)王族として扱われているのだ。
そしてアイラの友人にして客人であるソニア嬢のメイドとして専属しているが、少女メイド・・・ソルは本来アイラのメイドである。
この屋敷においてソルを指導、あるいは処分する立場にあるのはアイラをおいてほかにないのだが、そのアイラはソルにメイド以外の道も用意してやりたいと考えているので、そこまで徹底したメイド教育は行っていなかったのだ。
それでも十分に心構え以外のメイドとしての技能は身につけているので、やはりこのソルという少女も十分に才能に恵まれている娘だったのだろう・・・。
そうさせたのは、ソルがソル自身を追い詰めている「人から愛されて幸せに暮らす」という脅迫観念故であるが、最近の彼女はその強迫観念とともにあるもうひとつのトラウマの様なものにおびえていた。
そして彼女の姉を自称する2歳上の女の子ソニアと、5歳上の女の子マーガレットはすでに現在のソルの不安定を感じ取っていて、戦地から帰ってきた直後のアイラにもすでに伝えていた。
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(アイラ視点)
つまり、彼女自身、自分自身の痛みの根源をすでに誤認している可能性がある。
マガレ先輩とソニアの報告を聞いたとき、ボクはそう思った。
彼女はすでに一人の少女としては十分すぎるほどに努力していて、その生き様はすでに痛々しくすらあった。
彼女はその幼少期の辛い体験から、おそらくは離人症や別人格形成を伴う様な精神疾病を抱えている。
その気付きのきっかけとなったのは、彼女のそのどこか自分のことを俯瞰的、あるいは自分のことではないかの様に振舞うことがあったことだが、それ以上に彼女の出自を詳しく調べた時のことだった。
城で使うメイドが出所不明というのではさすがに問題があるため、彼女の話してくれた話を元に彼女の出身地と、直前にいた村を探し人を遣り、状況を確かめたのだ。
無論生きていることは明かさず、近隣で死亡した旅人の調査という扱いで城の人足を使ったので、証拠の類もうまく引き出し、ソルの本名もすでに把握している。
彼女の名前はソレイユ・ルピナス・スターチス、彼女が名乗ったソルという名前は母親であるサマンサが彼女を呼んでいた愛称で、スターレットという姓はおそらく父親の姓であるスターチスと、母親の姓であるポーレットとを捩ったものだと思われる。
ルピナスが亡くなった本当の母親の名前だというのは確かであった様だ。
その前半生はかなり過酷なものだった様で、村人全員を対象に取り調べを行ったところで判明したその概要をまとめると、彼女の父の死は狩中の事故とされていたが実際には嫉妬した男による殺人で、しかもその死因について代官のところへは、狩り中に単独行動をした彼が魔物の牙にかかったと報告されていた。
これは官吏が村に現れたことでそれの調査だと考えてソルの母サマンサの弟が密告してきたかららしい。
ソルには伝えていないが、そのことで代官による調査が村に対して行われ、引退していた元村長、実際の狩の際に緘口令を下した現村長、そして犯人が逮捕され、代官に対して「自らの保身、あるいは悪意を持って虚偽の申告をした」ことを主な罪状として舌を引き抜かれたそうだ。
すぐに治癒魔法をかけられて死にはしなかったものの、今後の人生では食事もままならないとか・・・
またソルの父を殺した男についてはいくつかの複合的な罪科をかぶることになり、いくつかの刑罰を受けた後、局部を切り落とした上で縛り首となった様だ。
3名は代官の前に引き出されてなおお互いに罪を擦り付け合い、醜くののしりあったことが、代官の怒りに触れた様だ。
サマンサの故郷の村の事件に関する結論としてはソルの父親があまりに優秀であり、村の各部門の有力者たちから村長を補佐する役職につけてはどうかと打診されたことへの焦りが、元、現村長の動機とされ、嫉妬男のほうはそのまま殺人と、人の妻を妻本人の同意なく奪おうとした罪、妻を未亡人とさせた罪、被害者の子どもを片親にさせた罪、代官への偽証を罪と数えられた際に、代官への偽証を村長たちの独断だと押し付け様とし、サマンサと愛し合っていてその同意があったこと、自分が夫となれば被害者の娘の親となるつもりがあったが村長がそれを許さなかったなどと発言したが、すでにサマンサが死んでいることを知っていた代官が「サマンサ本人が否定しているが?」とカマをかけると「その女が自由になりたいがために俺を利用したんだその女こそが裁かれるべきだ」と発言を変えたため、偽称を繰り返したとして死罪が決まった様だ。
次にソルの父の実家のほうだが、ソルとサマンサが村から行方をくらました際に薬草を必要としていたソルから見て従姉に当たる当時9歳の娘が何らかの感染症に感染していた様で、その母親はサマンサにはそのことを伝えずに秘密裏に薬草探しに出した。
しかしサマンサもソルも帰ってこず、翌日には村人を数名使い薬草を探させたが2年近くサマンサだけに薬草探しや、薪取りを言いつけていたため最近の狩場を知らず入手が遅くなり娘はその後死亡、村長一家や村人にも流行の兆しが現れその後代官に助けを求めることになったが、ボクたちが保護したソルをメイドとして教育し始めたころにはすでに村の人口302名に対し74人の感染者と3名の死者を出していたそうだ。
その女ははじめ事の原因をサマンサが毒を撒いたんだと叫び、それはもう気が狂った様な状態であったそうだが、やがて自分以外の村長家族がすべて病死するとつき物が落ちた様にこれまで自分と夫がサマンサとソルに行ってきた非道を告白すると、安らかな顔で死んだそうだ。
その告白の中によれば、サマンサに対する肉体関係の強要と重労働、そして村衆に対してサマンサ、ソル親子に必要以上に接触しないことを命じたとの事だった。
つまりソルの仇というべき者はすでにブリミールを含めて相応の報いを受けているわけだが、ボクたちとであった時7歳だった彼女がどれだけ周囲のことを理解して、どれだけ追い詰められていたのかは、出会った後の彼女の学習能力の高さを考えれば、そのほとんどを正確に理解していたと考えるべきだろう。
むごいことだと思ったけれど、彼女が幸せに生きられる場所を自らの努力で勝ち取ろうとしていることがわかったのでこれまで王族に対する偽証も悪意によるものではないと不問にして、戸籍も作り直して今はソル・ルピナス・スターレットが彼女の正式な名前となっているが、いつか彼女がソレイユに戻る選択をしないとも限らないのでそちらも行方不明者の戸籍として残してある。
あれからもう3年ほど経つ。
彼女の精神疾病をいつかはどうにかしたいとも思っていたけれど、そのノウハウがボクにもなかった。
だからただ彼女と寄り添うことを選んできた。
彼女のそれは快方に向かうことはなかったが、悪化もしてこなかった。
その状況が少し変わり始めたのは、ソニアがクラウディアに着てからだ。
それまでもマガレ先輩と親しく付き合ううちに、それまでには見せていなかった素直な感情の動きを見せていたのだけれど、ソニアがきて、ソニアのお付になってから大きく進展を見せた。
時々、本当に時々だけれど、心からの笑顔だと信じられる表情をソルが浮かべているところを見ることができた。
そしてボクたちはソルの精神疾病を改善させるのが、ソル自身が誰かのためになったと実感できることだと考えた。
つまり、ソニアの世話をする上で彼女は自身が「出来ること」を認識して、それがそのまま彼女の病状を弱めることにつながったのだと。
それまでの努力は彼女が幸せになるためのもので、人のために出来ることではなく、自分自身が出来ることとしてすらまだ彼女の中で計上されてはいなかった。
またことさら厄介なことに彼女は自身の痛みの理由を、おそらく父や母の死と絡めてしまっている。
これは憶測だが、彼女はきっと父親と産みと育ての二人の母親、それらの死因に自分を含めて考えてしまっている。
そのことで、心の病魔を飼うことになったのだと、ボクは考えている。
これを払拭するには、彼女が彼女自身で、自分が「出来る」ことを認識しなくてはならない、その点で今日の大水練大会のレースは渡りに船とも言うべき最適な催しだ。
優勝すればもちろんのことだが、そうじゃなくても悔しいと思ってくれれば、それは自分自身にやれる力があったと認識することに繋がる。
一番残念なのは、自分は負けても仕方がないと断じてしまうことだが、この頃の彼女であればどの様な結果になっても受け止めることが出来ると考えている。
問題は・・・、先日のオケアノスの戦争でボクたちがいなくなっていたことで、彼女になにか思うところがあったらしく、ひどく落ち込んでいることだ。
それこそマガレ先輩やソニアに相談されたことだ。
タイミングの悪いことに今のソルの心は少し弱っていた。
ボクたちがいない間にソルの治療に繋がるすばらしいお膳立てがなされていたと思ったら、ソルのほうが落ち込んでしまっていて、今のままではまともに競技に参加できるかも怪しいところまで気持ちが落ち込んでいたのだ。
なので、ボク自らが「ソルのことを見込んで」ほかの子とは違う魔法を教授して、ソルだからこそ出来ることとして印象付けた。
これで今日いい戦いが出来れば、ソルの心はそれなりに上向くはずだ。
一人で寝ることも出来ないほど追い詰められているソルをどうにかしないといけない、これ以上の負担は彼女の心を殺しかねなかった。
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結論から言えばソルたち1年攻性魔法課チームは勝利した。
優勝だ。
前周でボクがなしえなかったシリル先輩たちへの勝利をやってのけたのだ。
はじめから単体のシリル先輩への勝利は難しいけれど、ソルはシリル先輩を除いた最速のタイムとなる12秒をたたき出して優勝した。
ソルは目に見えて元気になっていた。
それはもしかしたら、疲弊や、魔法力の枯渇による一種のハイの状態だったのかもしれない。
でもソルはその日これまで見せたこともない様な、子どもらしい純粋な表情で笑った。
初めてボクや神楽の前で肌を晒して、一緒にお風呂にも入った。
今日のヒーローということで、エイラとソルを一緒に労い、めちゃくちゃに可愛がった。
二人を労うために泊まりに着てくれたマガレ先輩とラフィネ先輩も一緒になって二人を可愛がった。
特にマガレ先輩は翌日に試合もあったというのに、わざわざ泊まってくれて。
ソルもテンションがあがりすぎたせいで、ボクたちの前でマガレ先輩とソニアに
「ソル、がんばったんだよおねえちゃん!ほめてほめて」と喜色をあらわにしてしまい、直後メイドの顔になって恥じたけれど、今日は無礼講!とボクが宣言し、「え、なにそれ?」といった表情で混乱している間に、ボクも再度参戦、(お風呂なので)全裸でソルを抱きしめ頬ずりして、おでこにチューして、それからエイラにも同じことをして。
ようやく理解したソルが同じ様にマガレ先輩やソニアと、そしてほかのみんなと抱きしめ合って。
そしてご馳走を食べて、ピオニーと遊んで、ソニアのひざで満足そうにして眠るのを見届けて・・・。
この日を境にソルの病は、徐々に快方に向かう様になった。
無論その日の出来事がすべてではなかったし、それからも幾度もきっかけがあった。
でも彼女の病が治り始めたのは間違いなくその日からだ。
彼女はそれからよく笑う様になった。
それはこれまでの様な、まるで作られたみたいに人当たりのよい笑顔ともまた種類が違って。
その自然な笑顔はいつもみんなに幸せをお裾分けしてくれる・・・まるで光を振りまく太陽をそのまま花にした様な・・・。
ということでソルシナリオでしたが、一番すべてを知っているアイラにモノローグしてもらうことにしました。
ソルの抱えていた問題は仇が罰を受けたことや、積極的なアプローチではなく、ソル自身のがんばりと周囲の見守りで解消され始めました。
ソルは才能のある子どもなのでこれを機に今後はマーガレットの様な強キャラ設定になると思います。
※水練大会レースの内容に誤りがあったためマガレ先輩と記載していたところをシリル先輩へと修正しています




