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第97話:爪痕

 東方で起きた旧ヴェンシン王国系貴族たちによる戦は、その興りに対してあっけない終幕を見せた。

 圧倒的な国力と戦力の差を見せ付けられたダ・カールはわずか数度の局地戦のみで降伏した。

 モスマンはその内部に孕んだ膿により、領都にて大きな被害が出たが、オケアノスの兵により鎮圧、続く包囲戦も名目上の宗主国であるドライラントの介入によりあっけなく終息を見せた。

 その後、東方での役目を負えて姉の門出を見届けた転生者で周回者の少女アイラはクラウディア市のホーリーウッド邸に戻ったのだが・・・・。


------

(アイラ視点)

 今生でももう3年以上も暮らした我が家、前周のこともあわせれば10年近い年数を過ごしているこの邸は、我が家という響きが実にしっくりとくる。

 やはり前周でも今生でも1桁から住んでいるというのが一番の要因かとは思うけれど、ここにくると返ってきたという感じがして落ち着くのだ。


 今回も突然の開戦、両親と姉妹の行方不明と、出だしこそ焦らされたが何とかこうやって無事に戻ってくることができた。

 無論失ったモノもなかったわけではないけれど、それでもボクが守りたいと思う最低限は守ることができた。

 間に合うことができた。


 ボクたちが邸に接近すると、門番をしてくれている近衛たちが恭しく礼をする。

 無事を喜ぶ声に応えながら、邸の中に入る。

 うん、このにおい、この空気、落ち着く。

 あとはもうお風呂でもゆっくりと入ってからユーリか、神楽か・・・ううん今日は両方かな、一緒にベッドで夕飯まで休憩したい。


 この時、ボクは家族を無事家まで連れて帰ったという満足感のために忘れていた。

 この邸に残してきた家族がいることを・・・無論完全に忘れていたわけじゃあない、トーレスは心配しているだろうなと思ったし、ピオニーだって母と姉がいないことでただでさえ不安になっていたのにボクや、なついているエッラやフィーまでいなくなったのだからそれはもう不安でないているだろうなと、心配していたのだ。

 ただ一人、余りにも一緒にいることが当たり前すぎて、逆に心配の外にいってしまった妹がいたのだけれど・・・

「ア゛イ゛ラ゛ァァァァァァァァ!」

 なにか動物の様な雄たけびを上げてボクの半身が飛び掛ってきた。

 あまりにも突然のことにボクは少し面食らったけれど、大好きな妹アイリスのことを受け入れないはずもなく、昼過ぎだというのに寝間着のやや丈の長いスリップ姿のアイリスを正面から抱きとめた。

「アイリス、ただいっマ゛ァ゛!?」

 飛び掛ってきたといってもせいぜい抱きついてくるくらいだと思っていたアイリスは、よく見ると靴すら履いておらず、ボクの1mほど手前でジャンプするとそのままボクにしがみついてきた。

 とっさに魔力強化しなければ一緒に倒れているところだ。


「こ、こらアイリス、いきなり・・・あかちゃんじゃある・・・・まいし・・・。」

 淑女としての振る舞いについて語ろうと思ったボクだったけれどそれ以上言葉は出てこなかった。

 ただ泣きじゃくってしがみついて来る妹が、それはもう必死に泣いているのがわかってしまって、ただ抱きしめ返すことしかできなかった。

「ふーっ、うーぅー・・・」

 かみ締めて泣くアイリスの声はボクの心をかき乱すものだ。


 みんな落ち着いて一休みどころじゃなくなってしまって、迎えに出ていたのに機先を制されてしまいあっけにとられていたナディアやトリエラがややあってから、慌てて父エドガーや母ハンナを迎え入れる。

「お疲れ様でございました男爵様、大変なことに巻き込まれてしまいましたね。」

「奥様もよくご無事でお戻りくださいました。ピオニー様も奥様のことを恋しがっておられますから、お休みの前に是非一目お会いになられてください。」

 そういってナディアとトリエラは先にボクの両親をねぎらうことにした様だ。

 通常ならユーリのお付きだけれど、父はお客様にあたるので優先しても問題ない。


 エッラは転寝を始めたアニスを抱えていたけれど、トーレスが半ば強奪する様にアニスを抱くとアニスは無意識にだろうけれどトーレスの首に腕を回して安らかな寝息を立て始めた。

 そのまま、トーレスはボクたちのほうに目配せだけしてアニスの部屋のほうへとアニスを抱えていく。

 エイラとソル、それにソニアがボクたちの後ろにいる謎の巨大修道女ベアトリカを恐る恐る見上げていたが、さすがにいきなりご対面は驚くだろう。

「エッラ、フィー、ベアのこと紹介よろしく。」

「かしこまりしたアイラ様」

「はい。」

「ガフ」

 三者三様の返事、イサミたちもエッラたちとともにリビングのほうへと歩き去っていく。


「ユーリ、カグラ、ボクはアイリスをなだめてくるから、二人は先にお風呂なり済ませて、休んでて。」

 場に自分たちだけになったのを確認すると、ボクは神楽とユーリに先に休む様に告げる。

 こうなったアイリスはなかなか手ごわいし、何よりも今二人にあまり近くにいられると、困る理由が今はある。

 実はアイリスは現在ボクの首と腰に腕と足を回してしがみついて泣いているのだけれど、さらにもう一箇所ボクにしがみついている。

 その方法というのが・・・

「って、ア、アイリスちゃんいけません、アイラさん痛い痛いってなってます。かじりついちゃだめですよ!」

「あ、ほんとだ!ていうかちょっと血が出てる。アイリス、だめだめ、落ち着いて!」

「う゛ぅ~!!」

 とうとうばれた。

 引き剥がそうとするユーリに対してアイリスがイヤイヤをしてむしろダメージが大きくなっている。

 アイリスは再会の喜びか会えなかった間の寂しさを噛み締める様にないていたのだけれど、その噛み締めるものには物理的に、ボクをという対象が存在していた。

 アイリスはボクの右の鎖骨あたりにしっかりと噛み付いて、すすり泣いていたのだ。


 結局ばれたあと、なんとかなだめすかしてアイリスの口が離れた後、まだ噛みつかれいる様な感覚を感じながらしがみつくアイリスをボクの部屋まで運んでからベッドに腰掛ける。

 神楽とユーリも結局ついてきていてアイリスはボクにしがみついたまま二人とは気まずいのか視線を合わせないでいるけれど、先ほどまでよりはずいぶんと落ち着いてきている。

 ちょっとずり落ちそうになるたびに背中に回した指の爪が背中を服越しに引っかいて、非常に痛い。

 薄いスリップ越しに感じるアイリスの体温は泣いて興奮していることもあってか熱く、気候もあって胸とおなかの辺りにじっとりと汗がにじむ。


 噛み付かれたところも背中も痛いはずのに、それ以上に愛しいという感覚が溢れてくる。

 それでも少し落ち着いてきたらしいアイリスがボクにしがみついたままで何事か言いたいことを喚き始める。

 それはどうして、という言葉が中心で、伝えたいことも、一言行ってきますを言ってくれればというおいていかれた寂しさを伝えるものだ。


 次第にこめられる力も弱くなってきて、泣き声も嗚咽から、鼻をすする程度のものになってきた。

 声もはっきりと聞こえる様になって、アイリスの寂しさや不安を訴える声はボクの胸を打った。

「アイラが特別なのわかってるけど、ズッアイリスだってお父さんやお母さんのこと、心配だったのに、何で一人で行っちゃうの、待っててって言ってくれれば、ゲホッ・・・ちゃんと待ってるよ、なのにどうして何も言わずにおいていくの?」

 はっきりと聞こえるけれど、まだところどころに鼻をすすったりむせたりする声が混じる。


 それでもひとしきり泣き叫んで落ち着いたからか、言葉自体は整然としていて、子どもの癇癪とは違う切実で、重たい叫び。

 アイリスが残した爪痕もそれを証明するかの様になかなかその熱が消えない。

「アイリスちゃん、アイラさんは・・・!」

 神楽がボクを擁護しようとしてくれるけれど、ボクはそれを手で制する。

 これはボクが伝えるべき言葉だ。

「ごめんね、なんて軽々しくいえないね、ボクはボクにできる最善を目指したつもりだった。そのことでアイリスを傷つけるだなんて思いもしなかったんだ。でも決してアイリスのことを軽んじたつもりはない、アイリスはボクのたった一人の双子の妹で、ボクにとってあまりにも居て当然の存在で、だからきっとボクが父さんや母さん、サークラ姉さんやアニスのところに走っていくことも認めてくれるって、アイリスに甘えてしまったんだ。」

 緩んでいた腕の力がぎゅっと再びボクの背中を引き寄せる。

 爪は立てていないけれどその指の細さが、服越しにはっきりとわかる


「ボクは家族みんなが大切だから、もしまた誰かが危ないって言われたら、一も二もなく、とる物もとり敢えずに飛んで行ってしまうと思う。だから、やっぱり終わった後に、帰ってきてからただいまって言うことしかできないよ、君をおいていくことを簡単に謝りはしない、それがボクにできる限界のことだから、だから、これだけは約束する、絶対にボクは帰ってくる。アイリスがボクの帰る場所で待っていてくれる限り、ボクはアイリスの居る場所に帰ってくる。」

 そうして、帰ってこない者を見送る側の気持ちもボクはわかる。

 前周でアニスがボクたちの元へ帰ってこなかった時、そして、アイリスも、ユーリも、神楽も、プリムラやアルマさえボクを取り残して逝ってしまった時も押しつぶされそうな胸の痛みに耐えてボクは見送った。

 もちろん泣きはしたけれど。


アイリスキミのことを愛しているよ」

 キミは前周の父を、母を失ったあの痛みを覚えていないだろう。

 兄の悔しい死に顔を覚えていないだろう。

 今の君は戦争で傷ついた兵も、知り合いが倒れる姿も目の当たりにはしていない。

 初めて顔を知った人が、ハイデマリー・ローゼマリー・リープクネヒト少尉が亡くなったと伝え聞いて、そう親しくなかったとはいえ、城で数度顔を合わせていた彼女の訃報を、この妹が伝え聞いて、そんな場所に家族のほとんどが居る状況に、どれだけ不安になったかはボクには想像もつかないよ。

 だからボクはボクが帰ってくるということしか約束できない、本当ならそれさえも約束できないことなのだけれど


「私も、アイラのこと大好きだよ」

 妹は相変わらずしがみついたままで小さくつぶやいた。

「大好きだから、不安になったし、返ってこなかったらどうしようって思った。でも私もおねえちゃんだから、アイラが帰ってくるまで泣けなかったの、ごめんねアイラ、噛んだところ痛くない?私のこと嫌いになった?」

 支離滅裂な謝罪、不安そうに尋ねる妹のなんていじらしいことか・・・。

 ユーリも神楽も微笑ましそうに眺めているし、ボクだってこの妹の寂しがりなところやマイペースなところ、かと思えば激情家なところまですべて愛しているといっても過言ではない程度に姉馬鹿だ。

「嫌いになんてならない、君はボクそのものみたいなものなんだから、今も言ったでしょう?愛しているんだ。」

 少しだけ上体を離しながら、アイリスと見つめあう。

 アイリスはまだ潤んだ瞳に、ボクと唯一違うその瞳にボクを映し出す。

 それから自分が先ほどまで噛み付いていたボクの傷痕に気がつくと申し訳なさそうに目を伏せてから治癒の魔法を唱えながら同じ場所に口付けした。

 それだけであっという間に、傷は引いていく、なんとなく痒いというかちょっと性感を伴う様な居心地の悪い感覚。

 二人に見られているからだろうか?


 そこでタイミングを見計らっていた様に神楽がアイリスの右後ろ、ボクの左前方から二人ともに腕を回しながら抱きついてくる。

「私も、アイラさんのこともアイリスちゃんのことも大好きですよ」

「わ!?カグラちゃん!?」

 見えていたボクは慌てずにただ受け止めるだけで済むはずだったけれど、勢いの良い神楽にそのままベッドに押し倒されてしまった。

 そんなボクの右側にユーリが腰掛けて、ボクとアイリス、それに神楽の頭を順になでる。


「割り込む様で悪いけれど、僕もアイラのことを愛しているし、カグラとアイリスのことも姉妹あねいもうとの様に愛しているよ?」

 言いながらユーリはボクとアイリスのおでこに唇を寄せた。

 それをアイリスは目敏く

「同じくらい愛してるなら、どうしてカグラちゃんにはしないの?」

 と尋ね、ユーリは困った様に神楽のほうを見た。

 神楽は一瞬ボクのほうを見たあと

「まぁユーリさんになら、おでこくらいなら許してあげます。」

 と、譲歩をみせ、その後ボクのほうを見たユーリにボクもしぶしぶうなずいた。

 これは男女の愛の表現ではなく家族の情愛の表現、このくらいで腹を立てるほどボクは狭量ではないさ、ましてや相手はユーリ、ボクの想い人なのだから神楽に対して不埒な懸想をする様な人間じゃないってわかってるしね・・・。


 そんな複雑な感情のやり取りがあったことにアイリスは気付いているだろうか?

 ただユーリの口付けが神楽のおでこにも届いたのを見届けるとアイリスは楽しそうに笑った。

 ようやく笑顔を見せてくれたね?

「さてアイリス、ボクたちは長旅ですこし疲れてる。ちょっとお風呂にでも入ってから休憩しようと思うんだけれど・・・」

「みんなでお風呂はいろ!家族だもん、今日は私がお背中洗ってあげる!」

 とアイリスが目をきらきらさせながら提案する。

 しかしユーリは

「うん、とても魅力的な提案だけれどもう学生だし、婚約者のアイラはともかくメイドでもない二人とはなかなか裸の付き合いというわけにもいかないから、今日は3人で入ってて?僕は心配かけたナディアにごめんなさいしないとだから、ナディアと一緒に入ることにするよ。」

 といって遠慮してしまった。

 アイリスはわずかに不服そうにしたものの、留守番中のナディアのことを思い出したのか

「うーん、確かにナディアちゃんも心配してたもんね、うん、わかった。じゃあアイラ、カグラちゃん、一緒にお風呂行こう!」

 と機嫌よさそうにボクと神楽の手をとった。


 その後3人でお風呂で洗いっこしたりしてはしゃいでいると途中で母ハンナ、アニス、ピオニー、トリエラ、エイラが入ってきて、治癒魔法で傷は治っていたけれど温まったためかキスマークの様に朱を散らしたボクの肩口と背中の爪痕を見てちょっとした騒ぎになったり、エッラとフィーがベアトリカをつれて入ってきて、まだちゃんと紹介を済ませていなかったアイリスがビックリしてひっくりこけそうになったり。

 かと思えば四つんばいにさせたベアトリカの上にすっぽんぽんで跨ってみたりと大騒ぎして。

 ベアトリカの方も、突然たくさんの人の中に放りこまれたのに特に驚いた様子もなく、アイリスと戯れて順調にホーリーウッド邸に順応しつつあるのが見て取れて、やっぱりこの妹アイリスは只者ではないなと改めて認識させられた。


 戦後の処理のことはジークや義父、それにジョージたちが何とかするだろう。

 子どもであるボクは、まだまだ続くはずの日常に思いを馳せて神楽と肩を並べて湯船に浸かり、金太郎の様(ちょうど頭が金だしね)にクマに跨る妹に歓声を浴びせた。

イサミとモーリスは本当にホーリーウッド邸に住んでいるのか怪しいレベルで存在が希薄になっている気がしますね、気がつくとそっと添えるだけになっている・・・。

アニスは寝に行きましたが、ベッドに寝かせるのに着替えさせようとするとお風呂を所望しましたので、合流しました。

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