第二・巨壁
複数の生徒により医務室に運ばれた彼女を背に、ライノールは悠々とその場を離れる。
戦闘時間は設定されたものより凡そ半分程度。大した苦戦も無しに己の秘密を最後まで隠していたライノールの勝ちであり、現実的な戦いを行ったライノールは周囲の貴族の視線に含まれた感情とは別に教員からは大いに評価されることだろう。
戦いにおける最重要は確かに勝利である。勝てなければ何の意味も無いし、勝てたとしても己の身体が二度と戦闘出来ないようであれば結果的に敗北と言われても何も言えない。
故に必要なのは生存。生き残れれば、負けたとしても再戦の芽が残る。
どれだけ罵詈雑言を受けたとしても生きていれたのならば引き分けに過ぎないのだ。
そういった意味ではライノールは見事だと言わざるをえない。己の限界であるかのように高速で駆け、一番の本命は複雑に隠し切った。
戦場ではその行動こそが生存への第一要素となるだろう。他の生徒では未だ不安はあるものの、彼であれば特に問題となるようには見えなかった。
後は経験のみ。それさえ積めれば、彼もまた優秀な戦士へと変わってくれるだろう。
ライノールの歩く道の先には、未だ己の番を待っている三人が居る。
その内の一人であるウィンターは一先ずは完勝したなと彼とハイタッチを済ませた。
「本当に呆気なく終わらせたな。これで俺が負けたら情けなくなってしまう」
「へへへ、その時は休日に買い物行こうぜ?俺前から欲しい物があってさ」
「おっと、これは負けれんな。勝たなくてはどんな物を買わされるかわかったものではない」
友人同士だからの気兼ねない会話だ。
戦闘時の嘘ばかりな彼とは違い、今目前で話す彼は非常に正直になっている。仕事人間というものだ。
そんな二人を見つめるノースの目には、確かな羨望が籠っていた。
自分も同じように馬鹿をしたい。本音で、嘘偽りも無く、ありのままの自分で彼等と会話をしたい。
しかしそれは無理だ。ノースは己の築いた行動の結果として英雄候補の一人と認識されてしまっているし、人付き合いも困難であるとも認識されている。
他者を助けるような振る舞いも一応は見せるが、実際にそれを目撃した者はあまりに少ない。
好意を持たれている理由の最たるものは、彼が一瞬だけ見せる本来の性格を勘違いしたが故。普段滅多に笑わないような人物がいきなり笑えば特別だと思ってしまう、人間特有のそれである。
その結果として彼の面倒事は加速度的に増えているのだが、それを本人は正確に把握していない。
唯一把握しているとすればサウスラーナくらいのもの。尤も、彼女であっても全員を知っている訳ではないのはライノールに情報を提供させた時点で解るだろう。
「これで今は三年への進級に問題は無くなったわね。後は普段の素行と成績次第。足元見られるような真似をすれば即座に抜かれるわよ」
「俺がそんな馬鹿をすると思うかい?ウィンターみたいな脳味噌筋肉野郎ならいざ知らずってな」
「こいつめ」
ウィンターの張り手がライノールの背中に命中し、あまりの激痛に身体が飛び跳ねる。
ライノールは速度を重視しているからこそ防御が弱い。そこを突かれれば普段飄々とした態度を見せていようとも、地面に転がるような無様さは見せてしまうのだ。
後で覚えてろよ、と言うライノールを後目にウィンターはノースに顔を向ける。
大事な試験時故に緊張感の一つでも解そうと考えていたものだが、そんな真似は間違いなく不要だった。
此方を見やる顔には余裕の類が見え、崩れた口元からは紛れも無く喜の感情が窺える。
こうしたやり取りを純粋に良いと思っている辺り、やはり彼は他者から勘違いされやすいのだろう。
これからも友人同士でいたいものだと素直にそう思い、直後聞こえた自分を呼ぶ声に意識を向ける。
ウィンターとライノールの順番は極めて近い。その為に既に準備運動は終えていたし、戦意自体も無論最高潮のまま。
相手が相手なだけに多少は考えなければならないものの、それだけならば負けるつもりは毛頭無いと彼は長く息を吐き出した。
「では行ってくる。吉報を待っているが良い」
「大丈夫よ、最初から勝つって知ってるから。寧ろ負けたら許さないわ。ノースの友人を公言する以上敗北は認められないと知りなさい」
サウスラーナからの脅しとも激励とも取れる言葉に、ウィンターは肩を揺らすだけで答えた。
サウスラーナは些か以上にノースに傾いている印象があるが、彼が友人と認識している相手に対しても多少なりとて気にはしている。
ノースの名に悪影響を与えるなという意味でも気を使っているのは流石にどうかとも思われがちだが、それこそがサウスラーナであるともこの場の全員が理解していた。
彼の所属するクラスの中で、現状まともに戦えそうな人員は四人を含めても極僅か。受験のラインを超えただけの者達を使えるとは思わず、故にこそ重要な戦力とは縁を結ぶべきだと感じていた。
それは今後も変わらない。上級生の中からも協力関係を結べる相手とは結ぶべきだとは思うし、もしも王族関係者と繋ぎを作れれば後々になって配慮もしてくれるだろう。
無論そうするには此方が有用な存在であると周囲に知らしめねばならない。
戦闘については彼女本人も奮闘するが、やはり一番はノースだ。政治的なものが苦手な彼ではやはり難しく、それならばいっそ戦いに集中させた方が良い。
彼もまた政治の汚い部分を知っている身ではある。しかし、それを知って後ろを見てしまう可能性は決して零ではない。
後ろを見るのは人間である以上必要だ。過去を想うからこそ未来を見据えることが出来るのだから。
だが、今はまだその時ではない。青春を捨てている彼であるからこそ、光輝く栄光を手にする為に前へと向き続けなければならなかった。
その時はゆっくりとだが近付いてきている。
成績が成績だけに推薦枠に入れるかどうかは不明なままだが、これからがあるのだ。チャンスを手に取るような真似はせず、堅実に進めていくのも良いだろう。
運もまた実力の内だとは言うが、それは実際に成功したからこそ言える台詞だ。失敗すれば破滅が待ち受けているのは当然であり、であればこそ下手な博打はしないが吉。
今はただ純粋に勝利を積んでいくべき時である。それを忘れないようにと彼女は再度戒め、ウィンターの戦いを見るのだった。
――――――――――――
ウィンター・アーグランドという男は、誤解を恐れず言うのであれば脳筋と呼ばれる存在である。
考えるよりも身体を動かす方が好きで、勉学に励むよりも模擬戦に精を出し、そうして出来上がったのは運動系方向への酷く偏った成績だった。
総合的に見るとするなら、彼の成績は十点中五か四。良いか悪いかで言えば決して良い部類ではなく、さりとて救いようがない程に悪い訳でもない。
少なくとも戦闘に関しては紛れも無い適正があるのだ。それを伸ばせば前線で戦い続けるだけの兵士には間違いなくなれる。
しかし、それが決して良い意味になることはない。前線で戦い続けるということは、それ即ち使い潰されるということだ。まともな教育を受けてきた者でなくともその恐ろしさは解る筈であり、故にこそ使い潰されるだけの一兵で終わってはならない。
であればどうするか。成績が低く、脳筋の彼がどうやって一つの切り札的存在になるのか。
答えは、彼が立つべき場所にこそある。
「各人の健闘を祈る。――――勝負開始!」
教員の声に合わせ、対戦相手が先制攻撃として放ったのは模擬弾だった。
直撃すれば骨に罅を走らせる事も可能な攻撃方法。訓練を積めば誰でもある程度の成果を発揮する事が出来る銃という武器は、どんな環境においても優秀だった。
使われた物は小型。極端に取り扱いの難しい物ではなく、初心者でも使いこなせるような極めて簡単な作りの代物だ。しかしそれなりに年季は入っているのだろう。
装備のそこかしらに手入れをされた後があり、一部改造されたであろう痕跡もある。
勝つ為に己を鍛え上げる以外の方法を模索する。それは当然のようでありながら、しかし実際に行動に移す者の少ない選択だ。
そしてその成果は――――制服を一部破損させるという小さな事実で終わってしまった。
「……流石筋肉馬鹿。そう簡単には通らないか」
冷静に呟き、弾を込める。
弾が命中した箇所の制服部分は間違いなく破れた。元々彼の制服が想定外の負荷によって脆くなっていたのが原因であるが、それでも直接筋肉には届いたのだ。
だというのに、ウィンターの顔に苦痛の色は無い。さながら豆鉄砲を食らったが如く、その顔には獣を思わせるような深い笑みだけが残っている。
そのまま拳を固め、彼は歩き出した。
装備は木製のナックルのみ。否、具体的に言えばメリケンサックと表した方が良いだろう。
肥大した筋肉が立てる足音は重く深く、対戦者に恐怖を与えるには十分な威力がある。実際に迫られれば解ることであるが、自身に向かって明らかに攻撃を仕掛けてくるような巨体が居れば誰とて多少なり冷静さを欠くものだ。
その点、ウィンターの対戦相手はまだ冷静だった。
相手に対して此方の攻撃は一撃ではダメージに繋がらない。であれば、数による小さな傷を付けるのみ。
或いは、己の異能を使っての一撃必殺を狙うのが妥当な選択だろう。
しかして異能は切り札。早々に切るべきではなく、ならば蓄積ダメージを稼ぐのが正道だ。
相手の動きも鈍重そのもの。此方が走れば相手は追いつけないのは明白。駆けだす細身の男の行動は確かに正しく、そして常識的だった。
制限時間という壁があるので削れる回数にも制限がある。切り札を使用する事を前提とした戦い方を選ぶのがこの場合での最適解と言えるだろう。
当然、相手がそんな真似をすれば何をしてくるのかなど読める。
如何に脳味噌が足りないとはいえ、ウィンターは察しの悪い男ではない。特に戦闘に関しては己の遅さも相まって先へ先へと行動を決めていかねばならず、直感力が非常に高くなっていた。
その直感が告げているのだ、相手は間違いなく阿頼耶を使用してくると。
であれば、どうするのかも自然と決まる。
相手は此方の防御を貫通する術を持っているのだ。それを使用されれば負けは必至であり、迂闊に使わせる訳にはいかない。
ならば使わせる隙を潰すのが上策。己の馬鹿と名が付く程の力でもって封殺するのみ。
込める力は最大。その力を両腕に流し、最大でもって地面に突き刺す。
「おおおおおおおおおおォ――――」
起きるは微細な地震。人力で起こせる筈もない地面の振動は、それ故に多大な破壊力を秘めている。
頭部に浮かぶ青筋が如何に困難な事を達成させようとしているのかが解り、それが如何なる動作であるとしても阻止せねばならないと男は一心不乱に銃のトリガーを引き続ける。
これが普段の銃ならば結果は違ったかもしれない。貫通性の極めて高い代物であれば、ウィンターの身体は血達磨となって力を失っていっただろう。
しかし、そんなもしもを話したところで結果は変わらない。
銃弾なぞ無意味とばかりにウィンターは無視を決め込み、制服だけが破れていく。
そして大地の震動は一瞬毎に大きくなり、それに合わせて地面が盛り上がっていった。完成するのは楕円形に近い地面の壁。
銃弾程度では貫通不可能な程の厚さを誇る壁の前に、それを成した力に男は戦慄する。
正しく類稀な能力。生まれ持った才能と努力が実を結んだ、典型的な力の象徴。
それでも、出されたのは前面のみ。
側面と背後は未だがら空きであり、そこに回りこめればまだ武器は有効だ。
「……それが普通の選択だよなぁ?」
右側面から回り込んだ男の目の前に、土の壁の一部を無理矢理取った塊が飛んでくる。
速度は既に乗った後。止まる事も出来ない訳ではないが、急制動を掛けたとしても止まった瞬間にウィンターが持っている第二射が待っている。
どのような計算を行ったのか、ウィンターはコースを先読みして投げていた。
一瞬でも思考させる程の巨大な塊を投げつけ、相手の選択肢を半ば強制的に決めさせたのだ。
「――――起動せよ、我が神意」
自身の武器によって塊を破壊するのは不可能。耐久勝負でも確実に負け、ならば残るは最大攻撃力を誇る一撃でもって塊ごと相手をダウンさせる。
使える弾数は一発のみ。されど、その一発でもってこの勝負に幕を引かせるのだ。
百発百中の魔弾を装填。対象者を選択。最大の障害を目前に迫る巨岩に設定し、第二次対象としてウィンターを設定。
「悪魔よ、今こそ我に七つの弾を与えたまえ。求めた結末に達する為に」
銃身に怪しげな黒の靄が掛かる。
明らかに本来の仕様ではないその靄に、されど誰もが口を開く事無く見守るばかり。その攻撃手段が相手を死に追いやるものだと解るまで、教師はその銃身を見つめるのみだった。
「我が意を汲め――魔弾・魂葬」
射出された弾頭は二つ。ただの模擬弾にあるまじき黒の輝きは設定された対象へと進み、その侵略を抑えることなど誰も出来ない。
純粋に物理法則下にある物質では止める事は不可能だ。超越している事象に干渉出来るのは同じ法則を獲得している物体だけであり、故に如何に巨大な岩であろうともその攻撃は防げない。
呆気ないまでに粉砕され、第一の弾丸は役目を終えた。煙の如く弾頭は姿を消し、されどそれを追い越して次の弾頭がウィンターに迫る。
岩が容易く破壊された程だ。間違いなく人体程度貫ける。場所によっては命すら簡単に消し去れるだろう。
それを見て教師は足を出す。止めなければならないと感じたが為に。
――されど、その直後に新たな力が皆の足を止めた。止めざるを無い程の圧倒的な重圧に、息をする動作を潰され発生源へと反射的に意識を傾けさせられる。
「――起動せよ、我が神意」
低く重く、何処までも厳かな雰囲気を放つのはウィンター。
弾頭が間近であるにも関わらず、呟く様は聖職者を思わせる程に穏やかそのもの。それはこの場において異質とさえ見え、だからこそ周囲の誰もが注目するのを止められない。
「我が魂と、我が肉体は、共に完全無欠のものである。これを穢すは誰にも出来ず、故に己は最も高潔な者として地に立とう。彼の聖人よ、どうか我が身にその証を与えたまえ」
天に向かって伸ばす手に、元からあったかの如く空に赤い十字架が出現する。
やがてその十字架から白の物質が出現し、長方形の形となった。現出したソレは清廉な白を持ち、赤く情熱的な十字架が存在している。
守るべきとされた者らはその盾に安心を覚え、反対に守られざるべきとされた者らには強制的に罪の意識を刻み込む。聖人にしか持つ事を許されないその盾こそ、彼の象徴だった。
「我が意を汲め――四種の宝・白き盾」
展開された盾と弾頭が正面から衝突を開始する。
目標を正確に射抜かんとする魔弾の勢いは未だ強く、しかして盾もまた負けてはいない。
阿頼耶の強度は人の意思の強さに比例する。世界の意思は常に誰に対しても均等であるからこそ、己の異能に込めた想いが強ければ強い程に強度が増していくのだ。
そして、その点だけで見ればウィンターこそが上である。
誰かを守るという意思はただ殺す事よりも重い。責任があり、矜持があり、それらが双肩に圧し掛かりながらも笑える人物がそう易々と負ける筈も無し。
ウィンターは国を守りたいと考えている。自分の生きてきた慈しむべき大地を、己を生んでくれた両親を、その土地に住まう者達全員を理不尽な世から救済したいと想っている。
愚か者になど構う余地は無い。己が掲げる希望の為ならば、彼は何度でも立ち上がるのだ。
立ち続ける希望こそ、真に尊き理想であると確信しているから。
「その程度で、貫けると思っているのかァァァァァ!!」
黒の魔弾が聖者の輝きに弾かれる。
強制的に法則を破壊された弾頭は第一射と同じく煙の如く消失し、残るは異能を発動した者同士。
しかし、誰もが戦況を理解していた。これではどれだけ足掻こうとも、ウィンターの勝ちであると。
制限時間は彼の身体を崩す程にはない。必殺の魔弾も弾かれたのでは次も許してはくれないだろう。力任せここに極まれり。実に強引な手段でもって、ウィンターは己の正義を示してみせた。
騎士の如く、聖人の如く――そんな姿を見て、どうして勝てると思えるのだろうか。
拳銃を落とし、両手を挙げる。それが男の示した選択であり、この場の誰もが納得する結末だった。
次回からは間隔が若干開きます。申し訳ございません