認識の差
早速お気に入りに入れてくださりありがとうございます。一番書いてみたい部分が遠い先になるのですが、最低でもそれまでは書いていこうと思います!
新西暦一年。
その日、世界は絶望の坩堝に居た。平和で穏やかだった大陸に海を越えて化外の集団が襲い掛かってきたのだ。
人という種族とはまったく異なる姿。その全てが人間という種族に牙を見せ、初期の頃は蹂躙される日々だったと歴史書には記されている。
当時の武器は純粋な道具によるものばかり。
剣、槍、槌……といった近接戦のみの装備群しか存在しなかった。遠距離の武器など投石器くらいなもので、空を飛ぶ存在に対しては酷く無力だったのだ。
戦況を変えたのは一人の男。
歴史書に載る数多くの英雄の中で、その男こそが最初にして最強の男だった。
近接戦では負け知らず。山をも動かす悪鬼を斬り、大海を支配する蛇の首を斬り落とし、毒に犯された身体を気合一つで解毒する。何処からどう見ても作り物の英雄そのものであるが、しかして彼が存在していた証拠が多数の遺跡より発見された以上実在していると見るのは間違いない。
そしてその彼を調べている内に、我々は化外に対抗する手段を築き上げてきたのである。
英雄にはなれずとも、英雄に近い力を手にするというコンセプトの元に完成されたその技術は、確かな成果を世に示した。
英雄に近い筋力を獲得した者。英雄に近い速度を獲得した者。
治療や、炎を生み出すといった異能を生み出すそれらは――――先ず確実に科学技術によって生まれた産物ではない。
魔法や魔術に近い要素こそあるが、それもまた細かく見れば否と断じれるだろう。この力の源泉にあるのは人の意思であり、世界の意思である。
阿頼耶と呼ばれたそのシステムは最初こそ懐疑的な目をされたものの、多数の実績によって世界中の注目を集め、今では戦う者の必須技能とまで言われていた。
どんな能力になるのかは己の意思と世界の意思が決め、完成された能力は悉くが物理法則を無視するものばかり。
人よ、死すべき時に非ずと世界が力を貸してくれるからこそ現状は優勢のまま時代は進んでいる。
しかし大陸の外から来ている以上根本を潰さねば何時までも敵は出現してしまう。このままでは駄目だろうと大陸に存在する三つの国は最近になって協力関係を結び、選び抜かれた英雄達によって現在は多数の船と共に敵の巣へと進行していたのだった。
この世界では常に何かしらの戦いを要求される。若い男子が戦わないのは恥とは言われないまでも、それでも一つの傷とは思わされる世界だ。
俺にとってはそれは別段気にする内容ではないのだが、気にする者にとっては気にしてしまうのか国が定めた学園を受験する者は非常に多い。
十六歳から十八歳までの三年間で戦えるだけの技術と知識を身に着け、実施試験の後に戦場へと送り出すのも最早見慣れた光景と言えるだろう。授業料も平民を基準にしている為か非常に安く済み、懐の消費を抑えたい弱小貴族達にとっても行き易いように設計されていた。
俺もその定められた学園の一つに通っている。
兵士育成用学園――グランスミス学園こそが、俺の現在通っている学園の名前だ。
数ある学園の中でもトップクラスに受験内容が少なく、そして最も過酷な受験を行うことで有名な学園である。その内容は単純に一騎打ちであるが、戦う相手が同年の受験生同士ではなく、卒業した本職の兵士達なのだ。しかもその質は劣悪などとはとても呼べず、最低でも部隊長クラス。過去ではお遊びでとある英雄が参加したらしい。
その相手に認められるのが合格条件であり、つまるところ付け焼刃で覚えたような者では確実に落とされる試験なのである。
千人参加したとして、合格するのは二百人から三百人の間。二割から三割程度と言えば、その合格の難しさが理解されると思う。
故にこそ学園に籍を置いている人数は最も少なく、されど質に関しては極端に高い。英雄を最も生み易い学園としても有名なのだ。
「だからこそ――俺は此処に居る」
木剣を振り、自身の暗い心境を表に出す。
英雄になりたくなくとも、ならなければ死ぬのであれば難しい関門だけを狙った方が良い。能力の向上は急務であり、凡人のままを卒業させるのであれば短く濃い経験こそが一番だ。
どれだけ身体を鍛え、どれだけ戦闘に関する知識を集めても、それを実戦で発揮出来なければ意味が無い。
そして実戦で発揮する以上、程度の低い相手とぶつかるなど論外。常に格上と勝負し、己の基礎能力を上げることに費やすのだ。
下を見ず、上を見る。そうでなければ英雄に非ず。
己の本気が世界を揺るがせると思わせられなければ、とてもではないが有名になどなれる訳もない。
だからこそ、幼少の頃より己は鍛えた。死にたくないからという酷く小市民じみた思考をしつつ、生傷を増やして耐え続けたのである。
その成果は、まぁ個人的に言って想像よりも下回る程度だった。剣は岩を砕けないし、己の拳では分厚い壁など破壊出来ない。
走っても人並みを超えた程度で、何かしら特別な能力を身に着けてはいなかった。
やはりと言うべきだ。己の身は所詮凡人で、何かしら特別な才などありはしなかった。諦めるべき材料は容易く手に入り、その内容には納得するしかない。
だがしかし、それでも。俺はどうしたって生きたかった。
生きて生きて生き抜いて、幸せになって老衰という未来を欲しかったのだ。
「道程は未だ険しい……いやずっとだな」
この人生が楽になる時など恐らくとても短い。
何時如何なる場面においても英雄としての選択をされ、もしも安らぐ時間があるとすればこうして一人で風景を見る時くらいなものだ。
それでも現実逃避をしているだけだと常に冷静な自分から言われているのだから、実際に癒されているのかどうかは解らない。まったくもって難儀な生だと言えよう。
遊びに行く気にもならない。俺みたいな年齢なら今頃は喫茶店の一つにでも行くのだろうが、そういった楽しみすら感じることなど無くなってしまった。
果ての無い修行の日々は若い時代の楽しみを根こそぎ奪い、殺伐とした真実のみを置いていっている。
なんと恨めしいことか、なんと憎らしいことか。
どうして自分にはそんな楽しみを与えられないのだろう。自分が一体何をしたと言うのだろう。
ただの偶然とするにはあまりに不条理で、されど何度悩んでも解決出来ない問題故に思考は結論を見せずに終極する。
終わりが見えれば考えずに済むのだろう。されど、その終わりは良い結果には辿り着かない。予測として立たずとも解るのだ、こんな悪い目に会ってしまっている以上は。
だからこそ求め、希望し、絶望の中で足掻くのだ。
「これでは繰り返しだな。まったくもって自分らしい」
確定的な一言が無ければ明日は不幸にならない。
最初はそこまで解らなかったが、この年まで生きてある程度の線は判明している。この程度までならば発動などしない。
しかし、更に何か言えば発動は必定。よって自分の思考を斬り落とし、俺は木剣を再度握り締めて振るうのだった。
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ノース・テキスは英雄の卵である。
その言葉はグランスミス学園においては当たり前過ぎる程に当然な内容だった。
三年生の有名人達の噂と同等に彼の噂も大層多く、それ故に人物像も掴み易い。何よりも本人が数多くの視線のある場で事態を起こすのだから、逆に知らぬ者が居れば信じられぬと疑われるだろう。
成績は至って普通。しかしてそれは座学を含めた平均結果だけを見た内容だ。
更に細かく見れば、座学を除いた他の部分においては最上級の成績を収めていることが解る。
模擬戦闘での勝負は未だ不敗。体力測定も常人の枠を超え、二年という部類の中では特に輝く兵士となっている。
このまま成長すれば優秀な戦士となれるだろう。もしかすれば、英雄の一人として将来国の中枢に関わるようになるかもしれない。
性格は静かなもの。しかしそれは平時の時であり、戦闘時においては非常に熱い性格が表に出る。
ルックスは優秀とは言わないまでも、それでも顔は十分に整っている範囲だと言えよう。それ故か女子からの人気もあるし、一部の下級生の男子達からは師事を願われている。
だがしかし、そんな彼の評価の中で特段に重要視すべきものがある。
サウスラーナ・ライトネルが婚約者であるという点だ。
彼女とは十歳の段階で親同士が決めたそうだが、二人が仲睦まじく過ごしている様子を誰も見ていない。同じ教室に近い席だというのに、それでも二人の間には何もないのだ。
男女の関係がある訳でも、ましてやデートの一つとてしていない。
一部では嘘ではないかと噂が流れているが、以前に勇気を持って質問した一人の生徒によって真実であるのが告げられている。
サウスノーラ本人も直接の口から話しているのだ。ならば単純に、二人の仲が悪いだけと考えるのが妥当だろう。
ならば、と女学生は躍起になるもの。
彼本人から婚約の解消をするのは不味いだろうが、サウスノーラから婚約を解消させるのは問題無い。
彼女よりも仲睦まじい姿を見せつける事が出来れば、常識人と呼ばれるサウスノーラとて諦めざるをえまいと同じクラスに在籍する女子は確信していた。
「あーあ、頑張っちゃってまぁ」
そんな様子を馬鹿にするが如く見る男が一人。
金の髪を腰に届く程のポニーテールに纏め、目元を鋭くさせた細身の姿は一見すると頼りなさを感じる。グランスミス学園指定の胸ポケットにリンドウの花が刺繍された黒の制服には似合っているが、しかしその服と合わせて見ると非常に不信感を覚えやすい。
だがその実、彼は現状を正確に見抜いていた。
女子を眺める目には侮蔑の色のみ。それこそ雑種と認識し、関わらない方が吉と定める程度には女の思考を知っている。
ライノール・イフという青年は限りなく少ないノースの友人だ。ノース本人はそれに微妙な顔をするだろうが、ライノールはそうだと断言している。
「見ろよ、ウィンター。今日もあんな真似してるぜ。さっさと諦めれば良いものをさ」
「まぁ、アイツは良い奴だ。狙う者が出てしまうのも致し方ない」
ライノールの後方。机を一つ挟んだそこには一人の巨大な男が座っている。
腕や足は太く、それこそ細い箇所など何処にもない。制服は特注品なのだろうが、それでも少し力を籠めれば破れてしまうような危うさを感じさせた。
両腕を組み、静かに頷く姿は同年代に比べ遥かに静かなもの。髪一つ無い頭ではあるものの、もしも馬鹿にすればもれなく容赦の無い鉄拳が襲ってくるに違いない。
正しく巨山。或いは巨大な壁。動かそうと思うことが嫌になる程の巨漢こそが、ウィンター・アースという男だった。
彼もまた、数少ない彼の友人の一人。ウィンターもライノールも共に男爵家であり、数少ない平民を除けば爵位は最も低い者達になる。
俗に言う弱小貴族の部類に入り、されどこうして二年にまで上がっている時点で相応の実力はあるのだろう。遊び半分の者では生き残れないのがこの学園であるのだから。
この学園を無事卒業し、そして戦場で武勲を立てる。
両者にあるのは共にそれだけ。家の格を上げつつも、自分達が住みやすい環境を作り上げる事に成功すれば間違いなく馬鹿と呼ばれる思考を持った者達を失笑することが出来る。
「何処の国でも同じもんだが、どうしてこう馬鹿な奴ってのは一定数出て来るもんかね?自分達を客観的に見れば、少なくとも格が合っているとは思わないもんだが」
「それが出来ないからこそ、そうなのだろうよ。……此処に入れた時点でそこいらの者達よりも強いというのが証明されている。そして能力も素晴らしければ、まだまだ若い自分達が慢心したとしてもおかしくはあるまい」
「……ッチ。そんな連中がノースの奴と釣り合うもんかよ。あれは生粋の英雄だぜ」
不撓不屈、磨穿鉄硯、金剛不壊。
ノースを示すのは正にこれだ。砕けぬ意思力に、弛まぬ努力。幼き頃より鍛錬を重ね、常に上しか見ていない精神はとても常人に辿りつけるものではない。
このクラスの中でも努力をしている者が居るが、それでも彼程の鍛錬はしていないだろう。
やはり未だ学生の身分。将来戦う身ではあるものの、若さ故に娯楽に走るのは避けられない。
それを二人は否定しないし、現に自身達とて何処か食事に行く時はあった。それは友情を育むという点もそうだが、貴族以外の繋がりを求めての行動でもある。
だがそれら一切を彼はしていない。徹頭徹尾において、彼は己を高みに持っていくことだけを考えている。
一応は問を投げ掛けられれば答えるし、困難な壁に当たれば衝突もしてくれるが、彼としてはそうした物事は面倒にしか感じていないに違いない。
故に、二人の前で騒ぐ女子生徒達は論外なのだ。
エスコートもするし、話もするが、所詮はそれだけの関係。愛を囁き合うことも、新たに婚約の証を作るような真似とて絶対にしないであろう。
寧ろ邪魔者にしかならないのだ。その真意を知らずに突撃を行うという姿勢に、ライノールは酷く不機嫌になっていた。
ライノールとウィンターが彼に出会ったのは入学式後の能力テストの時だ。
試験の段階である程度学園側は生徒の長所と短所の情報を集め、この能力テストでの模擬戦闘によって最終的な育成方法を決める。
座学に関してはまた別であるが、それでも皆にとって重要になるのは戦力になるのかどうか。
気合を入れて臨む二人は勝利を目指していたが、逆に周囲は友人と仲良く戦おうという空気を醸し出していた。
確かに誰と戦うかは個別で決めて良いとは言え、友人同士で仲良く戦うなど戦闘ではない。
それは最早児戯に等しく、そしてそれが蔓延しているのだ。
現在の戦況が優勢となっているのが主な原因であるのは言うに及ぶまいし、二人とて優勢であるという事実に必要以上の焦りは感じていない。
しかしこれではグランスミス学園の名が泣くも同然。平和に近付いているのは良いが、かといって未だ完全に安全となっていない以上腑抜けるのは無しに決まっている。
落胆の思いは避けられない。
怒りも抱くが、相手は男爵よりも上の者達ばかり。彼等は決して武勲を欲しいのではなく、傷が欲しくないからこそ参加しているのが嫌という程理解出来た。
それでもまだ真面目に取り組んでいる者達も居る。そういった者達と関係を築くのが最も適当な選択だろうとライノールとウィンターは互いに頷き合い近付き――爆発と錯覚する程の衝撃に襲われたのである。
ライノールは咄嗟に腕で顔を隠し、その前にウィンターが立って壁となって防御。
周囲から物が飛んでくる気配は無かったが、起きた事象が事象だ。流石に尋常ならざる気配を感じたのか、浮ついた雰囲気が一瞬で消し飛ぶ。
『――温いな』
衝撃の中心に目を向け、そこにあったのは一つのクレーターと二つの人影。
片方は完全に気絶している状態であり、得物であろう槍は半ばから両断されている。
反対に立っている人物は異様な気配を見せていた。得物は二つの長剣ただそれだけだが、その二つには視認可能な程の意味不明な輝きが放たれている。
比較的短い金の髪は風によってさらさらと揺れ、その下にある凍てつく黒の眼を剥き出しにしていた。
状況から察するに、模擬戦闘で衝撃を起こしたのは立っている男だろう。
呟かれた一言からも、それを示すようなものを感じ取れた。――であれば注目されるのも必然。
『よう、お前さんすげぇな』
ライノールは気安く彼に声を掛けた。
内心は常に警戒していたが、可能な限り戦闘の意思を示さない動作を心掛けたのだ。
その声に反応したのか、彼は己の眼をライノールに向ける。そこには興味も関心も何も無く、ただただ何用かと問う疑問の眼差しだけがあった。
『勝負はこれ以上出来んぞ。測定は一回のみだ』
『解ってるって。……たださ、お前さんってもしかしてかなり強い?』
我ながら随分無茶な接触をしたものだとライノールは思う。
怪しさ満点の初接触だ。離れられてもまったくもっておかしくはなく、少しだけでも話せる関係になれたのは凡そ奇跡と言っても過言ではない。
その接触からライノールは彼に興味を持ち、家を調べ、そしてそこを切り口として半ば強引に会話を行っていった。
最初は素っ気ない対応しかされなかったが、今では相応に仲良く話す間柄だ。頼まれる機会は無いものの、時折飯を一緒に食べることもある。
その際には確実に傍にサウスラーナが居るが、彼は気にしていない風だった。
「まったくサウスラーナも面倒くせぇ。婚約者同士なんだろ?もっとイチャつけっての。あれを婚約している同士だなんて言われても信用出来ないね」
「――――悪かったわね、信用出来なくて」
ライノールの愚痴に、ウィンターの太い声ではなく女性特有の高い声が返る。
肩を跳ねさせ、恐る恐る声のした右側へと顔を動かす。そこに居たのは、腕を組んで彼を睨むサウスラーナであった。