魔獣
私がタクミとして転生してからの生活は、当然の事ながら前世での生活と比べ程遠いものであった。年齢や環境が違うのは勿論、この世界での言語や、習慣、風習、マナーのようなものなど、私が前にいた世界とは全く違う。
私の過ごしていた世界は女尊男卑が当然の事で、レディファーストという言葉がいかなる時にも通用した。まだ人間が絶滅する前からその風習はあった事から、何百年も続いた我々の根底にあるマナー、常識といったものなのだろう。
しかし、こちらの世界ではそんな言葉は無く、強い者が上に立つという実力主義の社会である。身体の作りからして男の方が筋肉があるので、必然的に小さい頃から女性は男に付き従う形となる。社会人になってからも、実力のある女性は疎まれ、男社会に出てくるな等という散々な暴言を吐かれる。そういうシステムになっている。
つまりは自己中心的で、力の強い人物こそが上に立つ世界なのである。一言でいうなら、男尊女卑だ。
誰がこうした、なんて事は無いのかもしれない。自然とこうなってしまったのだろう。私の暮らしていた世界が、自然とレディファーストを身につけたように。
そんな中、私が最も驚いたのは、この世界の魔人に関してである。
この世界のマナーだとか、そういったものをふまえて見ても、彼らの行動はどうも普通では無かった。
この世界の魔人には、人としての作法が全く無い。
少なくともこの世界の人が出来ているような、常識的な範疇におさまる行動が出来ない。
作法、といっても大したものではない。食事をする前に手を洗うとか、朝起きた時に挨拶をするとか、そういったレベルの事である。
それが魔人には『全く』出来ない。
具体的には、食べ物の食べ方や、喋り方、外出先での行動や発言。
これらは小さい頃から親から教わったり、知り合いの様子を見て真似をしたりするものである。
いや、彼らがマナーに関する知識が無い事を知っていたとしても、まさか作った料理を手づかみで口に頬張るのが魔人としての常識だとは誰も思うまい。
いや、何も魔人が問題なのではなく、この世界にそういった習慣がないのではないか? とも思ったが、そういう訳ではないようであった。普通の人はフォークやナイフを使い、私の暮らしていた世界とはさほど変わらない様子で食事をする。
それに、食事の事だけではない。魔人は非常に下品な言葉遣いで喋り、時には態度がガサツで乱暴になる。料理も掃除も殆どの魔人ができないし、大口をあけて笑い、食べて寝てを繰り返す。
恐らく……環境が魔人をこうしたのだ。
まるで獣のような生活をするしかなかった。質素だったのだ。魔獣のように暮らすしかない。
だがどうも、姉上と私だけは、獣のような生活をしていた訳ではないようであった。
それは、姉上と私が天才肌だから、と姉上は言っていた。
私達姉弟は生まれ付き魔力も多く、優秀な魔人だった。だからギルドでお金を稼ぎ、人間と同じような暮らしをしていたのだという。実力主義の世界で実力を持っていたからこそ、なんとかやれていたのである。
だから、姉上には人と同じようなマナーが身についていた。ギルドを収入源とし、人と接して居たからだろう。
ところで、前に私を襲った人間。彼らは、私の事を魔獣と呼んでいた。あのような呼び方をされたのは私は生まれて初めてだった。非常に侮辱的で、感情的にこそならないものの、許し難い呼び名である。
誇り高き魔人は、この世界では獣として扱われている。獣のような生活をする魔人に対しての差別的な発言。それが魔獣である。
だが、私はここでの生活を続けるうちに、それも仕方の無い事とさえ思えいた。
彼らは、本当に獣のようなのだ。魔獣という言葉は屈辱的だが、的確なのだ。
これは何とかしなくてはなるまい。私の頭は、自ら意識せずとも自然とそのような事を考えていた。
私の世界の魔人は偉大で、上品で、ジェントルマンといえる存在である。
世界が違えど魔人は魔人だ。
どうか魔人としてのプライドを取り戻して欲しい。そう思った。