姉上
「姉上か……?」
「……? なに?」
手を引くのは、私の事を弟と言った魔人だ。私達はあれからあの場を急ぐように退散した。そして、私はその魔人引っ張られながらもしばらく歩き、今は公園付近まで戻ってきている。
「貴方は私の姉上なのか?」
「……何言ってんの? 人違いじゃなければそうよ。『姉上』でしょ」
「やはりそうか!!」
「タクミ、あんた頭でも打った?」
怪訝そうに私を見る姉上。私には前の世界にも姉上がいた。だが、彼女は若くして死んでしまった。他に兄弟はいなかったので、唯一血のつながった姉上が先にいなくなり、私は寂しい思いをしていたのだ。それこそ、何百年も。
ただ、転生したこの世界の私の姉上はまだ生きている。
別世界の存在とはいえ、血のつながった姉が出来た。その事実に、私は喜びを感じたのである。
それと反対に、そんな私を見た姉上はなんとも言い難い表情をしていた。
「喋り方も変だし、顔付きも変。あんたもっとアホみたいな顔だったじゃん」両手で口を広げ変顔を披露する姉上に、私はムッとする。
「失礼な、そんな顔はしていない。子供は段々と大人になるが、私はその一段がとても大きく、変化が著しいものだったのである。結果こうなった」
「……そうなの。うーん、……大丈夫ではなさそう」そう言いながら姉は、はぁ、と溜息をひとつ付いた。
「昔からあんたは問題ばかり起こすね」
「昔から……? 私は過去に何をしたのだ?」
私がそう質問すると、姉が苦笑混じりに言った。いや、そこにはいくつかの感情がこもっていたのだとは思うが……、少なくともその時の私には、呆れた乾いた笑いのようなものにしか見えなかった。
「……あんた忘れちゃったの?」
「……?」
「よし……」
ここで、今まで私を引っ張っていた姉の足が止まった。急な事で、少しぶつかりそうになりながらも、私も止まる。
何かと前を見ると、私の目の前には築三百年以上と言われてもおかしくないような、古い小さな洋館が建っていた。
「じゃあ、その汚い格好から着替えてきなさい。」姉上が玄関の扉を開きながら言った。
「……ここは私達の……家……か?」私は目の前にある汚い洋館を指差す。
「……あんたは記憶喪失かなにかなの?」
「いや、なんでもない。ジョーク……」
信じられない事だが、どうやらこの洋館は私達の住んでいた家らしい。見た感じだと廃墟にしか見えない。
私の前世では生まれた時からそれは豪華な洋館に住んでいたもので、そこへたどり着くまでの勇者への罠は勿論、生活環境までしっかり整っていた。いや、私だけではなく、魔人は皆豪華な家に住み、勇者を撃退する準備を整えていた。そう、前世には環境があった。
月とスッポンだ。なぜこのような場所に住んでいるのだ? 私達は魔人だぞ。
「ジョーク……だが、ここは、本当に私達の家でよいのだな? 見覚えがないのだ」
「……ジョークになってないわよ。もしかして、さっきで頭殴られたりした?」
「……すまないが、記憶喪失かもしれない。先程人間に何かされたようだ」
「本当に? 人間は魔法は使えないはずなのに……」姉上が不思議そうな顔をするが、何分私も転生したばかりで勝手がわからない。なんと言い訳したものか迷った末、記憶喪失と言った。
「不思議だな、私も困っている」
上手く誤魔化した、とはとてもじゃないがいえない。
だが、こうとでもいうしかない。魔王が転生して、前にこの身体にいた本物のタクミは居なくなったなんて事は……口が裂けても言えない。
姉上が先に中へ入っていき、私もそれに続く。
私は先程から頭の中で、今後転生したことを隠しながらタクミの代わりとして生きていくことは出来るのだろうか? と、いう疑問がぐるぐると回っていた。
記憶喪失といってもどこまで通用するかも分からないし、今まで何百年という年月を過ごしてきた私が数十歳の者を演じるというのは、現時点では可能とは思えない。
とにかく、不安なことが多すぎる。
だが、少なくとも現時点で一番の不安要素は、足を乗せただけで歪んだこの家に住むことである。家として住むことは可能なのか? へこんだ床を眺めながら思う。先程までの不安よりも、今はそちらの方がいささか疑問で仕方が無かった。