異世界への転生とメガネ君
この世界に退屈していた。
私は魔王だ。全ての大陸を支配する魔王。魔物が村を襲い、人間は消え、勇者の血族も死に絶えた世界。これが私の築き上げた魔物の為の世界である。未だかつて私しか達成した事の無い地上制覇。私はここまでくるのに何百年という月日をかけて努力してきた。そして、その努力はこうして報われたのだ。地上は魔界となり、人間は一人も残ってはいない。
だが、私は退屈していた。
何かとてつもなく大きな夢があっても、それを達成するには努力が必要である。努力して努力して努力して成功した世界征服は、とてつもない満足感や充実感を私にもたらした。
けれど、最近気づいたのだが、私が欲しいのは『それ』では無かった。
小さい頃から夢とした魔王。だが私は努力をして魔王になりたかった訳ではない。ただただ強そうな力を持ってる魔王が、格好いいからなりたかっただけだったのだ。
それを、必死に努力を重ね、魔王となり、世界征服し、満足感を得たところで、私の欲しいものではなかった。
私が欲しかったのは力。見返りのない、努力の必要ない、圧倒的で理不尽な力だったのである。
誰もが小さい頃、野球選手やパイロット等の職業につきたいと考えた事があるのではないだろうか。いいや、無くてもいいし、ませた子供で、公務員になりたいと言ったとしても良い。
問題なのは、それは、その職業に付くまでの努力や時間を考慮した上で言っていたのかどうかである。ただただ格好いいから、収入が安定するからという理由で、努力の部分は関係なしに、または大して深く考えず、直ぐにでもなりたいと思っていたのではないだろうか。
全ての人がそうとは言わない。だが、少なくとも私はそうだった。なんとなく、今すぐ魔王になりたいと考え、目指した夢だったのである。
それを本当に叶えることが出来たのは、私には才能があったからだった。勿論途轍もない努力もしたが、何より結局はそちらのほうが大きい。
つまりはなるべくして私は魔王になったという訳である。そして、世界征服もした。ただ、何百年も生きてきて、ようやくなのだ。何となくただ、なりたかっただけなのに。これ程までの努力や時間を使って、なった魔王は、何となくなりたかっただけ……。贅沢と言われてしまうかもしれないが、私が求めていたものとは違うのだ。
だから、魔王になり世界征服をした後、私は退屈であった。特にすることもない。現在起こってる魔物同士の戦争いに参加しても弱すぎて話にならないし、一時間もあれば終戦してしまう。知識も魔王になる為に飽きるほど付けたし、娯楽だってし尽くした。
私にはもはや何も無い。生きていても仕方無いのでは? と、そうとさえ思えた。
それから何百年か経って、私はある発見をした。朽ち果てた村の廃墟の中にあった一つの本。これは、死ぬほど退屈だった私を、興奮させるくらい衝撃的な内容のものだった。
まず、その本を最初見た時は大層驚いた。中を開くと、見た事もない文字が書かれていたのだ。これを見た者が私以外だったら、異国の物としてさして興味もわかないだろう。だが、この世界の言語を、世界征服する上ですべて学んだ私からすると、あり得ない話であった。私の読めない文字など、存在するはずがない。
他国の言葉は話せずとも、魔法を使えば通訳し理解する事が出来るので、意志疎通が出来た。だから、この世界では他国の言語を学ぶ必要はない。
故に、ニカ国語以上話せる者は限り少なかった。
だが、私は時間が有り余っていたので、全ての言語を学んだ。はずなのだが……。
この本は一体どこの国のものだろう?
魔法を使って通訳し本を読むと、その内容は今まで私が聞いたことのないような魔法を、三百ページにもわたって解説した物であった。
『異世界転生の魔法』
私が興奮したのは、見た事もない言語もそうだが……なによりこの魔法の内容だった。それは私の日々の退屈、いや、今までの積もり積もった退屈を全て吹き飛ばすほどのものであった。
目を開けると、あまりの眩しさに愕然とした。太陽というものはこれ程眩しいものであったのか。その姿を最後に見たのは実に何百年も昔の話である。
そしてまた、日差しがとても暑く感じる。この世界に季節はあるのか? あるなら今は夏だろう。それ程までに、肌が痛い。
私はあの本に書いてある呪文を読み、そして転生の魔法を発動した。結果、いまここにいるということだ。恐らく、成功したに違いない。私の世界には太陽は無かったはずだ。それがこうして、私を照らしているという事は、ここは別の世界なのだろう。
周りを見渡すと、どうやらここは公園らしい。私は砂場の上に立っていて、額から汗を流しながら城を作っている最中だったようだ。
……城?
そう、目の前には砂で作った、不格好な城のようなものがあった。そして、私の右手にはスコップが握られている。変だな、どういう状況だ?
そもそも、転生なのだから、私は赤ん坊の頃からやり直すのかと思っていた。それが、こうして砂場で立っているということは少なくとも赤ん坊ではない。
目線からいって子供か? 転生とはいうが、初めからという訳ではないのか?
「あぶなーい!!!」
はっと気付いた時には遅かった。熱いものを触ってしまった時のように、意識せずに、反射的に体が動いていた。
私が咄嗟に出した右手は、飛んでくるボールを貫いた。軽い破裂音と共に散り散りになったボールの残骸が舞い落ちる。
「体が重いな……」
私は今まで、勇者と幾度となく戦闘を重ねてきた。あいつはすばしっこく、強力な魔法を使い、痛烈な攻撃を与えてくる。そんな奴の攻撃と比べこのボールは、子供が投げたおもちゃである。それを、ぎりぎりかわせる程度の身体能力。今までと同じというようにはいかないみたいだ。
「……え?」
先ほど私に危険を知らせたメガネの子供は、ボールを貫いたこの右手を見て固まっていた。身長や顔つきからして10歳前後といったところだろう。
「たっくん……? 今、なにして……」
「失礼だが、私の名はなんという?」
「……??」
「私の名前を教えてくれ」
先程気付いたのだが、私の肩にはバッグがぶら下がっていた。黄色い、キラキラとした小さなバッグである。そして、そこに貼り付けられたシールにはこう書いてある。
『タクミ』
恐らくこれが、私の名前なのだろう。年は目の前にいるメガネの子供と同い年だとすると、私もまた10歳前後だろうか。
「タクミでしょ……? なにいってるの! それよりボール……」
「やはりそうか、ボール? 何のことだ? 暑くて目がぼやけたのだろう、それは陽炎だ」
「か、かげろう?」
「分からないのなら忘れるべきだ」
「たっくんどうしちゃったの……」
目の前のメガネの少年は、『シメロ・ザキエル』という氏名らしい。彼の服にネームプレートが付いていたので、それがわかった。
……と、ふと気付いた事がある。
自然と魔法を使って翻訳していたが、この文字は私は見た事が無かった。いや、正確にはあの転生のことが書いてある本でしか、見た事がない文字だった。それに、彼の話す言語も私は聞いたことが無い。
いよいよもって異世界への転生は成功したのだと、私は確証がもててきた。ついに、第二の人生が始まりそうである。
……と、私が感動していた時だった。
「……ねえ、たっくん?」
ザキエルが私の顔を覗き込むように見てくる。彼の丸眼鏡が光って、視線を隠す。
私は咄嗟に目を逸らした。いくら10歳とはいえ、ボールを破裂させ自分の名前を問いただす友達の様子が、変だと思わない訳がないのである。
この場はとにかくごまかすしかない。そう思った。
「もう君に用はない。あっちへ行け」
「ちょ、ちょっ………!!」
ドンッ!
邪魔だったザキエルを片手でぐいっと押す。すると、彼はモモンガのように空中を飛んでいった。彼のかけていたメガネは吹き飛び、レンズは割れ、空を飛ぶ過程で木の枝がズボンに引っ掛かり、破けた。
「しまった……!」
力の調節が上手くいかない。私の腕も骨から異常な粉砕音が聞こえたし、今ので爪が割れた。少しどけようと思っただけなのに……。
ザキエルはバキバキと音を立てて巨木の中心に突っ込み、見えなくなった。死んではいないだろうが、重症に違いない。
……逃げよう。
誰かに見つかる前に急いでこの場を離れる。それが、最善であるにちがいない。私はそう思って、一歩を強めに踏み出す。
すると、左足の骨が砕け散った。しかし、その代償として、私は十メートルほど空を飛んだ。不快な浮遊感が内蔵を包み込み、一瞬で浮いたと思いきや、急速に落下する。
バギッ
着地。そして、左足はあらぬ方向へ曲がった。ついでに私は地面へ顔をぶつける。鼻から血が流れ出し、土へポタポタとたれていく。
「困ったな……」
ザキエルもそうだが、私も重症である。力の加減が出来ず、両足を骨折してしまった。走ろうとしただけなのに。
着地の瞬間に魔法でガードしようとしたが、調節が上手くいかず、こちらへお釣りが返ってきてしまった。結果、足の骨が折れた。
何なのだこの体は。いや、この世界は。私はたった十秒ほどで起きた今の結果に憤怒した。これでは歩くこともままならないではないか。それに魔法も、発動に必要な魔力に対し結果が出過ぎる。
どうやら私が元いた世界とは根本からルールが違うようなのである。実に住みにくい。
足が回復するのを待ってから、私は歩き出した。この世界の事は何も分からないが、少なくとも今いる街が、首都でないことだけは分かる。建物は100も無いかもしれない。人影も少ないし、活気はあまり無さそうだ。
私はとにかく、ギルドを目指そうと決めた。そこならこの世界の状況がどうなっているのかも分かるに違いない。そもそも、ギルドがあるかどうかも謎である。ただ、魔物がこの世界に存在するなら、あると見ていいだろう。今の所剣を持った大人を一人見掛けたので、少なくとも戦う相手はいるはずである。
私が異世界へ転生した理由は、とにかく退屈をしないためだ。暇さえ潰せるなら、勇者だって魔王だって倒すつもりでいた。