素顔
少しお付き合いください。
「なんだと? ふざけるな!」
頬に強い衝撃を感じ、次の瞬間背中に冷たい床を感じる。
「あなた、暴力は――」
「うるさい! 元はと言えばお前の責任だ! ちゃんと教育しなかったからこんな戯言をほざいているんだろ!」
頭の上で両親の言葉が飛び交う。自分の話のはずなのだが、まるで別の世界の話のように遠く感じる。
「でも俺……本気なんだよ」
頬を抑えながら何とか紡いだ言葉は自分でも情けない程弱々しく小さな声だった。うっかりすれば誰にも聞こえなかったはずの言葉はしっかり父親に届いていた。
「本気だと? 何も知らない癖に本気だと? いつまで寝ぼけたこと言ってるんだ。社会はそんなに甘くない。いいか、お前が見てるのは華やかな表面だけだからそんなことが言えるんだ。父さんの知り合いにも何人か居る。だが皆一様に死んだような顔で仕事してる。それに安月給、それだけで暮らしていける奴はほんの一握りだ。そんなので嫁や子どもができてみろ、どうやって食わしていくつもりだ。夢を否定するつもりはないが現実金がなければ生活できないんだ」
ダイニングテーブルに並べられたいくつかのパンフレットは丸められゴミ箱に投げ捨てられる。
「大学は父さんがいくつかピックアップする、それ以外は許さん。そんな所で寝っ転がってる暇があったら勉強しろ。それで就職しろ。金ができたら趣味でも何でも好きなことをすればいい。話は終わりだ」
リビングの扉が大きな音を立てて閉じられる。残された母親は息子を抱きしめながら涙を流し、声を震わす。
「あの人もお金のない時代が長かったから、誰よりもお金の重要性を理解してるわ。あなたが想像してるよりもずっとね。あんな言い方してるけど全部あなたの為を思ってなのよ。わかって頂戴。それがあなたの幸せになるのよ。今はわからないかもしれないけど、将来絶対に困ることはないわ」
*
「俺の人生って何なのか分からなかった。好きなことをする為に我慢を強いられる世界に産んだことを恨んだりもした。でも両親は間違ってなかった。結局父さんの選んだ学校に行って、同じ会社に入ったよ。後から知ったんだが父さんはかなり権力があるみたいだった。仕事は簡単だし、年収も周りより飛びぬけてた。おかげで人並み以上の生活が送れてる。最初は両親を恨んでいたが今は後悔なんてない、幸せなんだ」
ナルディは何か言いたそうに顔を上げる。しかし結局口を開くことなく、再び焚き火に視線を落とした。パチパチと枝が爆ぜる音が妙に大きく響いた。
「じゃあ、なんでブレイカーなんかに?」
モトナフが疑問を口にした。
「さあね。ただあの画面を見たとき思い出したんだ。また俺は他人から選択を強制されるのかと……見てみたかったのかもな、俺が選んだ道の先に何があるのか。だから俺は全力で立ち向かわなきゃいけないんだ。お前にはこれ以上の覚悟があるのか?」
三人の間に重苦しい沈黙が流れる。やがてナルディは揺らめく炎を見つめながらゆっくり言葉を紡ぎだす。
「私は犯罪加害者側の社会復帰を支援する活動をしてるんだ」
*
「なあ、あの彼岸花って子めっちゃ可愛くね?」
「ああ、そうかもな」
「え、テンション低っ。彼氏いないのかな」
「つうか、彼岸花って十年前の連続殺人鬼だろ。その娘なんじゃね、俺は近づきたくねえから」
「え、まじ? ちょっと調べるわ」
自己紹介の終わった教室のざわめきに紛れて二人の男が話している。刺激的な単語はあっという間に波及し、至る所で検索画面が開かれる。
「うわー、当時の記事も出てきたし彼岸花って一件しかねえから確定じゃん。怖っ」
人の多い教室で不自然にできた大きな穴。その中心では華奢な女の子が拳を握りしめ俯いていた。涙が零れ落ちるのを必死に堪えている。
「ねえ、優心ちゃんは高校どこ卒業したの?」
優心と呼ばれた子の隣に一人の女が腰かけた。爪が食い込む程、力の込められた拳に優しく手を重ねる。微笑みを浮かべながら語り掛けるその姿は周りの視線など微塵も気にしていない。
「あー、お節介かもしれないけどその子とは仲良くしない方がいいんじゃないかな? それより俺と――」
「なんで? 優心ちゃんは君に何かしたの?」
*
「結局優心は一か月もしない内に大学をやめていった。今は優しい人たちと働けてるみたい。そして同窓の屑達はとっくに多くの部下を抱え立派に社会を回してる。笑っちまうだろ、偽物の正義を振りかざして人々を導いてるんだからね。それから私は仕事の合間を縫って活動に参加し始めた。もちろん全く反省してない人も居るけどそんなのごく少数で、支援もしてない。だけど上手く行くことは少なかった。無理かもしれない。こんな世界を生かせるなら全員死刑にした方がよっぽど人道的だと思ったこともある」
ナルディは膝を抱え小さくなっていく。袖を掴む手に力が入る。
「でもみんな本気だったから。どれだけ理解されなくても、拒否されても、付き飛ばされたって何か役に立ちたいって人ばっかりだ。私が諦めてどうする。互いに支えあいながら活動を続けてきた。そして寄せ集めで集まった私たちの中にはトークスキルに長けた者、デザインセンスが優れた者などもいた。そこで目を付けたのがインターネットでの創作活動だった。変なバイアスの掛からない分成功したが、資源は常に不足気味。だからこのイベントの報酬は何としても確保したいんだ」
それだけ言うとナルディは立ち上がり洞穴を出ていこうとする。
「長々と悪かった、あんたにはあんたの事情があったんだな。もう関わらないよ」
「なら一緒に来ないか? 報酬は山分けで、もし俺が倒れたら光龍槍引き継いでくれ」
今まで黙って聞いていたモトナフが声を荒げる。
「ちょっと待て、こんな怪しい奴を仲間にすんのか? 俺は反対だ、さっきの話だって嘘かもしれないんだぞ」
「お前も人のこと言えないくらい十分怪しいっつうの。今更一人増えたところで問題ねえよ」
「俺は……俺をこんな奴と一緒にするな」
「じゃあなんだって言うんだよ。プレイヤーじゃなくて、実態がなくて、ただクリアを支援する亡霊さんよ」
「んんん……わかったよ! 俺は――」
*
「背景とBGM?」
「うん、多分ね」
白服の男が女の疑問に答える。相変わらずチェスの本を開きながら退屈そうにしている。
「多分?」
「ある時を境にブレイカーの挙動が不自然に見えてきた。それと同時に背景とBGMのデータに一定の揺らぎが見られるようになった。このモニターは位置情報を基に背景を補完してるだけだし、もしかしたら……ってね」
「……あの時私たちに見えたのは?」
「たぶん、ログアウト中の適当なプレイヤーの情報を一時的に借りたんだろう。背景じゃアイテムに干渉できないからね」
「つうかデータ弄られてるなら犯罪だろ」
「これだけ膨大なデータをやり取りしてるんだ、多少の揺らぎなんて何万と発生してる。他にゲーム進行に影響を与える書き換えがあったか、内部情報が流出したか、攻撃が助長されることはあったか。全て違う。よっぽどの変態以外気付けないし、誰が亡霊を通報できるんだい?」
女は溜息をついた。こうなってしまっては何を言っても満足できる回答が得られないのは重々理解していた。椅子にドカッと座り頬杖を付きながらモニターを眺める。
「ある時っていつ?」
*
「驚いたな、そんなことが可能なのか……でもなんでそんな面倒なことしてるんだ?」
「もしかして」
「ああ、俺も昔プレイヤーだったんだよ。しかも普通じゃないな。ニートだった俺はこのゲームの噂を知った。ここで魔王を倒し有名になれば俺を馬鹿にしてきた奴らを見返せる、そう思った。俺は徹底的に様々な情報を集め勇者の出番が回ってくるのを待っていた。でも知識だけで体が追いつかずギルド内の選抜戦でも初戦敗退レベルだった。そんな時奇跡が起きた、勇者が目の前で死んだんだ。俺は迷わず立候補したさ。でも結果は散々だった。最初のダンジョンで何もできずに死んだ。最悪なことにギルドも無くなっちまった。掲示板には罵詈雑言が飛び交ってたよ。『いくら課金したと思ってるんだ』、『ブレイカーはゴミ』。それから俺はゲームに紛れ込みブレイカーを支援するようになった。ブレイカーでもこのゲームをクリアできることを証明したくて」
「俺と会ったのは偶然じゃなかったのか」
「ログをチェックしてブレイカーが現れた時だけそいつに協力を申し込んでた。でも大抵の奴は俺と大差なかった。話で聞いてるのと実際に動くのは違うからな。せいぜいダンジョン一つか二つ。途中で質の悪いプレイヤー狩りにあうこともあるし。それでも一人凄いのいてそいつなら――」
雄弁だった言葉が突然途切れる。二人は反射的に顔を上げると続きを待った。
「いや、この話はなしだ。とにかく俺はそういうことで――」
「なんだよ、気になるだろ。そいつは結局どうなったんだよ? 魔王のとこまで行けたのかよ?」
「話したくない」
「ここまで来て隠し事かよ」
モトナフは二人の顔を交互に見る。どちらも続きが気になって仕方ない様子だ。観念したモトナフは溜息をつくとゆっくりと言葉を紡いだ。
「死んだんだ。このゲームが原因で」
静寂の中揺らぐ炎だけが時間の流れを感じさせる。
「そいつは優秀だった。まだ高校生だったのに。いつも焦らず観察することで知識と実際の動きを合わせていった。知らない行動には距離を取り防御、知ってる隙には攻撃を与えて欲張らない。お前みたいな奇抜な作戦じゃなくて根気強く確実に勝つスタイルで美しかった。運よく光龍槍も手に入り素材集めも順調だった。こいつなら本当に魔王を倒すかもしれないと思った。だが途中でテスト期間と重なった。もちろん生活の方が大切だからとゲームは後回しになった。イベント期間の終わりが迫る中、最後の素材だけが何度周回してもドロップしなくて次第に焦りが見え始めた。俺は素材がなくても魔王に挑戦するべきだと説得して別れた。翌日俺はニュースで彼の死を知った。後から分かったことだが俺と別れてからもゲームを続けていたらしい。死因は長時間の睡眠不足だった。それからゲームには二十四時間で強制的に退出させる機能が追加された。これで満足か?」
モトナフは立ち上がるとクロイツに告げる。
「こいつの件は好きにしろ。明日は八時集合だ、もし邪魔するようなことがあればただじゃおかねえからな」
それだけ言うとモトナフは姿を消した。
tips
雨絶弓:とある旅人が空に放った一矢は空に達し雲を切り裂き、村人を困らせた長雨を止ませた。
穿星弓:この弓から放たれた矢は星を穿ち降り注ぐ災いから全てを護った。 ※皇龍槍(9回/11回)以外の魔王討伐実績のある武器。1回/4回。
ありがとうございました。
ちらっと調べた感じ彼岸花さんはいないはずです。
次回は未定です。