出発式
書くの楽しいです。
二十時間前――
男は一人暗闇の世界で待っていた。読み込みバーが何本も完了するのを何の感情もなく見つめている。すると軽快な音と共に画面が表示された。
『セカンド・アースへのログインが完了しました』
男が画面に触れるとイベントのお知らせ画面へと切り替わる。
『大蛇病開催! 世界に――』
彼は一読もすることなく素早く画面を閉じる。男はベッドから立ち上がり、五体が満足に動くことを確認した。
彼の名は『シャマシュ』。勿論それは本当の名前ではなく、このオンラインゲーム『セカンド・アース』でのみ通じるユーザーネームだ。
バーチャル空間でもう一つの人生を。
ネットワークにアバターを作り、脳の電気信号を元に操ることで自分がその場にいるような体験ができるゲームだ。主に建築や交流をメインコンテンツとしており穏やかな空気が流れ、プレイヤーは各々自由に楽しんでいた。
その中で異彩を放つのがRPGイベント『大蛇病』だ。体に黒い蛇が巻きつくような痣ができ死に至る病が流行する。国と呼ばれるギルドの中で定期的に行われる『試験』で優勝したユーザーにのみ与えらえる勇者の称号。彼らが外の世界に現れる敵やダンジョンを攻略し、諸悪の根源である魔王を討伐することでクリアとなる。
最初は莫大な報酬目当てのイベントだったが、第一回開催時はクリア者がおらずその難易度故、世界中のゲーマーが名誉を求め一気に人気を博した。今はこのイベントに心血を注ぐものとそうでないものに二分化されていた。
そしてこの男もまた二週間前の試験により選ばれた新しい勇者だった。前の勇者だったプレイヤーをものの一分もかからずねじ伏せ、他の追随を許さなかった。
普段は王とその側近しか入ることのできない城の一室。豪華な装飾が施されている。そこには冒険用の薬や軍資金などが予め用意されていた。しかし武器だけはイベントの流れで手に入れるため、出発ぎりぎりまで分からない。
「失礼します。勇者シャマシュ様、そろそろお時間です。会場の準備も完成しています。お荷物はわたくしが」
現れたのは初老の男で、執事のような装いをしている。しかしシャマシュは時間など気にする様子もなく、窓枠に腰掛けると下を見下ろした。外では新しい勇者に期待する他のユーザーたちが集まり始めていた。これから出発式を行い盛大に送り出すため、お祭りのような活気であふれている。
「見てみろよ、アリみてえだ。しかもこいつらは一生それを自覚することもないんだろうな。ゲームの中でまで働いちゃってさあ。もうそういう運命だって諦めてんだろうなあ」
執事の男は荷物をまとめながらふっと笑みを浮かべると答えた。
「楽しみ方は人それぞれです。それに運命なんて、意外と脆いものかもしれませんよ。お急ぎください」
そういうと執事はドアの向こうへ消えていった。まだ窓から下を眺めていたシャマシュはある一人の男と目が合った。その男はどうやら声を掛けられたらしく足早にその背中を追いかけると、親しげに話しながら人混みへ消えた。
「ご苦労さん」
小さくそうつぶやくと彼もまた部屋を去った。
城の玄関ホールに居ても外の熱気は伝わってきた。ガヤガヤと話す声、楽器のチューニング音。普段なら煩わしいと感じる喧噪もすべて自分に向けられた賛美かと思うと心地良い。目を閉じ全身で感じ取る。
けたたましい鐘の音が正午を告げる。それを合図に音楽団の演奏が始まった。横に控える執事は軽く頷きシャマシュは扉を開けた。
入口から一本のレッドカーペットが伸びている。その両脇には人が並び皆拍手をしていた。中には歓声をあげているものも。ガードなどはないが行動制限をかけられているため誰も邪魔できない。シャマシュは不自然にならないよう、それでも意識して時間をかけて歩いた。
やがて中央の広場に設けられたステージに上がる。巨大モニターには王と勇者、そして並べられた様々な武器が映し出されていて、誰でも見えるようになっている。王が手を挙げると静けさが戻った。
「今世界は魔王の手に落ちようとしている。大蛇病により生命を奪い、力とし復活するだろう。そこで私たちの代表として勇者であるこの者を魔王討伐に送り出す。汝、名を挙げよ!」
「私はシャマシュ! この太陽神の名に懸けて、再び世界に光をともして見せましょう!」
再び熱量の上がる会場。興奮を抑えきれない観衆は、割れんばかりの拍手や歓声を彼に送った。
「よろしい、では武器を取れ。其方の旅の重要な鍵となるだろう」
シャマシュはゆっくり武器を見ていく。斧、弓、杖――。一際心を惹いたのは全長一・二メートル程の長槍だった。装飾は少なくシンプルな造りだ。無意識のうちにその槍を手に取ると、その手の中で波打つように光り出す。
この時点で気づいたのはわずかに数人だった。放心状態で自分の目を疑っていた。ほとんどのユーザーが門出を祝い拍手する中、シャマシュは天を一突きした。すると槍の先から光が放たれ龍へと姿を変える。敵を探し空中を旋回していたが咆哮を一つ上げると、爆発し光の粒となりやがて消えていった。
光の龍と槍。事の重大性に気づきそこかしこでざわめきが始まる。
「まさか、光龍槍!?」
「噂には聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだ……」
「手に入れるだけで終わる奴も居るそうだぞ」
最初に正気に戻ったのは王だった。
「さあ勇者よ、槍は其方を選んだ。存分にその力を発揮し、魔王を倒して帰ってくるのだ!」
花吹雪が舞い、音楽隊の心地よい演奏が響く。それに合わせて軽やかな足取りで勇者は行く。声援を受けシャマシュは満足そうであった。
やはり俺は生まれた時からお前らみたいな愚民とは格が違うんだよ。そんな思いが彼の顔を歪めていく。醜く人を見下す顔へと。しかしそこに張り付けられた仮面はうまく観衆を騙し、誰も本当の顔に気付くことはない。
いつもと同じ時間。いつもと同じ台詞。いつもと同じ声援。いつもと違う『それ』は音もなく勇者へと忍び寄り絶望となって姿を表した。
一歩踏み出すごとに体が重くなった。歓声が間延びして聞こえ、世界が急に小さくなっていく。やがてシャマシュの意識はなくなり、前のめりに倒れた。彼の腕に黒い蛇のような痣が現れる。
その場にいた全てのユーザーは理解することを拒んだ。この事象に最適解を与えるある考え。それはとてつもなく恐ろしいものであった。それだけは何かの間違いである、そうあって欲しいと。しかしそれが紛れもなく事実であり、勇者が『死んだ』ことはすぐに証明された。
『イベント『D・ブレイク』発生! 勇者シャマシュは魔王の毒牙に襲われイベント続行不可能になりました。30秒以内に意志を示してください。また時間切れは拒否となります。
勇者へ立候補しますか?
YES NO』
低確率で起こると言われる大蛇病限定のイベント。定められた自分の運命に逆らい、誰でも勇者への立候補が可能となる。立候補者の中から一人を決め、勇者として大蛇病へと参加させる。
しかしこれには大きなリスクが伴っていた。正規のルートで勇者になった場合には発生しないペナルティーが存在する。それは『魔王を倒せなければゲームからの永久追放』であった。最初に起こった時はそれを知らないユーザーが追放されている。その後もリスクを承知の上で多くのユーザーが挑んできたが未だにクリア者は出ていない。
さらにイベント中に魔王が倒されなかった場合はその国が五十パーセントで消える。高難易度のイベントに置いて魔王が倒されないことなど珍しくない。このあたりのルールからD・ブレイクで立候補した人を壊す者と揶揄する風潮ができていた。
腕にかなりの自信を持つ者のみが立候補できる仕組みとなのだ。立候補が出なかった場合は王が正規のルートとして、勇者を指名する。つまり立候補がでることはまずない。観衆たちは何の迷いもなく『NO』を選択し、次々と画面が消えてゆく。
その男もそうだった。しかしボタンに伸びた手が触れる直前で記憶がフラッシュバックする。
――いつまで寝ぼけたこと言ってんだ。社会はそんな甘くない。
――わかって頂戴、それがあなたの幸せになるのよ。
挑戦することすらできなかった夢。自らの運命と割り切り蓋をしたあの夢が、今更になって語り掛ける。
――お前はどうしたい?
最後の一秒まで悩んだ末、選択をすると画面が消えた。未だ最高の状態で旅立ちを迎えたシャマシュを失ったことに観衆や王の動揺は収まらない。誰もが王からの言葉を待っていたその時。
『勇者候補が 1名 現れました。候補者は前にでて、シナリオを進めてください。』
一瞬にして音が消えた。まさか……まさかそんなはずはない。一体どこのどいつが?
観衆の後ろから静かに動きだす人影。それはシャマシュが窓から見下ろしたあのプレイヤーであった。茫然とした人々はただ避けることしかできず、自然と道が作られる。ひそひそと話す声さえ数は少ない。一時間とも二時間とも勘違いするようにゆっくりと時が流れた。やがて王の前まで来ると先ほどと同じように声を掛ける。
「勇者の跡を継ぐ者よ。汝、名を挙げよ」
その声は驚くほど小さく、この勇者を歓迎している心は皆無だった。しかしその声はスピーカーを通じて全ユーザーへと漏れなく伝わる。
「俺は……クロイツ。十字を冠したこの名に懸けてこの責務を背負う者だ……」
消え入りそうな声で応える。
「では武器を取れ。其方の旅の重要な鍵となるだろう」
彼はまず一番左に置いてある、シャマシュが持って行こうとした槍に手を伸ばす。それはいつの間にかシャマシュの手から消え、壇に置いてあった。
しかし彼が握っても光を放たず、振り回したところで何ら変化はなかった。その後も『審査』は続くが、中には持ち上げることすらできない武器もあった。そして最後に残ったのは……『青銅の剣』。
表面は錆で覆われ、それが青銅であったことを示すような部分は少ない。これしか残っていないのだからこれを選ぶに決まっている。だが律儀にも彼は審査を続けた。
すると握った瞬間、不思議な感覚が襲ってきた。心臓の鼓動に呼応するように剣が脈打ち始める。そのまま剣を振ると剣を体の一部として使っているかのように、しなやかに舞った。この感覚は見ている人間には分からない。
この剣となら魔王とだって戦える。
そんな自信に満ち溢れるクロイツだったが、アドレナリンが切れ周りが見えるようになると自分が絶望の眼差しにさらされていることに気付いた。
「あんな剣が最初の武器だぞ。なら俺が行った方がまだマシだったろ」
「うわー、あんなので喜んでるよ。やっぱ狂ったやつだけだよな。勇者として名乗り出るなんて」
「誰かが魔王を倒してくれなきゃ困るよ」
言葉のナイフは容赦なく彼の心を抉る。
違う。違う。違う。違う。違う!
幾ら言葉にしようとしても音となることはない思いが体の中で暴れ回る。
「剣はお前を選んだ。さあ勇者よ。その実力を存分に発揮し、魔王を倒して帰ってくるのだ」
わずか十分前に行われた出発の儀とは似ても似つかないものとなった。さらに歩き出そうとする彼に王は小さく声を掛ける。
「この大馬鹿者が」
ありがとうございました。