王宮の奇術師
「お前何者だ」
「おやおや、随分なご挨拶ですね。それにこういうときは自分からというのが相場ですが、まあ細かいところはいいでしょう。私、魔王に仕えるしがない奇術師キロと申します。以後お見知りおきを」
「へえ、それで魔王の手下がなんだってこんな辺鄙なところに? 左遷でもされたか」
ぴくりと左眉が跳ね上がる。表情は崩さないがここに居ることが不本意であることは明白だ。
「いえいえ、普段は王の手を煩わせぬよう篩にかけてるんですがね、突然『遊んで来い』とだけ言われまして。ちょうど最後が力尽きたので帰ろうと思ったときにあなたが来たんですよ、これって偶然でしょうか?」
キロは子どもが悪巧みを思いついたような笑みを浮かべる。
「まあ俺的には無駄な戦闘でお互い消耗するのは嫌なんだが、その様子だと無理そうだな」
「私が帰って困るのはあなたの方では? これが目的だったのでしょう?」
そういうと右手をクロイツに見えるように掲げる。それは握りこぶしほどの大きさで濁り一つない透明な石のようだった。
「純真石……」
「それに私は戦いません。汚れてしまいますから」
そういうと腰に下げた赤い瓶を無造作に投げ捨てると、中身がまき散らされる。近くにいたスポウルンは全身にその液体を浴びた。全身の関節があらぬ方向へと曲がりながらどんどん巨大化していく。八本の足、全身を覆う短い毛、クロイツをみつめる四つの目。
「よりによって蜘蛛かよ」
「さあさあ、どなた様もお立合い。今宵ご覧にいれますは一人の男と悪逆非道の怪物によるスペシャルマッチ。一瞬の判断ミスが命取り、この手に汗握る決闘を制するのは――どっちだ!」
『スポウルン(Lv42)がバトルを仕掛けてきた!』
「楽しませてくれよ、ブレイカー」
*
「なあこいつの攻略情報ってないのか?」
「あるわけねえだろ、こいつただの雑魚敵だぞ。」
「攻略サイト更新しとけよ。雑魚も徹底的に調べろって」
「遺言にならないことを祈る」
ダムダムダム――。
スポウルンが前足で地団駄を踏むと洞窟全体が震えあがった。衝撃に耐えられなくなったいくつかの鍾乳石はがらがらと音を立てて頭上に降り注ぐ。
クロイツは器用に避けながら素早く距離を詰めていく。敵の背後に回り込むと踏み切り、飛びかかる。空中で装備したスパイククラブを振りかぶりその広い背中めがけて振り下ろした。野球バットのような棒の先端にいくつか棘が生えたシンプルな武器だったが、その棘に力が集中するので硬い外殻を突破しやすくなっている。
死角からの急襲にスポウルンは成す術がなかった。無防備な背中に攻撃が通る。甲高い悲鳴が洞窟内に木霊した。異物を取ろうと必死に前足をばたつかせるが届かない。体を大きく揺らすと耐えきれなくなったクロイツは地面へと転がり落ちた。咄嗟の出来事に対応しきれず、頭を打ち付ける。一瞬景色がぐにゃりと回る。
スポウルンはクロイツを正面に捉えようと向きを変える。しかし突然巨大化した体を扱いきれないのか、足や胴体が引っ掛かり動きは遅い。頭を振りながらクロイツは立ち上がる。相手が慣れていないのを好機とし、棍棒を握り直すと再び相手に駆け寄っていく。
同じように死角からの攻撃体勢に入るが、スポウルンも同じ手は喰らうまいと抵抗する。クロイツの足音から場所を特定すると後ろ足で的確に弾き飛ばす。クロイツの体は簡単に宙を舞い天井に叩き付けられ、地面へと落ちる。
――接近戦は危険かもな。
鍾乳石の影に隠れ回復しながら次の攻め手を考える。一方のスポウルンもようやく体のサイズ感に慣れ始めていた。また自分の大きさを活かせるよう少し開けた場所に陣取る。クロイツは距離を取るように鍾乳石の多い方へ逃げていく。
簡単には近づけない所まで来ると装備を切り替える。遠距離からの攻撃に適した大きな狙撃銃を構え、照準を定める。しかし相手の反応も速かった。尻を前方に突き出すとクロイツに向かって透明の糸を発射する。
スコープで視界の狭まっていたクロイツは回避できず、気づいたときには身動きが取れなくなっていた。振りほどこうともがくと、ざらざらした表面で皮膚が傷つく。そこから侵入した神経毒がめまいと吐き気を引き起こした。
歪む視界の中で緑の液体で鈍く光沢を得ている牙が目につく。スポウルンは身動きの取れない獲物に近づくと前足で叩き飛ばした。衝撃で拘束を解かれたクロイツはすぐに体勢を整える。防具のおかげで物理ダメージはそこまで大きいものではなかった。しかし毒によるスリップダメージは少量ながらも体を蝕み続けていく。解毒草が有効だと気づいたときには、既に三分の一ほどHPを失っていた。
絶えず生成されているのか牙から緑の液体が滴り落ちる。恐らく毒の正体であろう。少量で凄まじい制圧力を発揮する凶器。あのとき噛みつかれていれば致命的なことは明らかだ。にも関わらず物理攻撃をしかけ拘束を解いた。
――遊ばれてる。
回復薬を使いながら鍾乳石の影に体を隠す。今度は位置がばれないよう、静かに頭だけを覗かせ狙いをつけた。一発撃つ毎に場所を変え攻撃させないようにしながら体力を温存する。スポウルンは死角からの攻撃に成す術もなく一方的な攻撃にさらされていた。
体力を半分近く削ったところで銃の反応がなくなった。クロイツは覚束ない手つきで弾を再装填していく。勝利を確信しながら再び銃を構えたとき異変に気づいた。スポウルンは体力をほぼ全回復していた。
今までに回復する敵はいなかった。しかも装填中の行動だったためどんな手段を使ったのかもわからない。残弾数は今マガジンに入っている十発のみ。
――スキルや特性であれば発動時の隙や条件、発動回数に何かしらの制限があるはずだが。
クロイツはキッとキロを睨み付ける。キロは首を振りながらジャケットをつまみ大きく広げ、自分は何もしていないとアピールしている。回復の仕組みがわからない以上、徒に有効な攻撃手段を減らすことは避けたい。再び棍棒を構えると遮蔽物を飛び出し、背後から駆け寄る。フェイントや足音を偽装すれば攻撃は通りやすくなるはずだ。
――もう少し。
スポウルンはまだ気づいていない。あと三歩というところで視界の端で何かが光る。膝の高さにピンと張られていたのは毒糸だった。気づいたときには足がもつれ受け身を取るので精一杯だった。地面に転がるクロイツを足で蹴とばす。立ち上がりながら辺りを見渡すと至る所に同じような罠が仕掛けられていることに気づく。敵は既に狩りの準備を終えていた。
今度はスポウルンが攻撃の手を強める。自分の仕掛けた糸を器用に避けながらクロイツとの距離を詰めていく。クロイツは右に左に首を傾けながら、わずかな光の反射を頼りに回避しつつ走り続ける。同時になるべく鍾乳石の間隔が狭い方へと進んでいく。最初は躊躇して回り道をしていたスポウルンだったが、痺れを切らし鍾乳石を壊しながら強引に突破してくる。
予測できない攻撃にクロイツは防戦を強いられた。回復を繰り返しながらも徐々に体力や物資を減らしていく。対してスポウルンは一向に衰える様子がない。隙をついて反撃してもすぐに回復し再び攻撃を再開してくる。がちがちと音をたてて牙を嚙合わせる姿はまるで『いつでもお前を殺せる』と笑われているかのように感じられる。クロイツの足は限界を迎え、もつれて転ぶ。
「おや、もう時間切れですか。まあ予定よりは楽しませてもらいました。さあこれでフィナーレです」
キロの言葉に合わせてスポウルンは汚い雄たけびをあげると、一歩一歩クロイツに歩み寄る。顔をあげたクロイツは歪む視界の中で特徴的な鍾乳石を捉えた。それは逃げ惑う中、スポウルンが無理やり壊したもので、途中から斜めに折られていた。そして異変に気づく。ここには確かに糸が仕掛けられていたが今はそれがない。辺りを見回すとほとんどの糸は残ったままだが、所々記憶の配置と異なる。
――偶然か? いや、確か蜘蛛の糸は……もしそうなら。
クロイツは最後の力をふり絞った。再び立ち上がり走り出す。それに合わせてスポウルンも動き出した。
「おお、最期まで生に縋るその姿、なんとも意地汚い。そこまでして生きていたいものですかねえ。まあそっちの方が潰し甲斐があるので大いに結構」
違う、これじゃない、違う。クロイツはあるものを探していた。多くのものに紛れた数少ない当たり。
――見つけた。
クロイツは手を伸ばす。同時にスポウルンも追いつき、クロイツを付き飛ばした。もみくちゃに数メートルは飛ばされたクロイツは既に瀕死だった。
死期を悟ったのか急に心拍数が跳ね上がり、胸を締め付ける。スポウルンは牙を毒で満遍なく濡らすと叫び声をあげながらクロイツに噛みついた。すべてがスローモーションに感じはっきり見えてくる。足の毛の動き、波打つ腹、眼に反射したぼろぼろの自分。そして到底避けることのできない速度で首元に迫る牙。
クロイツはスローモーションの世界で一歩後ろに下がる。まるで自分だけが時の流れから外れているかのようにすんなりと体が動いた。牙は虚空を噛み、ガチンという爆音と共に欠片が飛び散る。
「遅いな」
クロイツは視覚的に捉えられない攻撃を幾度となく繰り返す。反撃も防御も、移動することすら許されない。なされるがままのスポウルンは、あっという間に体力を削り取られ力なく地面へと突っ伏した。
『スポウルンとの戦闘に勝利しました』
スポウルンの体がポリゴン化するのを横目にモトナフが鬼の形相で駆け寄る。
「あれはなんだ! チートか? いくら負けそうだからってそんなものに手を出すよう――」
言い終わらない内にクロイツは膝から崩れ落ちた。
「おい、どうした!? しっかりしろ!」
胸を抑えながら転がり数分間もがき苦しみ続けた。永遠に続くかとも思われたその副作用は緩やかに治まっていく。クロイツは呼吸を整えながら起き上がった。
「ようやく効果が切れてきたみたいだ」
「どういうことだ? ちゃんと説明してくれ」
「蜘蛛の糸だよ。奴が途中で回復したり攻勢に出れたのはこいつのせいだったんだよ」
「でも糸には毒があっただろ。最初にぐるぐる巻きにされたとき毒にやられてたじゃないか」
「糸に毒はない。毒は塗られてただけさ。蜘蛛が縦糸と横糸を使い分けるように、こいつも同じことをしていたんだ。一つは敵にダメージを与える緑の糸、もう一つは自分を強化する透明な糸。あれだけの巨体に作用するくらい強力なものだったからな。体の小さい俺が使えば副作用も大きくなるだろ」
クロイツはストレッチをしながら自分の考えを語った。
「忘れてた! あいつはどこに行った!」
クロイツは弾かれたように立ち上がるとキロのいた窪みを探す。しかし既にキロの姿はなかった。代わりに大量の純真石とコインタワーのように積み上げられた力の証が置いてある。
「逃げられたか」
アイテムを取りに窪みまで上がるとそこには小さな立て看板があることに気づいた。
『Congratulations!! 楽しいショーをありがとう
これはほんの気持ちさ さあ遠慮なんかいいからいくらでも持ってってくれ
また会えるのを心から愉しみにしてるよ♡』
看板を叩き割るとそれぞれ一つずつ手に取り、洞窟を後にした。
*
tips
デピサー:薄緑色に発色する巨大きのこ。自重を活かしたスタンプ攻撃と胞子攻撃が特徴的。
スパイククラブ:棍棒に鋼鉄の棘が修飾されたもの。シンプルだが力が集まり易く防御力の高い相手に対し特に有効。
13‐クェッター:長距離狙撃用ライフル銃。巨大な銃からは強力な一撃が放たれる。
ありがとうございました。