コスタリカ
原色の緑とオレンジ色のカエル。
ビビットイエローの野鳥の群れ。
大自然の中で、そんなに目立って大丈夫なのかと思う派手な色のオウムたち。
その中には、全身が真っ赤だったり、
緑一色の身体で、ほっぺの辺りにだけ丸く赤い模様の付いた愛嬌のあるのもいたり。
なんでもありの雰囲気。一日数回あるスコール。時には雷も伴う空模様。
北太平洋とカリブ海に挟まれた自然豊かな国土、コスタリカ。
今、私はここにいる。
たくさんの友人たちと天国にいる夫Tedと共に。
カーテンの隙間からさし込むやわらかな光。
いつもと何の変りもない静かな朝に感謝し、私はベッドから降りた。
8時半過ぎ。
車で移動中、ものすごいスコールに遭った。
週末の朝は、友人のJaneといつものレストランで朝食を取る。
彼女とそこに向かう途中だった。
お店に着くと駐車場はもういっぱい。
「Hey, Tony! What's up?」
Janeは運転席の窓を開け、雨音に負けない声で
このお店専属の駐車場係Tonyに声をかけた。
私は片手を上げて、二コリ。大声を出すのがなかなかの苦手なのだ。
合羽姿で車の誘導に追われている彼は、笑顔でウインクだけを私たちに返した。
(この雨の中でもこんなに混んでるなんて、みんな、ここが好きなのね)
Janeは車を止めるや否や、
外から入口へ向かう左側にある小さな喫煙所でタバコを吸い始めていた。
すぼめた唇から煙を出す彼女の頭上には、
屋根と呼ぶには申し訳ない程度の雨よけがある。
でもこのスコールでは、それはなんの役にも立っていなかった。
彼女も一口か二口だけ吸って、早々に店内の待合場へ入ってきたようだ。
少し先に店内に入って順番待ちをしていた私の隣に彼女はドカリと腰をおろす。
彼女の起こした空気の流れと共にタバコの香りも届いた。
私はタバコを吸わないけど、タバコ臭い彼女も嫌いではなかった。
「タバコ止めるくらいなら死んだ方がマシ」ときっぱり彼女は言う。
悩んだ結果、私は彼女に禁煙を勧めるのを止めた。
私は今日もパンケーキ(₡ 2000)をオーダーした。
毎回迷うが、結局いつもこれになる。
ぶ厚い3枚の上に、たっぷりのバターが乗っている。
今日は、溶けかかったそれが最上段から流れ落ちそうになってやってきた。
Janeの頼んだものは、ベーコンエッグプレート(₡ 5000)。
そこにもパンケーキが2枚付く。厚切りベーコン3枚と、スクランブルエッグか
目玉焼き(両面焼き)のどちらかが選べる。
彼女のベーコンの焼き加減はいつも通りwell-doneで、
卵料理はスクランブルエッグだった。
コーヒー、または紅茶はサービス。
私たちはコーヒーを頼み、まずそれらが届けられた。
(相変わらず愛嬌のない店員さんね)
コーヒーを届け終わったその女性店員は、次に
相変わらずだるそうに私たちのプレートを運んできた。
私は微笑ましく思う。
毎回だが、彼女からはやる気を感じられない。
だけど、私たちのパンケーキ用シロップが決まって足らなくなることや、
私がパンケーキ1枚半を食べ終える頃に、コーヒーが無くなることを把握しているようで
絶妙のタイミングで彼女は届けにくるのだ。
食事中の私たちをずっと監視しているのではないかと思う程の正確さだが、
満席の店内を見れば、それは不可能なことがわかる。
美味しいコーヒーと食事で私たちの会話は弾んだ。
私は友人の一週間の出来事や彼女の彼Willの話を聞き、くすくす笑う。
Janeは昨夜、彼と喧嘩をしたらしい。
彼とは毎晩電話で話しているようだが、昨夜は彼がなかなか電話に出なかったと言う。
結局、彼から夜中の12時過ぎに電話があり、
友人の誕生日パーティーに参加しているとのことだった。
「それならそうだと前もって言ってくれればいいのに。電話があったその時も
後ろの騒ぎ声がうるさくて、彼の声がちっとも聞こえなかったんだから。」と
眉間にしわを寄せて話す彼女だが、私はそんな彼女を可愛く思う。
「そんなにかけても出ないなら先に寝ちゃうな、私ならね」
私は言った。
「随分さっぱりしてるのね」
と彼女は言う。
そんな内容の話でも彼女の表情は幸せそうだった。
私の心もほぐれていく。
普段、誰に対しても、もっぱら聞き役の私は彼女の話を聞くのが大好きだった。
そんなだから、珍しく彼女の方から質問された時はどぎまぎしてしまい、
つい私の頭の中そのままを話してしまったのだ。
「で、最近どうなのよ?」
絶妙のタイミングで熱々のコーヒーを注がれ、
猫舌の私はしばらくフーフーと息を吹きかけて冷まし、
やっと飲もうと口を付けたところだった。
「えっ?(と...)」
「何かあったんでしょ?」
「どうなのかな...
昨日、急に昔のことを思い出した...くらいかな」
「なるほど」
「...誰にも話したことないこと。その時、私は日本にいた。」
「そぅ」
「うん...」
それから私は、10年以上も前の出来事を初めて人に話した。
話した相手が彼女で良かったと思う。
彼女はつまらなそうに私の話を聞いていた。
いつもそんな感じの彼女だったから、
いつもと何も変わらない様子でこの話を聞いてくれる彼女も不思議な存在だった。
私は物心ついた時から雨が好きだった。
合羽や長靴を履いたり、傘をさすとワクワクした。
「なんで雨が好きなの?」
良く聞かれることだけど、その理由は特にはなかった。
というか、わからないと言った方が正しいのかもしれない。
持病の貧血を克服しても、朝の目覚めが悪かった私が
毎朝こんなに気持ち良く起きられるようになったのはYOGAとの出逢いだった。
YOGAと言っても、元々私はストレッチが好きだったので、
それに毛が生えた程度のものだ。朝の目覚めからだらだらと始め、
マイペースに続けていくうちに、今では簡単なポーズが上手く出来るようになった。
一番好きなのは、木のポーズ。
両手を胸の前で合わせそのまま真上に伸ばす。伸ばせるところまでぐっと。
両足も揃え、真っすぐと空に向かって伸びる木々の様に。
伸ばしている間は息を止めないよう、鼻から息をめいっぱい吸い、ゆっくり口から吐く。
どのポーズをする時もその繰り返しだ。ただそれだけを好きな回数やるだけ。
一回だけでも良い。毎日続けることが大切だと思っている。
今日もきれいな雨の朝だ。
晴れていると勘違いするように空は明るいのに、
あっという間にどしゃ降りになった。
まさに it’s raining cats and dogs.
私はいつものように、布団でごろごろとYOGAをしていた。
今日は部屋の大きな窓から雨空を見つめながら。
すると、ふとこんな考えが浮かんだ。
(私、雨としゃべれるかも...)
私は雨の日に窓辺で読書をするのが大好きで、
読書の合間に良く窓辺から景色を眺めていた。
だけど、こんな感覚は初めてだった。
というか、
(あそこにいるのは?!)「Hey, you !」
私はとっさに呼びかけていた。
「・・・?!」
それは何も言わない。
が、私へ首だけ回し、変な格好のまま、目をまん丸くしてこちらを見ている。
「あなたは...
もしかして... 私の言葉、わかるの?」
「...う、うん。
君は、僕のこと見えたの、今日が初めて?」
「そうよ」
「実は僕、よくここの窓辺に来ているんだ。君、ここで良く読書するだろ?
僕も本が大好きなんだ。今まで君から何もなかったから、
まさか声をかけられるなんて思ってもいなかった。」
彼は相当驚いているのか、深刻な表情で私にそう告げた。
「そうだったのね...
じゃ、もしかしたら明日は見えないってこともありえる...」
私は急に胸が締め付けられる想いになった。
「そんなのはイヤ。私の名前はMary。明日も雨だったらまたここに来てくれる?
そして私の名前を呼んで欲しい。私が気付くまで、お願い。」
「うん、もちろん!そんなこと簡単さ。
ここに来た時は必ず君の名を呼ぶと約束する。Maryが僕に気付くまでね。」
「ありがとう。絶対よ」
「うん、わかった!」
そして、翌日も雨だった。
私たちは時間も忘れ、いろいろな話を聞いたり話したりした。
彼との話は新鮮で、いつも心が和んだ。
雨が好きな理由。
「彼と逢えるから」
それがあの頃の私の答えだった。
そんな出逢いから半年が経った頃から
私の生活は、学業とアルバイト両立の日々に就職活動もプラスされた。
時間に追われることが増え、彼のことを忘れがちになっていた。
心に余裕がなくなっていたのだろう。
そして卒業後、故郷のNew Yorkに戻る頃には完全に彼の存在を忘れていた。
雨の日はいつも、彼は私の近くにいてくれたのだろうか。
そして、彼の存在をすっかり忘れた私に
約束通りずっと私の名前を呼び続けてくれていたのだろうか。
私には聞こえなくなった彼の声を思い出すと、
同時に目の奥がつんとして視界もぼやけ始めた。
(名前も聞かず、お願いだけして、勝手に忘れて、泣いて...。
何やってんだろ...私)
涙はどんどん溢れ、その雨つぶの顔とTedの顔が重なる。
私の夫、Tedは5年前に亡くなった。
当時私たちが住む古い借家の屋根の修理をした日だった。
修理後、屋根から降りる際に、脚立から足を踏み外し転落したのだ。
頭から落ちた彼の首の骨は折れ、即死だったと医者は言った。
あまりにも突然のことで、葬儀中の彼の顔もあまりにも穏やかで、
彼を失った現実を受け入れることが私にはとても出来なかった。
私たちは交流サイトで知り合い、
アメリカとコスタリカ間のネット上で2年間の交際後、結婚。
当時も今も、考えると不思議な縁だったが、彼といる時間と空間はあまりにも自然で、
運命の出逢いとしか言い様がなかった。
その事故が起きたのは、
私たちが彼の故郷であるコスタリカで幸せに暮らし始めて5年目を迎える年だった。
未だに気を抜くとあの時の気持ちが鮮明に蘇ってくる。
いつも幸せそうに笑っていた彼のことを思うと、
こんな私ではダメなことはわかっている。
だけど、そう思いつつも、過去の出来事からなかなか脱出できないままの自分がいた。
そして、あの雨つぶとの出逢いを思い出した今、
私は感情のコントロールを完全に失っていた。
「Tedは私と結婚して本当に幸せだったの?」
「毎日もっと彼に優しく接することが出来たんじゃ?」
「あの日の屋根の修理を止めていれば、、、」
「もっと早く気付いて処置をしていれば、彼が死ぬことはなかったのでは?」
(どうしてTedなのよ...)
人は人と接する時、
もしこれが最後の機会だとわかっていたら、
相手に対しての接し方や考えも気持ちも変わると思う。
この一瞬を大切に過ごしたいと思うから、
きっと普段よりずっと思いやりが持てるだろう。
もしいつもこんな気持ちで人と接することが出来るなら、
後悔のない人生が歩めるだろう。
私はそうしたい。
でも、それがなかなか出来ないから、私は自分の出来ることからやっている。
5年前のあの出来事からずっと。
きっと、Janeは今朝の私の泣きはらした顔を見て、
すでに何があったのか分かっていたのだろう。
(なんて優しい子...)
目の前で、ベーコンにかぶりつく彼女を見つめ、また目頭が熱くなる。
歳を取ると涙もろくなるのはどうしてなのだろう。
「歳、取りたくないな...」
「何よ、急に。
10代の頃は、早く歳取りたいって言ってたじゃない。
しかも私たち、まだ30代よ。」
彼女は私の発言を特に気にかける様子もなく、
ベーコンとの格闘を再開していた。
「確かに」
私はまたくすくす笑う。
泣き笑いの振りをして、おしぼりでそっと目をぬぐった。
Janeは不思議な子だ。
そして私にとって、宝物のひとつ。
ずっと大切にしたい存在。
あの雨つぶはまだ日本にいるのだろうか。
彼と逢える日がまた来るのだろうか。
もしまた彼の声を聞くことが出来たなら、私は何を聞き、何を伝えようか。
ありのままの気持ちで接すれば、
彼の存在を大切に思っている気持ちはいずれ彼にも伝わるだろう。
失うことで初めて気付く後悔の日々に戻りたくないから。
私は立ち上がり、窓辺まで歩を進めた。
空は更に明るくなり、雨は小降りになっていた。
だけど、不思議とまだまだ降り続く気がした。
テーブルに戻ろうと振り向き、Janeの座るテーブルに視線を向ける。
その瞬間、パシャリと鳴った。
Janeが彼女ご自慢のカメラのシャッターを切ったのだ。
今日はこの後、何かの取材があると言う。
Janeからせっかく取材内容を聞いていたのに、忘れてしまっている。
彼女は大手新聞社に就職してから記者一筋。
記者と言っても、その仕事がどんなものなのか私は詳しくはわからなかったが、
彼女とカメラは大抵一緒に行動しているのは知っていた。
だけど、私を撮るなんて珍しい。
Tedも雨つぶも、もう隣にいない写真の中の私は、どんな顔をしているのだろう。
それを見るのは怖いけれど、
それも受け入れられる自分になれるように歩んでいきたい。
その日の夜、一本の電話が入った。
電話のディスプレイがJaneからだと告げる。
時計に目をやると、夜中の1時を回っていた。
(こんな時間に...あの時の写真が出来上がった連絡かな)
毎晩読み進めていた小説の最終巻を読了し、
眠りにつこうと丁度ベッドに入った時だった。
私の予想とは裏腹に、彼女からの話はこうだった。
「今朝の写真、あっ、もう日付が変わったから昨日のと言うベきなのかしら、
その写真はまだよ。楽しみにしててね。
ところで、ねぇ、知ってる?
今夜はスーパームーンよ。今日を逃すと次は20年後だって。
なのに残念ね、Mary...
あなたは今夜の満月、見れないわ。」
(あら、今日の予報は雨だったかな...)
今夜の月がスーパームーンだとは知らなかった私は
Janeの言葉の意味もなんのことやら分からず考える。
待ちきれないのかJaneは続けた。
「なぜかと言っちゃうと、
そのスーパームーンを、今夜、私とWillが二人占めするからよ。」
彼女はいたずらっぽく言った。
(そういうことね!)「Aha!」
彼女のジョークに心が和む。
人を幸せな気持ちにさせてくれる彼女が私は大好きだ。
JaneとWill、二人にとっての喧嘩は、ほんの一瞬の出来事でしかない。
「そんな壮大な公共のものを占領するなんて、随分大胆なのね、あなたたち。」
私はニヤニヤするのを止められず、声を出して笑った。
Janeも電話の向こう側で無邪気に笑っていた。
私は電話を切った後、カーテンを開けて窓辺から空を見上げた。
空は真っ暗で何も見えない。
昨日は私の予想通り、朝からの雨が日没後まで降り続いた。
今、星が見えないのは、その影響で雲が残っているからだろう。
私は心から願う。
「どうか今日だけは雨が降りませんように。
JaneとWill、二人だけのスーパームーンのために。」