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「トイレに行ってきます」


俺は上司にそう告げ、そのまま自宅へ帰った。

そして、俺はその日以来、会社に行くことはなかった。



(雨か...)


今日は学科試験と面接の日だ。

このチャンス、逃すものか。


俺は10年前、1年半務めた会社を辞めた。

その辞め方も無責任で自分勝手で、今思い出すと、

いたたまれない気持ちでいっぱいになる。

消えて欲しい過去だ。

その出来事を武勇伝の如く友人に語っていた時期もあった俺だからこそ、

なお更そう思う。

それからはずっとバイト生活。いわゆるフリーターだ。

隠さず言いたい。ニート時代もあった。


高校を卒業したての俺には夢があった。

大好きなゲームに生涯を注ぎ込めるゲームクリエーターになりたかったのだ。

俺なりに進路調査をした結果、それにはまず俺の知識不足を補うことが優先だった。

その為に俺の選んだ先は、ある玩具メーカーのアカデミーだった。

しかし、そのアカデミーの年間にかかる学費は俺の予想以上の額だった。

バカ高すぎて、とても親に相談も出来なかった。そこで俺は働きながらお金を貯め、

学費分が貯まった時点でアカデミーへ入学しようと進路を修正していた。


新卒の俺が就職した先は平凡な企業だった。

そして、日々、平凡な仕事をこなしていた。

その頃の俺は、変に自分に自信があった。

夢とは全く無縁のこの業種に嫌悪感さえ抱いていた。

学費を貯める為だと就業を割り切って考えることが出来ていたら

違っていたのかもしれない。

日々の俺が抱くものは、

「俺はゲームクリエーターになるんだから、こんな会社いつでも辞めてやる」

というなんの根拠も準備もない想いだけだった。



そんなある日、事件が起きた。

それは俺の寝坊が発端だった。

案の定、その日の俺は遅刻をして出社した。

出勤が遅れることの連絡を入れなかったことは、今でも反省している。

ゲームソフトには「トルフィー」と言って、

やり込み度、つまり自分のゲーム実績を表す機能がある。

現在ではほとんどのソフトに付属している機能だが、

コレクターの俺は今やっているゲームソフトでプラチナトルフィーを入手する為、

帰宅後は連日ゲーム漬けの寝不足生活が続いていた。

寝坊の原因もそんなだが、当時の俺は遅刻がそんな大ごとになる認識がなかった。

しかも、たったの30分程度だったから。

「たったの」という思いが強かった俺は、予想以上にしつこく怒鳴る上司に

キレてしまったのだ。彼からの説教中は黙って聞いていた。

だが、俺の中では全てが完結していた。

人間って怖いと思う。

上司はまさか

自分の説教中に俺が会社を辞めると決めていたなんて思いもしなかっただろう。

連絡がなく会社に来ない俺が部屋で倒れているのではないか、または

通勤途中に事故にでも遭ったのではないか、などと彼は心配してくれたからこそ

あんなに怒っていたのかもしれない。

しかし、当時の俺はそんな考えが持てるほど、出来た人間ではなかった。


トイレに行く振りをして自宅に帰った俺の携帯は、その日、終日鳴り続いていた。

俺はそれさえも一度も出ず、正式な退職届も出さず、何の連絡も挨拶も、

何もかもほっぽリ出してしまったのだ。

最低なヤツ。

それが俺だった。


ゲームクリエーターになる?

ふざけた話だ。

そんな最低な男がなれるわけがない。

俺は今になって、やっと素直にそう思えるようになった。



あれからの10年間、バイトで生活を支える日々。

食うには困らない程度の低収入からそこそこの給料になって

半年が経った頃だっただろうか。

「これでもういいや」と正直思った。

18の頃のあの夢は、そう思った時点で消滅していたのだろう。

そのはずだったのに...どうしちゃったんだろう、俺は。

夢への想いが再び膨れ上がって、どうにもならない。

30を目前にした節目の影響なのだろうか。


「たった一度の人生なのに、一生このまま?」

「もう今からじゃ無理?」

「本当に後悔はしない?」

「何をやりたいの?」

「今からでも出来ることは?」


様々な想いがふとした瞬間、会社の行き帰りに、仕事中にも、入浴中にも、

カップラーメンを待つ間でさえも俺の頭の中を廻り廻った。

特に、布団に入ってからは自分でも驚くほどにだった。


そして、今日を迎えている。


ここ2,3年、俺は自分の長所と短所を見つめ直したことをきっかけに、

人の言葉に耳を傾けられるようになっていた。

素直に人の意見を受け入れることも時には大切なこと、それがこんなに気持ちが良いことも知った。

しかもそれらは俺の考えにも影響を及ぼした。

今までにない考えが浮かび、それらについて周りに意見を求めたくなったりもした。

そんな俺のアイディアが現実になったこともあった。

それらは、今のバイト先のスーパーの商品陳列の仕方やお菓子売り場のポップに採用され、店頭で見かけた時には仕事中だったが、小さくガッツポーズをしたものだった。

心の中では、大きなガッツポーズと大きな声で「よっしゃーっ!!!」と叫んでいた。


この3年間で計画的に貯めた貯金は150万円。

正直、しんどかった。

だけど、俺には目標があったから出来た。

俺の通いたいアカデミーのちょうど一年分の学費だ。

2年目はどうするのかと考えた時、入学したら勉強を優先させたい俺は、

親に初めて相談をした。

俺は2年制を希望していたから、足らない1年分の学費のことはもちろん、

これからの進路について、順を追って俺なりに説明をした。

すると、予想外に彼らはすんなり承諾してくれたのだ。全面的に協力してくれると。

俺にもこんなに力強い味方がいるなんて、全く気付かなかった。

有難い存在を知った俺は、

彼らにもっと具体的にと俺が目指しているプログラマーの話もした。

ゲームクリエーターと言っても、それにはいろいろな仕事がある。

格好良く言うと、その中でゲームに命を吹き込む担当がプログラマーなのだ。

独りでやるゲームも楽しいが

俺は二人、もしくはそれ以上の人数でやるゲームも好きだった。

だから、誰でも扱いやすい単純さを持ち、複数人で楽しめるゲームソフトを作りたい。

それが俺のやりたいこと。

それに登場させるキャラは癒し系のゆるキャラがいい。


俺は、とにかくC言語の習得と、

そこから派生する言語の習得に集中することを両親に誓った。

彼らが職種についてどれだけ理解してくれたかは分からない。

でも、俺の気持ちはきっと伝わったはずだ。

その翌日には、バイト先の店長にも相談した。

アカデミーに通うとなれば、今の仕事を辞めることになるから。

店長は初め、残念そうな表情で俺を見つめ少し考えていたが、最後は俺の夢を

応援してくると言ってくれた。

それから数週間をかけ、俺の退職の話が仕事仲間たちにも広がり

いろいろな所から質問を受けた。

俺はそのひとつひとつに真摯に答えたつもりだ。

そして、ひとりひとりから応援の言葉をもらった。

職場で激励会を開いてくれると聞いた時は正直、照れくさかった。

そんなことが今までの職場では経験したことがなかったから、初めてで

どんな表情でいていいのかわからなかったから。

そして俺は、恥ずかしながらもその会で男泣きに泣いた。

「お酒が入ったから」と俺はあとから言い訳をしたが、本当は素直に

感謝の気持ちから涙が溢れてきたのだった。



(みんな、元気かな...)


ふとあの激励会を思い出す。

今日の俺は初めに学科試験、それから面接を終え、

自宅に帰る為、最寄り駅へ歩いていた。

この距離は、普段の俺ならバスを利用するだろう。

だけど、今日は歩きたい気分だった。

透明ビニールの雨傘越しに空を見上げた。


(朝の振りから比べると少し弱くなったかな)


空はまさに雨模様。

だけどほっとするのはなぜだろう。


(今日の面接官...)


俺は面接の一部始終を思い返す。


(男性の方は機械的だったけど、

 女性の方はなんであんなにじっくり話を聞いてくれたのだろう)


俺の面接官は男女1名ずつの2名だった。

ピンと張りつめた空気を和ませてくれたのは、女性面接官の発言だった。


「お持ちのファイル、結構濡れてますね。今朝は霧雨程度でしたが、

 ここへ来る時間帯は降りが強くなってしまったのですね。」


なんだか雨が降ることが楽しいと言い出しそうに、彼女は微笑んでいた。

緊張しまくりの俺はこれから面接だというのに、

そんな発言をする彼女が女神に見えた。

俺は彼女の予想外の振りに「結構強く降ってました」以上、

ってな回答しか出来なかったが、そのおかげで俺の心はだいぶ軽くなっていた。


(俺もこんな風に、場を和ませる人になりたいな)


彼女はここの「sensei」なのだろうか。

とにかく俺は、たった二人にだけだけど、俺の夢への考えや気持ちをすべて伝えた。

学科試験でも俺の持ってる知識は全て出した。

今日に悔いはない。

これが正直な感想だ。


(何かに対してこんなに努力をして出し切ったことは俺にあったか?)


そう考えた時、俺は努力をするだけじゃなく結果が欲しいと思った。

俺は貪欲になっている。

もしこの試験に合格したら、俺は迷いなく夢に突き進む。

もしダメだったとしたら、、、どうする、俺?


今の俺が持っている自信は、

10年前のあのめちゃくちゃで根拠も実績もないものではない。

合否判断の予想は俺には出来ないが、合格レベルの人間ではあると思っている。

もし受からなかったとしても、俺は努力をしてゲームクリエーターになる結果を出す。

そこは揺らぎようがない自信だった。

試験結果が出るまでいろいろゆつくり考えよう。

だらだらもしよう。

夜更かしなんかもしてみようかな。

自分を変えたくて、早寝早起きでストイックに今まで取り組み励んできた自分への

ささやかな褒美として。



ここだけの話だが、

恥ずかしいことに俺は、

試験前日の昨日、腰を捻挫した。

腰のねんざなんて初めてだ。


(よりによって、なぜ今日?)


昨日の俺は半泣き。

毎日続けていた朝の独学が一段落した時に、

変な格好で思い切り腰を伸ばそうとしたのが原因だったらしい。

整骨院でそう診断され、昨日の痛みはひどいものだった。

今日のところは気合いと痛み止めで乗り切ったまぬけな俺だけど、

よく頑張ったと褒めてやりたい。


俺はまた空を見上げる。


(まだ降るのかよっ)


と思いつつ、嫌じゃなかった。

その時の俺は、いい顔してたと思う。

だって気分は最高に良かったから。

今度は雨傘を除けて、雨空を見上げる。

雨は遠慮なく俺の顔に当たってくる。

俺はそんな雨も嫌じゃなかった。


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