ロト
晴れた日は、行きつけのベランダでゴロゴロするのが好きだ。
そこにはかなり使い込んだ水槽が置いてあって、年中、水が貼ってあった。
大きさは小人が楽に抱えることが出来るくらいで、その水はいつも澄んでいた。
水中で何かが泳いでいる訳でもなく、
その中にはただ、澄んだ水が入っているのだった。
いつもの僕なら近くの川から海まで泳ぎに行ったりもしただろう。
そこから随分泳いだ時もある。着いたその島にはコアラっていう動物がいた。
動物はみんないいヤツばかりだ。
あのバスのChocolate好きのおばあさんに逢ったのもこの島でだ。
中身が似ている者同士はどこに居ようと逢えるものだ。
約束なんていらない。
泳いだ帰りは決まって、友達のロトの処に寄った。
黒色の猫だ。
僕は見たことがある。
神様が祭られた祠の傍らで遠くを見ていたロトを。
日当たりの良い小さな祠だ。灰色がかった白色をしている。
ロトがそこで丸まっていなかったら僕も通り過ぎていただろう。
前の2本足を器用に折り畳み、しゃんとしている。
ロトのいつもの座り方だ。
道行く人の中に、そんなロトのことを気に留める者はいない。
ロトも彼らには目もくれず、ただ遠くをじっと見ていた。
僕は、「ロト」という存在に吸い込まれる感じがして足に力が入った。
突然、
ロトの前で一人が足を止めた。女性だったか。
随分前のことで、今は良く覚えていない。
二人は不思議な距離を取って動かない。ロトが少しだけ首をかしげた後からずっと。
(やめといた方が良いのに・・・)
急にロトのことが心配になった。
人間にもいろんな種類がいるからだ。
時間が止まったように静かになった。全ての音が消え、まるでこの世にロトと僕、
そしてロトの前で足を止めた女性?の3人しか存在しないかの様に。
胸がざわざわした。
すると一人が動いた。ロトは相変わらず丸まったまま遠くを見ている。
動いたのは人間だった。立ち去るつもりの様だ。
(ロトはすごいヤツだ)
僕にはロトのまねは出来っこない。
(眠っている猫が国宝で、なんでロトはそうじゃないのか?)
僕はそう思う。
僕の心のザワザワはすっかり消えていた。
ロトが誰と暮らしているのか、一匹狼なのか、男なのか女なのか、僕は知らない。
そんなことはどうでも良い。
本人が一番そんな顔をしている。
(今日の気分は?)
僕は自分の心に聞いてみる。
今日は泳ぐ気分でもロトと逢う気分でもないらしい。
頭の後ろに手を組んでごろんと青い空を見た。
同じ空なんて一度もない。
きれいだ。
その澄んだ空は僕に、あの時の彼女の瞳を思い出させた。
(この懐かしい感覚は何だろう・・・)
「...すべてひつぜん」
その言葉がふと声になる。
ヒマラヤ山脈、澄んだ空。
目を閉じると、僕がネパールという国にいた時の光景が浮かんだ。
次々に浮かぶ小人たちの顔。
そこでは昼間だというのに、彼らはぶらぶらしていた。
一見、今日の僕と同じような時間の過ごし方。
でも実は、彼らは違う。
仕事を探しているのだ。
方法はどうあれ、生きるために。
今、僕がいるこの国では、そんな小人はいない。
当たり前のように学校へ行く。
「学校、行きたいな」
今になって僕は、
ネパールで出逢った少女のその言葉の意味と気持ちがわかった。
何が君の幸せなの?
何をして喜ぶの?
わからないまま終わるのなんて・・・
僕は絶対イヤだねっ。
僕の好きな歌の歌詞。
いろいろな窓辺から見て聞いて知った曲の中のひとつだ。
小人がよく口ずさんでいる。
歌詞の意味はわからなくても、すごく楽しそうに。
きっと大人も小人の頃には歌っていただろう。
今は歌い出すきっかけがないのかな。
僕の体はずっと昔に比べると、一回りも二回りも大きくなっている。
でも中身は子供のままなのかもしれない。
そんな想いにふけりながら僕はその歌を口ずさんでいた。