秘密
「私も今のあなたと同じように雨つぶだったのよ」
彼女はいたずらっぽく言った。
彼女の愛嬌のある笑顔からはあの寂しげな表情はすっかり消えている。
「えっ...
じゃ今だけ人間になってるってこと?」
「いいえ、違うわ。
私はある時、人間として生まれ変わったの。だからもう雨には戻れないのよ」
「ある時って、いつだったの?
僕にもその時は来るの?」
聞きたいことがあり過ぎて、前のめりになった僕は
窓辺から滑り落ちそうになる。
「こっちに来ない?」
彼女は立ち上がり僕を彼女の前の席に誘った。
そして続けた。
「その「ある時」と言うのは、今のあなたの状況で言うと、
あなたと私が出会い、お互いの存在を確認し合った時のことよ。
まさに、今がそうね」
「えっ...
僕もこれから人間になれるの?」
「そうよ。どこの誰として生まれ変わるかわからない。
でもあなたは人間として生きていく資格を得た。だから、人間になるのよ」
「資格って...」
「全ての雨つぶがなれる訳じゃないのは分かるわよね。
あなたは雨という自分自身以外に、人間という生き物に興味を持った。
そして人間の言葉を学び、観察し、理解しようとした。
さっき、あなたが私に訴えたこと。
楽しいことばかりではなく、辛いこと、悲しいこともあったって。
私はそれを聞いて、決めたの。
私が何者であるのか、雨だった過去を持つ私が
人間として思うことをあなたに伝えようと。
とても大切な経験をしたわね、Pain。
たった独りで悩んだこともあったでしょう。これからは独りじゃない。
あなたならたくさんの仲間が出来る。
その人たちを大切にするのよ。きっと力になってくれるから。
人間は失敗や心に痛みを感じることででも成長する生き物よ。
これからも良いことばかりではないわ。
それでも人間として生きていくのよ。」
「うん。「sensei」がいれば僕、がんばれるよ。
今までは雨つぶだったから、人間になったら試してみたいことが山ほどあるんだ。
僕がイヤだなって思ったことは、人間になってからも人にやらないよ」
「そうね。本当によくここまで成長したわね、Pain。
あなたと出逢えて良かった」
彼女の笑顔の中の瞳には、たくさんの涙があった。
だけれど、決して流さない彼女の意志も伝わってきた。
「ありがとう...「sensei」
あ、「sensei」の名前、僕、まだ聞いてなかった。
僕、知りたい...」
彼女は小さく微笑んで頷く。
「Rainよ」
「Rain...僕の名と似てる。いい名だね」
「ありがと」
「これからが楽しみだな。僕、どんな人間になるんだろう。
もし赤ちゃんに生まれ変わったら、Rainのこと分からなくなっちゃうね」
「Pain、落ちついて聞いてね。
あなたが人間になったら、私たちはもう会えないの。
あなたの記憶から私は消える。そして、私も消えるわ」
「Rainが消えるって...
人間のRainがいなくなっちゃうってこと?」
「そうよ」
「そんな...
じゃ僕はこのままでいいよ。
人間にならなくたって、雨つぶのままで充分さ」
「それは出来ないわ」
「どうして?
僕がなりたくないって言ってるのに?」
僕は思わず彼女を睨む。
それでも彼女は、優しく微笑み言った。
「そうよ。あなたは選ばれたの。
人間として生きて行くべきだと。選んだのはこの私よ」
「意味がわからないよ。
じゃRainが別の雨つぶをまた選べばいいじゃないか」
「Pain、これから話すことをよく聞いて欲しい」
僕はRainが消えるという言葉にいつもの自分を失い、
完全にふてくされて、Rainから目はもちろん、体までそらした。
「あなたは雨つぶとして生まれ、人間に興味を持ち、学ぶ楽しさを知った。
人間の良いことばかりではなく、悪いところにも気付き始めている。
その一部始終を知っていた私は、あなたは人間として生きるべきだとあなたを選んだ。
その権利を私はあなたに渡した。だから、あなたは人間として生き」
「そんな権利なんていらない!」
「人の話は最後まで聞きなさい!Pain」
彼女の言葉が僕の心に深く突き刺さる。
そして、反らしていた視線を彼女へ戻すと
彼女の瞳は赤くなっていた。
「権利、権利ってなんなんだよ...」
「その権利は、自分の過去を明かすことで、それを明かした相手に渡るわ。
私は雨だったという自分の過去をあなたに話した。
どういうことか、わかるわよね、Pain」
「...
そんな...
それって僕がRainに聞いたからじゃないか...
どうして僕のこと、見えるのかって聞いたからじゃ...」
「Pain、聞いて。それは決して悲しいことじゃないのよ。
私はあなたの成長がとても嬉しかった。
だからあなたの質問に答え」
「僕は「sensei」のことがずっと好きだった。
毎日毎日、こんな遅くまで仕事をしてるのに、
どうしていつもあんな笑顔で、どんな人間にも優しく接せるのか
不思議なくらいだった。
僕は「sensei」みたいな人間になりたいと心から思った。
「sensei」の笑顔を見ているうちに「sensei」のことばかり
考えるようになっていた。僕はこんな気持ちになったことが初めてだったから
初めはよくわからなかったけど、
これが人間が言っている好きってことなんだってわかった。
僕はRainのことが好きなのに、
Rainがいなくなっちゃうなんてそんなの耐えられない」
「ありがと。嬉しい...
人を好きになる気持ちにも気付いたのね。
Pain...
あなたが人間になってからの未来にも、きっと好きになる相手が現れるわ。
だからその時になったら、あなたはきっと今よりも私の言葉をわかってくれるはずよ」
「...
一体、何がわかるってのさ...
僕はRainが好きなんだ。
その時がくるなんて、なんでRainがわかるんだよ。
勝手に消えちゃうくせに、知ってるようなことばかり言って。
Rainは僕の気持ちなんて考えてないし、わかってないんだ!」
「Pain...
お願いだから、こっちを向いて私の瞳を見て聞いて。
あなたにだから話すわ。人間だった私の大切な思い出よ。
あなたにとって、今はまだ難しいことなのはわかる。
でもあなたなら人の痛みもわかる人間になるはずよ。
きっといつか、私の話をわかってくれると信じてるから聞いて欲しい...」