UFO
「おりゃぁぁーーーっ!」
(ドスッ)
俺の尻に激痛が走った。
「痛ってぇぇぇーーーっ!!!」
大阪府枚方市、とあるお好み焼き屋でバイト中、大学4回生まだ学生身分の俺は、
バイト先で毎度のまかないをご馳走になっている最中だった。
祝土日の「ラスト」っちゅーシフトに入っている者の特権。
ラストとは、読んで字の如く、入った時間からラスト(店終い)までのシフトのこと。
週末のゴールデンタイムという過酷な時間帯を乗り越え、
店内清掃から明日の営業準備までをする結構しんどいシフトなのだ。
しかし、その先にはご褒美がある。
今日は俺の大好物、とりの唐揚げも出てきた。
それらは大皿3枚の上で、夜の通天閣の数万倍はある輝きを放ち佇んでいる。
なんて美しい光景。
(一生、付いていきますっ、店長!)
鉄板上では豚玉、牛玉、シーフード玉、すじコンねぎ焼き、広島焼き、ミックス焼きそば、
豚キムチ、トン平焼きが隣同士、乗り上げる状態で所狭しと並んでいる。
外は深夜と呼ぶには明るく、早朝と言った方がしっくりくる明るさだろう。
そんな時間でも、貧乏食べ盛りの俺たちバイト生には有難い夜食なのだ。
店内の全テーブルとキッチンの食器類、一、二階のトイレ掃除、そして外のゴミ拾いを
終えた俺たちは、まかないが用意されたテーブルに着席するや否や手を合わせ
「いただきぁーす!」
と各自、我先にと、がっついた。
あっという間に唐上げの一皿目がなくなり、二皿目も残りわずか。
(まじかよっ、俺のとり唐ぁぁーっ!)
空になった一皿目と二皿目を超え、隣のヤツを押し退け、身体を最大限に伸ばす。
(っしゃー、もーらいっと)
それは、俺が三皿目の山から二つ同時ゲットした時だった。
「おぃっ、そこの緑頭!ぉ客様に「ごめんなさい」はないやろぉぉ?
ほ客様に謝る時はな〜「申し訳ございません!」にゃろが、ボケぇぇ!
おりゃぁぁーーーっ!」
俺たちが片づけをしている間に仕事上がりのビールをとっくに飲み始め、
ろれつがもう怪しくなってる主任の岡村さんが俺の尻、いや、正確に言うと
俺のケツの穴めがけて渾身のカンチョウを繰り出したのだ。
ピストルの形を作った両手をギュッと合わせたまさにベタなあれ。
(その理由、今頃ぉぉ?!
緑頭って...確かに髪、緑色ですがぁぁーー?)
激痛から現実逃避したい俺は、固く目を閉じた。
すると、あの時の岡村さんの顔onlyの走馬灯がくるくるっと回る。
(回るの早っ。そもそも、走馬灯って一生の記憶のリピート現象やなかったっけ?
22年間の俺の人生の記憶は岡村さんだけだったのかぁぁ?)
どうでもいい考えまで出てくる。
完全フライングの主任と一緒に飲み始めていた酒に弱い店長は、
奥の長椅子で仰向けに横たわっていた。
ワイワイと盛り上がっていた場が一瞬静まりかえった空気の激変に、
さすがに気付いたのだろう。
寝たまま顔をこちらに向けた店長が口にくわえていたタバコの灰がぽとりと落ちた。
「酒ぐせ悪っ」で有名な主任は、その彼の掟をバイト生の中で
ぶっちぎりのトップで破った俺に相当腹を立てていたのだろう。
目撃された時の主任の顔を見た時、正直俺は殺されると思った。
でもあの時の店内のごった返し様じゃ内輪もめは後回し。
(今日は完全に悪酔いしてるわ…酒が入ってすっかりぶり返してるし。
でももう2週間前?いや、先月?の話やんか、それっ)
周りの様子を伺うと、みんなの視線は痛みに苦しむ俺にではなく、
主任に注がれていた。
(お前ら、おかしくね?)
俺は激痛が残るケツの穴を右手でぎゅっとふたをするように強く押さえたまま、
それが繰り出されたと思われる方向へ振り返った。
すると、そこには両手をプルプルさせてうずくまっている主任がいる。
「ゔぅぅ…」
(えっ?何なん?!)
バイト仲間の何人かは、この静寂を今にも破りそうだ。
笑いが抑えきれない彼らは、声は殺しているものの、
はっきり言って、腹を抱えて大笑いしているのが丸分かりの光景だった。
(や、やめろ...わ、笑うなって... 俺まで...ぅぷっ)
「ぷぐ、ぐぁははっ…」
パシッ
俺はとっさに空いている方の左手で力一杯、口を押さえ込む。
(今の俺の格好、想像したらあかん、あかん、絶対あかん…)
俺は命懸けで心を無にした。
(... )
その甲斐があって
ギリギリのところで、込み上げてくる笑いを食い止めることが出来た。
(もしかして、、、?マジか)
込み上げてくる笑いの波が去った俺は、うずくまる主任の指を恐る恐る覗いてみた。
そして、そこで俺が見たものは、完全に死んでいる岡村さんの指だった。
その日のまかない会は、殺笑と失笑、
激痛(主任と俺。但し俺のは完全に無視された状況)と救急車騒ぎで
ドタバタと終了した。
後日、その翌日バイトに行った友達から聞いた話によると、
主任の人差し指は両方折れていたという。
情熱と責任感のある兄貴分の主任は俺たちとあまり年齢は変わらない。その若さで
仕事は仕事とビシっとキメるところがカッちょ良いし俺は尊敬していた。
なのに、俺たち同様こんなにアホだったとは・・・
このまま尊敬を継続すべきか止めるべきかの分岐点に今、俺は立たされている。
そして回想した。
愛を告って撃沈した日も、終日爽やかな笑顔で接客してた岡村さん...
女子バイト生から「好きな映画は何ですか?」と聞かれ、
エロいシーンがやたら多くて反応に困る映画名を答えていた正直な岡村さん...
名前が最上級に縁起の良い、岡村大吉さん...
(俺、これからも応援したいす...)
と言うことで、俺は主任の全部をひっくるめて尊敬を継続することにしたのだった。
そんなアホな日常を送っている俺は、今日もチャリでバイトへ向かっている。
今は梅雨と夏になるちょうど境目のような天候が続き、
今日はしっとりと細かな雨が降り続いていた。
雨の日に落ち着きを無くすのは、
ずっと昔の経験からだ。本当は雨で濡れるのも嫌だし、避けたい気持ちやけど
面倒くさがり屋の俺は合羽も傘も使わず、自転車に飛び乗りバイト先へ急いでいた。
自転車をこぎながら雨の日はいつも自問自答してしまう。
めっちゃ近くにいるんちゃうか?
なんで話しかけてこんのや?
本、用意する意味ないんかな?
見てたら何か言ってこいやっ。
でも今は話しかけられても困るしな...
俺が小学校に入って初めての夏。7月の出逢いから15年間。
俺はあいつのことをずっと見ない振りしてきた。
実際見てないからそんな言い方は変かもしれんが、
あの頃は友達だったけど、俺はもう子供やないんやし、見えて欲しくない。
それが今の正直な心境。
なのに、この罪悪感みたいのから解放されないのはなんなん?
毎回のことやけど、答えの出ないままバイト先の看板「Log」が見えてくる。
名前の通り、ログハウス造りの建屋。
(今日のまかない会でそのことをみんなの前で言ったらどないなるんやろ)
いつもアホなことしてる仲間やから笑ってくれるやろう。
けど、普通、本気で考えてくれるヤツはいないやろな。普通は、、、
(やっぱ、死んでも言えんわ...
雨と友達だったなんて。)
「ぅわぁぁーーーっ!ぶつかるぅーーっ」
(...え?!)
パシャン
窓辺で空模様を見ていた俺は、一瞬で頭から全身がびっしょりになった。
(なんで?!)
雷のゴロゴロが始まると、なんでかワクワクする俺は、
小学校初のこの夏休み、ほとんど毎日ある夕立ちを今日も二階の窓から眺めていた。
ゴロゴロっと鳴り始めると、この定位置に来る感じ。
うちのおじちゃんはなんでか知らんが
「ワシはすっぽんじゃーーー。すっぽんは雷が鳴るまで離れんでぇーーー。」
と、雷が鳴り始めると毎回俺のところに来て、
俺の目を後ろから手でギュッと隠してそんなことを言う。
しかも、なかなか離そうとしない。
(もう雷鳴ってるし...)
はっきり言って面倒ぃ。けど、お年寄りには親切にせなあかんし、
そんなオモロイおじちゃんが俺は大好きやから一緒になって
「うわーーー、こえーーー、このすっぽん!」
とか言ってワイワイ騒ぐ。けど来ないな、おじちゃん、今日は。
またカブで出かけてるんかいな。
どんなに雨が降ろうと、
ここはガラッと窓を全開にしても吹き込んでこない俺の秘密基地。…のつもり。
ここからは一階の赤い屋根も見えるし、その屋根にも降りられる。
窓を開けるとそこは、洗濯や布団が充分に干せる屋根つきのベランダみたいに
なってるから、普段から俺は部屋にいるより結構ここでいろいろやっていた。
この前はスズメを捕まえたくて罠を作った。
そのベランダの一ヶ所に米粒を小さくだけど山盛りに置いて、
その上に大きなざるが斜めに被さるよう短かめの鉛筆を立てて支えにして置いた。
スズメが米粒をつついている間に、鉛筆に結んだ糸をそっと引いて、
それが外れてざるが落ち、ふたの役目をして捕まえる作戦。
よくある罠やけど俺にはこれでスズメを捕まえる自信があったのだった。
でもそれは完全に失敗。
近くで腹ばいになって待ち構えている俺が悪かったのか、
スズメの来る様子は全くなかった。
しまいには糸を持つ手も疲れて、いつの間にか寝ていた俺。
もちろんその作戦はその日で終わった。
その片付けで窓を抜け部屋に戻る時、
弁慶の泣き所を窓のサッシにぶつけて擦り剥くし、
翌日置きっぱなしにしていた米粒の山は何者かに綺麗さっぱり食べられるし。
俺の家には毎年つばめが巣を作るから、時々窓から入って来る。
「捕まえてや!」と頼む俺におかんは
「ツバメは捕まえたらあかん!捕まえたら死ぬで!」と言うけど、
この作戦が失敗した時に思ったことは、スズメも捕まえるもんやないってことだった。
で、相変わらずおじちゃんは来ない今、俺は全身びっしょりになっている。
で、目の前のそれと向き合っていた。
「ごめんよ、窓が開いてるなんて思っていなくて...
こんな雷の日はみんな窓とかしめちゃうからさ...
窓にぶつかるつもりで君に体当たりしちゃったよ...
怒ってる?よね...」
「しゃべっとる...。なんで俺がお前を見えてるのわかるん?」
「だって、僕の存在に気付かない人間には僕は雨の滴としてしか存在しない。
でも、君は...びっしょりだよね。
普通は吹き込んだ雨に濡れる程度なんだ。」
「へぇ...なんか難しいな。っちゅーことは、すごいんか俺...」
「うん。今までに僕のことが見た人間は、えっと...ね...
君を混ぜて3人だよ。あ、1人増えるかも...
話したことないから絶対そうだとはまだ言えないんだ。」
「意外と少なっ。それって、ここ枚方での話やろ?」
「ううん、違うよ。全世界でだよ。この地球上でたったの3人。
そのうちの一人が君さ。」
「そうなん?!すっげぇーー!めっちゃ嬉しいわー。
お互い見えるんなら、友達になろうや」
「うん!」
その日から俺の秘密基地が「俺たち」の秘密基地になった。
言葉の響きがぐっとカッちょ良くなって、あそこで過ごす時間が数倍楽しくなったのを
今でも鮮明に覚えている。俺たちは各自の知識をシェアした。
雨つぶは気候や天体に詳しいからそれを、俺はおもろい漫画や格ゲーを。
宮本武蔵を崇拝する俺やけど、運動はからっきしダメ。
こんな風に強い男になれたら…っちゅー憧れから
今でも格闘ゲームで妄想を膨らませている。
その雨つぶの影響で、俺はあの頃からずっとその分野が好きだった。
今では宇宙、そしてUFOの研究までしてる。
ちょっと飛躍し過ぎたかもしれん。とは言っても、
大学で知り合った気の知れた仲間たちと「UFO部」という部を勝手に作って
活動しているだけだ。
「やりたい時に好きなことを好きなだけ」をモットーにゆるく続けている。
みんなが集まるとUFOと宇宙人ネタは絶えることが無く無限に広がる。
そんな共通の興味を持つ仲間と出逢えてほんまに良かった。
今思えば、あの時俺が教えた漫画やゲームの知識なんか、
あいつにとってなんの役にも立たなかったな。
そんなことを思うと、中途半端に大人になった今の俺の罪悪感の成長に加速がついた。
(くそっ、なんで俺だったんだよ...)
その悔さは、俺が世界で3人に選ばれたことにではなく、
あいつを受け入れることの出来ない今の自分に心底腹が立っていることからだった。
俺は乱暴にチャリを止めて、そのカゴからエプロンとバンダナを取る。
いつもはそのまま「Log」の階段へ向かい、登りながらそれらを着用するところやけど
今日はのんびりやろか。
空から降る小雨が「Log」の看板の光に照らし出されていた。
「ほんまはな、面と向かってお前に伝えたいんよ。
あの時俺に教えてくれたお前の知識。今でもめっちゃ役に立ってるでって。
も少し待っててな。早いとこ、この弱っちぃ気持ちとおさらばして、
友達としてお前のこと探すから。」