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ドルチェ・デ・ドゥージェ! 〜王国軍第十二師団麾下製菓中隊〜  作者: 有沢楓
第1章 思い出は宝石のように(パート・ド・フリュイ)
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 食堂の椅子に座り、俯いて手の中のカップに目を落としていたコンスタンツァは、ちらりとリゼットに視線をやる。

 リゼットはというと、先ほどからひっきりなしにお茶に口を付けており、その度に壁にもたれていたジャンニが横からお茶を注ぐ、という具合だった。その表情は何とも読み取れない。

「……そろそろ、腹壊すぞ」

 ジャンニの言葉に、はっとしたようにリゼットが視線を上げる。

「……何杯飲んだ?」

「これで9杯め」

「……そう」

 気の抜けたような、思いここにあらずと言った声だった。

 コンスタンツァがこんなリゼットを見るのは初めてではない。ただそんな時は大抵体調不良か寝不足か、非常に厄介な問題に取りかかっていた。

(……つまり大分厄介な問題、ということだよね……)

 コンスタンツァは、リゼットを悩ませてしまっていることを改めて申し訳なく思う。

 自分がリゼットにとって満足のいく弟子かはともかく、今までに雑用をしてきた人間が一人抜けるということは、代りを入れるなり今までのレシピを変更するなりしなければならないし、色々な迷惑をかけることになる。

 自身の長い沈黙のせいで不安げに見つめる弟子に気付いたのか、リゼットはようやく口を開いた。

「確かに、前、言ったよね。コニーがここから通って、店を手伝ってくれるんなら、学院に通ってもいいって」

 そうなのだ。

 もしコンスタンツァが学院に行けるのなら行って欲しいと、リゼットは何度か口にしたことがある。

 王立製菓学院は、普通の学校のように週五回授業があり、朝から夕方まで様々な授業が組まれている、らしい。遠方から来る生徒のためには寮があるほどだ。

 だからコンスタンツァが望むなら、ある程度修行を積んだ後で、指導を受けながら手伝いもしながら学院に通うことは認める――カリキュラムの三年を終えたらここでまたパティシエールとして働くのが条件で、と。

 多分これ以上望むべくもないくらい、コンスタンツァにとっては好条件だった、はずだ。

 ……今朝までは。

「済みません……でも、今回のお話……きちんとお給料も出るんです。それに、指導が終わったらそれなりにまとまった金額も」

 ジャンニが肩を竦めた。

「『その上で特待生として授業料全て免除、奨学金も毎月出るからお小遣いには困らないわよ。いい話だと思うけど』、って?」

「はい……もし、そのお金があれば、今までお世話になりっぱなしのお二人にも、いくらかのお金を、毎月入れることができますし……」

「そんなの気にするんだったら、最初から預かってないよ……だから嫌なんだ」

 リゼットは10杯目のお茶を飲み干した。

「済みません」

「……あんたじゃなくて……いや。……ねぇ、一つ聞いておきたいんだけど」

「何でしょうか?」

「王子様と学院長に出したお菓子って、全部が全部、オリジナルのレシピじゃないよね?」

「そうです」

 コンスタンツァが素直が頷くと、リゼットは11杯目を口にしようとして……、何も入っていないことに気付き、顔をしかめた。

「お茶」

「もうやめとけよ」

「何でそんなに平気な顔してるのよ」

 リゼットは珍しく夫に向かって声を荒げた。

「何で、って?」

「この子はまだ子どもなのよ。年相応に。パティシエールとしての腕はごらんの通り? だからってね――」

 これ以上声を上げても意味がないと思ったのだろうか、咳払いをしてもう一度口を開く。だが声は相変わらず強かった。

「軍隊だなんて、学院は何のつもりなんだろうね」

「……うん、それはまぁ……」

 ジャンニも一度口ごもったが、

「今までそういう話なんて、一度も聞いたこともなかったからなぁ、どういうつもりかなんて、分からんさ」

「あの……」

 コンスタンツァは二人に向けて、口を挟む。険悪な雰囲気にならないように。

「私がお菓子にあこがれたきっかけのひとつは、私の出身地みたいな小さな貧乏な田舎の村にも、ジャンニさんみたいな学院生の派遣を、修行として許可してくれたからでしたよね」

「ああ。まだ学院生だった頃、祭りにつきものの屋台をやりにね」

「お菓子なんてあのころは頻繁に食べれなくて、でも、あの時に食べたお菓子、市販のお菓子よりずっとずっと美味しくて、私、感動したんです」

 それは十年前。コンスタンツァがまだ六歳の頃。

 夏祭りに夢みたいな屋台がやって来たのだ。しばらく彼女は、ジャンニを季節はずれのサンタさんだと思いこんでいた。おかげで顔なんてすっかり忘れていたのだけれど……。

 深い紺色の空、まだ暑さの残る空気、瞬く星。

 その星をつみ取ってきたみたいに煌めく沢山のキャンディ、砕いた宝石みたいなゼリー、優しいパステルカラーのメレンゲ。

 びっくりするほど綺麗なお菓子に、心が一瞬で奪われた。少ないお小遣いに、今となってみれば見合わないほど沢山のお菓子を袋に入れてくれて――。

「『魔法のお菓子』みたいに、ジャンニさんみたいに。ここで珍しいお菓子を伝えてくれてるリゼットさんみたいに……あの感動を沢山の人に届けてあげたい」

「コニー……。あのね、勿論、私だって、あんたが学院に行けるなら行った方がいいと考えてる。店だってまた二人でやれる。

 学院長直々のお声掛け、っていうなら、今年から通ったっていいよ。でもね、この話はよく考えなさい」

「お店を空けるの、申し訳ないと思います。それも一年余計に。でも私、そんなパティシエールになりたいんです」

 真剣な瞳で語りかけられ、リゼットもたじろぐ。

 この時、師のようになりたい、今そのチャンスが目の前にある――そのことしか、その時のコンスタンツァには見えていなかった。それ故の純粋さで。

「あんたのベリーニさんへの印象はそんなに良かったの?」

 リゼットは、人差し指を髪にくるくる絡ませて引っ張った。何か言いたいことが言いにくくて口に出せない時の癖だ、とジャンニは横目で見て思う。

 コンスタンツァは目をぱちぱちさせると、

「品の良い老婦人という感じですね。古典的なアイスボックス・クッキーみたいな人ですね」

「……またワケのわからない例えをするね」

「ワケわからなくないですよ。なんていうか、中身や模様は色々でも、形が決まってて味はどっしり、いつまでも変わらない伝統、みたいな」

「どっちかというと冷蔵庫アイスボックスの方だよ」

 煮ても焼いても食えない。と、ジャンニは口元をちょっと呆れたように歪めて、不遜な付け足しをした。

「ジャンニさんはベリーニさんが苦手なんですか」

「そんなことないよ」

 と言いながら、何か昔の苦い経験を思い出したのか、一瞬、苦虫を噛み潰したような表情になる。

「どうかしたんですか?」

「……いや、当時は相当厳しかったんだけど、随分丸くなったと思ってね」

「お年を召されたからかもですね」

 コンスタンツァののんきさに、リゼットはとうとう、言うべきことを言った。

「……あのね、コニー。学院に行くために軍隊に行かなきゃいけないんだよ」

「うう……やっぱりそっちのことですか」

 コンスタンツァは小さく呻いてから、そりゃあ不安ですけど、と続ける。

「大戦争からもう四十年経ってますし、今のところ周辺国も政情安定って一昨日の朝のニュースでも言ってましたし、軍事訓練に参加するワケじゃないですし」

「わかった、もういいよ、あんたの好きにすればいい、止めたって無駄だね」

 はああ、と大きな息を吐いて、リゼットは諦めたように眼を閉じた。

「ありがとうございます、リゼットさん!」

 コンスタンツァが椅子から立ち上げがって身を乗り出すと、リゼットの両手が伸びて、彼女のほっぺたを引っ張った。痛い。

「ひ、ひしょう、はにふるんですかっ」

「うん」

 にやりと笑ったリゼットは、涙目の弟子にやけに満足そうに頷く。

「何があってもできる限り笑顔でいなさい。どんな職人でも農民でもね、母親も父親もだよ、何かを掴んで作って、生きている。

 あんたの手も、あまたの幸福を生み出すことができる、それを忘れないで」

「……はい、忘れません」



 任務を了承してから一週間後、約束の日がやってきた。

 ベリーニが電話で伝えてきたところによると、迎えが来るという。

 開店前の朝早く、勝手口のノッカーがどんどんと音をたてた。

 コンスタンツァは両手で、小柄な彼女にとって一抱え以上もある重い鞄を持ち上げた。

 見送りの二人は微笑んでいた。リゼットが無理をしているように見えたのは、気のせいだろうか。

「行ってきます」

「気を付けてな。変な男にひっかかるんじゃないぞ」

「……あんたがそれを言う」

 呆れたようにリゼットは突っ込んでから、優しい微笑をコンスタンツァに向けた。

「行ってらっしゃい、コニー」

 いつものお使いと同じさりげなさで、二人は別れの言葉を交わした。

 おつかいのように戻ってくることを期待する、魔法をかけたのだ。

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