表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドルチェ・デ・ドゥージェ! 〜王国軍第十二師団麾下製菓中隊〜  作者: 有沢楓
第1章 思い出は宝石のように(パート・ド・フリュイ)
6/18

2-2-3

2-2-3


「コニー、起きて」

 緊張は疲労感を麻痺させる。帰宅後暫く続いていたプレッシャーから徐々に解放されていく。気のゆるみと疲労は眠気を誘い、コンスタンツァはうつぶせのままベッドに沈み込んでいた。

 その肩を揺さぶって彼女をを叩き起こしたのは、リゼットだ。

 固いマットレスの上に手を突いて、何とか上半身を起こす。目をこすりこすり開けると、薄いカーテンの向こうはまだ真っ暗だった。

 時計に目をやる。……10時。雨の音は聞こえない。いくら曇りでも真っ暗な朝の10時はない。

「ふわぁ……リゼットさん、寝坊じゃないですよ……おやすみなさい……すぅ」

 パタリ、と再び倒れ込む肩をリゼットは片手で支え、もう片手で握った封筒を目の前に差し出した。

「ちょっと待って。疲れてるのは分かるけど、これ見てから寝なさい」

「……これ?」

「そう。王立製菓学校からの手紙。さっき、届いたの……馬車でだよ。黒塗りの豪華なね」

「え? コンクールの結果が判るの早すぎじゃないですか……? 確か選評が一週間後とか……」

 ぱちぱちと二、三度瞬きしたコンスタンツァは、それから手紙を受け取って、寝ぼけ眼で宛名を確かめる。

 自分の名と、リゼットの言った通り学院の名称、蝋の封に押された学院の印璽、そしてその下のベリーニという人物の達筆なサインを認めて、そして、

「……ハサミ!」

 眠気が吹っ飛んだ。ベリーニは、製菓学院の学院長を務める女性の菓子職人だ。

 飛び起きて机のペン立てからハサミを抜き出すと、リゼットの灯してくれたランプの明りで、端っこを慎重に切っていく。そのまま封を開けて蝋が砕けたら、この手紙が夢と一緒に消えてしまうような気がした。

 手紙の内容は、簡潔かつ明瞭で、そして、突拍子もないものだった。

「どうして固まってるの? 見てもいい?」

 手紙を手にしたまま硬直するコンスタンツァの肩越しに覗きこんだリゼットの目もまた、見開かれる。

 そこには今日の健闘をねぎらい称える言葉と共に、こう書いてあった。『貴方の料理を是非食べてみたいので、明日いらしてください』。

 ……宮殿に。

「そういえばコニー、あんた今日何をしたの?」

 掃除をして、夕食を用意して、夫妻の帰宅と共に今日の報告を一言。それだけでベッドに直行したコンスタンツァは、彼女に詳しいことは何も話していない。

 彼女は今日の出来事をひとつひとつ、丁寧に説明すると、ようやくベッドの上に腰かけて詰まった息を吐いた。

「……リゼットさん。私……あの、えーと、明日着てく服がないんですが……」

「そんなの貸してあげるから。後でどうせコックシャツに着替えるでしょ?」

「リゼットさんのじゃ胸が余っちゃいますよぅ……」

「これは重症だね」

 リゼットは、見上げるコンスタンツァの口元が引き結ばれ、目尻に涙がたまっているのを見て、ちょっと呆れたような顔をして。それから、ほらほら大丈夫、と背中をトントンと軽く叩いた。

「いいから、ちょっと今日作ったものを教えてごらん」

「……はい。まず、コース仕立てにしたんです――」



「――本日はフランス料理風の軽いコースでお出しします」


 コンクールの翌日、白亜の学院のすぐ近くに建つ、プラリネの城。この城に、小さな宮殿が隣接されている。

 人々が手にする武器を剣と槍から銃器に変え始めた頃、城もまた本来の城塞としての機能を衰えさせていった。そんな中、どこかの王様が寒くて暗い石造りは嫌だといったのかどうか。ともかく小さいながらも快適さを求めて作られた、壮麗な宮殿である。

 城が今でも政治の場であるのに対して、ここは王族の私的な生活の場……もっと言えば別宅・別荘のような扱いをされていた。

 訪れたコンスタンツァは、とある一室に通された。

 高貴な人物の私室なのだろう、踏むだけで落ち着かない柔らかさの絨毯、タッセル付きの分厚いカーテン、複雑な模様の織られた布張りの椅子、腰まで埋もれそうなソファ。中央にこれ以上ないくらい真っ白なテーブルクロスがかけられた円テーブルがあった。テーブルの上にこれまた高価そうな硝子の花瓶があり、さっき摘んできたばかりだろうみずみずしい花弁の薔薇が飾られている。宮殿のどこかに薔薇園でもあるのだろうか。

「はじめまして。コンスタンツァ・オルランディです。本日のシェフ・パティシエを務めさせていただきます」

 我ながらよくつっかえずにいえた、と、テーブルクロスに負けず劣らず白いコックシャツに身を包みながら、コンスタンツァは答える。昨夜、一生懸命に煮洗いした甲斐があった。

「はじめまして、私が学院長のベリーニです。昨日は審査員席にいたから、ろくに話もできなかったわね。今日は楽しみにしているわ」

 その円テーブルについていた一人の人物は、コンクール会場で見たことがある人物――頭の後ろで白金色の髪を巻いた、品の良さそうな老婦人だった。

 年齢は六十近いように見えるが、姿勢もしゃんとして、生き生きとした肌は実年齢よりも若くみせる。

 料理書の著者近影や、昨日で遠目に見たときよりも、オーラといえばいいか、迫力といえばいいのか、不思議な感じを16歳の少女に与える。

 コンスタンツァには、胸の前に抱えた帽子すら頼みに思った。これがなかったら、胸の音が聞こえてしまいそうだった。

「そしてこちらが――」

 しかし、そのベリーニの、上座をてのひらで彼女が示したので、コンスタンツァは思わず息を呑んだ。

「フランチェスコ殿下です」

「はじめまして。どんな料理が出てくるのか、楽しみにしています」

 血のなせる技か、ハニーブロンドの髪をした眉目秀麗と名高いの王子の顔は、ゴシップに興味がない彼女ですら、新聞やテレビで見たことがあった。

 街角のタブロイドの一面を、かつてスキャンダラスな紙面で賑わせたこともある。本人のせいではない、彼が女王の孫――降嫁した王女の子として王宮の外で育ちながらも、女王の養子として迎えられたという経緯によるものだ。

 それだけの素質を女王が見出したからか、或いはそうあろうとしているからか、一般市民の評判は悪くない。

「……光栄です」

 フィオリシェルゴでは、欧州の多くの国がそうであるように、今では王家の専制政治は行われていない。立憲君主制だ。国王の他に首相がいる。が、君主たる国王――今の女王たるソフィア二世は、まだ国民の支持と尊敬を集めていた(コンスタンツァにもし新聞の難しい記事などを読む習慣があれば、共和制への過渡期にあるとも一部で評されていることを知っただろうが)。

 先ほど廊下で案内に聞かされたが、今日、料理を出すことになったのは、この王子の要望だ、という。

 たとえラフで私的な公務であれ、こういった場の食事を担当することは大変光栄なことである――その緊張に身が引き締まる。

 と同時に、違和感を覚えてもいた。

 当たり前のことだが、見習いに過ぎないコンスタンツァは、<インヴォケイション>では主に雑用をはじめとした地味な仕事を担当している。たとえば生地をこねたりジャムを作ったりしても、完成品にしない。ケーキの飾りつけの練習はしても、リゼットたちに食べてもらっても、まだそれを店頭に出したことはない。

 ベリーニや学院の教師たちが審査員で出てくるような、大きなコンクールには、機能を除き出場したことがない。

(昨日のコンクールががきっかけでも、昨日の今日で任されるなんて、不自然じゃないかな? 私がもし暗殺者だったらどうするんだろう?

 第一、王宮にはいくらでも料理人がいるわけだし……)

 中世の魔女狩りでは、魔女が怪しげなのろい・まじないを行うなどと言われていたようだが、本当は彼女たちのほとんどは産婆や薬草に詳しい女性、或いはただ陥れられた者だった、という。

 むしろ毒薬という、暗殺に適した静かな手法を好んだのは権力を好んだ支配者階級ではなかったか。

 毎日の食事に少しずつ混ぜ、病死や自然死と見せかける。結果、本当の毒である恐怖と猜疑心が宮廷に蔓延ったのではなかったか。

 コンスタンツァには大して歴史の知識はないが、過去の菓子のレシピを知り、材料を知るうちに、菓子の材料である植物や動物にも毒があることは分かっていたから――ジャガイモの芽を主婦が切り取るように――不審に思ったのかもしれない。

 自身が信用に足ると思うのか、彼女は案内役の人に訊いてみたが、材料はあちらが用意する上に毒見役はいる、と返答されていた。二人の背後に立っている屈強そうな男性がそうなのだろう。

 その男性は、厨房から戻ったコンスタンツァの手の動きを注視している。

 瞼の裏で思い出す。あの懐かしい一面の黄金の麦畑と、穂の甘い匂い――大丈夫、緊張していない。

 今からは、おいしいおいしいお菓子の時間だ。

「では、始めさせていただきます」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ