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ドルチェ・デ・ドゥージェ! 〜王国軍第十二師団麾下製菓中隊〜  作者: 有沢楓
第1章 思い出は宝石のように(パート・ド・フリュイ)
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2-2-2

 街中を歩いて白亜の塔を囲む、城と見紛う立派な白い石造りの壁に辿り着いたコンスタンツァは、壁際の道に沿って歩いた。王宮に近いということもあって、ちらほら二人一組で歩く衛兵の姿が見える。

 片方が壁なら、もう片方は王宮勤めや出入りの者、学院の生徒目当ての店が多く並んでいた。飯屋、宿屋、雑貨屋、服屋。その中に混じって、粉屋や製菓材料を売る店が見える。

 普段のコンスタンツァは目を惹きつけられ、ついつい寄り道してしまうところだが、今は同じ方向に道行く人に、そして道の先に姿を現した、これも立派な両開きの鋼鉄製の門に注意が向いていた。

 門の両側には、学院の警備兵が立っており、吸い込まれるように入っていく彼女よりも年上の人たちから、チケットを確認していた。

「チケットを見せてください」

「は、は、はいっ」

 上ずる声に、我ながら不審者っぽいな、と思いつつ、チケットをきゅっと摘まんで掲げて見せる。心臓がドキドキ高鳴るのは、不審に思われないか緊張しているせいか、それとも……。

「はい、OKです」

「ありがとうございます」

 コンスタンツァは一礼すると、また足早に中に入って行った。

 始めて見た学院の中は、外から見て想像を膨らませ続けていた少女の期待に背かなかった。

 小規模な大学ほどはあろうか、敷地の中央に白亜の塔を持つちいさな城のような外観の建物。これは、別に少女趣味というわけではなく、少し前まで、実際に城の一部として使われていたからだという。

 取り囲む庭の樹々は、王立というだけあって隅々まで手入れが行き届いている。

 気後れしそうになりながら……しかしそれよりも期待で胸いっぱいになりながら、コンスタンツァは中央の道を通ってこれまた両開きの大きな入り口を通り、玄関ホールへと足を踏み入れた。

(うわぁ……)

 コンスタンツァはふいに立ち止まった。目を丸くして、辺りを見回す。

 そこはまるで、別世界だった。

 勿論、元・城とはいえ、学院である以上ここは勉強の場。余計な装飾が取り払われ、シンプルに機能的に改装されてはいる。

 それでも長年の年月に耐えてきた壁も床石も一目で、故郷の家の基礎や農場の壁なんかとは全く違っているのを実感する。何度踏まれているのだろうか、少しすり減った入り口の床も、ここに出入りしてきた人々のドレスや靴、パティシエたちの姿を想像させた。

「……すごいなぁ……」

 呆けたように呟いたコンスタンツァだったが、横からどん、とぶつかられ、前につんのめった。

「失礼」

 踏みとどまって衝撃のした方を向くと、そこには見知った顔があった。

 コンスタンツァと年齢は殆ど変わらないのに、シンプルな化粧をしてもくっきりとした顔立ちにチョコレートブラウンの巻き髪。

 相手もこちらを見てそれと分かったのか、途端に眉根を寄せて露骨に嫌な顔をする。

「あっ」

「『あっ』、じゃないわよ。邪魔よ、邪魔。いつまでぼーっと立っている気?」

「ごめんなさい」

 一歩退くと、一歩踏み出す。彼女はコンスタンツァの姿を頭からつま先まで見回した。

 コンスタンツァの顔が思わず赤くなる。安物の服屋で買った丈夫が取り柄の、シンプルな白シャツとモスグリーンのズボン。対して彼女は、腰から花のように広がる、ふわっとしたワンピース姿だった。

「モ、モニカ……さん」

「ふうん……ジャンニさんは来なくていいの? 卒業してからだって毎日が勉強でしょうに。それとも、あなたなんかに勉強させるほど買いかぶっているってことは、コンテストが見れないほど目が悪くなったのかしら?」

 こちらが失敗モンブランだか地味なブリオッシュなら、あちらはケーキのオペラ。チョコレートのように上品そうで、コーヒーのように苦くて、バタークリームのように、しつこい。

「……私のことはいいですけど、ジャンニさんを馬鹿にしたりしないでください」

「馬鹿にしてないわよ。でもあのリゼットさんがどうしてあんな適当な男性と結婚して、あんたなんか弟子に取ったのか不思議だわ、ってね」

 彼女は、店の近所の、大きな菓子店の跡継ぎ娘だった。何かあるたびに店に買いに来ていたから、顔見知りでもある。今年の春に学院に入学してからは忙しいのか間が空いていたが。

 元々モニカはフランス菓子に憧れて、フランスからやって来たリゼットに弟子入りしようと押しかけたことがあったが、フィオリシェルゴ伝統の菓子をウリにしている親の反対に合って、叶わずじまいだったと聞いている。

 リゼットも余所からやって来たわけで、わざわざこの国の菓子店と不要な対立をしてまで、願いを聞き入れようとはしなかった。余所の店で修業を積むよりも、学院に通った方がいいと諭したという。

(それも、無駄だったわけだけど)

 コンスタンツァは顔をしかめそうになったが、無視して奥へ進もうとする。

「失礼します」

 目的はモニカとおしゃべりすることじゃなくて、コンテストの見学だ。

 年に一度行われる学院のコンテストは、学院の学園祭が華やかさや遊びのある菓子を披露する場だとしたら、真面目な最終学年をはじめとした生徒たちの発表会でもある。

 審査員長を務めるのは学院長をはじめとした教師陣、来賓に王族までやってくる。

 王立であるが故に、製菓業界に興味のある人間は勿論、この国の菓子の未来を担う人材をスカウトしにくる業者や、チケットを知り合いから手に入れたコンスタンツァのような見習い、少数ではあるが菓子に興味のある人間までが集まってくるのだ。

(モニカとおしゃべりしてて、始まっちゃったら勿体ないもんね。双眼鏡は持って来たけど、できることなら前の席で見たいし)

「そうだわ……待ちなさい」

 行こうと足を上げたコンスタンツァの前に、モニカはずいっと立ち塞がった。

「何か用ですか?」

「今日はあなた、どうせ見学しに来ただけなんでしょう?」

「そうですけど。モニカさんはコンテストに出品するんですか?」

 感情を抑えたごくごく事務的な口調で言ったら、普段なら気に入らずに突っかかってきそうなものだった。が、モニカは彼女にちょっと微笑んで見せた。

「そう警戒しないでよ。ねぇ――もしコンテストに出場できることになったら、出たい? 出たいわよね?」

「……からかってるんですか?」

 コンスタンツァは、今度は本当に眉根を寄せた。老舗で「一応ライバル」店、「一応お客さん」に対する態度ではないことは分かっているが……少し怒りを覚えると同時に、妙だとも感じた。

 モニカは確かにしつこくて嫌味な言い方をするが、変なハッタリでひっかけたり、嘘をついてからかうような少女ではない。その辺、やっぱりお嬢さんだ。

「何でそんなことでからかわなきゃいけないのよ」

 案の定、モニカはむっつりとした顔で否定した。

 ますますコンスタンツァは眉を寄せる。言っている意味が分からない。

「……出場できるんですか? どうやってです? モニカさんの代わりにとかじゃなさそうですし……」

「当たり前じゃない。もう、相変わらずなんだから。こっち、来て」

 手招きするモニカに、コンスタンツァは渋々着いて行った。流石に学生だけあって廊下を歩く姿に迷いがない。それが少し悔しくて、羨ましくもあった。

 二度ほど角を曲がって、分厚い扉の前に辿り着くと、彼女はキョロキョロ周囲を見回すと、コンコンコン、と三度、扉をノックした。

「ねぇ、私よ。入るわよ」

(……何か聞こえた?)

 扉の中からごにょごにょとした声が聞こえたか――と思った時、答えを待つつもりはなかったのか、モニカが薄く扉を開くと、コンスタンツァの背中を押し込んだ。

「わっ!?」

「いいから入って」

 また断るのが遅い、と思いつつ言われたまま入ると、モニカが後から入ってきて、背中でバタン、と扉を閉める。

「あのー、私がこんなところに入ったら不味いんじゃ――」

 言いかけて、コンスタンツァは口を閉じた。口を閉じて、それから、ぽかんと口を開けた。

「……ぐ、ぐすっ……」

 ――目の前に、美少女がいた。

(か、可愛い……)

 黒く長い睫毛はしっとりと濡れ、浮かんだ涙の珠は庭の葉に朝露がおりたよう。乱れた長い黒髪は艶やかで、白い肌に紅潮した頬に涙の筋があった。すすり泣く声すら小鳥のさえずりのようだった。

 それもお高くとまった近づきにくい美ではなく、強いて言うなら野に咲く菫や森のベリーのような身近さでもって心に迫ってくる。

 正常な性的嗜好のコンスタンツァでさえ、彼女が泣いているということも忘れて、つい見惚れてしまう。

 まるでパンナコッタみたいな白くて弾力のありそうな肌だ、などと思ったのは彼女らしかったか。

「あの、モニカさん、見付かったんですか? あれがないと……ぐすっ」

 泣きじゃくる美少女は既に白いコックシャツに着替えていたが、その手には真ん中の頁がビリビリに破り取られた、手製らしい本があった。

「駄目、見つからなかったわ。――コンスタンツァ、この子、私と同じクラスなの。見ての通りの容姿でね」

 見惚れているコンスタンツァの意識を引きもどしたのは、モニカのきびきびした声だった。

 二人を見比べるコンスタンツァに、真剣な視線を向ける。そこには馬鹿にしたような雰囲気はない。

「作品は悪くないんだけど、よく妬まれるのよ。今日も手書きのレシピを破られて……今までも、捨てられるまでは行かなかったんだけど、もし終了後、いえ、調理開始直後まででも、相手が持ってたら同じことよね。

 でね、コンテストの条件。最終学年は発表の意味合いが強いから駄目だけど、下級生の合同出品は認められている。……いくらあなたでもこの意味が解るわよね?」

「……このままじゃ、コン……テストで……恥をかくだけです……っ。皆の前で何も作れなかったら、もう……」

 ぐずぐずと、目の前で彼女はとめどなくあふれる涙を拭いていた。

 そう、お歴々の前で悪印象を残しでもしたら、将来の就職や独立に悪影響があるかもしれない――それは容易に想像が付く。それに、学院に通ってまでおきながらこんな卑怯なことをするなんて……。

 コンスタンツァの見返す視線も、真剣なものになっていた。

「部外者の手伝いは……」

「プロじゃなければ一応可能ってことになってるわ。あなたまだ見習いでしょ?」

 こくん、とコンスタンツァはひとつ頷く。

「分かりました。今日はお手伝いします。ところで、お名前は……?」

「ああ、この子の名前はね、フィオ――」

 モニカが名前を言いかけた時、語尾にガラーン、ゴローンと鐘の音が重なって響き渡った。

 それは、コンテスト会場への、入場の合図だった。



 調理台の並べられたコンテスト会場に、コンスタンツァは美少女の隣に並んで入場した。

 白いコックシャツにズボン、帽子、そして普通のネクタイに斜めにはさみを入れたような形の、青字に金の縞模様が入ったコックタイ。モニカのスペアの服は少し大きかった。それでも、この白い服に袖を通すと、気が引き締まる。

 指定の調理台の前に立ち、並べられた材料に目を通していく。

「材料は先ほど確認したので全てですね」

「は、はいっ。よろしくお願いします」

 目元を赤く腫らしながらも、無事に泣き止んだ美少女は小さく頷いた。

「大丈夫ですか?」

「頭の中がぐちゃぐちゃですけど……お手伝いくらいなら……。……頑張ります」

 自信なさげな大人しい美少女。確かに全方向にライバル心を持ってトップに上がろう、とする学生に目を付けられそうな感じがする。しかし少なくとも苛められていい理由(そんなものがあるとするなら、だが)なんてない。

 ……自分がもし王都に生まれたら、金銭的な余裕があったら。そうしたら今よりもっと簡単に、誰にも迷惑をかけずに学院に通うことだってできたんじゃないか――そんな考えは、コンスタンツァだって過去に何度も頭をよぎったことがある。

 それはモニカとの生まれが違うのは、自分自身でどうにかなる問題ではない、どうしようもないことだった。

 でも、これは、どうにかなる。苛めた相手を見返すチャンス。自分自身にとっては、審査員に食べてもらうチャンスでもある。

 モニカはモニカで、遠くの調理台の前でこちらに視線を送っていたが、軽く手をあげて見せると彼女自身も、ピカピカに磨かれた作業台に視線を落として集中し始めた。

 みんな真剣なんだから、こんなことあっちゃいけない――そんな気負いを、コンスタンツァも目を閉じて追い出す。

 リゼットやジャンニから教えてもらったことを一つ一つ、思い出していく。

(……ううん、私が誰でも、相手が誰でも、動機も関係ない)

 胸いっぱいに、新鮮な空気を吸い込む。

(ここがどこでも、私の皿を食べてくれる。それ以上は望まない)

 息を吐き出し、襟を整え、目を開け、頷く。

「……よし」

 相手が誰であろうと自分のベストを尽くして、美味しい菓子を作るだけだ。時計を確認し、時間配分を頭でシミュレートする。

 審査員を務める教師の「始め」の合図とともに、二人はその手を動かし始めた。


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