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ドルチェ・デ・ドゥージェ! 〜王国軍第十二師団麾下製菓中隊〜  作者: 有沢楓
第1章 思い出は宝石のように(パート・ド・フリュイ)
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 コンスタンツァはバタバタと二階に駆け上がり、手早く身支度を整えて靴を履く。久しぶりに見た空っぽのガラスのショーケースの脇を通り抜け、グリーンに塗られた扉を開けた。

 カランカランカラン、と取り付けられたベルが勢い良く鳴り、続いてバタン、と扉が閉まる。

 勢いで、扉の中央に貼られた白い紙がひらひらとはためいた。

 紙には『本日は臨時休業いたします』とでかでかと書かれており、その脇には店名が書かれていた――パスティッチェリア<インヴォケイション>。

 シンプルな木造風のこの店が、コンスタンツァの今の我が家だ。

 洒落た菓子店の立ち並ぶこの王都にあっては地味な店だったが、自然に恵まれ過ぎた片田舎出身のコンスタンツァにとっては、とても居心地が良かった。

 王都の名はカステルフューム、国の名はフィオリシェルゴ。

 ヨーロッパ大陸の、一言で言えば弱小国。豊かな自然や、中世の建造物が必要に迫られて現役であることを目玉にした観光業ぐらいしか取り柄がない。あまりに平和すぎるから、菓子職人選手権だの、今年一番美味しかったケーキ投票で盛り上がれる……いや、これは言い訳か。とにかく食事、それも菓子に目がない人々は盛り上がるのだった。

 菓子店が立ち並ぶ通りでは、あちこちにポスターが張られ、旗が立ち、長いペナントやガーランドがたなびく。

 小走りに抜ける通りの風を、大通りから運ばれてきた紙ふぶきがちらちらと色を付けている。

 道端から聞こえてくる会話も、昨日のコンテストの結果や、パティシエたちのお菓子の批評や、審査員への批判や、賞賛や、単に食べたいといった声や――そういったもので占められていた。

 コンスタンツァはそんな通りから外れて、路地を幾つも抜ける。

 目的地であるお茶屋さんの多い<琥珀通り>に入ると、喧騒は遠くなった。

 彼女は「お使い」先であるお茶屋に入ると、籠に入っていたメモ帳通りに、パン用と自宅用の茶葉を仕入れると、外に飛び出した。

 籠の蓋を手で押さえ、息を切らして石畳を駆けていく。

 籠の持ち手に巻いたリボンが揺れて、リボンに結ばれたタグがひらひらと翻弄される。

 タグには、「王立製菓学院発表会:関係者席」と印字されていた。

 ――昨日のプロのパティシエによるコンテストに続き、今日は王立の製菓学院にて、学生のコンテストが行われる。

「……えっと、この角を曲がって……わっ、済みません!」

 <琥珀通り>から大通りに入ろうとして、コンスタンツァは通行人にぶつかりかけ、慌てて謝る。

 王都に「お上りさん」して、ここに住み込みで働かせて貰えることになって一年経つけれど、まだ大通りの人混みには慣れていない。店に住み込んですぐの頃は、人参を買いに行って迷い、店に帰り付く頃にはすっかり夕食の時間を過ぎていた、なんてこともあった。

 でも、たった一つだけ、王都の中心――あの城だけはどこにいても見える。

 中心の丘にそびえ立って周囲を睥睨している、ナッツのペースト(プラリネ)色の煉瓦作りの城。中世の騎士物語からそのまま抜け出してきたようだ。

 そこからつと目を逸らすと、城の向こう側に、小さく白亜の塔が見えた。こちらはまるで子どもに聞かせるおとぎ話から抜け出してきたようだった。王子様とお姫様が愛を語らうには、こちらの方が相応しく思える。ここからでは建物に埋もれて見えないが、塔の下には幾つか白亜の建物を供えた、夢のような世界があるはずだった。

「国中のパティシエ憧憬の的、我らが王国の誇り、フィオリシェルゴ王立製菓学院」

 それが、ジャンニの出身校。

 我が国の名高い料理書は学院が編集したものだし、家庭向けの本を開けば出てくるような有名な監修者の多くも学院出身。

 当然のように、学院の現役教師はそれぞれ高い業績を残している職人ばかりである。

 生徒もまた、厳しい入学試験を潜り抜けてやっと入学したと思うと、菓子漬けの毎日を過ごし、卒業証明書ディプロマを得るために頑張るのだ。

 この学院の卒業証明書は、貼っておくだけで来客数が二倍にも三倍にもなるという、店にとって霊験あらたかな代物だ。

(まぁ、ジャンニさんはあんまり気にしてないみたいだけど……あれでリゼットさんにメロメロだもんなぁ)

 メインのパティシエであるシェフ・パティシエが何故かリゼットということもあって、最初に転がり込んだ時、あの店に飾ってあったのは、リゼットの出たフランスの製菓学校の証明書。だからジャンニがあそこの卒業生だということにコンスタンツァが気付いたのは、見習いとして店に入って三か月も経ってからだった。

 それを知った時、コンスタンツァは何で掲げないのか、と聞いたものだった。

(そうしたら、言ったんだっけ。営業許可書があれば問題ない、って。本当に味を判断するのは学院じゃなくてお客さんだって。

 でも、私は……)

 一人前の菓子職人では、ない。

 ――元々、コンスタンツァは、世界中のどこにでもいる子供と同じように、お菓子が好きだった。いや、フィオリシェルゴの子どもだったから、平均的には、もうちょっと親しんでいたと言えるかもしれない。ただしそれは耳年増的なものだ。

 実家はパン屋で、ひどく貧乏でもない代わりに、決して余裕のある生活ではなかった。

 年に何度かあるお祭りの日には大きな街からやってくる移動式のメリーゴーラウンドを眺めながら、売れ残りの菓子パンやケーキが出ることを願っていた。

 お小遣いを握って、お菓子の屋台の前を何度も往復した。

 ……その中に、当時製菓学院の学生だったジャンニもいた……らしい。らしいというのは、コンスタンツァはお菓子に集中していて、覚えていなかったからだ。

 元々「いいかげん」なところのあるジャンニは――フィールドワークと言えば聞こえはいいが、要するに座学と実習がイヤになって――小さな村の祭りを回っては屋台を出して正直な子供たち相手に格安でお菓子を売ったり、その代りに、村に伝わる伝統のお菓子を教えてもらったり、といったことをしていたらしい。

 出会った時、ジャンニに出身の村の名前を言ったら、心当たりがあったそうだ。彼らがこの店に引き取ってくれたのは、そういう経緯もある。

(……まだ、ただの見習いだから。これからもっともっと、勉強しなきゃ。そして、あの人みたいな立派なパティシエールになるんだ)

 そのためのステップが、王立の学院の入学だった。

 それだけじゃない。あの魔法のお菓子のことを書いた本が図書館にあるかもしれないし、あの人を知っている人がいるかもしれない。王都に来てから手にする給料で、あちこちの菓子店を食べ歩いたけど、あのお菓子くらい美味しいものはそうそうなかった。

 勿論、もっと子どもだったころのことだ。記憶が美化しているっていうことは十分、ありうる。

 ただ、それでも、彼女には確信めいたものがあった。あの人はただのパティシエールではない、という。

 そんな人だったら、学院の卒業生か、関係者ということは十分あるんじゃないか――自分を拾ってくれた<インヴォケイション>に心から感謝しながらも、コンスタンツァはそんな気がしてならなかった。

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