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コンスタンツァは水飛沫をあげる手元を、ぼんやり見つめていた。
せわしなく動くてのひらと水の間から、鮮やかで艶やかな赤――りんごの皮が見えていた。同じりんごの、同じ場所が、いつまでも。
「コニーさん」
(どうしたらいいんだろう?)
……歓迎されざる者。
コンスタンツァの出身も田舎の農村だから、村で殆どが完結してしまう、外から見て閉鎖的である、というのは少し解る。村の内か外かで対応を変える、というのも、解る。
(だけど、もっと大きな街で、同じ国で、こんなに違うなんて……)
決して豊かではない村の暮らしだった。天候に左右されもする。珍しいお菓子も、流行の服も、大きな病院もない。
それでも飢え死にする人はなく、食べ物も、服も、壊れた椅子も、困っている人がいたら誰かが助けて、助け合っていた。祭りはもう何か月も前から準備して、膝の悪いおじいさんからよちよち歩きの赤ちゃんまで総出で、広場に出し物を見に行ったものだった。
(知ったからには、放っておけない。でも……)
「コニーさん、コニーさん」
「……うーん、私に何ができる……うん、呼んだ?」
はっと気が付いて横を見ると、フィオリーノの心配そうな目がコンスタンツァとりんごを行き来していた。
「洗い過ぎじゃない?」
「えっ? ……えっ……あっ……」
デザートになるりんごは洗われすぎて、ピカピカになっていた。
慌てて流水から手を引いて、蛇口を閉める。洗い過ぎの果物は美味しくないし栄養が逃げるし、その上、手にも悪い。
コンスタンツァが失敗に眉根を寄せてから、同じように寄せた肩を落とすと、フィオリーノは探るように首を傾け、
「ぼんやりしてどうしたの? その、そういう時もあるのは分かるけど、あれから三日ずっとだよ。怖いめに遭ったんだから当然かもしれないし……、男の僕には言いにくいかもしれないけど、何かあったなら話してくれると嬉しいな。力になれるかもしれない。ほら、部下なんだし」
「ううん、そんなんじゃないの」
彼女は慌てて首を振る。
実際のところ、良いのか悪いのか、コンスタンツァはフィオリーノのことを男性として殆ど意識していなかった。
見た目が美少女だからという理由がその殆どだったが、あれこれと細やかに気が付いて誰にでも優しい言葉をかけるものだから、ひどく人畜無害な印象を誰にでも与えるのだ。おまけにコンスタンツァにとっては最初の出会いが彼の泣き顔だったのだから。
りんごを脇に置くと、ボウルの水にさらしたじゃがいもの水切りをしながら、周囲に目を配る。
周囲に並んだ幾つもの作業台では、5人ずつのグループに分かれた「生徒」……中隊の軍人たちが、揃ってじゃがいもを剥いたり、切ったり、水にさらしたりすることに集中していた。
コンスタンツァは声を潜めると、フィオリーノに先日の夜あった一部始終を話した。
「……それって、中隊長さんには話したの?」
フィオリーノの答える声も低くなっている。
「ううん。もし話したら……捕まっちゃうのかなって思って」
軍隊の規則など良く知らないけれど、良くないことなのには気付いていたし、自分の勝手な、セバスティアンの言う「ジジョー」の考慮ってやつだろう、とも思っていた。
「厳しそうだもんね、あの中隊長さん」
「もし捕まったら、小さな子たちが食べていけないんじゃないかって思ったし……それに多分、もう来ないと思う。
けど。もし軍隊に来なくたって、同じようにどこかで盗みをしたら、捕まっちゃうわけで……そうならないとは言えないし」
「そっか。良かった」
溜息を吐き出すようなコンスタンツァの声に、フィオリーノの顔が優しくゆるんだ。
「何で?」
「コニーさんが怖い目に遭ったんじゃなくて。それに。知って悩むっていうことは悪いことじゃないと思うよ。知らなかったら悩まなかったけど、それって問題がないってことじゃないもんね」
泣き虫だと思っていたフィオリーノの意外な一言に、コンスタンツァは目をしばたたかせる。
「すごく……前向きなのね」
「ここに来るときに、できるだけ前向きになろうって思って、今はちょっと意識してみただけだよ」
彼は苦笑した。
製菓指導とはいえ、フィオリーノのような少年が軍に籍を置いたことに違和感を覚えて、コンスタンツァは訊いてみる。
「そういえば、フィオは王都に家も学院もあるのに、どうしてここに来ることにしたの? 王子様や学院長に呼ばれたらそりゃあ断りにくいと思うけど」
「うん。僕もそれが一番の理由だよ」
だけど、と続ける。
「環境を変えてみたかったから……もあるかな。情けないけど、今までもあのコンテストのときみたいな嫌がらせとか、色々あって。違う場所で自分を試してみたかったんだ。
それに王都から出たこともなかったし、多分これからずっと出ることもないなって思ったから、他の場所も見ておきたいなって思ったんだ。お菓子もね。
ただ、僕たちよそ者が、お菓子食べたいとか言ってる場合じゃなさそうだねー」
コンスタンツァは納得の意を示すために頷くと、
「……なんか変だよね。アルベルトさん言ってたよね、『とにかく、我々をマズい食事から解放し、腹いっぱい健康な食事で最善を尽くせるようにすること、それが君たちの任務だ』――なんて。ここにはこんなに食材があるのに」
どの作業台の上にも、クリーム色したじゃがいもの山がボウルに次々に盛られていく。
「あはは、じゃがいもだけだけどね」
コンスタンツァの傍らにはレシピを書きつけたノートがある。そのページの一番上には、でかでかと「じゃがいも(パタータ)」と囲み付きで書かれていた。
これはフィオリーノと一緒に考えたレシピであると同時に、報告書の下書きでもあった。
王子から、一応これは軍の仕事なので、と、仕事の報告書を書くように命じられていたが、内容や書式は任せるということで、だったら日々のメニューを載せるのがいいだろうと話し合って決めたのだった。
朗らかに笑うフィオリーノに、コンスタンツァはむきになって反応する。
「――だって、仕方ないじゃない。フィオも賛成してくれたでしょう」
……結局のところ、この中隊の三十人には「まともな」食事を作れる人間が殆どいなかった。
国民のお菓子・料理好きが周辺諸国と比して多いと言われるフィオリシェルゴでは考えにくい程であって――いや、軍人だから特別なのかもしれないが――わざと下手な人間を集めたようにすら思えた。
まぁ、プロと言えないような人間に指導させるんだから、苦手な人ばかりでもおかしくない。コンスタンツァが以前言ったように、お料理教室だと思えば、といったところだ。
それはいいが、それ故に美味しくもない毎日の食事に耐えられなかったのは二人だけでなく、彼女たちより先にこの食事を食べさせられていた(勿論作ったのは自分たち自身だが)軍人たちも同じだった。あの食事でよく我慢できるなと思ったが、単に我慢していたわけではなかったらしい。味にこだわらない軍人は我慢自体する必要がないし、美食を求める一部の軍人は、別の場所で食事をとったり購入したりしていたわけだ。
コンスタンツァが始めたのは、だからお菓子からではなく、三度の食事の改善からだった。中隊長のクラウディアもアルベルトも、賛成してくれた。もし全員が味た見た目なんてどうでもいいと言ったら苦労させられるな、と思っていた二人にとってこれは喜ぶべきことだった。
お菓子はまずはこの食事に付属する小さなデザートと、三時のお茶、と決めた。
「とにかく食事の立て直し、それにはとにかくシンプルな材料で、シンプルなレシピで、腐ったりしないよう長期保存できたらなおいいもの。この一つの材料を幾つもの料理にするっていう料理の面白さを知ってほしいなぁ……」
――ということで、中隊の主食兼お料理教室のレッスンその1は、じゃがいもになったのだった。
初日はじゃがいもの皮の剥き方、アクの抜き方からはじめて、ゆでたじゃがいもと、それを潰したマッシュポテトを作った。これに各自、塩を加えたもの、牛乳とバターを入れたもの、パセリを入れたもの、レモンをかけたものなどなどお好みで。
二日目は細い千切りにしたじゃがいもに小麦粉と塩コショウを少し加えて、焼いて、パンケーキに。
三日目の今日はすりおろしたじゃがいもに小麦粉と卵なども入れてパンケーキに。
少しずつ小麦粉の量や中に入れる材料を増やしていって、明日はじゃがいもでパンを作る予定だ。
今のところ「生徒」たちは真面目にやっている。
「できるまでパンもパスタもなし、一日三食じゃがいもだけです!」
初日なんか和気あいあいと、お喋りしながらというよりお喋り主体で料理なんか適当にやっていたのだが、こう宣言したのが効いたらしい。
流石に主食だけでは栄養が足りないので、他の主菜・副菜とデザートは簡単なものを二人が中心になって作り、少し料理のできる人間が手伝い……故に、デザートまでうまく手が回らず、今のところしばらくは、切っただけのりんごがデザートになる予定だった。
「明日はじゃがいもパンだから、中にチーズやベーコンを切って入れられると思うんだけど。
野菜の扱いが分かったら、明後日からは主菜はスパゲッティーニなんかのパスタにして、野菜も人参と玉ねぎを追加して……これで大分レパートリーが広がると思う」
コンスタンツァは倉庫に眠っている食材に思いを馳せて、それからまた肩を落とした。
「……でもこう、作って食べると言っても、自分たちには十分過ぎる量だし、街には困っている人もいるし……」
「確かにね、食事って人に食べて貰うから嬉しいんだよね」
作業台の向こう、時々笑い合いながら、変な形に剥けたじゃがいもの皮をピラピラさせているおじさんたちの笑顔。あいつが作ったのが良かった悪かった、なんて言い合っている姿を見ると、もっと食べて貰う喜びがあるんだよ、と言いたくなってくる。
「食べて貰う……」
コンスタンツァはフィオリーノの言葉をぼんやり繰り返したかと思うと、ぱっと顔を輝かせた。
「そう、それがいいかも!」
「えっ?」
「町の人に近づく方法、考えてたの。幸い食材はまだいっぱいあるし、街の人に食べて貰ったら、お互いにとって得なんじゃないかな?
お腹空いた人は食べれるし、話も聞けるから軍隊だからって怖がられないかもしれないし……こっちも、自分の分のじゃがいも2、3個剥いただけじゃ練習にならないもんね」
コンスタンツァは張り切って手を動かして、次々にじゃがいもの巨大な山を作り上げると、おかずになるベーコンの山に取り掛かった。




