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ドルチェ・デ・ドゥージェ! 〜王国軍第十二師団麾下製菓中隊〜  作者: 有沢楓花
第1章 思い出は宝石のように(パート・ド・フリュイ)
16/18

5-3

「ここは……」

 心臓はいつの間にか早鐘を打っていた。

 暗闇での泥棒との出会い、追いかけっこ。走り続けていたから。

 理由は幾らでも後付けできそうで、間違いではなかったが、それでもコンスタンツァはそれが理由ではないことを頭のどこかで分かっていた。

 古くて傷の沢山付いた扉の前で暫く息を整えて立ち尽くしていると、扉が開いて暖かなオレンジ色の光が細く、路地に差し込んだ。

「そんな場所にいられるといい迷惑なんだけど!?」

 少女の声がして、今度は勝ち気な瞳と目が合った。ツンツンしたはっきりした睫毛が、吊り目に似合っている。

 あの少年が犬ならこっちは猫だ、とコンスタンツァはぼんやり思った。

「何やってるのよ、早く入ってってば!」

「……あ、はい……」

 ぼんやりしたまま足を踏み出そうとすると、少女はコンスタンツァの腕を引っ掴んで中に引っ張り、素早く扉を閉めて、閂をかけた。

「……全く、何なのこの子!? こんな時間に追いかけて来るとか正気じゃないわ」

 語気は強いが、声は小さかった。それを疑問にして口に出すと、少女は心底呆れたようだった。

「どうしたんですか?」

「どうしたんですか? はこっちの台詞よ。何でバズを追ってくる訳? あと、もうちょっと小さな声で話しなさいよね。寝てる子がいるんだから」

 迷惑そうに眉をひそめると、少女は視線で粗末な木のベンチと石の祭壇の向こうを示した。

 天井から下がる鉄製だろうか、輪になった燭台の上に火のついた蝋燭が幾つも刺さってぼんやりと教会内を照らしている。その揺らぐ灯りの中に、奥へ続く扉がちらちらと見え隠れする。成程、奥に小さい子どもたちがいるのだろう。

 コンスタンツァは頷いて少女を眺めた。年齢は自分と変わらないくらいだろうか、だが見事な赤毛を大人のようにアップにして、派手な化粧に短いスカート、すり切れたハイヒールを履いていた。とても上品とは言い難い。

 彼女はコンスタンツァの視線に不快そうに鼻を鳴らすと、

「……別にいかがわしい商売してるんじゃないわよ。ちょっと軍人さんをからかうには丁度いいだけよ」

 そんなことより、と、彼女は再び奥に目をやった。

 静かに開いたドアから、先程の子犬の少年と、こちらは上品そうな……40代だろうか、一人の女性が静かに歩み寄って来た。黒い布で頭髪と体をすっぽりと覆ったその様は、まさに修道女スオーラの姿だった。

 彼女は突っ立ったままのコンスタンツァに、ベンチに座るように声を掛けると、カップを差し出した。

「どうぞ、外は寒かったでしょう?」

「済みません」

 手に取ると、それは暖かなコーヒーだった。一口すすると、それは見た目ほど苦くなかった。オルゾだ。ノンカフェインの、大麦を炒った飲料で、イタリアで人気だがここフィオリシェルゴでもよく飲まれている。

 フン、と猫の目をした少女が鼻を鳴らした。

「やめなさい、レベッカ。元はと言えばバズが盗みなんて働くからでしょう。あなたもどうして止めなかったの?」

「だって教母様……!」

 猫の目の少女はレベッカというらしい。彼女は口を開いて抗議しかけたが、少年――こちらはバズというのか、彼が自分が悪かったんですと頭を下げる。

「いいえバズ、私は誰が悪い、という話はしていませんよ。彼女がここに来てしまう前にきちんと止めなかったことを言っているのです。

 盗みは勿論悪いことですが、それはあなたたちにまで苦労をかけてしまっているから……教えをきちんと伝えられなかった私自身にも責任があります」

 教母様と呼ばれた女性は、穏やかな、しかしきっぱりとした口調だった。これに少年は申し訳なさそうにしながらも、口を開く。

「教母様の仰ることは分かります。でも……」

「初めてではないのね?」

「弟や妹たちを飢えさせるわけにはいきません。俺が新聞配達するだけじゃ無理です。仕事は見付からないし、他の奴らみたいに、あいつの所に行くしか……」

「バズ、それはやめなさい、と言ったでしょう?」

 彼女は念押しするように少年に言うと、コンスタンツァの方を向いて、優しく微笑みかけた。

「ごめんなさいね、あなたのような女の子が追いかけて来るなんて、バズも思っていなかったのでしょう。どうして軍の敷地に?」

「私、今日、来たばかりなんです」

 コンスタンツァは自分が製菓指導に招かれたこと、今朝来たばかりだったことを話した。

「まあ、それはいらした早々大変な目に遭いましたね。じゃあ、この街のことだって良く分からないでしょうし……泊めてあげられたらいいのだけれど……バズ、後で送ってあげて。それからきちんと盗んだものは返しなさい」

「はい。……それ飲んだらさっさと行くぞ」

 コンスタンツァは慌ててコップを飲み干そうとして。ふと、思いついたように動きを止めた。

「あの……この街はこれからりんごの収穫ですよね。……仕事が見付からないって、どういう……?」

「そのままの意味だよ」

 憮然として答えたのは少年だった。

「数年前から、この街にやって来た共和国出のグルムバッハって商人が、りんご畑や土地を買い取って、全部りんご畑にしたんだよ。教母様によると、そのせいで土地が痩せてってろくに他のものが採れなくなったって。

 それにりんごの加工品の酒なんかの工場も作って、色々手を広げて……街の人間は大体グルムバッハのところに勤めてる。隣国のがめつい商人が良くしてくれるわけじゃないから、安月給でこき使われてるけど、他の働き口はどんどんなくなってるんだよ」

「領主様はどうなさってるんですか?」

「領主様は猫のお世話で忙しいのよ」

 教母は答えたが、その顔はどこか悲しそうに見えた。

「猫、って……そんな一匹や二匹でしょう?」

「そうね、噂によると2、30匹は飼っていらっしゃるとか。あまり街には目をかけていただけなくて……」

「――さぁ、無駄話はここまでにして、行くぞ」

 少年に促され、コンスタンツァは慌ててカップを置くと、お茶のお礼をして、立ち上がった。

 教会を出ると外の闇は一層深まり、風は冷たくニットの隙間を縫って身体の中に入り込んできそうだった。

「……あんたさ」

 少年は、今度は街灯の並ぶ明るい道に出ると、ぶっきらぼうに話しかけてきた。

「盗みは本当にいけないって思うか? これ、返したってことにしてくれないかな?」

「……捕まえられなかったし、知らなかったって……言えば……できなくは……」

 それが嫌な言葉だと、コンスタンツァは知っていたが、言わざるを得なかった。

 少年は立ち止まると、くるりと振り返った。案の定不機嫌な顔をしている。黒髪をごしごしてのひらでこすると、

「あんた……自分の言ってること、解ってるんじゃねぇの? ジジョーってので判断が変わるようじゃこれから軍隊なんかでやってけないぜ。

 俺が嘘ついてたらどうする? 道端のおっさんが死にかけてたら無視するけど、そいつに小さい娘がいたら施す?」

「それは……」

 子犬のようだと思っていた眼は風よりも冷たい光を帯びてコンスタンツァを見ていた。

「……菓子作るっていうけど、この街じゃ菓子どころかパン食べるのでも精一杯な奴らがいっぱいいるんだよ。俺は時々こうやってちょっと借りてくる。

 それを、あんたの作った菓子……いや、パンでもいいけど、それを食べた奴らが捕まえる。場合によっちゃ銃殺だな。

 菓子作るだけって思ってるかもしれないけどさ、誰かを殺すような奴らに栄養与えてるんだってのは、忘れんなよ」

 コンスタンツァは何も言い返せなかった。

 あまり考えたことがなかった――いや、考えようとしなかったからだ。それを町の住民に、同じような年頃の少年に指摘されるなんてことは、もっと。

 硬い表情で立っている彼女に気付いて、少年はきまり悪そうに笑った。

「悪い……安心しろよ、別に王国軍の奴らがこの街で横暴なことしたこと、ないからさ」

「……はい」

 再び二人は歩き出し、今度は沈黙を保ったままさっきの穴の前に出た。

 コンスタンツァが穴に潜り込むと、荷物をこちら側の茂みの中に降ろして、彼は言った。

「これ、悪いけど頼む。奪い返したってことにしておいてくれよ」

「はい」

「この借りはいつか返す……一応、名前聞いておこうか」

「コンスタンツァ・オルランディです。コニーって呼ばれてます」

 まだ固い声で控えめにコンスタンツァが言うと、

「そっか。俺はバズ。セバスティアン。下の名前はない」

 返事がかえて来たかと思うと、穴の中に押し込まれたザックが目の前に転がり落ちてきた。

「……じゃあ、頼むな」

 コンスタンツァは、他に何か言うべきだろうか、自分の中に言葉を探して何もないことに落ち込む。

 しかし、このままでは穴の存在もばれてしまうだろう。自分に不都合はなかったが、なんとなくそうしたくなくて、彼女は急いで荷物を外に引き上げた。

 重いザックを両手で引きずるように少し歩いたところで、遠くからライトで周囲を捜索しているクラウディアとフィオリーノに見付けられた。

「あっ、コニーさん!」

「無事だったか?! 何故一人で無謀なことを……」

 心配そうな二人に何も言えぬまま、ただコンスタンツァはほっとして、ほっとした自分に呆れて……。

「どうしたの? 怪我でもしたの?」

 ぽろぽろと涙が頬を零れ落ちてくるのを止められず――そんな自分を馬鹿らしいと思っていた。

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