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王都カステルフュームを囲む分厚い壁の門を抜け、道が石畳から土に変わった頃。
振り向くと、城は昇り始めた太陽を照り返しながら、左手に小さくなっていった。
「名残惜しいかい?」
後部座席にいるコンスタンツァの目と、ハンドルを握っている「軍曹さん」の青い瞳が、バックミラー越しに合う。
彼の目は安心させるように微笑んでいた。
「そうですね……少し」
名残惜しいという気持ちより、王都に残してしまったリゼットたちの方が気になる。でも、決めたんだから思い切らなければ二人にも失礼だ。
そんな思いから来た曖昧な返事を返すと、彼は振り向いた。
小麦を炉にくべた後の灰がかった金の髪に、地中海を思わせる青い瞳。年齢は、二十代半ば程だろうか。
これでも年頃の少女らしく、整った目鼻立ちに一瞬見とれかけてから、正気に戻ってコンスタンツァは叫んだ。
「ああっ、ちゃんと前見てください!」
「ご心配なく。安全運転で参りますから、お嬢様」
「よそ見するのは安全運転って言いませんっ。それにお嬢様なんかじゃないですから!」
「あはは。もう少し君を見ていたかったんだけどね。では仰せのままに」
美形な「軍曹さん」は軽口を叩いてから正面を向いた。
(軍人さんが迎えに来るというから緊張してたのに、全く軍人らしくない人だ。それに、女の扱いに馴れてる)
コンスタンツァはむぅ、と聞こえないような声で唸った。
ライフルを担いだいかつい大男だったら、もう緊張で声も出なかっただろうが、だからってこういったタイプにも慣れてはいない。
両親の手伝いと兄弟の世話、それに菓子にまい進してきたコンスタンツァは人並みにお洒落することもなく過ごしてきて、服を飾るリボンやレースのハンカチ一枚も買わず、名店のケーキを食べ歩いてきた。
「あの、軍曹さん」
「自己紹介したろ? 名前で呼んで欲しいな」
今度は目を前方に向けたまま、「軍曹さん」はそう言った。
「さすがにそれは……」
「階級は、人と被るからね。それとももう忘れられちゃったのかな。悲しいなぁ」
コンスタンツァにとっては本気だか嘘だか何か軍隊式の理由でそう呼ばせたいのか分からないようなことを言われて、渋々と苗字を呼ぶ。
「じゃあ、シモネットさん」
「アルベルトでいいよ。何ならアルでもいいよ」
コンスタンツァは一分ほど無言で考える。どう見たって一回りくらい年上に見えるのに、そんな風に呼ぶわけにはいかない。考えた末、
「……じゃあアルベルトさんってお呼びしますね」
「いいね、素直だ。素直な子は可愛いよ」
再びコンスタンツァをふり向いて、にっこりと笑った。
「だーかーら、よそ見しないでくださいってばっ!」
「はいはい」
慌てて抗議すると、笑いながらだが、アルベルトは正面を向いてくれた。
(どこかの舞台俳優に、こんな人いなかったっけ?)
コンスタンツァは浮かせた腰を、もう一度深くシートに腰を埋めた。
この間にも車窓からは王都は見えなくなっており、間近の道の両脇は、水彩画の絵筆を滑らせたような色の筋になって流れていった。
小さな国の中心から、東に向けて、車で凡そ半日かかる。
フィオリシェルゴと国境を接する国は三つ。北から西にかけては山脈が隔てており、古くから山頂を国境線に決めていた。
北の山脈から流れ込んだ川が首都の西を通って、南の海に流れ込んでいる。東側はというと、これといった目印がない。その全てを隣国に接している。
六枚の花弁のような形をしたフィオリシェルゴの領土。一番控えめに突き出している東の真中の花弁が辺境伯領、そしてその中、花弁の先端部分に自治領がある。自治領というのはフィオリシェルゴという国でありながら、他の自治体より強い自治権を持つ場所の事である。
サント・アンセルモはその中にある。
アルベルトさんは、道すがらこれから行く場所について簡単な説明をしてくれた。残念ながら中学までしか出ていないので、コンスタンツァは世界情勢にはさっぱり疎い。
「かつてこの国は五枚の花弁だった。真ん中の花弁が隣国に突出するようにできたのは40年前の大戦のごたごたで、だ」
当時その場所は、王子との話の中でも出た、ノルドランディシュ共和国だった。共和国はフィオリシェルゴより1.5倍近い領土を持つ国だ。とはいえ、やっぱりヨーロッパの中では取るに足りない小さな国に過ぎないが。
「自治領になったのはそのせいさ。その土地に住む民衆が、ウチの国に支配されるのを簡単にはよしとしなかったんだな」
「それって、両方の国の人が住んでるってことですか?」
「そうだね。ただ、その更に前はウチの国の領土だったんだ。つまり、国境だけあって今まで歴史上何度も支配者が変わった、ってことだね。だから高度な自治権を――どの国からもなるべく干渉されないことを望んだのさ」
「サント・アンセルモはどんな街なんですか?」
アルベルトは一瞬だけ目を窓に向けてから、
「りんご畑さ」
と言った。
「りんご畑?」
「りんごだけつくって暮らしている、そんな街だよ」
「平和なんですね」
コンスタンツァの感想がどこかおかしかったのだろうか、アルベルトが返事をするまで、さっきより間があった。
「ああ……そうだね」
途中で休憩を挟みながら、車は東へ向かって走り続けた。
標高は徐々に上がっていく。山脈と言うほどではないが、やっぱり国境になったのにはそれなりの、理由があるらしい。北にそそり立つ山々から続く、そこは高地だった。
アルベルトの言ったとおり、しばらくすると、前方に一面の畑が見えた。均等に植えられているのはりんごの樹木だった。
樹木の間にぽつぽつと作業小屋のようなものが見えるだけ。
いや、一面のというのは正確ではないかも知れない。傾斜の激しい山を除いて、地平線の彼方まで、りんご畑が続いていたから。まるで道が、りんご畑の海原を切り開いて作られているように見える。
海原の間を進んでいくと、やがて道の先に、その街は姿を現した。
「あれがサント・アンセルモだ」
赤茶けた城壁に囲まれたその街は丘の上に立っていて、月並みな言い方をすれば、りんご畑の海原に浮かんだ小舟のように見えた。
流石に城壁の際までは畑ではないらしい。丈の高い草が生い茂った、ちょっとした草原だ。
道は次第にならされ、体に伝わる振動も少なくなってきた。よかった、とコンスタンツァは安堵する。このままがたがたの道が続くと三半規管に自信がない彼女は見苦しい事になっていただろう。
車は煉瓦の道に乗り、広場を通る。
コンスタンツァは息を呑んだ。
そこは、自国でありながら時刻ではなかった。
フィオリシェルゴに見られる、大理石の神殿風の役所や、白や黄色のなめらかな壁を花々で彩った見慣れた風景。テラコッタ色。これらに加えて外国風の煉瓦造りの質実剛健な建物が目立っており、街の半分が茶色なのでは、と思った。
標識もバイリンガルで、フィオリシェルゴの公用語と、共和国の公用語の双方の記載がある。
しかしじっくり眺める間もなく車は広場を抜けると大通りに入ったかと思うと、路地を選んだ。外壁に沿ってぐるりと回り込むと少しだけ走り、駐車場の前でとまった。
駐車場の入り口には係がおり、アルベルトは身分証を提示すると、ゆっくり車を入れた。
車が十台ほど入りそうな駐車場は、普通のものとは違い、駐車区域を示す白線やらロープはない。今は他に車はなかったが、勝手が分かっているのだろう、隅っこにとめると、芝居がかった言い回しでドアを開けた。
「お嬢様、ようこそお越しいただきました。こちらが目的地でございます」
「だからお嬢様じゃありませんって」
「あはは、そうだったね」
コンスタンツァはほっぺたをふくらませながら、荷物と腰をずりずりとシートの上で引きずりながら、脚を地面に伸ばした。
ずっと座っていたせいか、荷物が重いせいか、思わずぐらりと体が傾く。
アルベルトが彼女の前に腕を差し出してくれたが、捕まってはまずいと思い咄嗟に荷物を渡すと、彼女は車の扉部分に向かって倒れ込んだ。
目をつぶる。瞼の裏で光がはじけた。窓硝子の角にごちんと額をぶつけて……何とかドアにしがみつくことには成功したようだ。
「……大丈夫?」
目を開けると、心配そうなアルベルトの顔があった。
(いや、なんか口元が笑ってる気がする。呆れられちゃったかな)
「だ、大丈夫です、はい」
窓にもたれかけさせた腕を支えに、何とか折れた脚を伸ばして立ち上がった。
(ほら、駐車場のおじさんもこっち見て笑ってる)
「ね、早く行きましょう!」
コンスタンツァが恥ずかしくていたたまれずにそう言うと、アルベルトは車に鍵をかけて、ぷっとふき出した。
「それだけリラックスしてるなら大丈夫だね。行こうか」
先導するように歩き出した。駐車場に面した、その建物に向かって。




