序章
序章
──その一年の記録は、「いただきます」で始まり、最後には「ごちそうさま」で締めくくられている。
故に公式の記録としては認められていないその冊子は、未だひっそりと王宮の書類棚に保管されている。
内容はといえば、殆どが、三百六十五の朝昼夕食と、三百六十五の午後のお茶と、千九十五のデザートのレシピである。
厚いベルベットで覆われた椅子の背にもたれかかっていた青年は、書類の束を机に置くと、握り拳ほどもあると思われるような判を取り上げた。
青緑の複雑な文様が、書類の表面を彩る。
文様の横にはC・オルランディという頼りない署名に、几帳面な字で特務少尉と書き足されていた。
改めてそれを眺めた青年は、瞼に落ちた蜂蜜色の髪を細い指先で追いやった。朝に咲く薔薇色の唇から咎める言葉が、書き足した人物を軽く見据えながら放たれる。
わざととはいえ不快になりそうなものだったが、美青年と形容するに相応しい容姿と気品は、大抵の者に見惚れさせ、或いはたじろがせる。
「きちんと後見しなかったのですか?」
見据えられた方は、彼よりも幾らか年上であろうアッシュブロンドの髪の青年だった。
彼も見据えた方ほどではなかったが、整った顔立ちをしている。しかし姿勢を正しているにも関わらず、気品とは全く別の、フランクな雰囲気を纏っていた。
二人の付き合いも長いせいだろうか。
見据えられようが睨まれようが、彼は肩を竦めることすらできた。
「もちろん、手取り足取りご指導いたしましたよ。ですが一人気丈に頑張ろうとする方を、陰で見守るのもまた愛情。ところで、内容にご不備は?」
「貴方は相変わらずのようですね」
「これも殿下の信頼にお応えするためです」
「まったく、達者な口ですね」
殿下と呼ばれた青年は口元をほころばせて、
「ええ、勿論、中身に不満はありません。元々、無理にさせたことですから」
視線を窓の外に向けた。
中庭に居並ぶカーキ色した軍服の群れの中から、小柄な人影が飛び出した。
首元から覗く白いコックシャツに、グリーンのこれもコックタイが締められている。
彼女が両腕に抱えた銀色の盆の上に、白い生クリームと赤い苺で着飾ったケーキの塔がそびえている。
塔のてっぺんには、女王の頭に乗っているのと同じくらい見事なティアラが飾られていた。きらきら輝く飴細工とアザランで作られたものだ。
密かな凱旋の彼女なりのねぎらいであり、最後の仕事として、きっと味の方も存分に腕を振るわれているのだろう。
「ねぇ」
「何でございましょう」
「お腹が空きましたね」
青年は振り向くと、にっこりと微笑んで、中庭へと降りていった。
これは、後に<国王陛下の菓子箱>(ドルチェ・デ・ドゥージェ)と呼ばれる世界一役に立たない軍隊──製菓部隊が、ある小さな町を救ったという、ささやかで、とても馬鹿げた「戦争」の記録である。