4 美秋
その音に私は書類から顔を上げ、ドアに向かう。
ノブを回して見た顔は、自分にそっくりでだった。
「……何で」
相手が呟く。
私はある予感を抱き、その「相手」に聞いた。
「……もしかして、美冬?」
その言葉に、彼女は体を震わせる。
それを肯定ととった私は、その嬉しさに思わず彼女を抱きしめていた。
私達は椅子に向かい合って座り、私の淹れたコーヒーを飲む。
美冬は、もう一度確認するように言う。
「私たちが双子?」
「そう。私の名前は美秋よ。……あの家の両親は言ってくれなかったの?あなたが拾われた時、本当は私も一緒だったと」
そう、目の前に居る私にそっくりな少女は、美冬という名の私の双子の姉だ。
「聞いていないわ、そんなこと」
美冬は私と目を合わさずにそう言った。
その姿はどこと無く寂しそうで。
「……ねぇ、美冬」
――何があったの?
そう聞こうとしたが、途中で他の声に遮られる。
「……美秋?お客さんか?こんな朝早くから」
そう言って奥から現れたのは、私の父だ。
その父の視線が私から美冬へ移されたとき、彼がハッと息を呑むのが聞こえた。
「……美冬。紹介するわ。私の義父」
「叶です」
ぺこりと父が美冬にお辞儀をする。
美冬も、慌てたように座っていた椅子から立つと、父に軽く頭を下げた。
「はじめまして」
美冬はそう言ったが、父はその言葉を首を横に振って否定した。頭にクエスチョンマークを浮かべる美冬に、父は言った。
「私達は初対面ではありませんよ」
「……え?でも」
「覚えていないのは無理もありません。私があなたを見たのはあなたが二歳のとき。……十五年前、『冬香』さんを作り、引き換えに美秋を育てることになったあの日なのですから」
美冬は、驚きに目を見開く。
その目は私とそっくりに見えるが、少し違う。彼女の目は絶望を知った後で、より黒く濁って見えるのである。
「……あなたは何者ですか?」
静かな、けれど有無を言わさぬ美冬の声に、真剣な顔をして叶が答えた。
「このクローンの『工場』の、責任者をしています。……あなたの妹の冬香さんを作ったのも私です」
ごめんなさい。
父は、そう言って彼女に謝った。
時間が止まってしまったかと思った。
その時を動かしたのは美冬だった。
「顔を上げてください。」
柔らかく言った。
「どうして謝るんです?」
「どうしてって……」
彼女は瞳を閉じて、優しく父に言った。
「私は冬香のこと、好きでした。守ってやりたいと思いました。大事な妹だったから。よく私に突っかかってきたり、生意気なことを言ったりしたけれど、それをひっくるめて大切な存在だったんです」
罪人を許す聖母のように優しく、美冬は私の父に言う。
「だから私はあなたに感謝しています。私は、幸せだった。……クローンを作ったことであなたが罪悪感に苛まれる必要などありませんよ」
その声に。
父はしばらく、放心するように聞き入っていたが、その後に我に返ったように顔を綻ばせ言った。
「あ……ありがとうございます」
美冬は、全てを受け入れているように見えた。先程までの黒く重い雰囲気はもうなかった。
――どうしてか。
多分、「冬香」。彼女の話をしたから。
私には分かる。
彼女がどれだけ血の繋がりの無い「妹」を愛していたかも。
本当の妹である私は、少し悔しかったけれど。
他人でも本当に繋がりあうことは出来るのだ。
私だってそうだったから。
……私は美冬と二人、籠の中に寝かされて捨てられた。
捨てられたのも一緒、拾われたのも一緒だった。
一緒に育っていく。その筈だったのに二歳のとき、親にまた捨てられた。
クローンを産むからと。
だから私の面倒までは見られないと。
私は美冬よりも引っ込み思案で協調性の無い子だったから、両親も扱いに困っていたのだろう。
その時に、両親に申し出て私を引き取ってくれたのが今の「父」だった。
父は私に、精一杯の愛情を注いでくれた。
人の輪に入っていけない私を見捨てたりしないで、背中を押してくれた。
だから今の私があるのだ。
「私を父に押し付けた人達」を恨んでは居ない。
むしろ感謝している。
私にとって父はかけがえの無い家族だから。
そんな父に引き合わせてくれたことを、心の底から感謝しているのだ。
此処を去ろうとする美冬を止めたのは父だった。
「行く場所がないのでしょう。ここで暮らしたらどうです?」
父のその言葉に、美冬が戸惑っているのが分かる。そこまで迷惑を掛けられないとでも思っているのだろう。
美冬は進言しないが、彼女がこの森に捨てられたことは明らかだった。傷ついているであろう彼女を気遣おうとするのは、私と父の間の暗黙の了解だ。
「……美冬。お父さんもこう言っているし、一緒に此処に暮らそう?」
私は優しく美冬に言う。
「……迷惑じゃないの?」
「迷惑なら、初めからこんなこと言うはずが無い。私はお姉さんという存在があることを知っていたのに、ずっと離れ離れで寂しかった。私なんて知らないであろうあなたのことを考えるのは、辛かった」
「……美秋」
その姉の言葉に、私はにっこりと笑って言った。
「やっと名前呼んでくれたね」
「……っ。美秋……」
美冬は私に抱きつく。
私は、私にそっくりな、それでも私ではない彼女をぎゅっと抱き締めた。
肩にぽつぽつと雫を感じる。美冬が泣いているのだと知り、一層強く抱き締めた。
「……美冬は、やっと出会えた私のたった一人のお姉さんだから。私は今まで会えなかった分の空白を埋めたい。私にはあなたが必要なの」
私の肩で泣く美冬。
彼女を抱き締める私。
そんな私たち姉妹を、何も言わずに父が見ていた。
風呂上りの美冬に、私のパジャマを着るように言った。
「……思った通り、ぴったりね」
私と全くサイズが同じ。
私の分身のような彼女に、思わず苦笑を漏らした。
二人で、隣り合わせの布団に入る。
「さっきは、ありがとうね。美秋……」
「ん?」
明かりを消そうとしたとき急に掛けられた言葉に反応し、そのまま彼女を見た。
「嬉しかったよ、さっき。私が必要だと言ってくれて」
目を細め、過去を振り返るような口調で、彼女は言った。
「私、もう要らないんじゃないかって思ってたから。親に捨てられて居場所も無い私を救ってくれたのはあなただった」
嬉しかった、と彼女はもう一度言った。
「私は当たり前のことをしたまで。もし礼を言うとしたらお父さんだよ」
「叶さんか……。いい人だよね」
美冬の呟きに、私はすかさず言った。
「駄目だよ。今日からあの人はあなたの『お父さん』なのよ」
「……お父さん、か」
「そう」
私は、彼女を安心させるように笑った。彼女の顔もつられて綻ぶ。
「お父さん……何だか、辛そうに見えたわ。私に冬香のことを謝ったとき」
「だって、お父さんは苦しんでいるから。クローンを作ることに、いつでも罪の意識を持っている。研究を止めて欲しいと思うことも何度もあった」
「なら、どうしてなおも研究をし続けるのかしら」
私は、目を伏せて告げた。
「私もよくは知らないわ。……でも、初恋が原因だということは、前に聞いた」
「……初恋?」
――私は卑怯ですから、こんな方法でしか許しを請うことが出来ないんですよ。
こんな風に話してくれた父の表情は、まるで何かを諦めてしまったような顔で。
私はその話を聞いて以来、彼がクローンに関わることを止めて欲しいと願っている。
早く忘れてしまえばいいのに。
今は私が隣にいるじゃない。
「……美秋は、好きなのね。お父さんが」
私はこくんと頷いた。
「恋、なの?」
「……分からない」
ただもやもやした感情が、心の底に沈んでしまっているだけ。
それだけ。
この感情に名前などつける必要はない。
それでも急に恥ずかしくなって、私はそのまま布団に潜り込んだ。
美冬はしばらくこちらを見ていたけれど、それ以上は何も聞かず、おやすみとだけ言った。
彼女の一定の呼吸音を聞きながら、私も目蓋を下ろした。
夢を見た。
隣にいた美冬が、いつのまにか消えていて。
私は焦燥感だけを感じていた。
ふと目の前を見たら、父が居て。
私は父に触れようと必死に手を伸ばした。
確かなものが無いと、不安で潰されそうだった。
もう少しで手が届きそうに思えたとき、父もまた霧のようにふっと居なくなった。
一人きりの世界の真ん中で泣き叫ぶことしか出来なくて。
私は、隣に居たはずの美冬を左右を見回して探す。
私は、前に居たはずの父を手を伸ばして探す。
私は、同じ場所を何度も探す。
……二人とも、自分の真後ろにいるのに。
そうとも知らず、必死で探す。
そんな夢を見た。
起きたとき、私は汗でびしょびしょだった。
――夢のせいだわ。
べたつく体を起こし、隣を見る。
そこにはまだ幸せそうに寝ている美冬がいて、私は安心した。
「美冬、美冬。起きて」
「ううーん。……もう少しだけ……」
叩いても耳元で呼んでも、彼女はなかなか起きようとはしない。多分朝にとてつもなく弱いんだろう。
「起きなってば」
「……五月蝿い」
五月蝿いとは何だ!人がせっかく起こしてやっているというのに。
双子だというのに、こういうところは違うんだ。
その少しの違いに、ちょっとだけ嬉しく思った。私達は紛れも無く違う個体であることを再認識した。
それでも起きようとしない美冬を起こすことは諦め、仕方なく先に父を起こしに行くことにした。
段々と歩くスピードが速くなる。どうしてだろう。
あんな夢を見たからだと思う。だから、こんなに悪い予感がするのだ。
早く父の顔が見たい。それは私の杞憂であったことを、私は早く確かめたかった。
そして、父の寝室のドアを開け中に入った。
父の姿を見つけ……絶句した。
唇が乾く。
目が充血する。
動悸が激しくなる。
――嘘よ、こんなの……。
体の全ての器官が、目の前のことを受け入れることを拒否している。
私の目の前には、胸をナイフで刺して死んでいる父が横たわっていた。
叶は、美冬が自分を許してくれたことが嬉しかった。
自分がたった一人の大切な人のためにその人に許しを請う為だけにしてきた行為を喜んでくれる人が居たことは、意外だった。
そして彼女と抱擁していた、美秋。
よかったと思った。
美秋はもう自分が居なくても平気だろう。美冬が居る限りは。
結局、あの二人のような「双子」と「クローン」の違いとは一体何だろうと叶は思うのだ。
美秋と美冬の場合、一卵双生児であり、外見もそっくり、遺伝子レベルで中身も多少似通ったところがある。しかし、違う意志により成長していくので、それでも成長過程により食い違いが出る。
クローンも同様だ。クローンの場合、育つ環境や時代まで違ったりするから、より違いが出てくる。
言えることは、「同じ人間など、どうやってもできない」ということ。
外見はいくらそっくりだとしても、彼らは違う個体なのだ。
「工場」という呼び方も、おかしい。
命は、物ではないのに。
それを、分かってくれない人が居る。
「組織」も、そうだ。
……「組織」も、何かを求めてクローンを作ろうとしたに違いない。
その為に数年前、日本でもクローン人間作りが禁止されたのだ。
「組織」が、クローン技術を独占する為に。
政府の連中の中には、「組織」がバックについている奴が大勢居る。そんなことが出来たとしてもおかしくはなかった。
だが、最早そんなことはどうでもよかった。
自分だって他人のこと、「組織」のことをとやかく言えた義理ではない。
問題は、自分も「彼女」を一人の人として見ていなかったということだ。
そのことが今でも悔やまれる。
「彼女」は、一人の人物として受け入れられることを望んでいたはずなのに、と。
だから、叶は願う。
……全てのものの、幸福を。
クローン達の、幸せを、誰より願っているのだ。
「……美春さん」
叶は一人、寝室で呟く。
その手には、ナイフが握られていた。
「とうとう研究が終わりました。でも、何故でしょう。達成感も何もないんです。苦しいだけなんです。……唯一の、生きる目的を、失ってしまって」
――私の間違いに、気付きましたよ。
遅かったですけど。
こんな私を、あなたは受け入れてくれますか?
「ずっと、好きでした」
今まで彼女に告げられなかった言葉を、ようやく口にして。
叶は、握っていたナイフで胸を刺した。
「……っく、っく」
父の墓の前で、私はみっともなく泣いていた。
そんな私を、美冬が支えてくれる。
前と、全く逆の構図だった。
「お父さんは、私が嫌いだったのかな?」
私が呟くと、美冬は首を振った。
「そんなこと無い。お父さんは美秋のこと、好きだったはずよ」
――でも、一番じゃなかった。
お父さんは、ずっとずっと、もう居ない人を想っていて。
私はその人に敵わなかったのだ。
でも……。
「しっかりして!私には、美秋が必要なんだから」
隣に、そう言ってくれる人が居て。
誰かの一番でいられて。
それだけでまた私も、生きていける気がした。
「……おかしい」
「どうしたの?」
私は父の遺品の整理をしていて、ふとあることに気付いた。
「美冬、クローンの研究資料を知らない?」
私は姉に聞いた。
「知らないわ」
父の全てとも言える、クローンの研究資料が消えていた。メモ一つ残っていなかった。
私達は家の中をくまなく探したが、とうとう見つからなった。
でも、それでよかったのだと今では思う。
それが父の意志だったろうから。
もしかしたら、父があの世へ持って行ったのかもしれない。
私と美冬は、あれから十年経った今、そんな話をした。