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One Other Self  作者: 栗林
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2 美春

時刻は夕方に差し掛かっていた。日が傾き、どこかで鴉の鳴き声がする。

「ただいまー」

私は元気良くドアを開けた。

「ああ、おかえりなさい」

そういって迎えてくれたのは、父の部下の叶だ。

頑固者の父が唯一頼りにし、その才能を高く評価している、優秀な「研究員」である。ちなみに聞いたことが無い為、ファーストネームは知らない。

「叶さん、まだいたんですか?ひと段落着いたら、帰った方がよかったのでは?」

私は彼に問う。

叶は、三日間ウチに泊まって研究をしていた。初めてではないことなので特に何も思わない。やはり熱心な人だなと感心する。

「いや、『ひと段落』ってのが分からなくて」

彼は無邪気に笑う。私よりも年上のはずなのに可愛いとさえ思える眩しい笑顔。

その笑顔に、不覚にもドキリと心臓が跳ねた。

私は叶が好きだ。

父にも言ったことのない想い。もちろん彼に告げるなど、もってのほかだった。

「でも無理はよくないし……。あ、手伝うわ」

「ああ、いつも悪いですね。学校から帰ったばかりなのに手伝わせてしまって。でも今日はもう上がるつもりだったから、いいですよ」

学校から帰ってきた私が彼の手伝いをすることは、殆ど習慣になっていた。彼は、のことに少なからず悪気を感じているようだが、彼の手伝いをどうしてもしたい私はそんなことは全く気にならない。

「そう」

ここで、いつもは叶と共に出迎えてくれるはずの父の存在を思い出す。

「そういえば、父は?」

「工場長なら向こうで資料整理をしているはずですよ」

工場長というのは私の父のことだ。ここで働く研究員及び工場員は、全員が父をそう呼んでいた。

最近父が資料を整理し始めたことを知っていた私は、あまり驚きもせず「ああ。」と声を出した。

「それにしても、どうしてまた資料整理なんか始めたんでしょう」

「何だか、そろそろ『組織』から御達しが来たらしいわ。今あるデータだけでも急遽まとめておいて欲しいって」

「『組織』……。そうですか」

はぁ、と叶が息をつく。恐らく私と同じことを考えているのだろう。

あのデータは未完成と分かっているはずなのに、どうして「組織」はそんなに急いでいるのだろうと。

「とにかく、父のところへ行くわ。……叶さんも、もう帰った方がいいわよ」

「分かってます。今日はこれで上がることにします。工場長に伝えておいてください」

はにかむ彼にまたどきどきしながら、それを感じ取られないようこちらも必死に笑顔を返す。私は「それじゃあ」と言って、その場を離れた。



「ああ、美春。帰ったのか。おかえり」

「ただいま。……どう?資料の方は。まとまった?」

まとまるはずも無いことを承知で、私は父にそう聞いた。

苦笑気味に父が言う。

「分かっているくせに、意地の悪い質問だな。……まだだ。全く片付かないよ」

私は父の手にある用紙を覗く。

確かにまとまってはいない。というよりも、まだまだデータ量が少なすぎる。

「……どうして『組織』は、このデータが今要るのかしら?データ不足は明白なのに」

一枚目を見て言った私の呟きを受け、父はため息混じりに言った。

「それは考えない。科学者としての鉄則だ。……所詮私達は、金が無ければ研究できない。こうしてスポンサーがついてやっと私達は自由に研究できるんだ。そして、代わりに彼らの望むデータを送らなければならない。……科学者は、探求の為にのみ生きていればいい。彼らに干渉するのは禁じられている。我々の存在など、彼らにとってはそんなものだ」

ましてや「組織」は、国で最も権力を持っているからね――父は、こう付け足す。

「大体、言ってはなんだけれどこの研究が国家的でもある『組織』の、どんな役に立つというのかしら?」

日頃から気になっていることを問うと。

「これは恐ろしい研究だから……。――完成したら、世の中の悪い連中がこぞって奪い合うだろう。野望を果たす為に」

いつもより切羽詰ったような父の物言いに、私は戸惑った。この研究がどうして野望を果たす道具に成りえるというのか。

私は資料の一枚目をもう一度見返す。そこには、しっかりとした父の文字で「クローンについて」と書かれていた。



この「工場」は、クローンを生み出す為の場所だ。男性の精子又は女性の卵子を凍結し、それをクローン胚にしてからこちらで用意した女性の体に入れ、産ませる。

数年前から、父は熱心にこのクローンの研究を行い、その頃では考えられなかった「ほぼ完璧なクローンが出来る方法」を見つけた。しかしそれがいつまでも「ほぼ」であったのは、これ以上の研究ができなかったからだ。お金だ。資金の不足により、様々なサンプルによる実験が出来なかったのだ。

ここで行き詰まったこの「工場」に、転機が訪れる。勿論、「組織」の登場だ。

何といって父と話をつけたかは知らない。しかし「組織」はその財力で「工場」の手助けをしてきた。卵子・精子の提供者への配給や、クローンを産むために用意する妊婦への慰謝料・あるいはバイト代諸々だ。研究設備も以前より立派になった。

一番私が驚いたことは、戸籍をごまかすことが出来るということだった。要は書き換えるということ。彼らは戸籍さえ操作するだけの権力を持っているのである。

「組織」は「工場」にとって、何でも出来るつまり絶対の存在になっていた。

それは頼もしくもあり、同時に恐ろしいことであった。

最早この「工場」は「組織」なしでは成り立たない。

ここも、あるいは「組織」の――そんな恐ろしい集団の――一部なのかもしれない。




今日もまた、研究は繰り返される。

「……十五歳の女の子?」

「はい。次のサンプルで」

「……何でまた、十五歳なの?過去最少年齢だわ。父もよく引き受けたものね」

そこに写っている、自分よりも年下の少女の写真を見てため息をつく。

「……常々思っていたことなのですが、何故工場長のことを『お父さん』とお呼びにならないんですか?最初は、他の人の前では言わないだけかと思いましたが、あの方の目の前でも呼んでいるのも聞いたことがありません」

叶は眉を寄せ、私の思い違いではない筈ですが、と言った。

私は微笑んで言った。

「そうよ。私は父に『お父さん』と呼ばないでくれと言われているの。だから誰の前であれ、そう呼んだりはしない」

「どうしてそんなことを……」

「知らないわ。それは教えられていない。でも私はこれでいいと思う。父が私を愛してくれているというのは分かるから」

本当は寂しい。

昔は「お父さん」と呼んでいたのに。

今の私は、彼を「お父さん」と呼ぶことが出来ない。

それでも、私は父の愛情を感じるし、自分も娘として父を愛しているから。

父を、信じているから。

「話を戻しましょうか。今回のサンプルはどういったものなの?」

「ああ、どうもその少女……『美夏』というらしいですが、彼女が妊娠をしていたらしいんです」

「……この年で?」

童顔っぽく、正直十五歳にさえ見えない彼女をもう一度眺める。

「ええ。結局産まなかったらしいですが、それでも世間の目は変わらない。それでほとぼりの冷めるまで彼女の親は彼女を海外留学させたいそうですが、資金が足りないらしいです」

「それでここへ卵子を提供すると」

「まあ、『美夏』さんが不妊症になることを考えて産婦人科で検査を受けた時のもので、両親がそれを盗んだようですがね。……クローンは、自分たちが育てると言っています」

叶の言葉に、私は目を見開く。

「自分たちの子の分身を?」

「私が思うに彼女の親は、彼女を失敗作と考えているのではないでしょうか」

「失敗作?」

「ええ。子供として、彼女は失敗したと思われているのだと」

何て身勝手な……。

私はそんな言葉が頭に浮かんだが、口には出さずに押し黙る。

それを言っては叶だって傷つくだろう。

彼だって、クローンを作ることに一役買っているのだから。

そして、私も。

「叶さん」

「……はい?」

「クローンって、何でしょうね」

「……分かりません。でも」

「でも?」

「私は、それが知りたくて研究しているんですよ」

彼は真剣な顔で言った。

だから私は何も言わず、微笑んで彼の手を握った。

彼も何も言わない。

彼の手は大きく、そして温かかった。




「それでは、おやすみなさい」

その夜。

まだ、「工場」に残り研究をしている父に、私は先に家に戻るということを告げる。きっと父はまた此処で夜明けを迎えるだろう。

私はいつものように、そのまま父に背を向けた。

「美春?」

私に向かい、父は声を掛ける。珍しいなと思いつつ、私はいったん体ごと父のほうに向けた。

「何?」

首を傾け、父の次の言葉を待つ。

「いや、お前は」

――叶が好きなのか?

父がそう聞いてきた。予想外の言葉に、私は息を呑む。

「どうしてそう思うの?」

私は戸惑いを隠して、父に問い返した。

父は立ち上がって私に近づく。

「前々から思っていたよ。お前は叶が好きなのではないかと」

前から……。

 それは、いつからなのか。

私の気持ちは、もしかして、彼にも伝わっていた……?

「どうなんだ?」

父の口調が、段々と問い詰めるような響きを持つ。

私は、観念して言った。

「……好きよ。叶さんのこと、前から好きだった」

俯きながら、静かに答えた。……俯いていたせいで、私がそう告げたときの父の変化にも気付くことが出来なかった。

それよりもむしろ誰かに言ってしまったことで、私の中では、想いが溢れそうになっていた。

私は彼が好きだと確認するように目を閉じる。

不意に父が、口を開く。

「……んで」

「え?」

「何で、叶なんだ」

搾り出すように、父は言った。

そんな父を見たのは初めてで、私は父のほうに手を伸ばす。

「大丈夫、っ?」

私が言い終わらないうちに、父は腕を伸ばし、私をそこに閉じ込めていた。

「痛い……。どうしたの?」

「春美……」

父は、私を抱きしめたまま、何度もそう呟く。

「春美って……」

春美は、亡くなった母の名だ。

母はどうも私に似ているらしい。生前、母を知っていた人々には「瓜二つだ」と言われることも多々あった。

「春美……」

「ちょっと……お父さん!」

私はそう言って精一杯の力で父を押し返した。

お父さんなんて何年ぶりに呼んだだろうか。

父が、ふらりとよろめく。

「何で……」

「どうして『お父さん』と呼ぶ?」

私の声を聞かず、逆に父が聞いてきた。

「それは……」

「お前は、『美春』なんかじゃない。正真正銘、春美なんだ……」

言われたことの意味が分からず、私は眉を寄せた。

「春美が癌になったとき、私は絶望したよ。お前が生きていない世界など意味がないと思った。だから私は」

――お前の卵子で、クローン胚を作った。

その言葉を聞き、私はある予感を感じ取った。

激しく首を振る。

吐き気までしてくる。

そんな。まさか。

「お前は末期癌だった。そして逝ってしまった。だれもがそう思っただろう。私以外は。お前は、今もこうして生きているのに」

父の言葉に、私は張り詰めていたものが溶け出す感覚を感じ取った。

途端に視界がぼやけ出す。

何だ、私。

泣いているのか。

――ナイテイルノカ。

「春美……」

「私は、クローンなのね?」

「春美?」

その呼び方に、やはり嫌悪感だけが浮かぶ。

「いやあああっ」

近寄ってくる父を、私は先程より強く押し返す。

あっけなく父は壁にぶつかった。どんと音を立てて。

「春美?」

「そんな呼び方はやめてっ。私は春美じゃない。美春なんだから!」

私は狂ったように泣き叫んだ。

父を愛していた。あくまで、娘として。

なのに。

私は娘ではなかった。

娘と思われていなかった。

いや、ずっと昔から、私は「私」として見てもらえてさえいなかった。

「春美……。どうして私では駄目なんだ?お前を愛しているんだ。お前とずっと一緒にいたい。なのに、どうして叶を……私ではない者を選ぶ?」

父は私の手首を強く掴んだ。

「離して!」

「お前が私の全てで……。お前は間違いなく春美で。なのに、どうして春美であることを否定するんだ?」

父は、私の顔を覗き込みながら言う。

その目は私を見ているのに。

実際には、私の奥底に居る「春美」を追っていて。

どうして私を見てくれないのか。

私は……少なくとも「美春」は、あなたの娘なのに。

涙を拭い、きっぱりと私は言った。

「私は『美春』で、あなたの娘だから。『美春』である私は、やっぱり叶さんが好きなの」

父は驚いたように……心底絶望したように、私の顔を見返す。

「そうか」

父は、穏やかに言った。

どうして私に分かり得ただろう。

その父が狂気を身に纏っていたことなど。

「ならば……。お前が手に入らないなら、やはりこの世界にも意味は無い」

 声を出す暇もなかった。

「あ……っ」

声を出したときにはもう既に私は血まみれになっていた。

私の腹には、元々そこにあったかように生えたナイフがあった。

その柄は父が握っている。

「どうして……」

父はナイフから手を離し、言った。

「一緒に逝こう。私にはお前が必要で。お前さえいればそれでいいんだ」

父はそう言った。

私の意識は、そこまでだった。



叶は、仏壇に手を合わせた。

あの日のことを思い出し、叶は身震いする。

親子の死体を発見したのは、彼だった。

折り重なって倒れた親子。二人が心中していることはすぐに分かった。

発見したときは、「すぐに警察と救急車を呼ばないと」と案外冷静に構えられたのだが、今は涙しか出てこない。

「工場長」

叶は知っていた。

美春がクローンであると。

真実を知った彼に、彼の上司は言った。

「春美は、一生私だけのものだ」と。

「美春さん」

そう呟いたが、その次が続かない。

自分はやはりクローンに怯えているのか。

彼女がクローンであるが故に告げられなかった本心。それは間違いなく自分のエゴだった。

だから彼は、彼女にではなく隣に並ぶ「父」に向けて言った。

「私は、研究を続けます。そして、完成した暁には……」

――私に、美春さんをください。

思い切ったように言うと叶はおじぎをし、そこに背を向けた。


時刻は夕暮れ。

彼女がもう現れないことは分かっているけれど、一刻も早く工場に戻りたいと叶は思った。



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