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One Other Self  作者: 栗林
1/4

1 美夏

「……誰よ、あんた」

私は目の前にいる人物に問う。

必死で睨んでいる私に対し、相手はフッと笑う。馬鹿にしたように。

そして口を開いた。

「私は美夏。」

「……はぁ?ふざけないでよ」

だって、美夏は。

美夏は……。


思えば今朝から変だった。

父も母も、いつもどおりに見えたのに。

違和感。

私がおかしいのだろうか。それとも、世界がおかしいのだろうか。

寒さのためにかじかんだ手も登校時に目に入る景色もいつもと同じなのに。

「おはよう」

急に声を掛けられた私はびくっと反応した。私は朝が駄目だ。誰かに声を掛けられただけで過剰反応してしまう。声を掛けてきた相手は、そんな私を見てフフッと笑った。

声を掛けてきたのは里佳子だった。里佳子は私より一つ分くらい背の低い少女だった。眼鏡をかけ、長い髪を三つ編みにしている。笑顔の似合うその少女は私の一番の親友だ。

「ああ、おはよう。リカ」

私も気を取り直して挨拶をした。私は彼女をリカと呼ぶ。出会ったときからそうだ。里佳子もそれに対して別段文句はないようなので、そのままの愛称で呼んでいる。

私達は学校への道のりを最初は二人で歩く。道中、同じ学校の人たちから声を掛けられた。そして皆で並んで再び歩き始める。申し合わせた訳でもないのだが、自然とこのようなスタイルになっていた。いつものことだ。

自慢ではないが私は友達が多い。年齢も男女も関係なく仲良くなれる、得な性格だと自分でも思う。

そうしている内にいつの間にか学校に着いている。……いつも通りだ。いつも通りの変わらぬ日常。

目の前には灰色のコンクリートが聳え立っている。酸性雨の影響か所々が欠け、その部分は中のコンクリートの白色が覗く。その見るからに古そうな建物が私の通う中学校だった。


「おはよう」

教室に入るなり皆からの挨拶攻めに合う。私達は皆に答えながら、自分の席に向かう。

「おはよう」

そう言ってふわりと微笑んだのは、同じクラスの冬香。少し大人しい少女であるが、私や里佳子の気兼ねなく付き合える友達の一人だ。

「おはよう、冬香」

私達も、笑って答える。

「毎朝大変ね」

ふふっと、愛らしく冬香が笑う。彼女は同姓の私から見てもとても可愛い子だと思う。その上気も利くし、男の子に人気があるのも頷ける。何よりふんわりとした雰囲気が魅力的だ。

「そういう冬香もいつも大変そうに見えるけど」

そう言ってやると。

「そうかな。……そうかもしれない」

――……ボケてるわ。

冬香はいい子だ。だが、何を考えているか分からないことも多い。一言で言えば天然だが、彼女にはその一言では言い表せない「何か」が存在しているように思えた。

今日は一段とそれが目立って見えるのだ。これは気のせいなのだろうか。

……ただ、今日がいつも通りじゃないから?

ひとりで思い悩んでいたって仕方が無いのはわかっている。だって皆はいつもどおり、普通だから。

赤信号はみんなで渡れば怖くない。でも、もし青信号で私だけ立ち止まって辺りを見回していたりしたら?

ゾッとする。

イレギュラーであること。

皆から、離れた存在であること。

そんな風になってしまったら、私は一体どうすればいいのだろう。

お願いだからこの嫌な予感は消えて欲しい。私は別に友達がたくさん欲しいとか、贅沢は言わない。だから。

私を、私でいさせて欲しい。



それでも違和感は消えてくれなかった。放課後になっても。

……だが学校が終わったということが安心感を与えてくれる。

家に帰れば父や母がいて、こんな私の気持ちを気のせいだと笑って否定してくれるだろう。今朝の違和感はまだ頭にあったが、そうあって欲しくて、考えないことにした。

鞄を持って立ち上がる。

私は帰宅部のため、放課後は毎日そのまま帰ることにしている。今日は先生に頼まれたことを片付けていたせいで、下校時間が遅くなってしまっていた。

ふと運動場の方を眺めると必死で素振りをしている野球部のそばで、これまた必死に何か作業をしているマネージャーの里佳子の姿が目に入った。本当に何をしているんだか、眉をひそめて真剣に取り組んでいる。それを見て少しだけ私は口元を緩めた。

「あら?」

不意に、そばにいた女の子が私のほうを見た。私も首をそちらへ向けた。

冬香だった。彼女は冬限定で駅伝部に所属している。この季節だというのに汗だくでいるところをみると、ジョギングでもしてきたのだろう。

「どうかした?」

私は冬香に問う。

彼女は首を傾げて言った。

「……あなた、さっき図書館の前にいなかった?」

「いいえ、今から帰るところよ。ずっと学校にいたけれど」

私はどうしてこんなことを尋ねるのだろう、と不可解に感じつつも答えた。

「……おかしいわ。図書館の前を走って通り過ぎたとき、あなたを見たのに」

それは気のせいじゃないかと私は言ったが、首を横に振って彼女は断言した。

「いいえ、そんなことないわ。あれはあなただった。だってあなたの名前を呼んだら、振り向いて手を振ってくれたもの」



おかしい、何かが。

やはり、今日は何かおかしい。

朝からの違和感。

冬香が見たという、私じゃない「私」。

「帰ろう……」

冬香とどうやって別れたかは忘れたが、私は正門を出るとふらふらと帰路についた。相変わらず外は震えるほどに寒かったが、私の手は汗ばんでいた。それでも体は寒気を感じ取っているのがわかる。寒さからではない。得体の知れない不気味さからだ。

……怖い。早く帰りたい。

早く家に……。

そうすれば、この不安も取り除かれるはずだから。


「ただいま」

私はいつも通り玄関口で言った。そうすれば母がいつも通り「おかえり」というはずだった。

「……」

でも今日は違う。母からの返事はこない。静寂が続いた。

いない筈はない。鍵だって開いていたし、靴もそのまま。なのに返事は無い。

「あら?」

今日はまたいつもと違う。

いつもはこの時間に此処にはない筈の父の革靴が、そろえて置かれている。

その横には見慣れない女物の靴が並べられていた。それは海外の有名メーカーの靴で、若い女性向けファッション雑誌によく取り上げられている今の流行の型だった。

父が帰っている?しかも、誰か知らない人が家にいる……。

また浮かび上がる、違和感。

それを必死で振り払い、私の部屋がある二階へ急ぐ。

「……んで、そと……かってに……」

階段を上がる途中で、母の声がふっと聞こえた。父とでも会話しているのだろうか。

何だ、居たんだ。二階に居たから気付かなかったんだわ。

少しホッとした私は、女物の靴のことはとりあえず頭から切り離して考えていた。

ホッとした勢いで、急いで階段を駆け上がる。今朝からのことは全て私の杞憂に過ぎなかったと――今日も、ただの一日に過ぎなかったと――父と母の顔を見て、早く安心したかった。

すると突如、私の思考を遮るかのように大きな声が響いた。

「どうして私が、偽者に気を遣わなくちゃならないのよ!」

……偽者?気を遣う?

その単語も気になったが、最も気になったのはその声だった。

聞き覚えのあるどころでは、済まされないくらい聞き慣れた女性の声。しかしそんな筈は無いと、心がその考えを拒否する。

「だからって勝手に外へ出るんじゃない!知り合いにでも見つかったらどうするつもりだ?」

今度は父の声が割り込む。私は既に階段の途中で足を止め、聞き耳を立てていた。鞄を握る手がまた汗でじっとりと濡れてきた。

「はあ?知り合いって、『あの子』のでしょう?会ったって私は全く困らないから心配しないで」

また声が反論する。私は階段に立ち止まったまま、次の一歩を出せずにいた。

「『工場』の方が困るんだ。お前が贅沢を出来たのはどうしてか、忘れては無いだろう」

「何よそれ。恩着せがましい言い方ね。どうして贅沢してこられたか、ですって?」

声の感情が昂ぶってきているのが分かった。そのままその声は続けた。

「あんた達が私の凍結した卵子を『工場』に売って、勝手にクローンを作ったからでしょ!」

どさっ。

私は無意識のうちに、鞄を手から離していた。元々手が汗でべたべたになっていたからそのせいかもしれない。

音を立てた私の鞄に反応し、母が階段に駆けつけた。

「……っ」

聞いてたの――母の顔は、そう聞いてくるが、母自身の口からそう問うことはなかった。私も同様だ。多分、私の答えも全て顔に出ているに違いない。

私は精一杯の笑顔で言った。

「ただいま……」

私の顔は見られないくらいに引きつっているだろう、と私は予想した。頭の中でそんなことを考えると自分はまだ冷静で居られる気がした。

ようやく階段を上がり始めた私は、母を押しのけるように二階へ上がり、部屋に向かう。

入り口で父と目が合うが、すぐ視線をそらされた。私はあまり気にしていない素振りを見せて父の前を横切る。

無表情で部屋に入り、部屋の真ん中の人物と対峙した。

「……誰よ、あんた」

私は思い切って口を開いた。

「私は、美夏」

予想通りの答えが返ってくる。だが私はこの事実に少しでも対抗したくて、相手を睨んで言った。

「……はぁ?ふざけないでよ」

涙さえ流しそうになりながら私は言う。

だって、おかしいじゃない。

だって、美夏は……。

「美夏は、私なのに」

最後には泣きそうになりながら。

私は目の前に居る……私とそっくりな人物に告げた。




「あんたにとっちゃそうかもしれないけど、それ以外の人にとっては美夏はあんたじゃないよ。この私」

そう言って「美夏」は私にそっくりなその顔で微笑んだ。二十七歳だという彼女は童顔で、十二歳の私により似て見えた。冬香は彼女を私と勘違いしたのだろう。確かに先入観抜きでこれでは、誰も気が付かないに違いない。

私はその微笑みに訳も無く傷ついた。

私の存在を全否定された気がした。

「私は、何?」

クローンだと「美夏」は言っていた。その言葉は聞いたことがあるが、詳しくは知らなかった。

「クローン、って言っただけじゃ、中学に入ったばかりのあんたには難しい話だろうね」

いつの間にか父と母は部屋に入ってきていた。そして私達の話を静かに聞いている。

「……こうなった経緯から説明するわ。私はね、十五歳――つまり高校一年生のときに一生を添い遂げてもいいくらい大事な人に出会ったの。私は幸せだった。……私が、その人の子を身篭るまでは」

その台詞を聞き、私は思わず体を震わせる。そんな私の様子に構いもせず、他人事のように淡々と彼女は語る。

「それから彼の態度は変わった。暴力を振るうようになったし、冷たく接するようになった。彼がそんなだから、子供は結局産まなかった。でも、世間は黙っていてくれなかった」

世間の目は冷たいから――そう呟く彼女は、やはり他人の話をしているかのようだった。

「両親は体面を気にしたのよ。それは当たり前だった。そんなこと、恥でしかなかったから。私は、留学を理由に海外に飛ばされた。……ただ、ウチにはそんなにお金が無かった。そんなときこの人たちは何を考えたと思う?」

「美夏」は、両親を顎で示した。父は目を閉じ、母は俯いて彼女の次の言葉を待つ。

「病院から私の卵子を盗んで研究所に売ったの。クローンを作る『工場』と呼ばれる場所にね。私と同じ染色体……私と同じ遺伝子を受け継いだ者。それがクローン」

ニヤッと笑って、彼女は言った。

「つまりあなたのことよ」

私……私は、クローン?

自然の意思に背いて生まれた存在?

私は元々イレギュラーだったのか。私には初めから「普通」はなかったのか?

打ちひしがれる私を見もせず、ふっと息をつき彼女はまた言う。

「『工場』にはクローンの十歳までのデータを全て送らなければならない。したがって、あなたはウチで育てられることになった。でもね、十歳を超えたらそこで契約は終了するの。クローンには『工場』も干渉してこない」

彼女は私に、一歩一歩近づき、口元に妖しげな笑みを浮かべて言った。

「言い換えるとね……用済みのあんたが生きていようが死んでいようが、誰も何も思わないっていうこと」

そういうと彼女は、私の首にそっと手をかけ、力いっぱい絞めてきた。

「う……ぐ」

叫びたいのに私の声はちゃんと声にならない。

私にそっくりな相手は、私の首を絞めながら残酷な笑みを浮かべる。

「……この世に美夏は二人もいらないのよ」

静かに彼女が呟く。

「美夏!美夏っ!!」

母が……いつもはおとなしい母が叫んでいる。

「お母さん」

少しだけ私の首にかかる力を緩めながら、「美夏」は問う。

「『美夏』って、まさかコイツのことじゃないよね?」

「……」

母は答えない。

「コイツに情が湧いたか。まあね。私は素行の悪い、劣等生だったから。……コイツは成功品だったわけだ。あんた達の、子供としての。」

緩まる手の中、私は鼻だけで荒い息をし、父と母を見る。

不意に私の首にある手の力が、一層強まった。

――助けて。お父さん、お母さん。

「はっ……っく」

何とか息をしようとするが、叶わない。私の意識は次第に遠のいていく。

最後に見たのは鏡に映したようにそっくりな、自分の残忍な微笑みだった。



ひっく、ひっく、としゃくる声。

「五月蝿いな。静かにしてよ」

ずっと泣いている母親に「美夏」は冷たく言い放つ。父親は、母親の肩を抱いていた。

そんなにアイツが良かったか。……私より?

そう考えると「美夏」は無性にいらいらした。偽者に、負けたことを認められなかった。

少し考えて、言った。

「引っ越さないとね。ここは私の存在が、近所の人に怪しまれてしまうもの」

出来るだけ、明るく言ったが、両親は反応しなかった。それが余計に苛立ちを増幅させる。

そのとき、ふと思い出したように彼女は呟いた。

「これ、どうにかしなきゃな」

泣き腫らした目で母はこちらを向く。父も同じように向いた。

「ねぇ。」


「美夏」に怯えるように、母はびくりと体を震わす。

「美夏」は愉快な気持ちでそれを見ると。

次に、転がったままの死体を指差して。

柔らかく微笑んで、言った。

「これ、捨ててきてくれる?」




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