第22話:眠れない夜に
【SIDE:倉敷貴雅】
俺は図書室で絵美と勉強しながら昼間の事を考えていた。
俺の家族関係を聞いてきたみゆ先輩にキツく言い過ぎた。
彼女は純粋な意味で知りたかっただけかもしれない。
だが、ある程度の事情は知っていなければ「あの家を出て行きたがってる」などという発言は出てこない。
どちらにしても俺は彼女を傷つけてしまったかもしれない。
みゆ先輩に悪気はないはず、それが悔やまれる。
「貴雅?何をしているの?」
「あ、悪い。ぼーっとしていたか。次の問題は……」
絵美に気づかれたので再び問題に目を向ける。
せっかく教えてもらっているんだ、集中しないとな。
「疲れ気味かしら?それとも、何か悩みでもあるの?」
「別に何でもない事だ。……いたっ」
彼女はくすっと微笑みながら俺の額を指先で小突く。
「何にもないって顔をしていないもの。悩みがあるなら相談に乗るわよ?」
「ホントに些細な事だ。少し、恋人と喧嘩しただけ」
「へぇ。それは意外かも。貴雅が喧嘩なんてするんだ?それとも向こうが?」
問題よりも悩みを話せ、絵美はそう態度で示すので仕方なく事情を話す。
テスト間近の図書室は人が多いので小声で言う。
「……それは相手に配慮できない彼女が悪いでしょ。誰にだって踏み込まれたくない部分はあるわよ。それに気づけなかったあの子が悪いわ」
「みゆ先輩の気持ちも分からなくもない。俺が話をしていないのが原因なんだ」
それに付け加えるなら八つ当たりした感もあるんだ。
その前日にその“問題”に対して敏感にならざるを得ない状況があったから。
タイミングが悪かった、それだけだ。
「私はちょっとだけ事情を知ってるから言えるけど。貴雅ももう少し余裕を持ちなさい。心に余裕を持って周りを見渡した方がいい。今は見えていないでしょ?」
「……そうかもな。まぁ、この件は何とかするさ。話し合えば解決すると思っている」
「ふふっ、そうだといいわね。もしも、関係がこじれてダメになったら私の所に戻ってきなさい。しばらくの間、私の横はあけておいてあげるわよ」
冗談っぽく笑う絵美に俺は苦笑いで返す。
再び勉強を再開した俺だが、完全にみゆ先輩の事を頭から切り離せない。
家に帰ったら電話ぐらいしてみよう。
集中して勉強をしていたので、帰るのが少し遅くなってしまった。
辺りはまだ薄暗い、最近は太陽が沈むのが遅くなったな。
「……ただいま」
家に帰ると夕食を食べるためにリビングに入る。
「今日の晩飯は……なんだ?」
だが、そこには想像していなかった光景が広がっている。
「おかえりなさい、貴雅兄様♪今日の晩御飯はみゆちゃん手作りですわよ」
椅子に座って料理を待つ天音。
その視線の先にはエプロン姿のみゆ先輩がいた。
「おかえり、貴雅。もう少しで出来るから待っていてね」
「あ、あぁ……って、何でみゆ先輩がここにいる!?」
喧嘩してるはずの相手の予想外の行動に俺はたじろぐ。
もはや彼女には世間の常識すら通用しないのか。
思わず持っていた鞄を落とすとそれを母さんが拾い上げる。
「どういう事だ、母さん?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。貴雅さんの恋人で、天音の友達なんだから。お料理が得意なんていい恋人さんでしょう?可愛いし、素直だし、とてもいい子じゃない。貴雅さんの将来のお嫁さんにぴったりね」
何やら既にうちの母とも親しくしているみたい、って、お嫁さんとはどこまで話を飛ばす気だ。
みゆ先輩は相変わらずの適応力というか、他人と馴染むのが早すぎる。
「いや、違うっ。そういう関係の話じゃなくて」
「美結さんは今日、天音がお泊りに誘ったのよ。私は食事を終えたら出かけてくるから、後は任せるわね。帰りは深夜になるから、戸締りはしておいて。天音、準備を手伝ってくれる?」
「分かりましたわ、お母様。みゆちゃん、ここはお任せします」
天音は俺の横を通り過ぎる時に「お話、ちゃんとしてください」と言われてしまう。
話す前にする事があるんだが……どうするかな。
「みゆ先輩。俺は正直言って、こういう行動が取れる先輩をすごいと思うよ。尊敬さえできるかも」
まさか喧嘩中にもかかわらず、我が家に堂々と来れるとは思わない。
「俺なら絶対にできない、誰にでも真似ができることじゃないからな」
「あぅあぅ……」
彼女は俺の嫌味な言葉から逃げるように料理を続ける。
その何とも言えない背中を見つめていると、何だか文句を言う気もそげた。
「まぁ、いい。料理を続けてくれ、この話は後でしよう。そういえば先輩は料理が得意だって前にも言っていたな」
「う、うん。子供の頃からお手伝いしたりしてたの」
揚げ物だろうか、いい匂いがキッチンからする。
手際もいいみたいなので、天音と違い安心してみていられる。
エプロン姿の恋人が家事をするという光景は悪くない。
「家庭的な女の子は結構好きだ」
しばらくの間、俺はみゆ先輩の背中を黙って見つめ続けていた。
みゆ先輩手作りの味も見た目も美味しい料理を食べた後、お泊りと言う言葉通り、彼女は天音とお風呂に入ったりして楽しんでいるようだ。
俺はテスト勉強を終えて、雑誌を読みながら休憩していた。
「天音はみゆ先輩と出会ってから明るくなったよな」
母さんは出かけて今日の深夜に帰宅予定、いつもながら忙しい人だ。
父は現在、単身で半年間の海外勤務中、母も仕事で日本国内のあちらこちらに行くために忙しく不在な事も多い、さらに兄貴も大学進学でいない。
家族が離れ離れになっている状況に天音はずっと寂しがっていたので、みゆ先輩の存在はとても大きいのだろう。
元々、友達も少ない方なので、親しくする相手にめぐり合えたのは幸運だ。
俺自身、どうなんだろうな。
みゆ先輩と出会って1ヵ月。
あのラブレターを拾ったのが始まり、恋人役をさせらたり、学校中に恋人だと勝手に放送されたり、さらに実際に付き合うことになったり……今はなぜか喧嘩までしている。
たった1ヵ月の間に大きく俺の周囲を取り巻く環境すらも変わり始めた。
いつのまにか恋人にフラれた痛みも消えて、今は別のことで頭を悩ます毎日ではあるが。
「不思議な子だよな。人を惹き付ける魅力、周囲の存在に与える影響力はかなりのものだ。みゆ先輩にはある種の運命を感じずにはいられない。俺も惹かれている人間のひとりだ」
初めは我が侭で子供っぽいだけな女の子だと思っていた。
今は違う、子供らしい内面もあるが歳相応な一面もちゃんとあるのを知っている。
俺は飲み終えたコーヒーのカップを片付けようと立ち上がる。
「……貴雅。お話がしたいの、入ってもいいかな?」
みゆ先輩の声が扉の向こうから聞こえる。
「どうぞ、入ってくれ」
俺はもう1度椅子に座りなおして彼女を部屋に招いた。
「……あれ、貴雅の部屋は洋風なんだ?畳とかじゃないんだ?」
「あぁ。この部屋と隣の部屋は以前にリフォームして洋風に変えてもらったんだ。さすがに築数十年の古い家だからな。古い部屋を改装するにはいい機会だったんだよ」
俺の部屋は他の部屋と違い洋風にしてもらった、隣の兄貴の部屋もそうだ。
天音は昔から着物を着る習慣もあったし、和風を好んでいるのでそのままだが。
「それにしても……何だ、その格好は?」
「これ似合う?天音ちゃんの服を借りたの。寝る時まで和服なんだね」
みゆ先輩は天音の寝巻き代わりの浴衣を着ている。
お風呂上り、髪もまとめて可愛らしい格好だ。
「へぇ、可愛いじゃん。天音がそれを着てるのは普段から慣れているけど、やはり、人が違うと新鮮に思えるな……」
うちは古風な家で、俺も幼い頃は和服を着せられていた。
面倒になってパジャマに変えたが、天音は昔からずっとそのままだ。
「……さて、それじゃ、本題に入るとしよう。ベッドに座ってくれ」
「うん。貴雅、まずは……ごめんなさい。私、貴雅を傷つけたよ」
「傷つけた?いや、あの程度で傷つく柔な心はしていない。むしろ、逆に俺が八つ当たりをしてしまって悪かった。その辺の事情もちゃんと話してやるよ」
俺はみゆ先輩に事情を話していなかったのが今回の原因だ。
照れはあるが自分の事を恋人に話すのは必要だろう。
「私のこと、許してくれる?」
「もちろん許すよ、思えばこちらも少しムキになっていたからな」
「よかったぁ。うぅ、これでもしかしたら破局しちゃうかもって心配だったの」
たった1度の喧嘩ぐらいで終わるのは俺としても避けたい。
そんなに気にしていたのは今日の態度からして意外だった。
みゆ先輩にも落ち込む事はあるようだ、気をつけよう。
「さて、と。俺の家の事情はどこまで知ってる?」
「貴雅のお父さんやお兄さんの事は美琴さんから聞いたよ。私が知らないのは貴雅本人の事。これからどうしたいのか、その辺を聞かせてくれない?」
「分かった。みゆ先輩が今日言っていた『俺がこの家を出て行く』という話。あれは若干、事実とは異なっているんだ。どうせ、天音から聞いたんだろうが、俺は別に家柄や血筋をそんなに気にしてはいない」
昔は母親の事、兄貴との血の繋がりなどを気にしていた時期もあった。
だが、今はさほど気にする事もなく普通に生きている。
みゆ先輩はきょとんとした表情を浮かべる。
「それなら、どうしてお兄さんの話をしちゃダメだったの?」
「……俺にはひとつの夢がある。俺は将来的に教師になりたいんだ」
「教師って学校の先生?意外~っ。貴雅ってそんな夢があったの?」
「俺にだって夢くらいあるさ。子供の頃にいい先生にめぐり合って、自分もなりたいと思った。だが、現実問題、今の時代は教師になるのも大変なんだよ。だから、必死になって勉強もしている。絵美が協力してくれているのはその事情を知ってるからだ。他意はないって言っていただろ」
彼女は絵美の名前にむぅっと唇を尖らせる。
とはいえ、元恋人と一緒にいるのが不満なのは当然なわけで。
「次からは私が教えてあげる。やっぱり、テスト期間中って短い間だけでも離れるのは嫌だもん。さらに他の女の子と一緒なんてもっと嫌だよ」
こういう所、みゆ先輩も一人の女の子なんだなと意識させられる。
普段はめっちゃお子様なのでで女の子として扱わないが、考えを改めるべきかな。
「でも、それがお兄さんとどういう関係があるの?」
「昨日の夜、兄貴から電話がかかってきた。兄貴は本家のお嬢さんと付き合ってるんだが、どうやらその人と結婚するみたいだ。そうすれば兄貴は本家の人間になる。……だとしたら、うちの倉敷家は俺が継がないといけないわけだ」
昔から俺は兄貴がこの家を継ぐものだと思っていた。
実際に数年前まで兄貴も将来的に倉敷を継ぐと言っていた。
だが、事情が変わり、こういう展開になった以上、俺も真剣に考えなければいけない。
「……そうなれば夢を諦めなくちゃいけなくなる?」
「さぁ、どうだろうな。継ぐって言っても今の倉敷は当分、父さんがいるから安泰しているし、俺に役目が回るのは本当に何十年も先の事だ。ただ、今まで自分には関係ないと思っていたことが現実味を帯びてきた事実に驚いたんだ」
それが昨日の話、翌日にまさか“そこ”をみゆ先輩につかれるとは思わない。
俺はつい感情的になってみゆ先輩に半ば八つ当たりをしてしまったのだ。
自分の中でまだ整理できていなかったのもその要因ではある。
俺の話を聞くみゆ先輩は浴衣の端を手持ちぶさに掴んだり離したりしている。
「貴雅はえらいんだね。まだ高校1年生なのにこれからの将来についてよく考えている。それでも、まだ16歳。本当に考えるのはこれから先でもいいんじゃないの?」
そう話す彼女は今日はやけに大人びて見えた。
実際に彼女は年上なんだが、普段の行動からはまずそれが感じられない。
「先生になりたい夢があるのなら、まずはそれを叶えればいい。家の事はどうなるのかまだ分からないんだから難しく考える事もないでしょう。自分のしたい事をすればいじゃない」
みゆ先輩は穏やかな微笑を俺に向ける。
「未来は真っ白いキャンバス、ってよく言うでしょう。そこにどんな絵が描かれるのかはまだ誰にも分からない。そのキャンバスにどういう下絵を描いて仕上げていくのかは貴雅次第。まだまだ、焦らずにゆっくりと描けばいい」
「焦らずに、か。実際、その通りなんだろうが、みゆ先輩に言われるとはな」
だけど、みゆ先輩に言われると何だかとても安心できる気がした。
俺も気づかぬ間に彼女にすっかりと心を許していたらしい。
「私、貴雅のことがもっと知りたいと思うの。好きな子の事は何でも知りたいじゃない。だから、今日は貴雅が自分の事を話してくれてすごく嬉しかった」
頬を赤く染めて、嬉しそうに言うみゆ先輩。
今日の彼女は浴衣姿という事もあってか、やけに可愛く見える。
さらに言えば風呂あがり(いい香り付き)というシチュエーションはどんな男もオオカミにさせるぞ。
「……た、貴雅っ?ふにゃぁ!?」
気がつけばみゆ先輩を抱きしめていた。
彼女の華奢な身体は俺の腕に包み込まれる。
「――夜の男の部屋に無防備でやってきた方が悪い」
美少女の色っぽさ、こういうのにたまらなくなるのは男の性(さが)って奴だ。
俺はゆっくりと彼女をベッドに押し倒す。
それは俺達の眠れない夜の始まり――。