6.後悔
橘さんを平塚さんに任せて、私も研究室に戻るためにエレベーターホールに戻るが、いや、階段で降りた方が早いなと思い直しホール横にある非常階段へと繋がる扉を開ける。非常階段は建物の内部にあるものの、患者が通るわけではないので薄暗い。夜は絶対使いたくない!と思うような不気味さがある。
階段を降り始めて間もなく、下から2人の看護師がコンビニ袋を持って登ってくる。
「やっぱり他殺?犯人野放し?恨んだ患者に刺されたのかな?
それか、教授選出てたから蹴落とし?」
「いや、私は自殺って聞いたよ」
「マジで!?
揉めてて刺されたって話じゃなかったの?」
「さぁー?でも、殺人だったら怖すぎるよね…。」
すれ違う二人の会話を、思わず階段の踊り場で立ち止まって聞き入ってしまう。自殺、もしくは揉めた末の殺人か……昔もそんな話があったな、と冷ややかに笑いながら考えてしまう。刺された男性医師はその瞬間、何を思っていたのだろうか……今の看護師の話が事実なら、身内の犯行という事になるだろう。
うちの大学……ついに年貢の納め時が来たんじゃないか?そんな事を思いつつ、コンビニでしっかりカフェラテをゲットし、外来棟から出て中庭を通って1号館に戻ろうと思っていたのだが、よく晴れた青空の元、その中庭に鑑識や警察官やスーツを着た刑事?がそこかしこにおり、テレビで見慣れたKEEP OUTの規制線の黄色いテープで2号館の周りが封鎖されていた。流石に中庭は通れるようだったが、授業が休校になったらしく大量の学生達が警察官の誘導の元、中庭に列を作って門から出されていた。
えぇ……これって職員も強制帰宅とか?学生が帰されるということは、殺人だったと言う事なのではなかろうか?今頃になって相当な非常事態では!?と恐怖と焦りが出てくる。無差別殺人ではないという話だが、看護師さんの話を聞いたに過ぎないので確実な情報ではないわけで……。確かに、殺人犯がこの大学内にまだうろついているのなら、それは大変に恐ろしい事実だ。呑気にカフェラテ啜ってる場合じゃない!!と、慌てて研究室に向かう。
1号館のエントランスに入れば、ちょうど校内放送のピンポンパンポンと言う音が流れた。しかし、放送し終わってしまったようで己のタイミングの悪さを呪う。
小走りで階段を3階まで駆け上がり、廊下の中ほどにあるミーティングルームへと走り込めば教員から研究技術員、秘書まで皆が集められていた。教授が窓際の席に座り、皆も椅子に座っているが、座りきれない大学院生達は立ってその話を聞いている。私もコソコソと大学院生の背後に回り込み、さも初めから居ましたを装う。
「先ほどの放送の通り、2号館で医師が亡くなりました。
他殺との断定はまだできていないそうですが、安全のため一人残らず帰宅して頂きます。もし、昨晩から今朝にかけて不審人物や何か話を聞いたなどの情報があれば、警察に協力をお願いします。大学の方から情報が来ましたら皆さんに随時メールをするようにします。
それでは、皆さん気を付けてお帰り下さい。」
そう話し終えると、すぐさま松谷先生が口を開く。
「まさか、明日も出勤できないなんてことないですよね?
せっかく研究が進められるチャンスなのに、しかも今日、ELISA開始しちゃったから明日来れないとか困りますよ、19万がゴミになる。」
その言葉に西田先生が盛大な溜息をつく。
「先生……自分の命と19万どっちが大事なのよ」「19万」
苛立たしげに即答する松谷先生の言葉に他の者達も、うわぁ~という目で見る。
唯一教授だけが、鋭く目を細める。
「自分の命を懸けて研究を遂行するのは大変結構、しかし、これは大学側からのお達しです。
松谷先生が大学職員である以上、それは従わなければならない。
警察の方々のご迷惑にもなりますからね。そんなに研究費にお困りでしたら、19万のELISA代は私の研究費から補填しましょう。異論は?」
淡々と話す教授の言葉に、松谷が苦々しげに「ないです」とぼそりと呟いた。
それでは解散!と言われて、皆がヤバい!怖い!詳細知りたい!などと、ざわつきながらデスクのある部屋へと戻る。
慌てて荷物をまとめて「怖い怖い!!」と言いながら皆が帰り支度をして廊下に出れば、他の研究室からも慌ただしく人が出たり入ったりと、みな急いで仕事を片付けて帰るのだろう。
三橋さんと山田さんと、今後どうなってしまうんだろうと話しながら階段を下っていたところで、冷凍保存する試薬を冷蔵庫に入れて溶かしていたことを思い出す。いつ出勤できるとも限らないこの状況、駄目だ一回戻そうと、三橋さんや山田さんに気を付けて帰ってね!と手を振り、慌てて研究室に戻った。




