999.大学創設
明治の後期頃、この国の医療の近代化を図るため医学大学を創ると言う話が出た。明治維新という目まぐるしいほどの勢いで国が変わっていく中で、医療の近代化は急務であった。江戸から東京に名が改まり早数十年、この東京で大学を創設することになった。
建築現場の選定が急務であったが、限られた予算ではなかなか土地は見つからなかった。そんな中で、無償で土地を譲っても構わないと言う地主が現れた。その場所は、刑場跡だという。気味悪がって買い手も付かず、仕方なしにその地主が長屋街でも造り、大家にでもなろうと長屋の建築を大工に頼んだが、次々と事故が起こり大工たちが祟りだと言って逃げ出してしまい、結局中止になったと言う。
そんな曰く付きの土地ではあるが、土地代が無償であるならこんな良い話はないと政治家や役所の人間たちは食いついた。しかし、いざ工事が始まると、その地主が言っていたように次々と事故が起きた。ついには死亡事故まで立て続けに起こり、ついに工事は一時中止となった。
頭を抱えた担当者達は僧侶、神主、祓い屋を呼んだが、その場で逃げ出す者、祓っている最中に泡を吹いて倒れる者、発狂する者、ついには誰も来なくなってしまったのである。そんななか、代議士の一人が東北に腕の確かな拝み屋の老婆がいると言って一月後にその老婆を連れて来た。その拝み屋は土地を目の前にするなり膝をついて震え出した。そして老婆は震えながら口を開いた。
「この土地は呪われている。人の恨み辛みが染みついておる。この土地を鎮めるには生贄が必要だ。その生贄の体を十二支の方角に埋めなければ、この土地は静まらぬ。」
その言葉に、老婆を連れて来た代議士が容易い事だと言った。
「それで?必要な生贄はなんだ?鳥か?豚か?牛か?」
すると老婆はゆっくりと集まっていた代議士や役所の男達を見上げた。その目は見開かれ血走っており、皆が思わず後ずさるほどの狂気を帯びていた。
「畜生ではない。人だ……それも、高潔な女子の生贄が必要だ。」
その言葉に誰もが息をのんだ。古に神を鎮めるための生贄の風習があったことは聞いたことがある。だが、今はそのような神話の時代ではない。そんなバカバカしい事の為に、一人の女性の命を奪うなど……。
誰もが何も言えずにいると、一人の若い男が前に進み出た。その男は若くして、政治の世界へ踏み入れるほど優秀な人物であり、野心的な男でもあった。
「私が用意します。」
そう一言告げると踵を返す。その男を追うように秘書の男が小走りで付いていった。
その男は誰よりもこの事業の成功を望んでいた。その身をもって医学が進歩しなければならない理由を知っていたからだ。故に、医学を、医師を育てるためであれば、どれ程の悪事に手を染めようとも、どんな手を使ってでもこの大学を設立させることを誓っていたのだ。
幸い男にはあてがあった。女でありながら看護婦ではなく、医師を志している女を知っていた。しかし、その女は孤児院育ちで医学校に通う金がなく、茶屋で男を相手にしながら金を貯めていたのだ。はじめは金を無心するための作り話だと思っていたが、話をすればそれが嘘ではないとわかるほど、女は頭が良く博識であった。自分が帝大卒だと伝えれば、女は目を輝かせて独独逸語(ドイツ語)を教えてくれとせがんできたこともあった。
いつもより早く店に行けば、女は店先の長椅子に腰かけて金平糖を口に放り込んでいるところだった。ガリガリと可愛げのない音を立てながら金平糖を噛み砕いている。女はこちらに気づくと一瞬目を丸くするが、次の瞬間には「こんな時間から来るなんて、政治家って意外と暇なの?」などと笑っていた。
店の部屋に案内され、用意された酒を飲みながら、医学大学の創設の話を聞かせた。そして、女に問うた。「もし、その大学の礎になれるとしたらお前はどうする?この先、数えきれないほどの医師が育つであろう場所の、その礎に……」卑怯な言い方であったのは承知の上、しかし、女はキョトンとした顔をして少し考えたようなそぶりをする。
「礎かー、教員ってこと?私は自分が医師になりたいんだけど。まあ、でも、私のおかげで医師や女医がこの国に多く生まれるなら、それはそれで……人の役には立つってことだから、悪くないかもね」
そう言って、女は儚げな綺麗な笑みを浮かべた。
数日後、男の前に現れた黒い装束の男たちが棺桶を運んできた。中に入っていたのは、儚げな笑みを浮かべていた女自身、その青白い顔に生気はない。
「女は死ぬ前に苦しんだか?」
黒装束の男に問えば、ゆっくりと首を振る。
「ご要望通り、苦痛の無いようにいたしました。
眠ったまま心の臓が止まったので、苦しみは一切なかったかと」
「……そうか」
そう伝えると、棺桶の蓋を閉じるように指示をした。
「後は頼んだ」
「御意」
数日後、再び建築現場に集められた関係者たちは、真っ白な祭壇の上に乗せられた12個の大小様々な木箱を目にした。どの箱に何が入っているか大まかな想像ができるくらいには、皆はそれを見て悟っていた。あれには人の体の一部が入っている。と……。白い装束に身にまとった老婆が祭壇へ歩み寄ると、一つ一つ箱を開けて中身を確認する。辺りに匂い始める腐敗臭に、誰もが顔をしかめた。そして、最後の大きな箱を開けた老婆は覗き込むと「聡明な顔をした娘だ……」そう呟くと、中年の代議士が席を立つと勢いよく走りだし、草むらで嘔吐していた。
その場に居た多くの者が思った。人の命を救うための医学を学ぶ場で、人の命を犠牲にするなどと……。だが、たった一人、女を犠牲にしたことを後悔していない男がいた。この女を生贄にすることを決めたその男だけは、医学とは犠牲がつきものなのだと、そう考えていた。
儀式がつつがなく行われ、最後の方角に女の体の一部を埋めるときに、男は老婆に話しかけた。
「これを一緒に埋めても問題ないだろうか?」
そう言って差し出したのは、綺麗な錦織の布が張られた小箱だった。
「中身はなんだい?」
「金平糖だ。この娘は甘いものが好きだった」
これを買ったのはただの気まぐれ、昨日の出張先でふと手にしたこの金平糖、女に何かを買い与えることなどしない主義だが、その時は何を思ったかその箱を手に取り買っていたのだ。
「かまわないよ」
老婆にそう言われ、木箱の上にその箱を置いた。そして、土木作業の男達が箱を受け取ると深い穴の中にそれを置き、梯子で上がってくる。そして、上から土をかけていく。土を被る木箱と錦織の箱、それが見えなくなるまで見つめると、男はその場を去った。
儀式の翌日から工事は再開されたが、ただの一度も事故は起きなかった。女の犠牲により地鎮は成功したのだ。
数年後、大学の中心にあたる教授棟の地下に墓石が造られた。建物内に造られたのは、女を生贄にして地鎮を行った事など、決して世に出してはならないためだ。だが、それと同時に一人の女の犠牲により、この大学が造られたことを忘れてはならないためでもある。代々理事長のみがこの慰霊を行う事を定めた。
その墓石に刻まれた名は
「桜井与野」
終
この物語はフィクションです。
現実の団体等には一切関係ありません。




