3.無情
「10時37分…ご臨終です。力及ばず申し訳ありませんでした。」
消化器外科教授の初瀬がそう告げると、医師一同と共に頭を下げる。沼田先生から、沼田先生の遺体と変わったその体に、沼田の妻が嗚咽を漏らしながら崩れ落ちる。
同僚の医師も集まり、患者の前では決して涙を流さない医師達も仲間の死の前では涙をこらえることはできない。
手を尽くしたとは言え、何か手はあったのではないか…もっと何かできたのではないのか?自分達が救わなければならない同僚の、先輩の、後輩の、仲間の命がその指の隙間から零れ落ちてしまったのだ。
白衣を着た医師達のすすり泣く声がICUに小さく響いた。消毒液の匂いに規則的に聞こえる他の患者のベッドサイドモニタの音、そして嗚咽とすすり泣く声を病室の端で、目線を落として静かに聞いていたスーツ姿の男のスマホが震え画面を確認すると、「教授」と小さく声を掛ける。その声に初瀬が振り向くと、頷き
「申し訳ない、後は頼むよ」
斜め後ろにいた医局長の佐々木に声を掛け肩を叩くと「承りました」と、小さく返事をしたのを聞き届け。視界には入っていないだろうが、声を上げて泣きじゃくる沼田の妻に一礼をするとスーツの男の下に足早に歩み寄るその顔は、先ほどの威厳を捨てて遺族に頭を下げ、沈痛な顔をしていた外科の教授とはまるで別人、その顔は怒りに満ちていた。
スーツの男は、あぁ…これは荒れるな。と心の中でつぶやき、足早に職員専用エレベーターへと向かう教授の少し後ろを足早に追いかけたが、エレベーター前で教授を追い抜き、素早く上のボタンを押す。用があるのは20階の会議室、しかしどのエレベーターも3階に下りてくるには遠い階にいる。医師達がチラホラと職員専用のエレベーターホールに来ては、初瀬の姿を見て回れ右をしてエスカレーターの方へと向かって歩き出す。エレベーターは全部で6機あるが、20階までともなれば3階に戻ってくるにはなかなか時間がかかる。
「竹中理事は何か言っていたか」
端的に、しかし苛立ちを隠しきれていない低い声で初瀬が問えば、スーツの男は無機質に事務的に淡々と答える。
「申し訳ありません、私が上にいた際にはまだいらっしゃっておりませんでしたので、お会いしておりません」
そう返せば、チッと舌打ちをするこの男はこの病院の副院長であり、花形である外科の初瀬教授だ。
今年度で定年されると言う最後の年に、とんでもない事になったものだ。名誉教授と病院理事という立場で大学病院にそのまま残るという話だったが、おそらくその話は飛ぶだろうな、むしろそれどころではあるまい。




