プロローグ
――世界の歪みを感じているのなら、そこには隙間が見えるはずだ
観測されるまではそれは存在しえないものも、観測されることで現実になる――
アヌルス・アヌス 叙情詩 第三編章 三節より
俺は貴弘、どこにでもいる引きこもりだ……。
え? 働けって?
聞いてくれるかい? これでももう 50近いんだよ……。
戦国時代ならとっくに寿命を迎えている年だよね?
「人生、50年~♪」だっけか?
俺の場合は就職氷河期っていう、絶妙なタイミングで生まれてしまってね――。
正社員になれなかったのは言うまでもないが、当時の俺には終身雇用制という安定がなくなったのがどの職場でも本気で働けなかったという……。
まぁ、これは言い訳だが……。
当時は先行きが見えない働き方を続けて仕事を転々としていたおかげで、余計に将来を見失って不安が募ったんだろうね……。
二十歳位にはバリバリ東京の大手PC会社で管理職までやっていたこともあるんだよ?
まぁ、過去の栄光ってやつだ――。
……結局、仕事中に身体を壊して、実家の北海道に戻ってきたのだけど。
全身精密検査をしたが全く異常なし。
笑えるだろ?
――不安障害なんだってさ。
それから10年間は外に一歩出るだけで足がすくんで、しゃがみ込むやら、吐き出すやらで、まともに外に出られるようになったのは本当に最近のはなしなんだ――。
健康のためにも散歩でもしてみたらと主治医に進められて、最近では早朝の散歩が日課になっている……。
「しっかし、最近やたらあついなぁ……」
家の傍にある散歩道が完備された公園に向かいながら木々の緑が朝なのに異様にまぶしい――。
「ふぅ……」
いつもの茶色のゴムのようなもので覆われた散歩コース――。
脚を傷めないようにと市役所……? 公園担当だから土木兼業所かな?の配慮で路面が柔らかいので快適だ。
まぁ、俺にはどちらでも構わないが、いつもの端っこが腐りかけの乾いたベンチに腰掛ける……。
「……。毎年ペンキを塗り替えても雪や日焼けでベンチも経年劣化か――」
俺に似たベンチを見つめるよりも〝空〟を見上げて形が変わっていく〝雲〟を見ている方が好きだ。
………
ふと誰かが隣に座ったベンチが軋む――。
そちらを見ると顔立ちの穏やかな老婆がいた好々爺ならぬ好々婆って感じだろうか?
「……おつかれさん、今日も散歩かいね?」
(ん?!)
――隣に座られた時点でかなり焦っていたが、当たり前のように話しかけられた。
まぁ昔からやたらと人に話しかけられる、それも面倒だったので引きこもるようになったのかもしれない。
が、とりあえず今はこの状況をどうするかだ……。
「……おはようございます。 おばあさんも散歩ですか?」
「まぁ、そんなとこさね」
……ん? 今日もって言ったよなさっき?
「…ところでお前さん、一つだけ願いが叶うとしたら何を願いたい?」
――いや待て待て。……話題がないとしても唐突過ぎるだろ。
いきなりそんな話されても普通反応にこまるだろ?
「……え~、一つだけですかぁ?」
怪しいが、まぁいつものように相手の話に合わせて切り抜けよう……。
「ああ、一つだけじゃ。 ……わたしゃ昔に一つだけ願いを叶えたことがあるんじゃよ」
「え? そうなんですか?」
あ、昔話とかボケとかなのかな……?
――こういっちゃなんだが〝空〟は晴れているのに話の〝雲〟行きが怪しくなってきた。
まぁ、暇だからつきあうんだけどね。
――実に俺らしい……。
「――ロト6って知っているかい? 出た当時は大そうな評判でな……。1等4億円だったんじゃ」
「……ってことは4億円あてちゃったんですか?」
「鋭いのぉ。そうじゃ、この指輪の力でな」
そう言うと老婆は赤い宝石がはめられた金色のリングの〝指輪〟を見せてきた――。
――半球型の赤い宝石の中心に猫のような目のような模様の〝指輪〟……。
一瞬だが猫の目の模様がこちらを見たように感じた……。
「……えと、おめでとうございます?」
「あはははは、あんたは面白い子だねぇ。 どうだい? この〝指輪〟1億で買ってくれないかい?」
(はぁ? なにいってんだよ? 自分の方がよっぽど面白いことを言っているじゃないか……)
……大体願いが叶う指輪?
そんなものがあったのなら――世界中のみんな幸せに……。
――なってないのが世知辛い。
「って、1億なんて持っていませんよぉ。仮に願いが叶うなら欲しいですけど、普通払えませんて」
本物なら欲しい――でも願いが一つ? 何を願う?
婆さんが突然顔を近づけて、小声で話しかけてきた……。
「お前さんロト7って知ってるじゃろ? あれで1等当たったら10億円あたるんだよ……」
「は、はぁ……」
「お前さんが当ててくれれば、払えるじゃろ? 1億でも2億でも――
残りはお前さんの取り分じゃ。8億もあれば贅沢な暮らしができるじゃろう?」
――確かに本物ならそうなんだろうけど……それでいいのか?
しっかしこの老婆怪しすぎる――。しかもなんで俺……?
……っていうかいつも散歩していることを知っていた?
――監視されていた? 関わりになりたくないなぁ……。
が、俺はこの婆さんに話を合わせながら、今後老婆と関わらないような方法を思いついた――。
「おばあさん、それならもっと良い方法がありますよ?」
俺は〝指輪〟の視線を気にしながらも話し始める――。
「ロト7ならキャリーオーバーで1等は山分けですよね? ……だから同じ数字を買いませんか? そしたらお互いに1等を当てられて――。 二人とも10億? その〝指輪〟が〝本物〟なら当たるかもしれませんよ?」
「おまえさん!賢いのぉ! ――そうか10億か。……よしよし。じゃぁこの〝指輪〟はお前さんに託すでの。 ――よろしく頼むよ」
ふと老婆が〝指輪〟を俺に押し付けて立ち上がろうとしたので咄嗟に引き留める――。
「あ、ちょっと待ってください」
「……なんじゃ?」
「どの〝数字〟買うんですか?」
婆さんはごまかすように頭をかきながらショルダーバッグをの中をあさり始めた……。
「……メモ帳だすんでまっとくれ」
――老婆は、使い古されたボールペンで、破り取ったメモに数字を走らせた……。
「05、09、19、23、25、29、31……。 ――ほらよ。忘れないうちに、今日、買いに行きな。 あんたの運命が、これで動き出すんだからね――」
(ちょっとなにいってるかわからないんだが……)
「……お婆さん、せめてお名前を教えていただけますか?」
「――ふん。 〝名前〟なんて言うのは記号に過ぎない。 どうしてもというなら、ミシェルとでも呼んどくれ」
……彼女が去り、意気揚々と公園を後にした後。
俺は、その汚いメモの端切れと、手の中にある赤い石の〝指輪〟を交互に見つめていた――。
嵐のような婆さんだったな……。
2019年5月24日。公園の空気は、5月とは思えないほど熱を帯び、公園の木々は不気味なほど深く、そして鮮やかな緑を放っている――。
「……ミシェル。変な婆さんだな。っていうか、普通に考えて10億なんて当たるわけないだろ。中二病な婆さん……ということにしておこう」
口ではそう毒づきながらも、俺の心臓は、20年間の沈黙を忘れたかのように、トクン、トクンと高い音を立て始めていた――。
掌にある〝指輪〟の猫の目のような模様が、一瞬だけ——本当に一瞬だけ、俺をあざ笑うように細められた気がした。
「……ったく。あんな婆さんの言うこと、真に受けてどうすんだよ」
俺は、湯野山公園を後にして、近所にあるスーパーへと向かっていた……。
――近くの中学校のチャイムが遠くで鳴っている。20年前に俺が失った〝時間〟がそこには流れていた。
時計の針が10時を回った頃、外の熱気を遮るように、俺はスーパーの自動ドアを抜けた……。
吹き出してくる心地よい冷気に誘われ、俺は店の入り口すぐ横にある宝くじ売り場に吸い寄せられた――。
挙動不審な俺を店員が怪訝そうに見つめているような錯覚を覚えながらも、久しぶりの現実との接点に勝手に自意識過剰になっている自分に「冷静になれ」と心の中で繰り返す……。
20年間のブランク。たった一言、「これをください」と言うだけで、心臓が口から飛び出しそうだ。
「あ、はい……この数字で」
俺はミシェル婆さんのメモを見ながらマークシートを塗りつぶし受け付けの女性に差し出した……。
(05、09、19、23、25、29、31……)
「ありがとうございます」受付の女性はにっこりと微笑みシートを受け取る。
機械に飲み込まれていくその数字が、一瞬だけ、青白い光を放ったように見えた――。
――これが、後に『アヌルス・アヌス叙事詩』として、西暦3224年の遥かな未来まで語り継がれることになる、全ての始まりだったとは……。
この時の俺、貴弘には、知る由もなかった――。




