第1章姫街道に散る火花
第1章姫街道に散る火花
カッカッカッ!カッカッカッ! 上州の乾いた風を切り裂くように、鮮烈な火花が舞う。
文政九年(1826年)。弱冠二十歳の中野孫三郎兼重は、緊張で強張る肩を回しながら、吉井藩の名主・堀越文右衛門の屋敷の門をくぐった。文右衛門は、屋号を「丸文」と称し、絹、塩、荒物という生活の根幹を握る三つの巨大事業を展開する、この地一番の有力者である。
「……で、兼重。その面構え、また何か企んでいるな?」
文右衛門は、分厚い帳面から顔を上げた。彼は吉井藩一万石の財政を実質的に支える「大名貸」の元締めでもあった。
「旦那、景気はどうです? 殿様相手の金貸しはさぞかし濡れ手で粟でしょう」
兼重が茶化すと、文右衛門は「ふん」と鼻を鳴らし、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「笑わせるな。あいつら、支配力を盾に借金の棒引きを迫ってきやがる。安中、七日市、小幡、高崎、果ては信州の高遠……あちこちに貸しちゃいるが、中身はボロボロだ。俺の代の記録にはな、『大名貸など二度とするな』と太字で書いておくつもりだ。もう、こりごりだよ」
兼重は、そんな巨人の弱音を笑い飛ばした。
「なら旦那、これからは殿様じゃなく、日本中の『民』を相手にしましょう。丸文さんの荒物問屋としての販売力、あっしの打った『火打鎌』に貸してください。上州一帯、いや江戸までその火を飛ばしてみせます」
江戸時代、火打鎌がこれほどまでに普及したのには理由がある。 かつて火は、人間が手に入れられる最も尊く、かつ最も危険な「神の恵み」だった。
五、六世紀に大陸から火打鎌が伝わった当初、鉄は黄金に等しい貴重品だった。八世紀になっても、庶民にとって火を起こす道具など夢のまた夢。当時は棒を揉む摩擦式の火起こしが主流だったが、それは全身の筋肉を使い果たす重労働である。 そのため、人々は火を「起こす」よりも「消さない」ことに心血を注いだ。高野山では、空海が灯した聖なる火が、千二百年もの間、僧侶たちの昼夜を問わぬ見守りによって今なお赤々と燃え続けている。それは単なる物理的な燃焼ではない。千二百年という時空を繋ぐ、信仰という名のエネルギーである。
戦国時代になれば、鉄はすべて死の道具に変わった。刀、鎧、槍。農具に回す鉄すら惜しまれ、木製の鍬で泥を掘る時代である。当然、生活用具である火打鎌に回る鉄などなかった。
しかし、徳川がもたらした「戦のない二百年」がすべてを変えた。 平和は鉄の価値を「殺戮」から「生活」へと引きずり下ろした。仕事にあぶれた刀鍛冶たちは、その卓越した技術を鍬や鎌、そして火打金へと注ぎ込んだ。彼らは「野鍛冶」と呼ばれ、民の暮らしを支える勇者となったのだ。
「いいかい、旦那。今や火打箱は、一家に一台の必需品だ。」兼重は、商談の席で熱弁を振るう。現代で言えば……そう、テレビやパソコンみたいなもんです。
左は火打ち袋右は火打ち箱
当時の火打箱に入っているものは、カスガイ型火打鎌、火打石、蒸炭(朽ち木を蒸して炭化させたもの)、附木(ツケギ・赤松を専用カンナで0.5ミリメートルくらいの厚さに加工して付箋紙状にしたもの。その先には硫黄が塗ってある)。以上である。火を出す仕組みはシンプルだが奥が深い。 「おい、石から火が出ると思ってねえか? 違うんだ。削れるのは鉄なんだよ」
着火の方法は、火打石を利き手に持ち、カスガイ型火打鎌(木の板の持ち手がついたもの)を反対の手に持ち、火打箱の端に木の板を縦に固定させる。火打石を火打鎌の鋼部に打ち付け、火の粉を蒸炭の火口に落とす。ホクチに乗った一粒の火の粉に附木を充て、炎にし、囲炉裏や行燈に火をともすのである。
鉄と石をぶつけ、火の粉を飛ばす。その一粒が火口に宿れば、じわじわと赤く広がる。そこに附木を添えて、ようやく「炎」が生まれる。この「カッカッ!」という音は、単なる着火音ではなかった。
火には邪気を取り払う効力や、魔除けとなるなどの民族信仰が全世界各地にある。カスガイ型火打鎌は、主人が旅に出たり、危険な作業をする時、妻が主人の安全祈願を願って、背中から肩越に、カッカッ!カッカッ!と火の粉を散らす儀式を行う。「切り火」と言う。日本での火を使った民族信仰である。カスガイ形火打金を使うのは一家に一台、必ず火打箱が常備されていたからである。この習慣は現代でも継承されている。歌舞伎界、相撲界、とび職など危険な職業、花柳界、などで見ることができる。宗教では日蓮宗のお寺と檀家が熱心に仏具として使っている。信仰の深い檀家では、毎日仏壇の前で、朝昼晩それぞれ五十回以上キリ火を行っている。
切り火・カスガイ形火打ち金は女作一の文字が見えるので中野屋のもの
「それに、旦那。これからは『旅』の時代です」
兼重は地図を広げた。 当時の庶民は土地に縛られていたが、唯一の「自由への切符」があった。それが、神社仏閣への参拝である。お伊勢参りには年間二百万人が押し寄せた。
「街道を歩く四キロ、八キロ。宿に辿り着けず野宿することだってある。そんな時、火がなきゃ凍えちまう。幕府だって旅の安全のために火打鎌の携帯を推奨してるんです」
携帯用火打ち金と火打ち袋
携帯用の火打鎌は、火打箱の据え置き型とは使い方が逆になる。利き手に鎌を持ち、石に打ち付ける。蒲の穂などで作った火口を石の上に乗せ、そこに火の粉を「受ける」のだ。 「粋な奴は、煙管のたばこに直接火の粉を飛ばして火をつけやがります。直径一センチの的に一粒の火種を命中させる……あれはもう、名人芸だ」
カッカッ! カッカッ!
かつて私が煙草を吸っていた頃、渋谷のハチ公前でこの火打鎌を使い、周囲の若者たちの度肝を抜いたことがある。
「それ、なんですか?」
不思議そうに覗き込む彼らに、私は内心で優越感に浸っていた。 (どうだ? ライターなんて味気ねえだろ。これが歴史ってやつよ!) 自己満足。だが、それでいい。火を操るという行為には、男の根源的なプライドを刺激する何かがある。
「石が丸くなったら、叩き割って角を出せ。鋭利な角こそが、鉄を削り、火を生む。人間も石も、丸くなっちまっちゃあ、火花は散らねえんだ」
鉄にしても、石にしても、角が鋭利であればあるほど、鉄が削りやすくなるので、火の粉は落ちる。火の粉が出ないのは、叩きすぎて石の角が丸くなっているのである。その場合は玄能で石をたたき割り、鋭利な角を出す。九十八パーセントはこれで火の粉が出るようになる。火打金に関しては、角が丸くなっても比較的火の粉は出る。使い込んだ火打金の骨董品で、打撃面がたたき過ぎて大きく凹んでいるものが時折みられる。その様なものでも、石さえ鋭利な角が出ていれば、全く問題なく火の粉は落ちるのである。
兼重の打つ「吉井本家」の火打鎌は、その性能の高さから、現代のアイフォンのように全国シェアを独占し始めていた。
兼重の上州多胡郡吉井宿と川内村の店では、姫街道を通る旅人と近隣住民がおもな顧客なので、売れる数が知れたものである。しかし旅人の評判は大変良かった。
中山道R18と姫街道R254
姫街道は中山道の本庄から、現在の国道254線(本庄ー藤岡ー吉井ー富岡ー下仁田ー本宿ー和美峠または内山峠、入山峠)を超え信州に入る街道である。中山道、現在の国道十八号(本庄ー新町ー倉賀野ー高崎ー板鼻ー安中ー松井田ー坂本ー碓氷峠関所ー軽井沢)は、勾配がきつい上、関所の検閲も大変きつかった。そのため女連れの旅の場合は、裏街道の姫街道を選ぶ場合が多かった。名前の由来はそこから来ている。
「これから藤岡かい? あそこの絹市は賑やかだぜ。美人の飯盛り女も揃ってるっていうしな。……おっと、そちらのご夫婦! 善光寺の帰りに、吉井名代のこいつをどうだい。江戸の名物品よりよく火がつくぜ。ちょっと叩いてみな!」
旅人が半信半疑で鎌を手に取り、打ち合わせる。
「……こりゃあ、すげえ! 江戸の『枡屋』や京都の『明珍』より火の出が鋭いじゃねえか。近所へのお土産に五つ、いや十、買っていくよ!」
商売は繁盛した。しかし、鍛冶屋は火を扱うため「火事の元」と忌み嫌われ、宿場の門の外へ追い出されるのが常だった。兼重は負けじと、宿場の中にも一軒の小さな店を構え、義理の弟・熊次郎に任せた。そこでは火を使わず、ただ「売る」ことに徹した。
文政十年。文右衛門が再び兼重を呼び寄せた。
「兼重、お前の鎌は本物だ。江戸の大手、蔦屋十四郎が出す広告本『諸国道中商人艦』にお前の名を載せてやる。二十歳の若造が載るなんて前代未聞だが、お前ならやれる」 「旦那! 地獄までついていきやすぜ!」
「……なら、一つ頼みを聞いてくれ。島抜けした大前田英五郎親分がこの近くに潜んでいる。もしもの時は、うまく匿ってやってくれんか。あの御仁も名主として、俺とは通じるところがあるんだ」
それまで笑顔だった兼重の目が、一瞬で冷たく据わった。
「……旦那、それだけは断らせてもらいやす。大前田は、二足の草鞋を履いて素人を泣かす汚え野郎だ。あっしは絶対に協力しねえ」
「頑固な奴だな」
「協力するなら、国定忠治親分だ。あの人は、うちの前を通って信州へ抜ける際、若い衆を連れてうちに泊まり、火打鎌を買ってくれる。それどころか、若い衆の長ドスまで注文してくれる『本物』だ。……まあ、大戸の関所破りで、八州の取り調べも厳しくなってる。あの親分も、じきに捕まるでしょうがね」
国定忠治
上州の空に、また一つ火花が散った。 それは単なる火起こしの火ではない。 古い慣習を焼き払い、新しい時代を切り拓こうとする若き職人の、魂の火花だった。
カッカッ! カッカッ!
兼重はまだ知らない。自分が打ったその火打鎌が、やがて来る幕末の動乱の中、誰の懐を温め、誰の志に火を灯すことになるのかを。
「さあ、誰よりも熱い火を出してやろうじゃねえか」
兼重は再び槌を振るう。 その音は、時代の足音のように、力強く響き渡った。
火の粉が闇を切り裂く。 その光は、千二百年前から続く空海の灯火のように、未来を照らす道標となって赤々と燃えていた。




