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燧の音色  作者: 野宿の匠


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第13章 小栗上野介忠順

マッチの衝撃

嘉永六年(1853年)。太平の眠りを貪っていた徳川幕府の安寧は、浦賀沖に現れた四隻の「怪物」によって無惨にも切り裂かれた。黒船。巨大な鉄の塊が、黒い煙を吐き散らしながら海を滑る光景は、日本という国家が維持してきた閉ざされた静寂を、一瞬にして過去のものへと変えてしまった。


上州吉井。中山道から少し入ったこの地で、火打鎌の製作を一手に引き受ける吉井本家「中野屋」の中野孫三郎信重は、その変革の風を、誰よりも先に肌で感じていた。


安政七年(1860年)。幕府が派遣した万延元年遣米使節団が、広大な太平洋を越えて帰国した。その一行には、後の「幕府再興の知恵袋」と目される小栗上野介忠順がおり、彼の随行員の中には、小栗の隠居地となる権田村(倉渕村)の牧野酒造関係者、佐藤藤七の姿もあった。彼らが持ち帰ったのは、単なる土産話ではなかった。それは、日本の伝統的な技術体系を根底から揺るがす「未知なる技術」の種であった。


ある秋の日、馴染みの豪商、丸文の堀越文右衛門が、品川の倉庫で外国人貿易商から法外な値で手に入れたという小さな箱を抱え、中野屋を訪れた。


「信重、これを見ておくれ。これからの時代は、あんたのように鉄を叩く必要がなくなるかもしれんぞ」


文右衛門が箱から一本の細い木切れを取り出した。その先端には、妙な薬液が固まっている。彼は箱の側面でそれを「シュッ」と擦った。一瞬の摩擦音が響いたかと思うと、ポッと小さな、しかし力強く確実な火が灯った。


「……なんだ、それは。手品か?」


「『マッチ』というそうです。石もいらねえ、火打金もいらねえ。これ一本で、闇が昼間になる。メリケン国の道具ですわ」


弟子の次助が横から吹き出した。

「ははは! 文右衛門様、冗談が過ぎるぜ。そんなひょろひょろの棒きれ一本で、俺たちが命削って打った鋼に勝てるわけねえ。湿気ったら終わり、折れたらお終いだ。そんなもん、お江戸の遊び人の贅沢品でさぁ」


しかし、信重は笑えなかった。マッチの小さな、しかし優しく揺らぐ炎を見つめるうちに、彼は恐ろしい幻影を見た。中野屋が何代もかけて研鑽し、守り抜いてきた「火打金と石の世界」が、この安価な消耗品によって焼き尽くされていく未来をである。


「これがもし、一箱数文で売られるようになったら、中野屋はどうなる?」


信重は、ちょろちょろ燃えるマッチの火を、自らの人生を見つめるような寂しい眼差しで見つめ、一言だけ呟いた。


「……火が、軽くなったな」


その言葉は、砂鉄と鋼に命を吹き込んできた「重厚な歴史」が、軽薄な利便性に敗北することを悟った者の悲鳴であった。


地層の記憶と、小栗との邂逅

文久三(1863)年。幕府の勘定奉行へと昇り詰めた小栗忠順は、日本の近代化を急ぐべく、横須賀に製鉄所と造船所の建設を命じた。同年、西上州下仁田宿では「中小坂鉄山なかおさかてつざん」の開発が本格化する。


信重は、迫り来る新時代の風に乗り遅れまいと、この最新の「鉄鉱石」から精錬された鉄を手に入れ、自らの工房で試してみた。しかし、結果は惨惨たるものであった。


「この中小坂の鉄ですが……どうしても上手く火が出ません。粘りがないというか、心が通わねえというか」


「当たり前だ。俺たちは古代から続く、この鏑川の砂鉄と石英の恵みで生きてきたんだ」


西上州の地層は、現在でいう「ジオパーク」そのもの。秩父古生層の最北端に当たり、ジュラ紀・白亜紀の地層が露出している。水晶や玉髄、角岩がゴロゴロ転がり、幕府が調査に乗り出すほどの豊かな鉱脈がある。砂鉄から作る玉鋼と、御場山おんばやまの玉髄。この組み合わせこそが、吉井本家の命だった。


「新しいもんが全部良いわけじゃねえ。だがな、鉄鉱石を食えねえなら、俺たちは砂鉄をより深く、より鋭く鍛え上げるしかねえんだ。たとえ火が軽くなる時代が来ようとも、俺たちの火は『重み』を持たねばならん」


小栗忠順という男が抱いている「未来の設計図」に触れたいという衝動を抑えきれなかった。


小栗上野介忠順と中野孫三郎信重


慶応二(1866)年。幕府の財政再建や横須賀製鉄所の建設を巡る政争に敗れ、小栗忠順は上州倉渕村の権田ごんだへと隠居した。

信重はその情報を嗅ぎつけ、早速小栗を訪ねてみた。メリケンから持ち帰ってきたと言うマッチについての情報収集である。


信重は、事前に小栗に宛てて丁重な書状を送っていた。小栗は、吉井本家の火打金の噂を聞き及んでおり、快く面談に応じた。

「吉井本家の火打金を作っております、中野屋孫三郎信重と申します。お初にお訪ねします。大変恐縮とは思いますが、小栗様にご面談さしていただきたいのです。メリケンに行ったときのお話を聞かせていただきたいので、お邪魔させていただきました。先に手紙にてお訪ねする儀に関してご連絡させていただいております。」

東善寺の座敷で、信重は緊張のあまり掌に汗をかきながら頭を下げた。目の前に座る小栗は、想像していたよりも遥かに穏やかで、しかしその双眸には、世界の果てまで見通すような鋭い知性が宿っていた。

「あの火打鎌で名残した吉井本家ですか。お上がりください。マッチに対して興味がおありとのことで、私の持ってきたものが、何かの参考になれば幸いです。」


小栗はまず、懐から一つの小さな金属の塊を取り出した。


「あなたは鍛冶屋とのこと。この『ねじ』を見てどう思う。あなたはこれが作れるか?」


小栗がアメリカより持ってきたネジ。現物

信重はそれを手に取り、言葉を失った。冷や汗が脇の下を流れる。それは真鍮で作られた、親指ほどの大きさの部品であったが、その表面には、人間業とは思えないほど精密で正確な「山と谷」の螺旋が刻まれていた。


「……到底、私共の技術では太刀打ちできませぬ。この正確さ、この規則正しさ……今の日本で作れる者は、誰もいないでしょう」


小栗は深く頷いた。 「これが機械の力です。一つが壊れても、同じ寸法のねじがあればすぐに直せる。これが量産、そして標準化という概念だ」


小栗はさらに、もう一つの小箱を取り出した。あの日、文右衛門が見せたマッチである。

「あなたの興味がおありのマッチです。私はこれをメリケン、そしてエゲレスやフランスで見てきた。海外では、もはや火打金を使っているのはごく一部の部族に過ぎない。日本も、早晩その道を辿るだろう」


附木のようであるが、違う。硫黄を使っている事はわかる。他に何が配合されているのかがわからない。


信重「硫黄の匂いがします。小栗様はこれは硫黄のほかに何が入ってるかわかるでしょうか?」

小栗「ヤスリとマッチの頭を擦り付けるので、その時に摩擦が大きくなるような物質だろう。そこまではわかるが、ではどんな物質が入ってるのかはわからない。もらった時に、聞いてくればよかった。学ぶものがたくさんあったので、そこまで配慮できなかった。時間はいくらあっても足りなかった」

小栗「信重殿。私が世界一周しきて、日本がいかに立ち遅れてるか、骨身に染みて学んできた。これから日本はあらゆる分野で大きな変化が起きる。お主の取り扱っている火打金も危うい。このマッチにしてみても、メリケンだけでなく、エゲレスやフランスも使って居る。海外ではほとんどマッチに取って変わっている。中には一部、火打金を使っている部族たちもいるが、その数は一気に激減している。日本もその後たどる事は間違いない」

信重は数本持ち帰らしてもらったが、自分では作れないことを痛感した。


小栗は国定忠治が磔刑の前に飲んだ酒「長盛」を信重にすすめた。

「信重殿。日本は今、命の瀬戸際にある。お主の火打金という素晴らしい技術も、このままでは時代の波に飲み込まれて消える。だが、技術の『精神』だけは守らねばならぬ。この国が他国の植民地にならずに自立するためには、富を蓄え、技術を磨くしかないのだ」


小栗の話は、使節団に随行した牧野酒造の者が、無事に帰国した際に大きな盃で祝盃を挙げたことから酒銘を『大盃おおさかずき』と改めたという、誇らしいエピソードにも及んだ。信重は、数本のマッチを譲り受け、権田を後にした。彼は自作できない悔しさを噛み締めると同時に、小栗という男の「国家への深い献身」に心酔し始めていた。


激動の慶応四年 ― 終わりの始まり

慶応三年(1867年)。大政奉還によって、二百六十余年続いた徳川の世は形式上、終焉を迎えた。しかし、実権を巡る対立は、翌慶応四年の戊辰戦争へと発展する。


江戸城無血開城の噂が中山道を駆け抜けた三月。上州吉井の空気は、春の訪れとは裏腹に、氷のように冷たく張り詰めていた。信重は工房で、あの日以来、何かに憑かれたように槌を振り続けていた。


現在の信重の仕事は、火打鎌だけではなかった。近隣の農家や山仕事の民が持ち込む鍬、鋤の修理、そして「岩盤を穿つ」ための異様なほど頑丈な鶴嘴つるはしの製作が、裏の主要な業務となっていた。


「あんた、また一本、妙な依頼が来たわよ」


妻のキタが、煤で汚れた手拭いで額を拭いながら、一本の鋤を持ってきた。それは、通常の開墾用にしては重すぎ、刃先には特殊な「焼き」が入れられていた。


「……これ、ただの農具じゃねえな。大河内の刻印か。高崎藩主・大河内輝貞公に連なる、あの『右京の無駄堀』の系譜だ」


宝永五(1708)年。高崎藩主・大河内輝貞が榛名南面の村が水不足で困窮している箕郷や保渡田の農民を救うため、榛名湖の水を高崎側へ引こうとして挫折した。榛名湖の水は旗本領がある北面に沼尾川を通してしか流れていなかった。麓の箕郷町みさとまちからスルス岩の下を貫通させようとしたが、代官の猛反対に遭い、死傷者を出した挙句に打ち切られた悲劇の記憶である。地元では「右京の馬鹿堀」とも呼ばれ、不吉な場所として語り継がれている。



「最近、夜になると妙な男たちが山に入っていくのをよく見るわよ。地元の者じゃないよね。赤城や榛名の方へ、重い荷物を運んでいるみたい」


その夜、中野屋の戸を叩いたのは、小栗の腹心と思われる一人の武士であった。


「中野信重か。腕が良いと聞き及んでいる。十数本の折れた鶴嘴を今夜中に打ち直せ。強度は以前の倍、刃先は岩盤を噛むように。賃金はこれでどうだ」


卓上に置かれたのは、見たこともないほど純度の高い黄金の小判。中野屋の年収を優に超える額が、無造作に積み上げられた。信重は「死の予感」をはっきりと感じながらも、小栗への忠義と職人の誇りから、その依頼を引き受けた。夜通し響く槌音。それが、巨大な「国家規模の偽計」の歯車が回り始めた合図であった。


小栗の死と、闇に葬られた四百万両

その頃、小栗忠順は東善寺の文机に広げた古地図を睨んでいた。地図には「赤城山」「榛名山」「妙義山」、そして「双永寺そうえいじ」が緻密な朱書きで繋がれていた。


「勝海舟は、金蔵が空だったと驚くであろうな」


小栗は独りごとを言った。勝海舟の日記にある「軍用金360万両」。それは、新政府軍に明け渡すための金ではなかった。それは、いずれ来るべき日本の危機に際し、真の志を持つ者が立ち上がるための「種金」であった。


「林靏梁(はやし かくりょう・高崎出身の儒学者)殿、進捗はどうだ」


八門遁甲はちもんとんこうの陣、施しました。赤城の双永寺を見張り所として大々的に目立たせ、敵の目を赤城へ向けさせております。本命は榛名の『スルス岩』の下。右京の無駄堀の最奥に、複雑な偽計を巡らせました」


小栗の画策は緻密を極めた。彼はわざと赤城山周辺で武士団を動かし、人々に「赤城に金が埋まっている」と思わせる噂を流布させた。それは、未来の強欲な探求者たちを永遠に赤城の山中で迷わせるための、壮大な「偽装デコイ」であった。


小栗忠順が吉井の中野屋の工房に来た。

「信重殿。最後の『画策』は未だ完成しておらぬ。お主の打ったくさびと鶴嘴が、今こそ必要だ。榛名へ来てくれ」


榛名山、深夜の「馬鹿堀」と八門遁甲

信重とキタは、小栗たちに連れられ、榛名山の断崖絶壁「スルス岩」の麓にいた。彼らは移動式の火床を背負い、鋳掛屋いかけやを装って、夜の闇に紛れて山を登った。


「ここで、この大きな楔を打ち込んでほしい。ただし、音を立てるな。布を巻き、一撃で沈めろ」


依頼されたのは、岩盤の継ぎ目に特殊な鋼の楔を打ち込み、微細な地崩れを誘発させて入口をカモフラージュする工作だった。信重は、自分が修理した鶴嘴で削られたばかりの、新しく不自然な土の匂いを嗅ぎとった。


「……あんた。あそこ、見て」


キタが指さした先には、深い縦穴があった。そこから運び出されているのは、土ではない。重厚な漆塗りの木箱だ。箱の角が月光を反射して、鈍い金色に輝く。


「あれは……小判か?」


信重が思わず息を呑んだ時、闇の中から冷徹な、しかし聞き覚えのある声が聞こえたような気がした。


「信重殿。これはただの金ではない。将来の日本が、自らの足で立つための『蓄え』だ」


それは、林靏梁の声であった。彼は小栗の設計に基づき、右京の無駄堀と呼ばれたトンネルの奥に、さらに深く「八門遁甲」の理に基づいた偽の空洞を三層にわたって掘らせた。そこに大量の「鉄屑」と「偽の金貨」を詰めた箱を配置したのである。


「本物の金塊は、これとは全く別の、誰もが『ただの岩盤』だと思い込んでいる場所――地下水脈の真横、ガラメキ温泉の奥底に沈める」


信重とキタは、命じられるままに作業を続けた。人夫たちの道具を研ぎ、自らも鉄を打ち、地底に「罠」を仕掛けていった。しかし、不穏な影は常に付きまとっていた。


「あんた!一緒に働いている人夫たちが、一人、また一人と消えるよ。昨夜まで隣で握り飯を食っていた安吉も、今朝はどこにもいないよ。あの『口封じ』の噂、本当かもしれないね」


キタの囁きに、信重は背筋が凍るのを感じた。国家規模の秘密を守るため、場所を知る者は次々と抹殺されている。次は自分たちかもしれない。だが、信重は逃げなかった。小栗から学んだ「日本の未来」を守るという大義が、彼を支えていた。


作業の最終段階は、錆びた鉄の臭気が立ち込める「ガラメキ温泉」の周辺で行われた。温泉が湧き出ているが、泉質は伊香保温泉と同じ茶色の温泉だ。


そこには三段構えの落とし穴と、特定の順番で岩を押さなければ二度と出られない回転扉のような岩の仕掛けが設計された。信重は、自分の打った鉄が、誰かを永遠に閉じ込め、殺すための道具に使われることに激しい葛藤を覚えたが、小栗の「職人は嘘をつかぬ」という言葉を信じ、完遂した。


全工程が終了したある夜、林靏梁は信重夫婦を呼び出した。


「中野信重、キタ。お前たちはこの埋蔵の全容を知る、数少ない生き残りだ。小栗様はお前たちを『職人ゆえに欲に目が眩まぬ』と信頼しておられた。一袋の金貨と、この一振りの脇差を持って吉井へ帰れ。そして、死ぬまで沈黙を守れ。赤城の噂を広め続けろ。それが、この金を隠し通す唯一の道だ」


慶応四年・明治元年(1868年)

高崎藩、安中藩、吉井藩に小栗追悼令。東山道軍が結成される。

吉井藩は百名の隊を小栗追討に向かわせる。


指揮をしていた総督府の者は、元土佐藩脱藩浪士豊永貫一郎高義だ。

彼は時代の流れを敏感に感じ、勤王の志士達が新時代へ託した精神を純粋に受け止めた、先駆的な若者の典型であった。強いアメリカ留学の希望があったがそれはかなわず、旧幕府軍追討の戦いに参加する運命だった。

彼はかつて中岡慎太郎の陸援隊に加わり、海援隊のメンバーと共に、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺の仇を討とうと立ち上がった経歴がある。タカ派の小栗の経歴は欧米帰り。幕府勘定奉行・外国奉行などを歴任し、財政再建、洋式軍隊の整備(陸軍伝習所)、郵便制度、鉄道、株式会社設立(兵庫商社)などを提唱・実行した。豊永貫一郎高義取っては最もうらやましく、そして真っ先に倒すべく相手であった。


倉渕村に隠居していた小栗上野介忠順は若干二十二歳の吉井藩の若者に、取り調べもされぬまま、烏川河岸にて斬首。享年42歳 ここから戊辰戦争戦いの火ぶたが切って落とされた。


「なぜ、あのような御方が……なぜ、理不尽な仕打ちがまかり通るのだ!」

信重は工房で嗚咽した。お上(新政府)に対する激しい怒りが、彼の胸の中で煮え立った。新政府は後に吉井藩に対し、小栗を討った功績で感謝状を出したが(現在も吉井町郷土資料館に展示されている)、

信重にとってそれは「日本の頭脳」を自ら破壊した愚行の証拠にしか見えなかった。


新政府より吉井藩に対して感謝状が出されている(吉井町郷土資料館展示)。

未だ発見されない「二十兆円」の行方

信重とキタは吉井に戻り、再び中野屋の暖簾を掲げた。しかし、彼らが守り続けたのは、火打金の伝統だけではなかった。


世間では「徳川埋蔵金」の噂が火のように広まった。小栗が仕掛けたとおり、人々は赤城山へ殺到し、双永寺の裏を掘り返した。やがて一部の鋭い者が榛名に気づき、右京の無駄堀を掘り進めたが、そこにあるのは小栗が仕掛けた「鉄屑」と「偽金」、そして命を奪う無慈悲な罠だけであった。


農民たちの嘆き声を聞きながら、信重は工房の窓から遠く榛名の稜線を眺め、キタが淹れた熱い茶を啜った。


「……あんた。本当に、あそこに埋まっているんかね。あんなに深く、暗い場所に」


「さあな。だが、小栗様が言っていた通り、あれはただの金じゃねえ。『志』だ。掘り返される時が来るとすれば、それはこの国が本当の危機に直面し、正義を持つ者が現れた時だろうよ。それまでは、ただの石ころと同じだ」


信重は、あの日小栗の形見として受け取った脇差を、床下の奥深く、さらに鉄板で二重に囲った箱の中に隠した。その刀身には、八門遁甲の陣形を示すような、奇妙で複雑な波紋が刻まれていた。


時は流れ、明治、大正、昭和、そして現代へ。 糸井重里氏をはじめとする多くの人々が、最新の重機を投入して赤城山を掘り進めたが、ついに「400万両」の黄金は一片たりとも発見されなかった。


しかし、榛名山の麓、箕郷町や権田の老人たちの間では、今も不思議な話が語り継がれている。霧の深い夜、ガラメキ温泉の奥から、鉄と鉄がぶつかり合う、規則正しい「槌の音」が聞こえてくるという。それは、かつて埋蔵を助けた吉井の鍛冶師の霊が、今も地下で秘密の鍵を打ち直し、偽計をメンテナンスしている音だというのだ。


スルス岩の下、右京の無駄堀の最深部。そこには現代の電磁波探査をも欺く、磁気鉄の層と空洞の配置が、今も脈々と生きている。小栗上野介が、斬首の直前に見た光景――それは、数十年後に東郷平八郎が日本海海戦で勝利し、その艦隊を支えたのが「横須賀製鉄所」であった未来だったのか。


信重とキタが墓まで持って行った真実。それは、家系図の裏や、古びた火打鎌の銘の中に、断片的な暗号として今も上州のどこかに眠っているのかもしれない。


昭和の終わり、榛名山の土崩れ現場から、一本の錆びついた鶴嘴が発見された。その刃先には、極めて小さな「安全」と「吉」の文字が刻まれていた。学者はそれを無視したが、その腐りかけた木柄の中に、針の先ほどの「純度99%の黄金」が食い込んでいたことに気づく者は、一人もいなかった。


伝説は伝説のまま、真実は鉄の錆びと共に土へと還っていく。徳川埋蔵金。それは失われた幕府の意地と、それを陰で支えた無名の職人たちが放った、消えない火花の記憶なのである。


榛名湖の湖面は、今日も鏡のように静まり返っている。その深淵に、小栗上野介と中野信重夫婦が託した「日本の明日」が沈んでいることを知る者は、もうどこにもいない。




歴史解説:小栗上野介と埋蔵金伝説の深層

小栗上野介忠順は、日本の近代化に多大な貢献をしながらも、理不尽な死を遂げた悲劇の英雄です。彼が建設を強行した横須賀製鉄所がなければ、その後の日本の工業化は数十年遅れたと言われています。「金蔵が空だった」という事実は、彼が資金を何らかの形で隠匿した可能性を強く示唆しています。また、物語に登場する総督府の若き隊長、豊永貫一郎高義の存在は、その末裔であり私の人生の先輩「豊永充夫」氏の文献より歴史的事実を主観的に抜粋したものです。吉井町郷土資料館に保管されている感謝状は、この「理不尽な歴史」が紛れもない事実であることを物語っています。信重とキタが目撃したあの夜の火花は、今も群馬の土の底で、静かに、そして熱く、次なる時代を待ち続けているのです。



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