第1話
シャンデリアから降り注ぐ光の粒子が、きらびやかな衣装を纏った貴族たちの間で乱反射している。
優雅なワルツの音色、楽しげな笑い声、そしてドレスの絹が擦れる微かな音。
その全てが、まるで分厚いガラスを一枚隔てた向こう側の出来事のように、ひどく現実感なく私の耳に届いていた。
わたくし、リゼット・フォン・ヴァインベルク侯爵令嬢は、今夜も壁の花だった。
それも、誰の目にも留まらない、ひっそりと忘れ去られた絵画の隣で、息を潜めるようにして佇む、しおれた花だ。
視線の先では、わたくしの婚約者であるアルフォンス・フォン・ベルクシュタイン公爵子息が、わたくしの妹――カトリーナと、楽しげに踊っている。
緋色の美しい魔力をその身に宿すアルフォンス様と、華やかな薔薇色の魔力を持つカトリーナ。
二人が並ぶ姿は、有名な絵画のように完璧で、誰もがうっとりとため息を漏らしていた。
(……また、あのお二人ばかりが注目されている)
胸の奥が、ちくりと細い針で刺されたように痛む。
嫉妬、ではない。
それはもう、とうの昔に枯れ果ててしまった感情だ。
これはただの諦め。そして、自分という存在の無価値さを再確認させられる、鈍い痛みに過ぎない。
「ご覧になって。ベルクシュタイン様とカトリーナ様、本当にお似合いですわ」
「ええ、それに比べて……姉君のほうは」
「ヴァインベルク家の『出来損ない』。魔力の色が、まさか『無色』だなんて」
「可哀想に。アルフォンス様もあのような婚約者を持って、さぞお辛いでしょうに」
扇の影で交わされる、憐れみと嘲笑を含んだ囁き声。
悪意はいつも、こうして甘い蜜のように隠され、的確に相手の心を抉るのだ。
わたくしは、きゅっと唇を噛みしめ、深く息を吸った。
背筋を伸ばし、表情を動かさない。
感情を殺すこと。それが、この社交界で『無色の令嬢』であるわたくしが、唯一身につけた処世術だった。
この世界では、魔力の色がその人間の価値を決める。
王族に連なる高貴な血筋は、太陽のような『黄金』や、夜空を思わせる『瑠璃色』の魔力を。
力ある大貴族たちは、燃えるような『緋色』や、深い森のような『翠色』の魔力をその身に宿す。
そして、わたくしの魔力は『無色』。
色を持たない、ただ透明なだけの魔力。
それは、魔力が極端に弱いか、あるいは何らかの欠陥を抱えている証だとされ、最も劣等なものとして蔑みの対象となっていた。
曲が終わり、アルフォンス様がカトリーナをエスコートしてこちらへ向かってくるのが見えた。
その完璧な美貌に浮かぶ笑みは、カトリーナにだけ向けられたもの。
わたくしの前まで来ると、その笑みはすっと消え失せ、氷のように冷たい瞳がこちらを見下ろした。
「リゼット。いつまでそんな隅にいるつもりだ? 少しは楽しんだらどうだね」
「……アルフォンス様」
「君がそうして壁際に張り付いていると、ベルクシュタイン家の恥になる。分かっているのか?」
彼の声は、周囲に聞こえないよう低く抑えられていたが、その一言一句に棘が含まれているのが分かった。
(恥……わたくしが、あなたの恥)
わたくしは俯きそうになるのを必死でこらえ、作り物の笑みを浮かべる。
「申し訳ありません。少し、目眩がしたものですから」
「言い訳はいい。……カトリーナ、少し飲み物を取りに行こう。ここの果実水は格別なんだ」
「まあ、素敵ですわ、アルフォンス様!」
アルフォンス様は、わたくしのことなどもう存在しないかのように、カトリーナの腰に手を添えて人混みの中へと消えていった。
その場に残されたわたくしに、また周囲の視線が突き刺さる。
ふと、自分の左手首に着けられた腕輪に触れた。
古びた銀の台座に、透明な水晶が一つだけはめ込まれた、質素な腕輪。
これは、わたくしが5歳の頃、魔力の判定儀式の直前に、亡くなった祖母がこっそりと授けてくれたものだ。
――リゼット、どんな結果が出ようとも、あなたはあなたのままなのですよ。この腕輪が、いつかあなたの本当の力を示してくれるでしょう。
肌に触れる、ひんやりとした感触。
長年使い込まれてついた細かい傷が、シャンデリアの光を受けて鈍く輝く。
祖母の優しい声が、今も耳の奥で微かに響く気がした。
(お祖母様……わたくしの、本当の力って、何なのでしょうか)
儀式の日を、わたくしは今でも鮮明に覚えている。
水晶珠に手をかざした瞬間、わたくしの魔力は色を持たず、ただ陽炎のように揺らめいただけだった。
期待に満ちていた父の顔が、みるみるうちに失望へと変わり、母は扇で顔を覆って静かに泣き崩れた。
会場が、気まずい沈黙に包まれる。
その直後だった。
妹のカトリーナが水晶珠に触れると、まばゆいばかりの薔薇色の光が放たれた。
わあ、と歓声が上がり、父はカトリーナを高く抱き上げ、「我が家の誇りだ!」と叫んだ。
あの日を境に、全てが変わった。
わたくしの部屋からは高価な調度品が消え、家庭教師の数も減らされた。
新しいドレスはいつもカトリーナが優先で、わたくしには彼女のお下がりが回ってくる。
両親の愛情も、使用人たちの笑顔も、全てが妹へと注がれるようになった。
唯一の救いは、祖母だけだった。
『無色とは、何色にも染まらないということ。そして、どんな色をも受け入れられるということなのですよ』
そう言って、わたくしの頭を優しく撫でてくれた。
でも、その祖母も、もういない。
今となっては、この腕輪だけが、わたくしがかつて愛されていたことの、唯一の証だった。
(……帰りましょう)
これ以上ここにいても、惨めな思いをするだけだ。
わたくしは誰にも気づかれないよう、そっと壁際を伝い、ホールの出口へと向かった。
背後で聞こえる華やかな音楽が、まるでわたくしを嘲笑っているかのようだった。
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