表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

月のうさぎの真実と愛

本作はエブリスタ第255回超妄想コンテスト・テーマ「月見/月夜」参加のミステリー作品です。少し変わった作品ですが、よろしくお願いします。

秋の夜、空には雲1つなく、中秋の名月を鑑賞するには、うってつけの夜だった。

昨今の異常な暑さも、日が落ち、月が昇る頃には、だいぶ和らぎ、縁側にはコオロギが鳴く声が静かに聞こえる。

「ご無沙汰しております、1年ぶりですね。」

猿の家を訪れた狐は、床に手をついて丁寧に挨拶をした。

「いやいや、こちらこそ年始に年賀状を差し上げたきりで、ご無沙汰して、申し訳ありません。」

猿も丁寧に応じる。

「何おっしゃるやら。毎年こうして招いていただいていることに感謝しております。これ、毎年同じもので申し訳ありませんが、月見団子、納めてください。」

狐はそう言って持参した紙袋を猿に差し出した。

「いやいや、毎年これを楽しみにしておりまして。いただいたものをすぐ開ける無作法お許しください。実は、宇治から取り寄せた二番茶もあります、早速一緒にいかがですか?」

「ご相伴に預かります。」

「では、縁側に行きましょうか。」

猿が先に狐を縁側まで案内し、狐が上等な座布団に座って待っていると、やがて月見団子と急須、それから湯飲み茶碗を、お盆にのせた猿が戻ってきた。

2人は、それぞれ1つずつ、月見団子を手に持って二番茶を啜り、狐は猿に言った。

「ときに猿さんは、インドラ様のこと覚えていらっしゃいますか?」


「木の実を捧げたことで、健康と長寿を授けていただいたので、よく覚えておりますよ。」

猿がそう答えると、狐はうなずいて

「そうです。猿さんは老人の姿をしたインドラ様に木の実を捧げて、健康と長寿を授けていただいた。」

と言った。猿は、狐の言葉を引き継いで

「そして狐さんは川魚を捧げたことで、知恵と幸運を授けていただいた、そうですよね?」

と狐の顔を見た。また、狐はうなずいた。

猿は続けて

「何も用意できなかったうさぎさんは、その身を食べていただこうと、火の中に飛び込もうとし、その自己犠牲の精神をインドラ様に高く評価されて、永遠の象徴として月に掲げられたんですよね。」

と言った。

それを聞いた狐は手に持っていた湯飲み茶碗を床にトンと置いた。その音にコオロギの音が一瞬静まる。

「さぁ、そこです。猿さん、私はずっとある疑念を持っていました。」

「どういうことですか?」

「いくら食料を求めた空腹の老人がいたとして、普通に考えて、火の中に飛び込もうとしますか?」

「どうでしょう?うさぎさんは優しいですし。」

「それに、すんでのところで、インドラ様が止めましたが、もしあのまま、うさぎ氏が火に飛び込んで丸焼けになったとして『さぁ、食べろ』と言われても、結構、食べにくくないですか?」

「まぁ、食べにくいですね。」

猿は月見団子を食べることも忘れ、手に持ったまま答えた。

「はっきり言います。私の、うさぎ氏に対する疑念というのは、うさぎ氏が、空腹の老人=インドラ様という図式を知っていたのではないか、ということです。」

「えぇ!?」

驚いた猿は、目を見開き、手から月見団子取り落とした。

「そ、そうすると、狐さんは、インドラ様が、まんまと、うさぎさんに騙された、そうおっしゃるのですか?」


「いいえ、そうではありません。事は、そう単純な話ではないのです。」

「ど、どういうことですか?」

猿は狐を見つめる。

「インドラ様は戦いが専門とはいえ、まがりなりにも神様です。きっと、動物の浅知恵などは、お見通しだったことでしょう。」

「ちょっとよくわかりません。狐さんのおっしゃる通りであれば、インドラ様は、うさぎさんの考えをお見通しであったにもかかわらず、うさぎさんを月に掲げ、後世に永遠に伝えられるようにした、ということですか?」

狐は黙っている。

「それでは、辻褄が合わないのではありませんか?」

「普通なら、見通したでしょう。」

狐は床に置いた湯飲み茶碗を手に取り、一口啜ると、そう言った。

「え?普通なら?どういうことでしょうか?」

「空腹の老人のふりをしたインドラ様が、我々から食べ物を提供されたとき、それを食べた順番を思い出してみてください。どういう順番でしたか?」

「ど、どういうって?」

猿は中空を見つめ、記憶をたどる。

「まず私が木の実を差し上げて、次に狐さんが川魚を与え、最後にうさぎさんが火の中に飛び込もうとした。そんな順番だったんじゃありませんか?」

「そうです。その通りの順番です。では猿さん、あなたがインドラ様に捧げた木の実は、何という木の実でしたか?」

「さぁ?ずいぶんと前の話なので、木の実の種類までは、ちょっとわからないですね。」

「私は覚えています。猿さん、あなたがインドラ様に差し上げたのは、ナツメグの実でした。」

「よく覚えていらっしゃいますね。ですが、それが何か?」

「ナツメグの実は少量であれば問題ありませんが、過剰に摂取すると幻覚が生じることがあります。」

「そうなんですね。」

「猿さん、うさぎ氏には共犯者がいたんですよ。そろそろ、文字通り『猿芝居』は、やめにしませんか?」

見つめ合う2人の沈黙を縁側の月が照らしていた。


「…いつから気づいておられたのですか?」

猿の顔から笑みは消え、まっすぐに狐を見据える。

「違和感は当初からありました。最近になって、猿さんがインドラ様に捧げた木の実がナツメグであることを思い出し、この結論に至りました。」

「そうですか。さすがインドラ様から知恵を授けられただけのことはありますね。」

「ですが、どうしてもわからないことも、ありました。なぜ人格者の猿さんが、うさぎ氏の悪事に加担したのでしょうか?」

猿は狐の言葉を聞くと、おかしそうにクスクスと笑い始めた。

「狐さんでもわからないことがあるのですね。少しだけ良い気味です。」

狐は黙って、猿の次の言葉を待った。

「理由は2つあります。1つには、インドラ様に対する反発です。たとえ神であったとしても、老人に化身して、他者の善意を試すような真似は行うべきではない、私はそう考えました。」

確かに、老人が実はインドラ様と分かったとき、自分も、試されたことに、内心、心がざらついたのを狐は月を見上げて思い出した。

「もう1つは?」

狐は静かに尋ねた。

「もう1つは、単純に、私がうさぎさんを、妻を、愛していたからです。」

その答えを聞いて、狐は静かに目を閉じた。

愛するものからの不正な誘い、しかし、相手方も、こちらを試すような仕儀か。

月は美しいが、同時に孤独や不安、神秘、運命の変化を表す。いや、むしろ、その二面性が月の美しさを支えているのだ。

それは鋳型に入れたような善人や悪人など存在しないのと同じ、人もまた、多面的で、美しさの中に闇を内包しているのだ。

狐が思索に沈んでいると、玄関の引き戸が開く小気味良い音と透き通るような声が響いた。

「ただいま、あなた。今戻ったわ。留守にしてごめんなさい、狐さんがいらしているのかしら。」

その声を聞いた狐は、湯飲み茶碗をお盆の上に戻すと猿に一礼し

「このことは私の胸だけにしまっておきます。」

そう言って、狐はうさぎには会わず、コオロギの鳴く中、猿の家を辞した。

中秋の名月は中天にさしかかっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ