死線
ザリアンが助けに入ったのは、カロが去ってから少しした後の出来事だった。死者3名、負傷者、残る生存者全て。といった状況に現れたザリアンは神の使いかと見紛うほど神々しく見えた。
これまで、森のなかではフルアーマーというは大きなデメリットのみを発揮していた。しかし、今回のような乱戦においてフルアーマーは無類の強さを誇った。
腕を振れば骨を折り、突撃すれば内臓を潰す。ゴブリンやコボルト程度の爪では傷がつかず、一方的に殺される。
ザリアンの登場により戦況は一瞬にして好転。死を覚悟していた一団は、安堵によって全身の力を抜いた。
「助かった、冒険者。」
大柄の男はボソッと呟くようにザリアンへ感謝を告げる。まともに意識があって会話ができる人物が彼しかいないのだろう。
「馬、見なかったか?」
血で汚れた馬車を見て、事態の理解を進めたザリアンは男の質問に首を振り、言葉を添える。
「俺の仲間を呼んで、馬車を引っ張ろう。仲間を呼ぶ間、君は仲間の手当てをしてくれ。」
大柄の男は頷き、馬車に向かって踵を返した。
ピィィーーーーッッ!!!!
森に笛の音が響く。長い音が一度。緊急集合の合図。
間をおいて、再び笛を鳴らす。仲間が集まるまではこれを何度でも繰り返す。三回目の笛を鳴らしたところでジャスとカロ以外の全員が集まる。こういう時に来て欲しい2人が来ないというのは、裏で何かが起こっているから。
ディットのようにジャスとカロがいない事について、怯えたり悪態をつくなんて事はしない。ジャスはおいといたとしても、あのカロが笛の音を聞いて来れないはずがない。ここら辺の魔物や獣に殺されたというのも、今日までの働きを見れば簡単にわかる。
今目の前で起こっている事態に関係しているのか、それとは別に異常事態が起こっているのか。
どちらにせよ広域索敵をする必要がなくなった。それ以上に優先すべき事態が訪れたからだ。カロ達の無事を――いや、無事を祈られるのは自分たちになるだろうと理解しながらも、集まった場所に赤い布を縛り付けておく。
兄から習った緊急離脱の記し方。冒険に精通する者の間では共通認識として用いられる色を使った情報共有。自分たちのパーティーはこのような情報共有について話した事はなかったが、カロやジャスであれば意味は伝わるだろう。
自分が残したものだとわかるように、右手に巻いていた笛を一緒に縛っておいた。
「あの2人なら大丈夫だろう。このまま時間を無駄に消費するのも良くない。さっさと馬車を街道まで運ぶぞ。」
治癒士であるメリにバフを頼んだが、習得した祝福は回復系のみらしく、仕方なくザリアンはフルアーマーを全て脱ぎ馬車に吊るす。身軽になった状態で手当てを終えた大柄の男と2人で馬車の御者台を掴み引きずっていく。
馬車の重みだけでなく、中には3人の意識不明者がいる。一歩進むだけでもやっとだ。車輪が動き出すまでは、全身の血管が浮き出るような全力をこめなければ進まない。
カノアは馬車が通りやすいように風魔法を使い、街道までの最短距離を作ってくれている。メリは意識のある負傷者4名を治癒していて、ディットはメリの護衛をしながらザリアンのいる辺りの警戒も行なっている。
「街に入ったら必ず例はする。ありがとう。」
大柄の男は、傷だらけの全身を力ませながらザリアンにそう呟く。
「気にするな。兄の教えだ。」
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アリシアは不思議な感覚に包まれていた。自分のことを絶対だと信じていたアリシアにとって、それが否定される事は自分の全てが否定される事と同義であった。
挫折や諦めという感情すら知らないアリシアに絶望は早すぎたのだ。
シルエの顔が潰れていく瞬間を目の当たりにした。アリシアがアリシアという自我を手に入れる前から一緒にいた女中だった。あのアリシアが何があっても解雇を告げなかった大事な存在。
自我を守るための防衛本能なのか、彼女の思考は自分以外の誰かのミスによって起きた事象だと改ざんを始めようとしていた。隊長のあの男、それか隣にいたトロルみたいにでかいアイツか、それとも今自分を担いで走るこいつか。いや、それではダメだ。置いていかれるかもしれない。
アリシアの本能は至って冷静だった。
しかしこの醜悪な思考を生み出す本能という名の生まれ持った悪性にアリシアはこの先苦しめられる事になる。
いわゆるお姫様抱っこのような抱えた方で走り出したカロは、両腕に限界を感じていたため、途中から背中に彼女をおぶった。
直線で街道まで進むのであれば今頃もう着いているだろうが、所々に見つけた同業者の跡を回避している内に少し離れた場所まで来てしまった。
同業者の雰囲気が無くなったのは良いが、周囲の空気を詠むに何かしらの縄張りに踏み入れてしまったのかも知れない。さっきまでとは違った純粋な殺意がピリピリとカロを刺激する。
これほどまでの大物なら、是非狩ってみたいといつもなら考えるだろう。森で生きてきたカロにとって生命の取り合いというのは最も興奮させる遊びだった。
人との生活を強いられた現在ではこのようなワクワクを得られる機会はまずない。少しくらいなら、と思い背中の彼女の様子を窺うと息を殺し、震えも悟られぬように堪えていた。
カロは冷や水をかけられたように、拍をどんどんと上げ続けていた昂りを落ち着かせていく。殺意の空気がより濃くなり始め、相手は自分を敵と認めた事を感じ取る。
カロはじっと相手の出方を窺いながら腰の袋に手を近づけた。
ブォォォォォォ!!!!
カロが両手を回しても届かないような太さの木の幹が弾ける。木片を避けながら相手から目を離す事はしない。
舞い上がった砂煙が役目を終えて薄れていく。それと同時に『それ』は姿を現した。
全身緑の表皮に覆われ、カロの身長と10倍以上の体躯を持つ巨人。手に持つ棍棒は血に濡れて黒に近い赤に染まっている。頭には一本の大きな角を尖らせ、ギョロリと大きな一つの目でこちらを見下ろしている。
「キュクロプス、」
危険度F【小鬼の巣窟】の深域は未調査区域として危険度A相当に分類され、冒険者ランクA以下の者が【小鬼の巣窟】に踏み入る際にはギルドが公表しているマップ外には行かないよう厳重に忠告を受ける。
通称【大鬼の一廓】と呼ばれるその領域に立ち入って帰って来れた者は【貴婦塵】や【武仙】といったSランクの冒険者しかいない。
そのためいっときは【還らずの森】とも呼ばれていたが、あるBランク冒険者が命からがら逃げ帰り、大鬼が住んでいると言う言葉だけを残した事で【大鬼の一廓】と呼ばれるようになった。情報を持ち帰ったただ1人の冒険者は、そのまま意識を失い戻る事なく旅立った。
そのため、ゼルタニアの冒険者達の中で【大鬼の一廓】には何がいるのかという議題は常に巻き起こる。カロがゼルタニアにいる期間はそれほど長くないのにも関わらず、その話は何度も耳にした。
その正体がまさかキュクロプスだと知ったカロは言葉を失う。
Aランク相当の危険度に分類されている魔物。個体により知能の開きが大きく、Sランクに相当する可能性もある武器の形状も個体によって異なり、素手で戦う個体や斧や刀といった金属を用いた武器を使用する個体も確認されている。自信で製作したものか、奪ったものか、ダンジョンで得たのか、武器の出どころは不明。
特徴として、大きな体躯、単眼、角が挙げられ、どの個体であってもこれら特徴は一致する。また、目が一つになっているのは目で熱や魔力を読み取れるため、複雑化した情報を適切に処理しやすくするために収斂進化した結果だと言われている。
カロはキュクロプスという存在に目を輝かせる。見ただけで理解できる力の象徴。自分はこいつを狩らなければいけないという使命感すら芽生えてくる。
しかし、その興奮はまた今度にとっておこう。キュクロプスという本で見た憧れの一つを目に焼き付けて、逃げるための準備を行う。
当然カロはキュクロプスが熱や魔力を目で見ることが出来るなんて知らない。そして、キュクロプスは自分の縄張りから離れられない習性を持つなんて事も知らない。
角に魔力を貯めて、檻を作り出して縄張りから逃がさないようにする習性も知らないし、ここ【大鬼の一廓】に住むキュクロプスの中でカロの前に立つ彼が一番の弱者である事もカロは知るよしも無かった。
「それじゃあ、また、」
もの惜しい気持ちを引きずりながらカロは煙玉を投げた。キュクロプスがカロを見失った一瞬をつき、キュクロプスの目に向けて閃光を撃ち込んだ後、四方に向かって吸音玉と熱を込めた火打石を投げた。
普段なら煙玉だけで逃げられるが、今回は直感的にこれくらいのしないと逃げられない事を感じていた。
そして、一瞬の間に【大鬼の一廓】から抜け出して【小鬼の巣窟】を突っ切り、街道まで足を進めた。
堪えきれない高揚感はいつもよりも足取りを早め、背中に担いでいた少女はいつからかわからないが気を失って、失禁していた。
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