試金石
緑色の表皮は、油分を含んでおり伸縮性に富んでいる。一太刀で切り伏せる事が出来れば、刀身に血の汚れが着くくらいだが、力が足りず途中で刃が止まるなんて事があると近くにいる別の個体に襲われる。
彼らは自ら集団を個として認識している魔物だった。集団を守るためならば命を捨てる。その事が本能的に植え付けられた彼らは仲間の死を厭わない。食べる、寝る、生殖すると同様のように死と向き合う魔物、ゴブリンは集落という我々を生かすためならば共食いをするし、自分の子を孕ませる事だってある。
完成された利他主義とも言えるし、利己主義とも言える。悪魔じみた獣、魔物というにぴったりの生き物だった。
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「右方反応なし、左方ロロヴァイパーの足跡あり。前方大型獣の足跡発見、左方、前方ともに直近のものでは無いため、警戒強めたまま前進。」
朝とは違い、多少やりやすくなった斥候の仕事。長く組んでいれば状況に応じた合図や、必要ない情報を斥候側が削るという判断ができるのだろうが、即席パーティにはそれが出来ない。
そのため、必要ないと分かっていても気づいた情報は全て本隊の彼らに投げかけるしか無かった。
声に出して情報を話しているのも、本来ならばあり得ない行為なのだが、ここ【小鬼の巣窟】で音を過敏に拾って危険となる対象はゴブリンくらいなので、ゴブリン発見のみを合図化して他の情報は口頭で伝えるようにしている。
自分以外の存在を導き、ともに動く経験をするたびにカロはなんとも言えない気疲れを感じていた。
時々話に聞く《スキル》持ちの中には《念話》や《伝心》といった口を使う会話を必要とせずに情報を伝えたれるものがあるらしく、いつかそのスクロールを手にしたいと考えていた。
カロの指示が通るようになった事で進行速度は上がり、ギルドで伝えられた一つ目のゴブリン集落周辺まで来る事が出来た。ここで一度休みを取り、戦闘に備える。目的はあくまでも観察だが接敵する可能性が大いにあるため、遅れを取らないように戦闘準備は万全にしておく必要があった。
ザリアンはダガーの位置と盾の確認、ジャスはロングソードの切先を研ぐのと軽い柔軟運動、メリとカノアは直ぐにマナポーションが飲めるように準備し、発声の確認。ディットはいくつかの矢に毒を塗るのと、速射が出来るよう腕の体操をしている。
武具、防具の確認と、身体の状態を整えたところでパーティーとしての戦術確認を行う。ここは長い事話し合わず元々決まっていた、斥候のカロが先行しゴブリンを見つけ次第ゴブリンに矢を放つ。
本隊の前衛、ザリアンとジャスはカロに狙撃されたゴブリンを倒し、カロに続く。後衛の3人は前衛が戦っている間の警戒と、援護。誰か1人でも負傷した場合は印のしてある川辺まで逃げるという手筈になっている。
当然ながら斥候のカロにかかる役割は相当大きい。大前提としてカロはゴブリンに見つかってはならないし、先制攻撃を与えなければならない。索敵が上手くいかず、囲まれた際は1人で応戦しなければならないし、発見が遅れた場合一瞬にしてパーティー崩壊の可能性だってあった。
誰も作戦に関して口を出さないが、心の中ではカロに対する不安と心配が渦巻いていた。
パーティーメンバーが反対できないのは、この作戦で一番危ないのはカロであり、この作戦を発案し有無を言わせずに決定したのがカロ自身だったからである。
そんな彼らの不安と心配をよそにカロは今晩の獲物は何が良いかという事だけを考えていた。
日の光が赤さを増し始め、夕刻の報せを届け始めた頃。作戦は決行された。日の位置が低くなる分、影と暗闇が増え、隠密するにはもってこいの時間。その分索敵が難しくなるのだが、カロからすれば自分の身を隠しやすくなる方が圧倒的なアドバンテージになると考えていた。
願ってもいない単独行動。これまでの行動はカロにとって大きな枷を背負った状態だった。それが解放された今、カロの動きは劇的に変化する。木と木の影を這うように移動し、一息つく間に相当の距離を進む。ザリアンたちは目の前で何が起こったのか、突然音もなく姿を消したカロの行方を捜すために周囲をキョロキョロと見始めた。
ザリアンたちがカロの動きに驚いている中、カロは自分お互いを目視出来ないほどの距離まで歩を進めていた。
「みつけた。」カロは小さく呟く。感情が高まった時に独り言を呟いてしまうのは一人で森にいた頃についた癖だった。ゴブリンの集落を見つけたカロは、用意された木版に家屋の数とメイジやアーチャーといった進化種の数を書き込む。
家屋 3 小屋 5 進化種 最大2
依頼を受けた際に聞き及んでいた総定数と比べて凡そ変化はなく、一つ目のゴブリン集落は問題なしと判断した。一瞬の確認にザリアン達は、(基本的にはジャスだが)不審に感じたり、正確かどうか再度の確認を求める可能性は高い。携帯している時計を見て、彼らが依頼完了に相当であると判断する時間まで、ちょうどいい距離を保ちながら小遣い稼ぎでもしようと考えた。
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冒険者になってもう少しで4年になる。4年でEランクは少し遅い部類に入るが、それは長い間パーティーを組んでいなかったことが影響している。ギルドは推奨する冒険者の基本には、最低でも3人以上で危険地帯に及ぶべしと明記されており、依頼やクエスト参加の条件に人数を指定されることも少なくない。対面戦闘に関してはDランク級を自負しているジャスにとって、この人数条件というのが何よりのネックになっていた。
それほど素行に問題があるわけではないが、過去に中級冒険者と組んでいたジャスを進んでチームに加えたいと考える同ランクの冒険者はいなかった。理由は明白で、圧倒的な実力があるわけではないが、意見を無碍にすることもできない存在が急にパーティーに参加するという事態は、意思決定の遅延や行動方針に一過性がなくなる可能性が高かった。
そのため、ジャスが組めるのは新人冒険者か、Dランク以上の冒険者、つまり中級冒険者の仲間になるしかなかった。頼りない味方を背負って戦うか、再び一番下として気を使った冒険をするか。どちらを選ぶにもなかなか踏み出せずにいたジャスだったが、いつものように酒屋で鬱々とした気分を晴らしているとき偶然が重なり、気の合う低級冒険者たちと即席パーティーを作る話になった。
酒の勢いもあったが、構成的にもそこまで悪くない。一先ず【小鬼の巣窟】くらいで様子を見るのが良いと考え、ギルド発注の依頼を請け負った。唯一パーティーに足りていなかった斥候職は、ギルドの仲介で用意してもらったが、登録して半年も経っていないド新人だったことに不安は残る。最悪の場合は単独で逃げ延びれるだろうと考え、依頼のキャンセルまではしなかった。
自信家でもあり見下し癖のあるジャスにとってカロという斥候職は絶好のいびり相手だった。しかしその判断は過ちであったことに気付かされる。ピュアラビットは危険度Gに分類される獣だが、それ戦闘に対しての評価であり獲物として狩る事になった場合その難易度は中級冒険者ですら手を煩わせることが知られている。
そんな獣を彼は生け捕りで捕まえてきたのだ。ジャスはついムキになってしまった。彼もまた自分を追い抜く存在なんだと突き付けられているようで、これまでに何度も味わってきた無能の烙印を自ら押している事に気が付く瞬間。とっさに生じた防御反応は自分よりずっと年下で未だ魔法学校に通っている女に無様だと踏みつけられた。
この際足を引っ張ってやろうなんて幼稚な考えは浮かばない。いや、実際は考えついたしこれまでだったらなにかしらの形で邪魔をしていただろう。しかし、それがすべて無駄であり自分を否定する材料にしかならない事を知っていた。
カロに協力し、彼の意見を軸に動いたとき自分の判断が正しかったことに気付いた。カロはこれまで会ってきたどの斥候よりも姿をうまく隠し、容易く難路を音を殺して進む。カロの実力を前にジャスは理解した。これはギルドからの最終警告だったのだと。そしてギルドがカロの真価を問う試金石であったことに。
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