8. 小川での逢びき
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コリンヌがジャンと逢引する日は、村長夫人の主催する『キルトの会』の日に決めた。
『キルトの会』とは週に一度、午後から村長夫人宅へ十数名ほど村の婦人たちが集まり、皆で大きなキルトの敷物やベッドカバー、テーブルかけなど、それぞれ腕を振るって一針一針と縫いこんでいく会だ。
青や赤や黄色と様々な色の布と布の間に、綿を入れて縫うキルティングは、ライブレッド村の昔からの伝統の郷土品として王国でも有名だった。
総じて『キルトの会』の婦人たちは、村でもキルト作りの達人ばかりが集っている。
コリンヌはレースや刺繍は店で手慣れていたが、キルト作りは初心者だった。
初めは村長夫人から手ほどきを受けて、簡単なパッチワークキルトのテーブルマットを縫っていた。
初心者のコリンヌが『キルトの会』の仲間入りができたのは、村長夫人のおかげでもある。
叔母の店の顧客でもある村長夫人は、コリンヌが縫ったレースや刺繍の小物の見事さに驚嘆して、若いながらもコリンヌを『キルトの会』に推薦したのだ。
──村長の奥様はよくあたしに目をかけてくださる、とってもありがたいわ。
コリンヌは村長夫人に感謝していた。
『キルトの会』の人々は皆優しくとても和やかで、若いコリンヌを温かく迎えてくれた。
休憩タイムにはお茶の時間もあった。
婦人たちは、皆で持ち寄ったケーキやクッキーなどの焼き菓子を紅茶といただくのが習慣だった。
叔母の家では食事以外、お茶はともかくお菓子すら滅多に食べれないコリンヌにとって『キルトの会』の婦人たちとの交流は、唯一息抜きのできる場でもあった。
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「大変、だいぶおくれちゃったわ!」
コリンヌは小走りで、小川へとつたう雑木林を急いで走り抜けていく。
『キルトの会』が長引いて、ジャンとの待ち合わせの時間に遅れてしまったのだ。
コリンヌははあはあと息を切らしながら、ジャンが待っている小川の麓までやってきた。
ジャンはちゃんと待っていてくれた。
「はあ、はあ、アンダーソンさん、待たせてごめんなさい!」
「ああ、おチビちゃん、走ると転んでしまうよ!」
「大丈夫です。あたし、駆けっこは村の子たちの中でも一番早かったんです!」
「ははは、今日は野を駆け巡る子うさぎちゃんのようだな!」
ジャンは真っ白い八重歯をキラキラさせて笑った。
コリンヌは少年のようなジャンの笑顔に心がときめいた。
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ジャンはコリンヌを待っている間、陽光に輝く小川に向かって石投げを楽しんでいたようだ。
なかなかのテクニシャンで、小石を水面に低く平行しながら川に向かって投げていく。石はピョン、ピョン!と水面を這うように遠くまで跳ねていった。
それを見たコリンヌは手を叩いて大喜びした。
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初秋の雑木林、二人は小川に沿った白樺並木の美しい小路を、手を繋いで散歩していく。
小川の流れる岩場で二人がひと休みしながら美しい紅葉やマツの大木など、森の季節の移りゆく自然を愛でながら、たわいもない会話を楽しんだ。
ジャンとの逢びき時に、コリンヌはお洒落をするようになった。
主にドレスと髪型だ──。
彼女が身に付けているのは、若草色のオーガンジーの膝下丈のドレスだ。
コリンヌの細い膝が見え隠れする長さで、美しいシルエットのパフスリーブのドレスだった。
襟と膨らんだ袖には可愛いレースが付いていて、どちらのレースにも桜の花の刺繍がほどこしてある。
彼女の唯一のドレス、一張羅でもある。
このドレスはコリンヌの手作りだった。
店の捨て余った布を貰い、自分用の型紙を取って全て自分で完成させたものだ。
小柄で華奢なコリンヌは叔母から渡されたお古は、どれもサイズが合わないのでいつも寸法を手直して着ていた。
意地悪な叔母は年頃になったコリンヌに、店の華やかなドレスは一着も与えなかった。
店で雇ったお針子と同じ制服を着せていた。
それはレースもなにも飾りがついていない、地味な黒のワンピースで、シンプルな作業用エプロンをつける。
だが『キルトの会』に行く時は、叔母もコリンヌがドレスを着ることは許した。
村で一軒のみドレス販売をしている婦人服店の姪が、仮にもお針子の制服姿では不味いだろうと、さすがに叔母も村の特権階級の婦人たちの目を気にしたんだろう。
ちなみに『キルトの会』は村の社交場の会でもあったので、村長夫人たちも余所行きのドレスを着ていた。
もちろん汚れないように、レースヒラヒラのエプロンを付けて作業していた。
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コリンヌは一張羅のドレスを着てからは、普段の三つ編みを止めてヘアスタイルも変えた。
三つ編みをほどいて茶色の髪をブラシで丁寧に梳かして、波打つ髪をハーフアップにする。
ドレスと同じ若草色のリボンを後ろで留めた。
髪を降ろすだけで、十五歳の幼い少女が、もうすぐ成人となる大人びた顔に見えるから不思議なものだ。
それから最近はコリンヌは手や指の手入れも怠らなかった。
村長夫人から貰った蜜ろうや馬油を毎晩、まんべんなく手や足に塗った。
これには理由があって初めてジャンと小川で逢びきした時、ジャンは散歩中にコリンヌの手をそっと握ったのだ。
コリンヌはジャンの大きくてガッチリした温かい手の感触に、びくっとしながらすぐに手を離してしまった。
ジャンが自分と手を繋いだのはとても嬉しかった。
だが、すぐに自分のガサガサであかぎれの手を見て悲しくなった。
──こんな汚い手では、アンダーソンさんは内心がっかりしたでしょうね。
コリンヌはジャンに自分の荒れた手を触られるのは、とても恥ずかしく思えて仕方なかった。
最近では手入れの成果が出て、あかぎれてガサガサした手も柔らかく滑々してきた。
今では美しくなった自分の手を、またジャンが握ってくれればいいのに、と待ちわびるようになっていた。
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若草色のドレスは華奢で小柄なコリンヌには良く似合った。コリンヌが動く度に、ふわりと風になびくドレス姿はとても軽やかで愛らしい。
何よりもジャンがコリンヌがおめかししていくと、たいそう喜ぶのでコリンヌには嬉しかった。
「その若草色のドレス姿の君は本当に可愛いね。そうやって歩いていると、まるで森に棲む妖精さんのようだよ」
ジャンは会うたびにコリンヌのドレス姿を褒めてくれた。
「いつもありがとう、だけどドレスはこれっきりしか持ってないの。いつも同じ服でごめんなさい」
「そんなこと、物語の妖精はいつも同じ衣装だろう、君によく似合ってるんだ、かまわないじゃないか」
「あら、そういえばそうだ!」
「だろう、若草色の妖精さん!」
二人は声をだして笑った。
コリンヌはジャンと会ってから、いつも見ていた村の景色が数段輝いて見えるようになった。
何よりも自分が生き生きと良く笑うようになったと思う。
彼はいつもコリンヌが喜ぶ言葉をくれる。
彼はいつもコリンヌの一挙手一投足を見つめてくれる。
コリンヌはジャンと逢っている時だけは、ジャンから魔法をかけられて本物の妖精になる錯覚に陥っていた。
──ああ、いつまでもこの時間が止まってくれればいいのに!
まぎれもなくコリンヌはジャンに恋していたのだ。
こうして二人の人目を避けた逢びきは、夏の終わりから秋が深まるまで逢瀬を重ねていった。