6. ジャンの猛烈なアタック
※ ※ ※
「はあ、なんて楽しかったんだろう!」
コリンヌは偶然、若者と一緒に夕暮れに染まるひまわり畑を観賞した帰り道、軽やかにスキップしている自分に驚いた。
あれほど疲れていた足が軽く感じる。心が軽くなると体まで突然、元気になるものなのだろうか!
──ひまわりのせいだけじゃなさそうだわ。
コリンヌは火照る頬を触りながら、しまりのない笑顔になっていた。
若者の名は“ジャン・アンダーソン”といった。
顔に似合わず平凡な名前だとコリンヌは思った。
──あれほど美丈夫なアンダーソンさんに“ジャン”なんて、平凡過ぎないこと?
あの人には全然似合わない名前だわ。
そうよアンダーソンさんの容姿なら、もっと仰々しく、もっと麗しい名前が似合うわよ。
コリンヌはジャンに似合う名前をあれやこれやと思い巡らしていく。
──たとえばそうね、“ローレンス“とか“エドワード”とかはどうかしら?
名家の子息に良くある名前がぴったりだわね。
いやいや、子供の頃読んだ童話で読んだ王子様の名前はどう?
王子の名は確か──そう、“フランシス“だった!
そうよ、フランシスが彼にぴったりの名前だわ!
コリンヌはジャンを心の中で“フランシス”と呼ぼうと決めた。
「またフランシスさんに偶然会えたらいいな」
コリンヌは夢見がちにジャンの名を心でそっと呼んだ。
◇ ◇
だが予想に反して、麦わら帽子の出会いからすぐにジャンとは再会する。
「やあ、おチビちゃん、こんにちは!」
「あ、フラン……あ、え、アンダーソンさん、こんにちは!」
「嫌だなぁ堅苦しい、ジャンでいいよ!」
「いえそんな、とても恐れ多い……」
コリンヌは目の前に王子様の“フランシス”ことジャンが突然いるのでびっくりした。
だが、その後も偶然は何度も重なった。
最初、コリンヌも彼との偶然をとても喜んだのだが、それは偶然ではない──とようやく気が付いた。
明らかにジャンは、コリンヌが街へ出る度に声をかけてきたのだ。それも週に何度となくだ。
ジャンはコリンヌと会うと決まって「おチビちゃん」と声をかけてきて、親しげに一緒に歩くのだ。
二人が結婚した後で分かったが、この時ジャンはコリンヌが街へ出かける日をわざわざ調べて、彼女の外出を待ち伏せしていたというから驚きだ。
◇ ◇
そんなこととは露知らず、当時のコリンヌは非常に神出鬼没のジャンに面食らった。
──何故、フランシス様があたしみたいな田舎娘に構うのかしら?
一度や二度ならともかく、殆ど自分が街の用事で外出する度にジャンと出くわす。
それも挨拶するだけでなく、ジャンは人気のない村の若者が逢引する場所『恋人の小路』を一緒に行がないか、と誘ったり、街でしか売っていない高級なお菓子を貰ったからと言って手渡してくれるのだ。
これでは、まるでジャンがあたしを特別に誘っているのではないのか──?
コリンヌはだんだん違和感を感じ始めていた。
結局、喜んだのはほんの二度三度会った時だけで、コリンヌはジャンを用心するようになる。
それも致し方ない事だった──。
コリンヌは幼い頃から『余所者とは関わるな』と周りの村人たちから徹底して、悪いイメージを植えつけられていたのだ。
特に彼女の叔母は言った──。
「いいかいコリンヌ、若い旅人は『銀貨を落す余所者』だと割り切るんだ、余所者はどうあったって余所者だからね。あいつらは巧みな甘い言葉で、村の若い娘をかどわかすのが得意さね。──にもかかわらず馬鹿な娘はうつつを抜かす。そして余所者が去っちまった後で、ようやく自分が弄ばれてたと後悔するんだ──中には余所者を追って家出しちまった馬鹿娘もいた。親はカンカンに怒ったもんさ。いいかい、あんたもくれぐれも気をつけんだよ!」
と、さんざん口すっぱく注意されてきたのだ。
コリンヌは叔母の忠告通り、ジャンの度々の逢瀬の誘いを何かしら理由をつけて断った。
「すみません、店が忙しいから失礼します」
「こんな高価なお菓子、よそ様にもらうと叱られるんでもらえません!」
「遅くなるとあたしの叔母さんが、しこたま怒るのでごめんなさい」
などなど全て嫌いな叔母のせいにした。
それでもジャンはなかなか引き下がらない。
コリンヌが担いでいる重そうな背嚢を見てにこやかにジャンは言った。
「そんな華奢な肩で運ぶのは大変だよ、店まで持っていこう!」
「結構です、大切な荷物なので万一落としたら、叔母さんに怒られますから!」とすかさずコリンヌは断った。
さすがのジャンも荷物を持つことさえ拒否するコリンヌの態度に、ようやく己が避けられていると理解した。
※ ※
だが、翌日からはジャンは戦法を変えた──。
馴れ馴れしい態度は一切やめて紳士的な態度に出る。
偶然道で出くわしたと、わざとらしく驚くフリをしてコリンヌに挨拶だけをする。
「今日は天気がいいね」とか。
「いつも、暑いのに店のお使い大変だね」
と爽やかに八重歯を見せて笑うだけだ。
前みたくコリンヌに馴れ馴れしく、いい寄ったりはしない。隣で歩く時も一人分くらい離れてコリンヌと歩いた。
ジャンは、そのまま当たり障りのない会話をして、別れ道が来ると「じゃあ、またね!」と言って颯爽と歩いていく。その繰り返しだった。
コリンヌもそんなジャンの態度に、当初の警戒心がだんだんと緩んでいく。逆にジャンを避けている、後ろめたさを感じていた。
──あんな美丈夫で親切な人が、あたしなんかに好意を示してくれる。
なのに自分は何て傲慢で愛想のない娘なんだろう
と罪悪感を感じていった。
ある日の事──。
いつも待ち伏せしている道に、ジャンがいないと分かると、酷くがっかりするコリンヌがそこにいた。