2. すれ違う二人
2025/12/11 一部加筆修正済
◇ ◇ ◇
その後ジャンは、毎晩酒場に入り浸るようになった。
コリンヌの体の回復は定まらず一進一退を繰り返す。
日中は隣人のスミス婆さんや、村長夫人を始めコリンヌが参加している『キルトの会』の婦人たちが交代で彼女の世話をした。
コリンヌは婦人たちの善意にとても感謝した。
彼女等の献身的な介護で、コリンヌの体は回復に向かっていった。
この間、コリンヌの心は常にジャンだけに向いていた。
──あれ以来ジャンは、あたしのことを避けてる。
一度もあたしの部屋に入ってこなくなった。
酒場へ通うのも赤子のことを忘れたいからだろう。
やっぱりジャンは赤ちゃんを失くしたあたしを恨んでるのね。
多分、顔もみたくないくらい──。
きっとあの人は優しいから、面と向かってあたしを叱らないけど、内心胸中は複雑なんだろう。
ああ早く体を治したい、暖かな春が来てほしい!
春が来れば気持ちも嬉々となる。
窓から見える丘の積もった雪を見てると、あの日滑って転んだ記憶が蘇ってくる。
コリンヌは顔を背けて、窓のカーテンを素早く閉めた。
もう金輪際、雪も雪道もたくさんだ!とコリンヌは白い世界の全てを呪っていた。
◇ ◇
暫くして村にもコリンヌの願いが叶ったのか、ようやく丘の桜木が次々と芽ぶき始め出した。
冷たい北欧の風が過ぎ去って、暖かな春風が吹いてくる。
コリンヌもベッドから起きる日が増えた。
一週間もすると、誰にも頼らず一人で食事が作れるまでになった。
「あら、コリンヌ起きて大丈夫なの?」
「ええ、今日はとても気分が良いです!」
「それは良かったわ」
見違えるように家事をするコリンヌを見て、婦人会の人たちも、スミス婆さんも、ほっと安堵して各々の家に帰っていった。
ジャンもコリンヌが元気になってからは、酒場に寄らずにまっすぐ帰宅するようになった。
週末の日曜日──。
ジャンと二人だけの夕食。
コリンヌは貯蔵庫から有りったけの食材を並べて、ジャンの好物の肉料理に腕を振るった。
おかげでジャンの食欲は久しぶりに旺盛となった。
食後のお茶の時間は、台所のテーブルから居間に移動した。
居間には大きな青緑のカウチソファーがあった。
新婚時、家具をそろえる時に二人で選んだソファーだった。
先日、ジャンが泥酔して帰宅した折、酔いつぶれて眠ったソファーである。
よく見ると所々にジャンの涎のシミが薄くついていた。拭いても特殊な生地で中々落ちなかった。
「ジャン、今日のお茶はあなたの好きな珈琲よ。熱いから気を付けて持ってね」
と、コリンヌは珈琲カップをそっと手渡した。
「ありがとう」ジャンはにこやかに受け取る。
コリンヌはようやく二人っきりになれたので、良い機会だと思った。
「ねえジャン、ずっと謝りたかったのだけど⋯⋯」
と、コリンヌは直ぐにジャンに、赤子を失くした時の一部始終を説明して深く謝罪をした。
ジャンは遮らず、ただ黙ってコリンヌの話を聞いていた。
「話はわかった。だがもう気にするな。何より君が助かって良かったよ。お腹はそうとう痛かっただろう?」
「いいえジャン、あたしのお腹なんかよりも、あなたには⋯⋯」
「もういうな、君まで万一のことがあったら俺はおかしくなっていた。悲しいが赤子は未生の運命だったのだろう。頭では理解していても俺も君をどう慰めていいかわからず酒に頼った──つらいのは誰よりも君なのに、許しを請うのは俺の方だ、本当に悪かった」
ジャンは神妙な顔をして詫びた。
「いいえ、ジャンは何も悪くないわ、あたしが⋯⋯」
「コリンヌ、これ以上赤児の話は止めよう、考えるとお互い辛くなる!」
ジャンは強い口調でコリンヌの言葉を初めて遮った。
「ええ……分かったわ、もうやめましょう」
コリンヌはジャンの語気の強さに項垂れた。
「せっかく君が淹れてくれた珈琲だ、いただくよ」
ジャンは心痛な面持ちで珈琲を口に含む。
「っ!」
「どうしたの?」
「いや、唇が乾いて珈琲が染みただけだ」
ジャンは、忌々しげにカサついた唇を指で触った。
そのまま珈琲を啜った。
「うん、美味いな」
といいながらも、琥珀色の水面に映ったジャンの表情は暗く揺れていた。
コリンヌは暗く陰湿な空気を変えたくて、明るく努めようと思った。
「珈琲美味しくて良かった!あなたは本当に珈琲が好きよね。あたしには少々苦すぎて、お砂糖二杯とミルクもたっぷり入れないと飲めないわ!」
「そうだろうな。珈琲は王国ではあまり知られていない飲み物だからな」
コリンヌは猫なで声を出して、ジャンの手を取った。
「ねえ、ジャン。それとねぇ今夜は……」
「よせ!」
ジャンは冷たくコリンヌの手を振りほどいた。
「え?ジャン!」
「あ、悪い……どうやら食べすぎたようだ。眠いから今夜は失礼するよ」
そのまま席を立つジャン。
「久しぶりの食事と珈琲、美味かったよ」
と言ってそのまま二階へあがっていった。
コリンヌはジャンの後ろ姿を、ただ、ぽかーんと見つめていた。
え、おやすみのキスは──?
コリンヌは憮然とした。
無理もない、転倒前まではどんな時もジャンはコリンヌに“あいさつのキス”をしてくれたのだ。
今なら“おやすみなさい”のキスでしょう?
ジャン、忘れちゃったのかしら。
ジャンはコリンヌだけが密かに思っている“キスの名手”だった。
恋人の時からコリンヌに蕩けるくらい甘いキスをしてくれた。
だが、これまでとは違うジャンのよそよそしい態度に、コリンヌは戸惑いを感じずにはいられなかった。




