15. ジャンの秘密(ジャン・サイド)
※ ジャンの独白の回です。
※ 4/29 数字訂正及び加筆修正済。
※ ※ ※
ジャンの過去が走馬灯のように思い出されていく──。
彼は己の出生を隠したばかりに、愛するコリンヌをここまで追いつめた罪悪感で胸が一杯になった。
──コリンヌ、すまない。俺は最低な夫だ!
君にはずっと秘密にしていたが、俺はどうしても自分の子供を殺し、愛する妻まで殺めようとした輩と戦わなればならない。
そうだ、赤子は転倒のせいではない。
赤子は殺害されたのだ──!
君は気づかなかったが、散歩に行く前に飲んだお茶には“毒”が入っていた。
※ ※
あの夜、コリンヌが流産して俺は彼女が助かることを『善の女神』に必死に祈願していた。
お腹の赤子は仕方がない、責めてコリンヌだけでも助けて欲しい⋯⋯と俺は一心不乱に祈った。
必死の祈りが通じたのか、コリンヌは回復に向かった。
彼女の蒼白だった頬にかすかな赤みがさした。
苦しげだった息も、俺はコリンヌの胸に顔を当てて心臓の音を聴いたら、規則正しく脈打ってきた。
──ああ、コリンヌは助かった! 善なる女神よ感謝致します。
俺は女神に感謝の意を表して、深々と跪いた。
別室で寝ている医師や看護婦に、コリンヌの回復の兆候を伝えようとしたが、もうすぐ夜明けだ。
このまま彼等を早朝まで就寝させておこうと俺は思った。
コリンヌの回復に安堵したせいか、俺は喉が渇き、一階の台所へいった。
瓶の水を口に含んだ時、ふとテーブルを見るとコリンヌが散歩に行く前に飲んだティーカップが、そのまま置いてあった。
「⋯⋯⋯⋯」
俺はティーカップの飲み残しのお茶をじっと凝視した。
突然、はっとしてティーカップを手にとった!
何やら異様な胸騒ぎがして、カップに残ったお茶を水筒に移した。
そのまま慌てて俺の配下の者がいる宿へ行き、中身のお茶の成分を調べさせた。
彼は俺の護衛だが、専門職は医学と植物学だった。
特に毒の知識に長けていた。
その者が調査した結果、コリンヌが飲んだお茶には林檎茶の他に堕胎薬が含まれていたんだ。
俺は⋯⋯あ然とした──。
そのまま気が狂いそうになってふらふらと宿を出た。
自暴自棄になって宛度なく、街をふらつきながら昼から開けてる酒場を見つけ、そのまま浴びるように酒を飲んだ。
その日はとてもシラフでは家に帰れなかった。
とてもじゃないが、俺はコリンヌに顔を合わせられなかった。
──俺のせいだ、俺の出生のせいで赤子は犠牲になったんだ!
俺は絶望した──!
深い後悔と懺悔、赤子への哀悼──。
それしか俺の頭にはなかった。
※ ※
それ以後、彼女の顔をみるたびに、この気持が俺を苦しめた。
コリンヌと辛くて目を合わすのが嫌だった。
あろうことか寝室まで別にせざるを得ないほど、コリンヌの寝顔を見れなくなった。
コリンヌは不満気だったが、流産後の体調を盾に俺は徹底して閨を避けた。
またもし、子どもが出来たら、再びコリンヌたちに命の危険が生じてしまう!
俺は絶望と恐怖の中で、いつしか憤怒だけが強くなっていく。
※ ※
赤子を殺めた犯人は分かっていた──。
そんな鬼畜なことをする輩はあいつらしかいない。
旅の途中、密かに俺を監視している奴らだ!
コリンヌのティーカップに密かに毒を持ったんだ。
多分、コリンヌが雪道を転倒したのは、お茶の中に入っていた堕胎薬の副作用だ。
それで眩暈が生じたんだろう。
運動神経のよいコリンヌが、雪に滑って転倒するはずがない。
あの日、転倒するまえに既にお腹の子は流れていたんだ。
畜生、畜生 死ぬまで奴らを許しはない!
※ ※
俺はこのガーネット王国の第四皇子だ。
本名はフレドリック・フォン・パイロープ。
父はこの国の王チャールズ三世。
母は平民出身のオペラ歌手ソフイ。
俺は二十歳で成人した後、自ら公爵家の跡継ぎも捨てた。
国王は俺が平民に降下して、王宮を出ていく事に大反対したが俺の意思は強固だった。
幼い頃、愛する母が密かに何者かに毒殺された時から、俺の将来は決定した。
周りの部下たちは平民に降下する事を、大いに嘆いたが俺は魑魅魍魎のいる王族が大嫌いだった。
※
子供の頃、母を亡くしてから独りで王宮の一番塔から、市井の街を展望していた。
その時から俺の夢は王宮から出て、自由気ままに大陸を旅して、気に入った土地で暮らすことだった。
そして、俺の身分など何も知らない、美しく気立ての良い女を嫁にして、子供を作って平凡な家庭を持ちたかった。
俺には国王になりたいなんて、そんな野心などこれっぽちもない!
それなのに何故あいつらは、この北の僻地まで俺を監視するのか──?
何故、こうまでして、執拗までに俺を追いかける!
父王も俺が平民として生きていく事を、了承したではないか!
──そもそも俺は四男ぞ。母親は平民で妾の子ぞ!
いくら国王が俺を溺愛したとはいえ、長兄が王位を継承するのに、どうして次兄たちは俺を捨ておかないのだ!
国王は俺の顔が母親そっくりだから、俺を愛しただけだ⋯⋯。
正妃と長兄はともかく、次兄二人とその母の側妃は俺たち母子を激しく憎悪していた。
特に側妃は国王の寵愛を独り占めした、平民女の息子が憎くてたまらなかったのだろう。
子どもの頃は次兄二人と取り巻き連中に、よく虐じめを受けた。
顔以外、肩や背中、腰を蹴られたり踏まれたりした。
次兄の配下の下級貴族ですら俺に唾奇をかけた。
「下等な平民の子!」と罵しった。
王宮内の人間はとても冷ややかだった。
国王以外、何の後ろ盾もない平民出身の母が、毒殺されたのも暗黙の了解なのだ──。
俺自身も子供の頃は、何度も毒殺未遂にあった。
それでも王宮の連中は、俺の家令以外は見て見ぬふりをした。
もちろん奴らが狡猾なのは折り込済みだ。
毒殺の証拠などは一切残さず、より功名な手口を使う。
だから俺は、王宮の総てに嫌悪して自らの身分を捨てた。
※ ※
「フレディ、お前の母は病で亡くなったよ」
国王は幼い俺を抱き寄せて静かに伝えた。
あの時の父上の、沈痛な硬い面持ちはいまだに忘れることはない。
きっと父上は何もかもご存じだったのだろう。
愛する母が側妃側の手によって殺められたことを⋯⋯
俺に野心などこれっぽちもない。
「二十歳の成人後は王宮から出て平民として生きたい」と俺は父王に懇願した。
父は俺を筆頭公爵家の養子にしたかったが、俺は拒否した。
何故なら公爵家を継ぎ父王が死ねば、俺は王位継承者順位第四位になってしまう。
本来、長兄が国王になるのだが、上の兄は体が弱かった。父が死ねば次兄たちが、長兄の病弱を盾に反旗を翻すだろう。
だが次兄たちも決して仲良くはない。
長兄を倒すまでは協力しても、お互い虎視眈々と国王の座を巡って争うだろう。
そうなれば否が応でも、長兄側含め次兄側共々に、骨肉の後継者争いに俺自身も巻き込まれる。
実際、王宮内にいると水面下で俺にすり寄ってくる野心ある家臣も何人かいた。
だから俺は貴族の称号を捨てた──。
父王は心から嘆いたが、母の死を知ってからか俺の身を案じて平民にしてくれたのだ。
一応、豪商の子息という肩書で身分を変えた。
俺は“ジャン・アンダーソン”と云う名前を貰った。
だが、何故今、王位継承も貴族の称号も全て捨てたのに、お前たちは俺を執拗に付け回すのか?
それほど俺の子供が脅威なのか──。
いい加減、俺の事は放っておいて欲しかったのに⋯⋯!
※ ※
可愛そうな我が妻コリンヌ──。
こんな俺と結婚したせいで、君は泣いてばかりだ。
本当に申し訳ないと思う。
だけど真実は言えない──。
口が裂けても俺にはいえない。
だって──。
俺の素性を知ったら、君は一目散に俺から逃げてしまうだろう。
俺の愛しい、たった独りの妖精さん。
くそ、王宮の陰謀などクソ喰らえだ!
市井の民になっても俺はあの『牢獄』から逃げられないのか!
俺を殺害するだけならまだしも、コリンヌと子供にまで害を及ぼすとは許せん!
だから俺は決めたんだ──。
次兄たちに反旗を翻す。
逃げられないのならば、戦うまでだ!
この二か月、人知れず水面下で俺の味方だった家臣たちを集めている。父王の在世期間までに決着を俺はつける。
俺は長兄側につく──。
そして次兄と側妃に復讐する!
王宮内に間者を潜め、密かに王都に帰って盤石な組織体制を構築し始めたところだ。
俺は奴らと戦う!
そう簡単ではないだろう!
それでも、俺は絶対に勝つ──!
勝って必ずコリンヌの元へ帰ってくる。
ああ、その時はどうかコリンヌ、俺は正真正銘のジャン・アンダーソンとなって、君と幸福な家庭を築きあげるから⋯⋯どうかどうか待っていておくれ!
こうした背景から、ジャンの旅立ちの意思は、どんな固い岩よりも強固となったのであった。