14. 狂乱するコリンヌ
※ 4/29 加筆修正済
◇ ◇ ◇
コリンヌは思わず怯むほどジャンの醜態に恐れをなした。
──ジャンは一体全体どうしたというのか?
ジャンのしている異様な行動も、話すことも支離滅裂でこれでは話し合いなど、とてもできないとコリンヌは思った。
それでもコリンヌは、何としてでもこれだけは彼に伝えなければならないと決心した。
「お願い、あたしの話を聞いてジャン!」
コリンヌは大声で叫んだ。
異様な顔をしたジャンはコリンヌに顔を向けた。
「以前、あなたはあたしに亡くなった赤ちゃんを忘れようと言ったよね。亡くなった子にはとても残酷だけど──また二人で、新しい赤ちゃんを作ればいいと思うの。あたしはまだ十七で若いでしょう。あなたも若いわ。これからいくらだって子供を産むことはできる。ええ、あなたが望むなら、何ダースだって産むわ。だからどうかあたしを見捨てないで!」
ジャンは冷静さを取り戻したのか、コリンヌの話をじっと聞いていた。
「すまないコリンヌ、君にそこまでいわせた俺をどうか赦してくれ」
ジャンは項垂れた。
「だが悪いが、今は赤子をつくることはできない⋯⋯」
「え?」
「コリンヌ聞いてくれ、出て行く理由は他にもあるんだ。突然、理由も分からず、君が戸惑う気持は十分に分かる。だがどうか俺を信じて、ここは黙って旅立つことを許してくれ、この通りだ本当に頼む!」
といって、ジャンはコリンヌにゆっくりとした足取りで近づく。
そして──。
「ひっ!!」
コリンヌは言葉を失った。
先ほどまで悪態をついていたジャンが、今度はコリンヌの前に直立した途端、スッと腰を落として片膝をつき頭を垂れたのだ。
コリンヌは驚きジャンの突然の“臣下の礼”を見て思わず、一歩二歩後ずさる。
妻にに頭を垂れるジャンの姿はどうみても異様な光景だった。
──何この人、何故、妻のあたしなんかに御大層なお辞儀するのよ!
コリンヌは面食らった、と同時に──。
もしかして、ここは村の古ぼけた家ではなくて、王宮殿の煌びやかな間で、華麗な護衛騎士たちが、王様に拝謁しているような錯覚にコリンヌは陥った。
『ほほ、コリンヌ、このあんたに伏した男の、荘厳なる姿をみてみなさいな──!』
どこからか心の声が聞こえてくる。
コリンヌはジャンを凝視しながら、背中が凍りつくほどゾッと冷たくなった。
これまで、愛するジャンの奥さんになって、夢の中でフワフワ浮遊していた村の妖精が、背中の羽根をパキンと折られた瞬間だった。
──あ、ジャンはただの旅人なんかじゃない!
ジャンには何か“大事”があって、あたしの知らない秘密があるんだ。
ああ──どうして今まで気付かなんだろう?
ジャンはコリンヌと一緒に食事をしても、珈琲を飲んでも、煙草を吸っていても、甘く蕩けるようような口づけをしていた時も!
常に物腰は優雅で品があったではないか!
やっぱりこの人はあたしとは違う世界に住んでる人だった。
『ほ~ら、いわんこっちゃない、あたしの言った通りだったろう? あんたは必ず余所者に捨てられる運命さね、おーほほほほほっ!』
この時、コリンヌは叔母の不愉快な言葉が脳裏に充満した。
──叔母さんの高笑いが木霊する!
叔母さんの予言は当たった。
あたしはこのままジャンに、捨てられる運命に違いない。
◇ ◇
コリンヌが、あらゆる妄想をしている間でも、ジャンは深く長く頭を垂れていたが、コリンヌが無言のままだったので、諦めたように腰をあげた。
氷のように硬い表情はそのままで、そのまま真一文字に口を結び、台所の奥の物置小屋へと入っていった。
そして、大きな背嚢を手に戻ってくる。
それを台所のサイドテーブルに置くと、無言で旅支度をし始めた。
その姿をみたコリンヌは悲しいやら、怒りやらで顔は真っ赤だった。
「駄目、荷造りなんて絶対にさせないわ──!」
「許せ、コリンヌ、もう俺の決意は変わらん」
「ジャン、あなた卑怯者よ!」
コリンヌは泣き叫んだ!
「確かに結婚した時、過去は聞かないと約束はしたけど──黙って出て行く約束なんてした覚えはないわ! あなたが誰かと戦うのなら、あたしも戦う! あたしたちは夫婦よ。夫と妻は一蓮托生でしょう、だからあたしも一緒に連れてってよ!」
「駄目だ、君は連れてはいけない。ここに残って俺を待っていてくれ──」
ジャンは、どこまでも頑なにコリンヌを拒んだ。
「嫌よ! 絶対にあなたを行かせない!」
「コリンヌ!」
「お願いジャン!──こんな状態であなたが消えたら、この先、たった独りぼっち、絶望するだけよ……あたしは独りで、どうやってこれから生きていけばいいの?」
「そんなことはない!」
「いいえ絶対に絶望する。どうしても出て行くのなら、この場で舌を噛み切って死んでやる!」
「コリンヌ、馬鹿はよせ!」
「止めても無駄よ、ジャン!」
「なあ⋯⋯少し落ち着こうコリンヌ。君は独りではない。俺が隣のスミス婆さんや、村長夫人にも君のことは頼んでおくから安心しろ。それにたった一年のしんぼうじゃないか!」
ジャンは冷や汗をかきながら、コリンヌを宥めようとぎこちない笑顔で言った。
「たった一年ですって、よくまあ、そんなことが言えたもんだわ!」
コリンヌは蒼白なジャンの顔を見て、だんだんと邪悪な気持ちが湧いてきた。
──嘘だ、あたしにはわかる。
この人は行ったら最後、二度と帰ってはこない。
何故か嫌な予感がするのだ。
ならば──。
どうせこのまま会えなくなるなら、いっそのこと──。
コリンヌはジャンから離れて立ち止まった。
突然頭を大きく髪を両手でかき乱して首を振り回す!
あきらかにコリンヌの状態は異様だった!
コリンヌの乱れた髪は、ジャンには蜷局の生き物みたいにぐるぐると蠢いて見えた。
「コリンヌ、君……」
「あははジャン、きゃははは! あっはははは!!」
コリンヌは魔女みたいな恐ろしい声で発狂した。
首を振り乱しながら、コリンヌの目は爛々と剥きだして、自分の口を大きく開けた!
「やめろおおおお──!」
ジャンが叫んだと同時、それは刹那の瞬間だった──。