10. コリンヌの決心
※ ※ ※
ジャンはコリンヌを抱きしめながら言った。
「コリンヌ、そのままでいいから聞いて欲しい」
「は、はい──」
不意をつかれて、コリンヌはドキッとしてた。
「俺には愛する家族は既にいない。昔から俺の心の中は空洞だったんだ。だから風にまかせて勝手気ままに放浪してきた──だけど俺はここで君と出会った。俺の放浪風を一瞬で君が止めたんだよ。コリンヌ、君みたいな人を見たのは初めてだ──なぜ君がこの村にいるのか不思議で仕方がないが、俺にとっては僥倖なのだろう。多分、俺しか君の美しさを分かる者はおるまい。このまま君が望むなら、俺はこの村でずっと一緒に暮らしてもいいと思っている」と、ジャンは真摯に話した。
コリンヌは暫くジャンに抱かれていたが、彼の体をすっと離して榛色の瞳を大きく見開いてジャンの手元を見た。
「アンダーソンさん、その手に持っている秋桜は、あたしに渡すために摘んできたんですよね?」
「え、秋桜?──ああ、そうだったな」
ジャンはうっかりしてたという顔で、片手で持っていた秋桜の花束をコリンヌに渡した。
「ありがとうございます」
コリンヌはジャンから花束を受け取って顔に近づけた。
「まあ、いい香り。秋桜の香りと土の匂いもするわ」
それは薄紅色のみの数本だけの秋桜で、茎を細い紐で留めていた。プロボーズの花束にしては質素だった。
「この秋桜は、あなたが林で摘んできてくれたんですか?」
「え、ああ、プロボーズをするのに手ぶらではなんだと気がついて……ここに来る途中、君が好きな花だと覚えていたから、一面咲いていた人家で失敬した。数本なら許してくれって感じだな、リボンも持ってなかったから閉じ紐で申し訳ない」
「まあ、ふふふ……面白い」
コリンヌはジャンが、一本一本、他人の庭の秋桜を盗んだ様子を想像して微笑んだ。
「さっきのアンダーソンさんの約束ですけど、あたしはあなたの過去は、聞きたいとは思いません。あなたがどんな人だろうと別にいいんです、ただ結婚は……」
ジャンは答えを聞くのが怖くて、思わずギュッと瞼を閉じた。
「いいえ──さっきまで断るつもりでいたけど、あたし……承諾します!」
「え、いいのか?」
ジャンは碧眼の瞳を大きく見開いて、慌ててコリンヌに訊ねた。
「はい、あたしアンダーソンさんと結婚します!こんなあたしを綺麗だなんていう男性は、村の何処にもいませんよ。あなたくらいなもんです。それにあたしも初めてひまわりの丘で見た時から、ずっとあなたのことが好きでした!」
意外にもコリンヌは結婚の承諾をしてしまう──。
自分でもなぜこんなにあっさりと承諾したのか驚いた。
だが、この言葉は紛れもなくコリンヌの本心だ。
──やっぱりあたしは、この素敵な人と一緒にいたい。
コリンヌもジャンの気持ちと同じだった。
初めてひまわりの丘で、麦わら帽子を拾ってくれたジャンを見た瞬間、目が釘付けになった。
コリンヌも一目惚れだった。
旅人だろうが、余所者だろうが愛したのはジャン・アンダーソンその人なのだ。
今までずっと叔母がいう
『余所者』の呪縛に惑わされていたけれど、ジャンはジャンである。
彼の過去が一切わからずとも、ミステリーな人だろうとも、自分が愛した以上このまますんなりと『夏の思い出』にするのは嫌だと思った。
──それに家族もいないアンダーソンさんが、あたしを必要としているならば、あたしが彼の新たな故郷になればいい、とコリンヌは決心した。
※ ※
一方ジャンは、コリンヌがあっさりと結婚の承諾をしてくれたことに、信じられない気持ちだった。
ジャンはしつこくコリンヌに確認した。
「本当にいいのかい?そんなあっさり決めて、後から『やっぱりなしにしましょう』は嫌だよ!」
「ああ、もう何度訊くんですか? そんなこといいませんよ!」
コリンヌはさすがに辟易して言った。
「分かったよ、ごめん。あははは、だけどさっきもいったけど、俺が何者か怖くはないのか?──結婚の約束しておいて何だが、村の人たちが嫌う“余所者”だよ」
「そんなこと……村の人だって先祖代々、この村にいる人なんて数えるほどですよ」
「まあそうだろうけど……結婚式には俺の親族は誰もいないよ」
「ええ、あたしも同じです。前にいったけど、あたしは孤児です。叔父夫婦はいるけど、叔母さんはあたしが幸せになるのを望んでない、そんな人達に式には出てほしくないです」
コリンヌは、榛色の瞳を少し曇らして言った。
だがジャンはコリンヌが承諾したのが、嬉しくて仕方がないようで、ようやく晴れ晴れとした表情になった。
「ああ、ありがとうコリンヌ──ああ、ほっとした!実はすごく緊張していたんだ、断られたら多分ショックで、この村からさっさと出て行こうと思ってたよ」
「 ええ、あなたが緊張してたのは、心臓の音で分かったわ」
コリンヌは小声でボソッと呟いた。
「えっ──なんだって?」
「いいえ、何でもないです」
コリンヌはほくそ笑んだ。
ジャンはさらに晴れ晴れとした顔で言う。
「よし、今日から君は僕の婚約者だ!」
「きゃっ!」
ジャンはコリンヌを力強く両手で抱きかかえた。
「プロポーズの儀式をしよう!」
と、突然ジャンはコリンヌの唇に自分の唇を合わせた。
生まれて初めてのコリンヌのファースト・キス。
ジャンに唇をふさがれて、コリンヌはうっとりしてしまう。
まるで体が溶けちゃうくらいに、はたまた自由に浮遊する森の妖精の気分になってしまうのだ。
「愛しい緑の妖精さん、もう君は僕だけのものだよ!」
ジャンは白い八重歯をギラつかせて少年のようにニヤッと笑った。
こうしてコリンヌとジャンは、秋桜が満開に咲き乱れる美しい庭のある村の教会で、二人だけの結婚式を挙げたのだった。
だが、結婚してから一年過ぎて、早くも夫婦の間に深い溝が入るとは、この時の二人は夢にも思っていなかった。