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2019年4月30日 前編


ふっと意識が浮上するのに任せ、瞼を開けた。

ぼやけた視界に重たい瞼。また寝そうになるが必死に争い、枕元の電子端末を確認した。

時刻は八時。

今日は平日だが、全休の日なのでそこまで早く起きる必要はない__が。

何となく起きた方が良いような予感がして、僕はそのまま電子端末をいじり始めた。

夜のうちに返さなければならない連絡が来ていないか、各SNSを一つずつ確認し、そのあとでゲームのログインボーナスの受け取り、ネットサーフィンと端末をいじっている間に、だんだんと意識がはっきりとしてくるのがわかる。


『もう大丈夫かな』

低血圧持ちの僕は、朝起きてすぐに起きると眩暈が起きることがあるので、すぐに状態を起こすことはせず、布団の上で電子端末をいじることにしている。

のっそりと上半身を起こし、腹部に掛けていた布団を跳ね除けて寝具から脱出する。

起きてから三十分以上は経過しているので、お腹が空いてきた。

ただ起き抜けに色々と準備をしたりするのは面倒なのでシリアルで済ませることにした。適当なお皿に食べたい分量を流し込み、上から牛乳をかける。

あとは日課であるインスタントのカフェオレを作るべく、水をコップに注ぎ、電子レンジに入れた。

ボタンを押すと、僕はお皿を持ってミニテーブルについた。

先ほどからお腹がギュルギュルと鳴って苦しいので、カフェオレを待たずにシリアルを口の中へ流し込んだ。

牛乳に溶け出したシリアルの甘さがほんのりと口に広がる。

まだふやけきらないシリアルをジャクジャクと噛み砕いていると、ピーッと電子レンジが鳴った。

もぐもぐと口を動かしたまま立ち上がり、電子レンジの扉を開け、コップを取り出す。

そして用意していたインスタントコーヒーの粉末をお湯に溶いたあと、牛乳をたっぷり注ぐ。

そのまま口に含むと、牛乳で冷えた胃の中がじんわりと温められていくのを感じた。


食事タイムはすぐに終わり、カフェオレを飲みながらぼーっと過ごす。

一応テレビで朝の情報番組をつけてはいるが、右から左に流れていくだけで頭には入ってこなかった。

お皿洗いは済ませたが、洗濯機を回したり、布団を干したりとやらなければならないことはある。

『十時になったら始めるか』

ちらりと時計を確認してから、またテレビに向き直った。



そのあと十分な休息を取った僕は、身だしなみを整え、今は掃除を行なっていた。

掃除と言っても大々的なものではなく、簡単な拭き掃除と掃除機がけ、あとは排水溝の掃除など、定期的に行わなければならないものだ。

ゴム手袋をして排水溝のゴミを捨てたところで、掃除が完了した。

『やることもやったし、本でも読もうかな』

手袋を片付けながら、心の中で独りごちた。

思えばこの四月は今までの生活が一変し、慣れないことだらけの日々で、思ったように休息の時間を取れていなかった。

平穏な日々に感謝し、僕は読まないまま置いてあった大好きな幻想小説家の著作を手に取って、そのまま物語の世界へと意識を沈めていった。


ピンポーン

読書を始めてどれくらい経っただろうか。気がつけば半分以上読み終わっていた僕の耳に、インターホンの音が届いた。

『誰だろう?』

今日は、誰とも会う約束をしていなかったはずだ。

知人であることを祈りながら、僕は重たい玄関のドアを開いた。

「おう、昨日の今日だな。元気にしてたか?」

五月晴れの清々しい陽光の中に佇んでいたのはKだった。

良く馴れた友人の来訪に内心ほっとため息をつきながら、遠慮がちに開いていた玄関の扉を開け放った。

「見ての通り、元気だよ。今日は来るって聞いていなかったけど、何か急用でも?」

目の前に佇む友人に問うと、彼は人好きのする笑みを浮かべた。

「あると言えばあるが、ないと言えばないな」

ある、というのは、きっと昨日聞かせてもらったあの噂のことだろう。

それならそうと素直に言ってくれれば良いのに、と思いつつ僕はふっと笑みをこぼした。

「とりあえず上がって。コーヒーでも淹れよう。インスタントだけど」

「ありがとな。それじゃ、遠慮なくお邪魔するぜ」

そんなこんなで、僕は唐突な来訪客を迎えることとなった。


Kに遅れてリビングに入ると、彼はたったまま僕の方へ身体を向けて待っていた。

律儀だと思いつつ、彼に「どこでも座ってもらって構わないから」と声をかける。

「おう、それじゃあ失礼」

律儀に一言かけてからクッションの上に腰を落ち着けた彼を見て、その礼儀正しさに感嘆した。

彼の周りにはいつも人がいるが、それは彼の礼儀正しさも手伝っているのだろうなと感じた。

「少し待っていて。僕は飲み物を入れてくるよ。さっきはコーヒーって言ったけど、カフェオレと紅茶とココアも出せるよ。何かリクエストはある?」

「今日は少し暑いから、アイスティーがあると嬉しい」

「了解。僕が戻ってくるまで、少しだけ待っていて。テレビをつけても構わないから」

「何か手伝うことはあるか?」

「いや、大丈夫だよ。そんなに手間ではないから」

「そうか、じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」

彼の言葉に笑顔を返して、僕はキッチンへと向かい、彼をもてなすための準備を始めた。


「お待たせ」

十分も経たずに無事に準備を終えた僕は、アイスティーとクッキーを載せたお盆を持ってリビングへと戻った。

お盆からコップ、クッキーのお皿、そして小皿と順にローテーブルへと下ろすと、彼は目を輝かせた。

「お、クッキーまである!サンキューな!!」

彼の子供っぽい喜び方に、僕は自然と頬が緩んだ。

「ちょうど小腹が空いていたところだったからね」

「俺結構好きなんだよ、クッキーとか焼き菓子が。……そういえば渡すの忘れてた。一応急に押しかける形になるから、お土産持ってきたんだよ。ほら」

Kは鞄をがさごそと漁ったかと思うと、箱を取り出した。

「開けてもいい?」

「ああ」

友人の返答を聞いて箱の蓋を開けてみると、そこにはフィナンシェが並んでいた。

「美味しそう、ありがとう。これも一緒に並べて食べよう」

「良いのか?君だけで食べて貰って構わないのに」

「良いんだよ。こういうのは、一緒に分け合って食べた方が美味しいんだから。……さあ、せっかくだし食べよう」

「おう!それじゃあ、いただきます」

Kがグラスに口をつけたのを見て、僕もグラスを手に取る。

氷がたくさん入ったグラスはとても冷たく、喉から流れ込んだ液体は僕の身体の内の熱を酷く下げたような気がした。

身体も精神も少し落ち着いたところで、僕は話を切り出した。


「それで、なぜKはここへ?」

斜め前でクッキーを楽しんでいた彼は、微笑みながら僕へと視線を移した。

「ああ、そういえば話していなかったな。と言っても、君なら察しはついていると思うが。

実はお前に噂話をしたあとの帰り道に、妙なものを拾ったんだ。状況が状況だったから一瞬拾うか迷ったが、あの噂と何か関係があるかもしれないと思って。今日はそれを見せにきたんだ」

そこで一度切って、Kは再び鞄の中を漁り出した。

僕には背中しか見えないが、すぐに目的のものを見つけられたらしく、右手に何かを持ちながらこちらへ向き直った。

「俺が拾ったのはこれだ」

彼がミニテーブルの上に置いたのは、小さな猫の置き物だった。

「黒猫の、置き物?なんでこんなものが」

「それがさ、講義終わったから家に帰ろうと歩いてたら、いきなり猫の影?みたいなのが見えたような気がしたんだよ。瞬きをした次の瞬間にはすでにいなかったから、見間違いかと思いながらその影が見えたあたりに近づいてみたら、この黒猫の置き物みたいなのが落ちていたんだ。

流石にあの噂の話をした後だったから気味が悪かったんだが、何か関係があるかもしれないと思って持ち帰ることにした」

「なるほどね。それで僕のところに持ってくることにしたんだ」

「ああ」

置き物を見ながら、僕は腕組みをして考えた。

見た感じ、何か嫌な気配を感じることも、目立つ傷等違和感を持つこともない。雑貨屋に並んでいそうな、ごく普通の置物のように見える。

ただ、それを拾ったのが、猫の影を見たような気がした場所で、かつその猫が落としたかもしれないもの。

何も無いと考えることはできない。

「家に持ち帰った後、何か違和感を持つようなことはなかった?」

「違和感、か。俺は特に何も思わなかった」

「そっか……。そもそも、なぜKにだけこれを置いていったのだろう。実は昨日僕も、猫のような黒い影を目撃したんだ」

「本当か!?」

僕の言葉を聞いたKの顔色が変わる。

「うん、そうなんだ。でも、僕はその影を見た後に何かを見つけたりはしなかった。この状況を鑑みるに、その猫__その噂話は君を選んでこの置き物を託したと取ることもできる」

「俺を……選んだ……」

「そう。そしてその理由こそ、君が抱いている違和感に起因しているのでは無いかと僕は思う。昨日君は何もわからないと言っていたけど、何か思い出したことはない?」

僕の問いに答えようと、Kは視線を斜め下に向けて考え込む素振りを見せた。

そのまま黙り込んでしまい、しばらくの間僕たちの間に沈黙が降りた。

きっと彼は今、記憶を辿りながら必死にその中にある鍵を見つけ出そうとしているのだろう。

深い皺を眉間に刻んでいる彼から視線を外し、僕は改めて黒猫の置き物を見た。


木彫りで作られたと思しきそれは、思ったよりも艶やかな質感を纏っている。さらに、目にはガラス玉が嵌め込まれており、その目は今にでも動き出しそうなほど精巧で、彩を持っていた。

『まあ、流石に動き出したりはしないだろうけど』

そう思った時、僕の耳に「にゃん」という鳴き声が届いた。

「えっ」

動揺して思わず声を発してしまった僕を、Kは不思議そうに見た。

「どうした?何かあったか?」

僕は返答に窮した。今ここで“猫の声がした“なんて言ったら、彼を追い詰めてしまうのではないか。

必死に頭を働かせた結果、僕は情報を伏せて彼に確認を取ることにした。

「あ、えっと、今動物の鳴き声みたいなのが聞こえたりしなかった?」

「いや、俺は何も聞かなかったけど」

「それなら僕の勘違いみたいだね。結構近くで聞こえた気がしたから」

笑って誤魔化そうとした時、猫の置き物から黒い影が出ていることに気がつき、僕は硬直した。

その影はだんだんと範囲を広げ、闇を濃くしていく。

僕の様子がおかしいことに気がついたらしいKは、僕の視線の先にある置き物を見てから、再び僕を見つめた。

「おい、どうかしたか?何か見えているのか?」

彼は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

「ああ、うん。大丈夫だよ……」

言っている間にも、その影は広がりを増す。呑み込まれてしまいそうだと僕が思った時、影を割くように中から何かが飛び出した。



それは、猫の形をしていた。

影から出てきたということを除けば、そこら辺によくいるような、黒猫そのものだ。

猫はストンと僕の部屋の床に着地した。

それはそれは優雅で、思わず見惚れてしまうような、美しい所作で。

猫は四本の脚を床につけたまま、僕を一瞥した。

かと思うと、次の瞬間には地面を蹴ってスルッと網戸を通り抜けた。

換気のために窓を開け放っていたが、網戸自体には出られるような隙間はない。

それを、まるでそこに何もないかのように通り抜けてしまった猫は、確実に世間一般の猫とは違う生物だろう。

少しの間呆然としていたが、風で舞い上がるカーテンの隙間からあの黒猫が見えたことで気を取り直した。

『追わなければ』

そう、直感で思った。

昨日Kに教えてもらった噂話と似たような状況の今、多少の恐怖心はあれど、真相を知るにはあの猫を追わないという手はない。

ならば、行動あるのみ。

「待って!!!!」

言いながら、僕は玄関に回って家を飛び出した。




「ちょっと待て!君には何が見えているんだ!!」



僕の頭の中は黒猫のことで頭がいっぱいで、友人が背後で何かを叫んでいるのは聞こえたが、何を言っているかまでは認識できていなかった。


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