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2019年4月29日

「噂?」

大学のお昼休み、人の間をすり抜けながらなんとか見つけた座席で、僕と友人Kは学食を食べていた。


二限が終わる時刻になるとすぐ、学食はお腹を空かせた学生でいっぱいになる。

メニューを選ぶ列も、時間を追うごとに長くなり、席を逃してしまう可能性が高くなってしまう。それを見越した僕とKは二限に授業がないのをいいことに、少し早めに学食を訪れていた。

そして、今日のお目当てであるから揚げ定食を手に、無事座席探しに苦労することなく席につくことができた。

上機嫌で揚げたての唐揚げを口いっぱいに頬張っていると、唐突にKが僕にある問いを投げかけた。

「なあお前、最近大学生の間で流行ってる噂の話、知らないか?」



そして冒頭の発言に至るのである。

目の前の彼はカレーを口いっぱいに頬張りながら、真剣な面持ちでこちらを見ている。


「俺も大学生のはずなのに全然知らないんだけど、それはどんな噂なの?」

Kはもぐもぐと口を数回動かした後、目を瞑りながらごくんと飲み込んでから口を開いた。

「いや、それが俺も知らないんだよ。俺も同じ講義を受けてる友達から聞いたんだけど、そいつが言うことには“噂の中身を誰も知らない“らしい」

「噂の中身を知らない……?」


僕は眉を顰めた。明らかにおかしい。噂の中身を誰も知らないなんて、それでは噂として成立しないではないか。

僕の意図を読み取ったらしく、Kは首肯した。


「そう、普通あり得ないよなあ。誰も噂の中身を知らないなんて。そんなもの話として成立しない。だから他の知り合いにも聞いて回ってみたんだよ。そしたら……」

「そしたら?」

「どうやら猫が関係しているらしいんだ。突然猫が目の前に現れて、どこか分からない場所に連れて行かれる、とか」

「猫?特徴は?色とか」

「お前猫のことになると食いつきいいな。さすが、猫好きなだけはある。まあ残念ながら、色までは分からなかった」

「それは残念。一応聞くけど、体験した人もいなかったんだよね」

「ああ____聞いては見たんだが、不思議な猫に出会ったと言うような話は出なかったな」

少し勿体ぶった割に中身がなく、僕はため息をついた。


「そもそも、一応中身がある時点で、“誰も知らない“って言うのは言い過ぎなんじゃないの?」

「でもこんだけ少ない情報しかないんだったら、誰も知らないで良いんじゃないか?猫に連れて行かれる先も判明していないわけだし」

「まあ一理あるけど……。その話、ネットで調べて見たりした?」


僕の質問に、Kは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。


「お前ならそう聞いてくると思って、事前に調べてみた。そしたら、ほら」


Kは手元で電子端末を操作したかと思うと、僕に画面を向けて腕を伸ばした。

「掲示板にスレが立っててな。何件か書き込みもされていた」

細かい文字が書かれていたので、僕は目を凝らしながら画面をスクロールする。


「えーっと、通称“誰も知らない噂“について知っている人と語りたい……?」

一つずつ投稿を読んでいくと、初めて聞いたと言う人の中に、ちらほら聞いたことがあると言う声が見受けられた。

そして噂を聞いたことがある人は共通して、突然現れた猫にどこかに連れて行かれる、と言うことだけは認識しているらしい。中には『猫に連れて行かれる先は、異界である』と言う意見もあったが、真偽のほどは定かではない。

まあ、こういった都市伝説的な話としては、ありがちな展開だろう。

それ以外に、特に目ぼしい情報はなかった。


「うーん、やっぱりこれだけじゃ分からないね。第一、このネットが発達した世界で目撃証言が一つも出て来ないなんて、おかしいと思わない?」

僕の一言に、Kは伸ばしていた腕を自身に寄せつつ頷いた。

「言われてみれば、確かに妙だな。噂を知っている人が集まっているなら、目撃証言や証拠動画の一つや二つ、出てきてもおかしくはないだろうに」


うーん、と僕らは同時に唸った。

頭を悩ませたとて、情報を得られない以上無意味なことはわかっていても、考えてしまう。

そうさせられるほどには、この噂話は僕にとって神秘的な魅力に溢れた謎に映った。

きっとKもそうなのだろう。

暫くの間二人で頭を悩ませたが、結局、何も答えは出なかった。

これ以上考えても埒が明かないとKが頭を掻きむしったところで、この話題は中断となった。

Kはカレーを水のように流し込み続け、僕は残りの唐揚げを頬張った。口の中に広がる油と、ほんのりと感じる醤油の香ばしさを堪能しながら。

噂話をし始める前には熱々だった唐揚げは、残念なことに少し冷めてしまっていた。



食事を終えた僕とKは、さらに混んできた食堂を後にしてラウンジに移動した。

淡いオレンジ色の光が灯るラウンジでは、楽しそうに会話する人や、電子端末にイヤホンを繋ぎ、講義の動画を確認している人の姿もある。

今日はゴールデンウィーク中の平日であるせいか、心なしか普段より人が少ないように感じた。

手近に二人がけの席が空いていたので、僕とKは向かい合ってそれぞれ椅子に腰を落ち着けた。


「それで、さっきの噂話の続きだけど」


Kが唐突に会話を始めた。先ほど自分から話を切り上げたのに、とは思いつつも、僕自身でも気になっていたため、その話に乗ることにした。

「目撃証言が無いってこと以外に、何か気になった点はあるか?」

Kに問われ、僕は人差し指を顎に当てつつ、頭の中で先ほどの情報を辿る。

誰も詳細な中身を知らない__猫__どこかへ連れて行かれる____


「……そうだね。やっぱり、情報が曖昧なところが気になるかな。猫が現れるって言ってたけど、場所や時刻などのシチュエーションが抜け落ちている。もし本当に見た人がいるなら、特に時間あたりは噂として出回っていそうなものなんだけど」

「言われてみれば、確かにそうだな」

「それともう一つ、逆に曖昧がゆえに“猫“とか、“どこかへ連れて行かれる“という明確な部分は、意図的に際立たされている気がしてならないかな。明確な情報を囮に、その先にあるものを隠しておきたいようにも思える」

「その先、か。ありそうな話だな。良い話も悪い話も大抵、核となる部分は隠されて伝播することは少なく無い」


Kの言葉に、僕は首を縦に振った。

「今の所、噂について僕が気になったことは以上だよ」

「ああ、ありがとうな」

「じゃあ今度は、僕から質問してもいい?」

Kはこちらに手のひらを向けて、先を促した。

「ありがとう。僕から見ると、君はこの噂話にとても執心しているように見える。普段の君は万事興味がないと言う風なのに、何故?」


僕はまっすぐKを見据えて問いかけた。そう、噂話を聞いた時からずっと気になっていた。Kは人当たりがよく、誰とでもすぐに仲良くなれるようなタイプだが、人が好きかと思えば存外あっさり離れたりする。ものに対してもそうだ。

その様子を何度も目撃してきた僕は、Kに対して飄々とした印象を抱いている。

そんなKが執着を見せる理由を、僕は知りたいと思った。

僕の視線をまっすぐに受け止めたKは、口を少し開いては閉じ、開いては閉じを繰り返した。

もしかしたら、彼の中でも理由がわかっていないのかもしれないと思いつつも、彼の言葉を待った。

沈黙が横たわる。

暫くののち、Kの瞳に力が宿った。


「____うまく言い表せないんだが……、最近の生活に違和感があってな。何か、何か大切なことを忘れているような気がするのだが、それが何かを全くもって思い出せない。心当たりもない。俺の生活は、今までと何一つ変わっていないはずなのに、それを否と判断する俺がいるんだ。変だろう?

ただ、この噂について聞いた時、その中身を知らなければならないような気がしたんだ。それを知ることができれば、俺は……」


そこで、Kは押し黙ってしまった。自身でも混乱しているのだろう。

「君が忘れている大切なことと、その噂に関係があるかもしれないってこと?」

彼は神妙な面持ちで頷いた。

「これは俺の勘に過ぎない。もしかしたら、何もないかもしれない。それでも、少しでもこの違和感の正体に近づける可能性があるのであれば、俺は知りたいと思っている」


あまりにも真剣な表情に、気がつけば僕は笑みを浮かべていた。

「わかった。そう言うことなら、僕も巻き込まれてあげようじゃないか。一緒に噂の正体を突き止めよう」

彼は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの無邪気な笑顔に戻った。

「ありがとう。お前ならそう言ってくれると思ったぜ」

「そう思っていたから、僕にこの噂話を話したんだろう?」

「やっぱりわかっていたか。さすがだな」

「当たり前だよ。それより、君と話していて気になることができた。君は、この噂話を最初に聞いたのはいつ?」

「最初に聞いたのは……、確か、二日前だったと思う」

Kの返答を聞いた時、僕は素直に驚いた。

「二日前?話振りからして、結構聞き込みとかもしていたみたいだったし、もっと前から知っているのかと」

「そう、そう……か?いや、確かに俺は二日前に話を聞いた。それから手当たり次第人に聞いて回ったからな。おかげで情報も集まった」

「そう。君の言うとおりであれば二日前よりも前から違和感があったことになると思うけど、本当に何も心当たりがない?」


僕が質問を投げかけると、彼は視線を斜め下に向けて悩む素振りを見せた。

「心当たり、あるみたいだね」

畳み掛けるように言葉を重ねると、彼は観念したらしく、忙しなく視線を彷徨わせながら口を開いた。


「これは、俺の思い違いだと思っていた。だから伏せていたんだが……ある夢を見た」

「夢?」

Kはゆっくりと頷いた。

「そうだ。黒猫の夢だったんだ。俺の前に黒猫が現れて、こっちをじっと見つめていた。俺は暫くその場に佇んで、猫と睨み合っていた。そしたら、不意に猫がくるりと後ろを向いて駆け出したんだ。

追いかけようかと迷っているうちに見えなくなってしまうかと思ったが、少し先で猫は止まった。そして、また俺をじっと見つめる。

その行動はまるで、俺を呼んでいるようだった。だから、俺は近づいてみることにしたんだ。一歩、二歩と猫に近づき、もう少しで手が届く範囲までいったところで、また猫が駆け出した。

そして、さっきと同じような距離で止まった。俺が歩み寄ると、また駆け出して止まる。

それを繰り返すうちに、だんだん速度が速くなって、終いには走っていた。

どんなに走っても、猫には追いつけなかった。息苦しさが限界に達した時、俺は夢から覚めていた。大量の汗を流してな」


そう言って笑った彼の顔は、少し疲れていた。夢で体感した疲労を、その身に写したかのように。


「猫、か。確かに、噂話と関係あるかもしれないね。これから君が体験するかもしれない未来のお告げか、あるいはすでに体験した過去かも」

僕の呟きを、彼は一笑した。

「未来はまだしも、過去はないだろ。俺にはそんな体験をした記憶なんてないぞ」

「ただの可能性の話をしただけだよ。一応ね。……そういえば気にかけていなかったけど、今何時だろう」


話に気を取られていたが、周囲に座っている人間の数が大分少なくなってきている。

僕の言葉を合図としてお互いに電子端末で時間を確認すると、講義開始の五分前になっていた。僕もKも、三限には授業を入れている。

荷物を手に慌てて席を立った僕たちは、そのままそれぞれの講義が開かれる教室へと向かった。

その日Kと会話ができたのは、それが最後だった。



昼休みを終え、三限、四限と時間は進んでいく。

しかし、どの講義に出席している時も、僕の頭の中はあの噂話でいっぱいだった。

教授が口にした単語をレジュメに書き込むと同時に、傍に用意していたノートに別の単語を書き込む。


『黒猫』『夢』『案内人?』

『過去↔︎未来』

『繰り返し』


正直、こんな単語を並べたところで何かを思いつくわけでもないが、何もしないことができなかった。

あらかた単語を出し終わったところで、僕は仮説を考え始めた。

もし、彼の夢が現実だったら。そしてもし、その夢が噂話の一角だとしたら。

彼は夢の中で、噂の核を担う重要なものを目撃している可能性がある。

すでに彼が目にしているもの__すなわち“黒猫“が核である可能性も否めないが、僕は猫をもっと重要なものを隠すための囮だと考えているので、一旦横に置く。

頭の中でぐるぐると考えを巡らせていた時、ある一つの可能性を思いついた。


『もし、Kが見た夢が、猫が迎えに行く人間だけに見せられるものであるならば』

近いうちに彼は、件の猫と遭遇することになるのではないか。

それに思い至った時、だんだんとそれが真実のように思えてきた。

もしかしたら、友人はどこかに連れ去られてしまうかもしれない。ネットの掲示板にスレが立つような噂にもかかわらず、その目撃情報が無いんだ。そうなって仕舞えば、彼とは二度と会えない可能性が高いだろう。

『何とかして、彼を守る手段を考えなければ』

そのあとの時間は、自身の仮説を実現可能性が高いものとして位置づけ、必死に対策を練った。

ほとんど何も聞けないまま、気がつけば講義は終了していた。



五限を終え、帰宅の途についても僕の脳内にはあの噂話が浮かんでいた。

日はすでに傾き始めており、濃い影が僕の前を歩く。

手で押している自転車の車輪が回る独特な音を聞きながら、しばらくの間、その影を見つめた状態で足を進めた。

時折ランニングをする人や、犬の散歩をしている人の影が僕の影と交差し、離れていく光景をぼーっと眺めていると、川上から流れてくるしめやかで涼しい風が僕の頬を撫でた。

その瞬間、視界の上の方で黒い何かが見えた。

ハッとして顔を上げると、僕のいる道の先に、猫の形をした黒い影が見えた____ような気がした。

それは一瞬のことで、再び瞬きをした時にはすでにその影は見えなくなっていた。

『噂をすれば影……』

何となく嫌な感じがして、僕はそこで考えることをやめた。

そのまま歩いていた川辺の道を離れ、自分の下宿先へと辿り着いた。

その日はテレビを見ながらご飯を食べ、お風呂に入り、寝転がりながらネットサーフィンをして、日付が変わる前には電気を消した。


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