プロローグ
「ノノムー!タマゴ降ろすよぉ!」
穏やかな波間に、元気な声が響く。
「りょーかい!」
雲一つない青空に向かって声を張ると、マストのてっぺんからスルスルとロープに吊るされた草籠が降りてきた。
「今日はキウイ鳥の卵だよー」
「へぇ」
籠の中をのぞくと、沼のように濁った緑色とビビットな黄色がまだらになった、不気味なコントラストの卵が、ずっしりと詰まっている。
「これ、食用だよな」
「うん!キウイ鳥は普段は海中にいて、産卵の時だけ高いところに産み付けるからマストに巣をしかけておいたの」
卵の主であるキウイ鳥は、のんきにキュイキュイ鳴きながら船の周りを飛んでいる。
風船玉のようなボディに餃子の皮のような薄い羽根で、どうしてあんなに高く飛べるのか不思議だが、ここでは俺の常識が通じないことばかりだ。
お空へ向かって、いただきますと手を合わせる。
「ねぇねぇ、今日のおひるごはんは?」
「それでオヤコドンできる?」
見張り台からひょっこり身を乗り出したのは、セーラー服を着た2人組の少女だ。
「さっき朝ごはん食べたばっかだろ」
「見張り番はお腹空くのー!」
「ゴハンが1日の楽しみなのー!あ、こないだの煮卵も美味しかったよね」
「トロトロで最高だったしー!って、また食べたくなってきたしー!」
キャッキャと盛り上がる声に肩をすくめ、海風になびくスカートから目をそらす。
目の前には、春のぬくい陽をうけて柔らかく光る海が広がっていた。
(そうか、今日から温帯海域に入るんだっけ。せっかくの採れたてタマゴ、なににするかな)
貯蔵庫の中身を思い出しながら、ぼんやり献立を考える。
「お昼はガッツリしたのがいいなー!」
楽し気な少女の声を、少し冷たさが残る風が運ぶ。
「考えとく!」
大きく少女たちに手を振り返すと、卵の詰まった籠をぎゅっと抱えなおし、船内へ足を向ける。
向かったのは、栽培棟だ。
船内を循環する清らかな水で水耕栽培された野菜が、瑞々しく整列している。
ロボットたちと手入れをしていた麦わら帽子の少女が、こちらへ気づき駆け寄ってくる。
「ノノム!今日はなににする?」
「どれがおすすめだ?」
「そうだね。ポムトマトとミズウリ、レタスリーフに」
少女は厚底のヒールで背伸びをして、背中にしょった大きなかごに野菜をぽいぽい入れてくれる。
「今日はサンセットレモンも良さそうだよ!」
「レモン?」
ミニトマトのようなサイズのレモンが鈴なりになっている。
ひとつ齧ると、えぐみのないすっきりとした酸味と柑橘の香りが鼻の中に広がる。
「今日の昼ごはんはサッパリしたのがいいね」
「うーん、考えとく!」
厨房に戻り、調理台に卵と野菜を並べたところで、酪農科の生徒がやってくる。
「ノノム、例のやつ持ってきたよ!」
「ありがと」
両腕を広げたくらいの大きさの木桶を、銀色のアームをつけた少女は軽々と持っている。
自慢気に桶をかかげ、中の白い布巾をとると、オレンジ色のどっしりした塊が現れた。
「おぉ、すごいな」
「ふっふっふ。深海牛のチーズだ。いい具合に熟成してるだろ」
「あぁ」
「昼はこいつで、コッテリしたやつが食べたいな」
オーダーが増えた。
がっつりしてて、さっぱりしてて、コッテリしたやつ、か。
(卵にレモンにチーズ……なら、そうだ。昼はアレにしよう)
手首につけたガラスの球体で時間を確認し、腕まくりをする。
まず大鍋に、たっぷりと水を入れ火にかける。
沸騰を待つ間に、貯蔵庫からドリマグロのブロックベーコンを取り出し、厚めの角切りにする。
冷たいフライパンに、ベーコンの脂身を入れ弱火にかけると、脂がにじみはじめるのでその脂でカリカリになるまでじっくり炒める。
次に大きなボールを取り出し、キウイ鳥の卵を溶いたところに深海牛のチーズをおろし金ですり下ろす。
かきまわすと、ねっとりとした卵液ができる。
ここにサンセットレモンの皮を少しすり下ろすと、厨房に南国の爽やかな香りが広がる。
(うん、ちょうどいいな)
お湯が沸騰したら、海塩を多めに入れ、リングパスタをくっつかないように投入する。
麺は固めの状態で引き上げ、フライパンのベーコンとさっとあえる。
魚の脂が太めの麺に絡んでこれだけでも美味そうだが、もうひと手間。
火を止めて、パスタに卵液を少しずつ絡める。
余熱でチーズがとけだし、トロトロとクリームが麺に絡んでいく。
あとはサラダ用に野菜を千切ったら完成だ。
お昼の軽快なチャイムが艦内に響くと、食堂へ次々と生徒が入ってくる。
「おなかすいたっ!」
「めっちゃいい匂いするー!今日の昼はなになに?!」
カウンターから盛り付けたパスタの皿を渡すと、猫型ロボットがサラダと一緒に配膳してくれる。
全員が席に着いたところで、艦長が手を合わせる。
「太陽と海の恵みに感謝し、いただきます」
「いただきます!!」
盛り付けに添えたレモンを絞り、フォークですくう。
ベーコンの脂と塩気を吸収した麺とチーズのまろやかなとろみが絡んで、美味しい。
歯ごたえのある麺とベーコンの合間に、爽やかなレモンが香る。
「なにこれ、クリームパスタよりコッテリしててガッツリ系なのに、いくらでも食べられるよ?」
「カルボナーラっていうんだ」
「美味しい~!」
「レモンとチーズを合わせるなんて思いつかなかったなぁ」
セーラー服を着た少女たちは、笑顔であっという間に空になった皿を突き出す。
「ノノム、おかわりあるー?」
「私もちょっとだけ!」
「はいはい」
見知らぬ世界で”漂流者”となった俺は、海の上で料理番をしている。