やっと見つけた
自室のクローゼットから制服を取り出し、手でパタパタとはたいて埃を落とす。シワがないのを確認してそれを着用し、最後に纏めた髪の上に三角巾を被る。これで準備は完了だ。あたしは部屋を出てあくびをしながら短い廊下を行き、その先にある階段を降りる。まだ少々の眠気が残る中、一階の店内に足を踏み入れた。開店時間までまだあるというのに、朝早くから店の掃除をしているあたし以外のもうひとりの従業員が大声で挨拶してくる。
「先輩、おはようございます!」
「ん……おはよ」
うるせぇなと思うも口には出さず、挨拶を返す。
コイツの名前はオグ。ついこの間、この喫茶店メアリーで働くことになった、いわばあたしの後輩だ。まあ、その……声がでかくて、やる気に溢れた若者って感じのヤツだ。あと身長高い。
「アイツは?」
「ゼンさんなら、まだ寝てると思いますよ。昨夜、先輩が部屋に戻った後もずっとお酒飲んでましたから」
……あたしが寝た後に一人で酒を飲み続けるゼンと、その片付けをさせられるオグの画が容易に想像できた。
「言い方からするに、後片付けもやらされたんだな」
「あはは……。ゼンさんは本当にお酒が好きなんですね」
この喫茶店で働くようになった時から既にゼンの酒好きは度を越していたが……。
「お前も大変だな。同情するぜ」
その晩酌の付き添い人が自分じゃなくなって少し睡眠時間が増えた、とは言わないでおこう。
「そういえば先輩、ゼンさんから伝言預かってますよ」
「伝言?」
……なんか嫌な予感がする。
「昼までの間に、いつもの店で食材買ってこいって」
やっぱりか。
その日の予定がその日の朝に知らされるのは普段からだ。ゼンのヤツ、店じまいした後はすぐに酒で酔っ払いやがるし、多分それで明日の予定を言うのを忘れるんだろう。
ああ、めんどくせぇ……。
「まったく、本当にいい加減なヤツだ」
よくこんなんで店の経営ができているなと、感心すら覚える。
「つくづく思うんですけど」
「なんだよ?」
掃き掃除をしているオグの横顔を見ると、微笑んでいた。あたしが悪態をついたのにも関わらず。
「先輩って、素敵な人ですよね」
……ん? 素敵な人?
「素敵って……あたしがか?」
「だって先輩って、なんだかんだ言いながらちゃんと相手してあげてるじゃないですか」
「んー……。そうか?」
確かに、ゼンの晩酌に付き合う日があれば、その日はあたしが片付けをしているが……。後輩から見れば、それが「相手をしている」ように見えるのか。
「そうですよ。先輩、返事もちゃんとしてるし、ちょっとした頼まれ事もすぐにこなすし」
あー……。そういうことか。
「それは当たり前だろ。あたしはここの従業員だからな」
「その当たり前ができる人って、実はすごい人なんですよ」
「んんー……」
……まあ、褒められて悪い気はしないな。ただその言葉を、後輩であるお前が言っていいのか気になるところではあるけど。
「そんな先輩のことを知れば知るほど、僕は……」
「んなことより、さっさと掃除終わらせて買い物行くぞ」
これ以上なんか言われたら変な顔しそうだから。悪いけど、会話ぶった切らせてもらうぞ。
大体一時間後。あたしとオグは、いつもの店__業務スーパーでの買い物を終え、食材をいっぱいに詰め込んだエコバッグを手に帰り道を歩いていた。
その途中、小さな家電販売店の前を通ろうとした時。子供と、その母親らしき大人の女性が話しているのが聞こえてきた。この道はいつも人通りがなくて、それは今日も相変わらずだったから、その親子の会話がどうしても聞こえてしまったんだ。決して盗み聞きではない。
「ママー! 僕もパソコン欲しい!」
「それはもっと大人になってから。マナーがわかるようになったら買ってあげるわ」
「やだー! 今すぐ欲しいー!」
……親に物をねだる子供、か。
あたしはふと考えてしまった。人間であるあたしには当然両親というものがいるだろう。記憶を失くす前、小さい頃はあたしも両親とああいう風に会話をしたことがあるのかな。
あたしの親はどんな人なんだろう? もし、街でばったり鉢合わせたら声をかけてくれるだろうか。記憶がないあたしに。声をかけられたとして、ろくな対応できる自信ないが。
「友達とライヴ・オブ・ファジアやりたいのー!」
「あら、なにそれ?」
「ママ知らないの? 流行ってるゲームだよ!」
……そういうやり取り、なんだか羨ましい。あたしの家族は、あたしのことを探してくれているのかな。だといいんだけど。
「……あの、先輩?」
オグに呼ばれてハッとした。あたし、なに立ち止まってんだ。
「……ああ、悪いな。ちょっと思うことがあったんだ」
「もしかして、家族のことですか?」
見事に考えを言い当てられた。オグお前、なかなか勘が鋭いじゃねぇか。
「よくわかったな」
「だって先輩、羨ましそうに見てたんですもん」
え、そんな顔してたか? あたしは、あの親子を見つめる自分の顔を想像して少し恥ずかしくなってしまった。
「……そっか。そういえば先輩は、記憶喪失なんですもんね」
「ああ……」
同じ店で働く者同士隠し事はなしにするっていうゼンが決めたルールのせいで、オグもあたしの記憶がないことを知っている。
「先輩がメアリーで働き始めてから三年経つんですよね。先輩の家族は、三年もの間なにをしているんでしょうか……」
…………。
「…………」
あたしもオグも黙ってしまった。気まずい。
「……そ、そうだ。明るい話題。明るい話題にしましょう」
空気に耐えかねたオグが無理やり話題を変えてきた。
「ほら、あれ見てくださいよ」
そう言ってオグは、家電販売店の店頭に雑に配置してあるテレビに人差し指を向けた。画面に映し出されていたのは、最近発売されたらしい……よくわかんないマッサージチェアみたいな機械だった。
「今映ってるヤツ。あれに座れば、脳を癒してくれる電波が包み込んでくれて……ヒーリング効果があるみたいです」
「へぇ」
電波で脳を癒す、か。あれに座ったら気分が良くなんのかな。
…………。
「…………」
……あたしの反応が悪かったんだろうけど、あんまり会話弾まなかった。
「長いこと立って話しちまったな。そろそろ帰んぞ」
「は、はい」
何故かオグはしょんぼりとしていた。
帰ろうとしたその時、少し離れて店頭のテレビを見つめていた大学生くらいのグレーのジャケットを着た男が視界に入った。
「……ん?」
どういうわけか、あたしの視線はその若者に釘付けになった。
「先輩? どうかし……」
若者は、俯きがちな姿勢をしていた。そして数秒後、体を横に向けて行こうとする。その横顔があたしの目に映った。瞬間、あたしの頭の中で、謎の言葉が思い起こされる。まだ聞いたこともないであろう、この人の声で。
__俺は反対だ! どっちが相手になるとしても! 人生が縛られることになるんだぞ!? そんなの、俺は絶対に受け入れられない!
「__先輩? 先輩!? どうしたんですか!?」
オグの呼び掛けで意識が戻った。あたしはエコバッグを地面に落として、立った状態で両手で頭を抱えていた。
直感的に感じ取った。あたしは、今の若者と会ったことがある。彼なら、あたしの正体を知っていると。
あたしは顔をあげて若者の方を見た……つもりだった。あたしが頭を抱えている間に、若者はどこかへ歩いていってしまったようだ。
「なあ、オグ」
「……先輩?」
「今そこにいた男はどこへ行った」
「え?」
あたしはオグの肩を掴み、勢い良く揺さぶった。
「どこに行ったって聞いてるんだ!」
「え、えっと……そこの曲がり角を曲がっていきました」
振り返り、家電販売店の脇にある細道に目を向ける。
「オグ。先にひとりで帰ってろ。ゼンにはそのうち帰ってくるって言っといてくれ」
「え?」
さっき落とした食材でいっぱいのエコバッグをそのままに、あたしは駆け出した。オグの呼び声が後ろから聞こえる。ごめんな。わけわかんねぇよな。でも、やっと見つけたかもしれないんだ。
ずっと見つからなかった、あたしの過去が。
急いで細道を抜けて、周囲へ目を光らせる。アイツ、どこ行きやがった。
すぐ近くにはいない。そう判断した。あたしは右の方を見た。こっちは路地裏がない一本道だ。少し目を細めて、視線を遠くへやる。人影はない。じゃあ左だ。あたしは向きを変えて、同じように遠くを見た。あっちは普段人通りが多い場所だが……。
「……いた!」
さっきの若者が人混みに近づいていくのが見えた。あたしは大通りへと走り出す。
アイツがあの人混みの中に入ったら、探すのが大変だ。面倒なことになる前に話しかけなければ。
息を切らして彼の元に急ぐ。あと少しだ。あと少しで手が届く。そう思った矢先に、目の前の十字路をあたしの視界を遮るように一台の車が横切った。慣性を押し殺すように体に急ブレーキをかける。
「あっ……ぶね!」
幸い、轢かれはしなかった。なんだよ今の。通行人の確認くらいちゃんとしろ。
再び視線を前へ向ける。今の危なっかしい車に気を取られているうちに、彼の姿は見えなくなっていた。恐らく、そのまま歩いていって人混みに紛れたんだ。
一瞬にして頭が回転を始める。アイツはあの中に入った。探しに行くべきか? 探しに行ったとして、どこへ行くのかもわからない彼を見つけ出せるか?
諦めたくないという気持ちと、追いつけないかもしれないという不安がせめぎ合っている。あたしは、その場で二秒くらい立ち止まってしまった。
その短い時間は、とても長く感じられた。そして、あたしが選んだ行動は__
「……ええい! 自分を知るためだ!」
もう一度、走り出した。勇気ある選択か、あるいは無謀か……。この時はわからなかったが、あたしは前者であることを願った。
それから少し時間が経った。
近場を走り回ったが、結局追いつけなかった。あたしの選択は無謀なものだったんだ。
「くそっ……」
あたしは、あの時と同じように人目につかない路地裏でうずくまっていた。誰かが迎えに来てくれるわけでもないのに。
雨は降っていなかった。だから、全然肩が冷たいとかはなかったけど、どうしてか自分の過去を知る鍵がどんどんと遠ざかっていく気がして。
…………。
きっと、こんなことしてる場合じゃねぇよな。まったく、なにやってんだよ。早く戻んねぇと。
オグはひとりで帰れただろうか。二人で手分けして持って帰る予定だったバッグ両手に。
さっきの男が自分の過去を知る鍵かもしれないとか思ったけど、ただの思い違いの可能性だってある。
過去を知る、鍵……。
……そういえば、さっき聞こえた言葉はなんだったんだ? 俺は反対だとか、人生を縛られるとか言ってたけど。
記憶にはないけど、絶対どっかで聞いたことあるんだよな。
…………。
やっぱり、諦めたくねぇな……。
「おい、お前」
……んっ?
「お前も社会での居場所を失ったヤツか?」
顔をあげると、いつの間にかそこにいた、黒い服のフードで顔を隠した男があたしを見ていた。
「見ねー顔だけど……」
誰だお前。
「あー……。悪い、なんだって?」
「居場所がないのかって聞いてんだ」
居場所……。あたしの居場所といえば、あれか。
「あるぞ。近くの喫茶店で働いてんだ。……お前は?」
あたしが聞くと、黒い服の男はニヤついて誇らしげに言った。
「俺はAZ団のリーダー! その名も……いや、ここで名は晒すべきじゃないな」
AZ団。聞いたことがある。前にメアリーに来た客が話してた。確か、夜になると街に出没する素行の悪い若者の集団だ。噂によると、集団は夜に騒ぎながら街を練り歩いて、近くの飲食店に迷惑をかけてるとか。あと、一緒に悪いことする仲間を増やすために、ひとりで歩いてる同年代の若者を無理やり勧誘するだとか。
……え、あたしもしかして勧誘される?
「とにかく、お前は俺たちの輪には入らなくてもいいみたいだな。なら用はない」
あれ、なんか思ってたのと違う。
「……団のリーダーなんてお偉いさんが、こんなとこでなにしてんだよ?」
興味本位だけど聞いてみるか。
「俺たちは友達を探してんだよ」
新しく団に入ってくれる仲間を……ってことだな。
「そうか。じゃあ……まあ、頑張れ」
「おう」
フードを被った黒服の男__AZ団のリーダーとやらは、踵を返して去っていった。なんというか、貴重なヤツと会えた気がする。
あたしは深呼吸をした。今の意味不明な会話のおかげで、少しは気持ちが落ち着いた。
そうだ。あたしには居場所がある。帰りを待ってくれる人たちがいる。その人たちは家族じゃないが。
「……帰るか」
自分の過去を知る鍵__さっきの若者を諦めたくはないけど、見失ったもんは仕方ないよな。あたしはもう一度深呼吸してから立ち上がって、自分の居場所へと歩き出した。
店に戻ると、既に開店時間を過ぎていたようで、客が何人かいた。いつもあたしがやってる手伝いをオグが代わりにやっているのが見える。これ多分ゼンに怒られるな。でもアイツはあたしの記憶がないことを知ってるから……さっきの頭ん中で聞こえた声のこと、後で話してみるか。
裏口から店に入って速攻で喫茶店の制服に着替え、業務を開始しようと飲食スペースに入る。あたしの姿を確認したオグが近づいてきて、コソコソと言った。
「先輩、なにしてたんですか! ゼンさん普通に怒ってますよ!」
「迷惑かけたな。アイツには謝っとくから気にしなくていいぞ。で、これはどのテーブルに運ぶんだ?」
コーヒーとシュガーのセットを手に持って、店内を見渡した。
「あのお客さんです」
オグが示した客の元へセットを運ぶ。その客というのは、なんてことない、常連客のおじさんだった。おじさんは、あたしを見て挨拶をしてくれた。
「おはようジェナさん」
「おはよ。お孫さん元気?」
「ああ。孫は最近、流行りのネットゲームに夢中になっていてな。やってる最中に話しかけても無視されてしまうんだよ」
「それは大変だな。程々にするように伝えた方がいい」
「ジェナさんの言う通りだよ。まったく……。でも、孫がなにかに熱を注いでるのを見ると、なんとなく嬉しくてなぁ」
おじさんは微笑んでいた。
「やっぱり家族がいてくれると幸せだ。ジェナさんも、いつか幸せな家庭を築くんだよ」
「あ、え、そうっ……すね。あはは」
……家族、か。言われて、さっきのグレーのジャケットの男を思い出した。アイツと接してたら、あたしの家族もそのうち見つかってたのかな……。
……ダメだ。今は仕事中。考えるのは後だ。
おじさんと軽い会話を交わして、業務に戻る。厨房の方へ行こうとした。その途中、流れで自然とひとり客用のカウンターテーブルが視界に入った。そこに彼はいた。
ただひとり、座っていた。なにかを探し求め続けているかのような物憂げな横顔で。
業務中だということを忘れてしまった。あたしは声をかけるのを我慢できなかった。
「あ……あんた!」
彼は振り返って、あたしの顔を見る。
「……俺になにか?」
第一声で確信した。コイツは、間違いなくあたしを知っている。さっき頭ん中で聞いたのと同じ声をしていたからだ。
彼は表情を変えることはなかった。対するあたしは……どんな顔してるかわからないけれど、とりあえず彼を引き止めるしかないと思った。
「……少しだけ、待っててくれるか?」