表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Bear The Future アナザー・ハーツ  作者: スタジオヒガシ
1/15

目覚め

挿絵(By みてみん)



 目が覚めると、体はうつ伏せになっていた。呼吸のしづらさから、段々と意識がはっきりしてくる。


 ここはどこだ? 顔を上げて周囲に目をやる。部屋の床と壁は、見るだけで冷たく感じる程真っ白だった。ここは……病院か?


 床に手をついて立ち上がり、時間だけでも確認しようと時計を探し振り返る。すると、視界に入ったのは……。


「なんだこれ……?」


 見るに巨大な……人ひとりが丸ごと入ってしまいそうな大きさの、映画にでも出てきそうな培養ポットのようなものだった。なにかが内側からガラスを打ち破ったのを示すように、その周りには破片が散乱し、恐らく中に入っていたであろう緑色の液体が床に水たまりを創っている。部屋にそびえるそれに圧倒されたあたしは、慄いて後ずさった。


 そして今更気づく。あたしは、服を着ていなかった。触れる空気がやけに冷たく感じる。けど、ただ寒いだけじゃないような……言うなら、シャワーを浴びた後、バスルームから出た時に体を覆うひんやりとした空気、その温度差の感覚だ。つまり……あたしの体には、液体が付着していた。


 なにがなんだかわからない状況下で、脳はひとつの可能性を導き出す。ガラスの割れた培養ポット……それに背を向けてうつ伏せになっていた自分……体に付着していた液体……。


「あたしは、今までこの中に……?」


「目覚めたか」


 突然、背後から男の声がした。驚いたあたしは、即座に振り返る。そこに立っていた男は、不思議な格好をしていた。暗いブラウンのロングコートを羽織り、頭には同色のハットを被り……なによりも目を引いたのは、その顔を隠す仮面。


「だ……誰だあんた?」


 仮面の男は、あたしに向かってなにかを放り投げた。咄嗟に目を瞑りかけて身構えると、それはパサッと柔らかな音を立ててあたしの足元に落下した。


「そのままだと風邪を引く」


 目を開いて足元を見る。男が投げてきたものは、一枚のタオルと、パーカーやカーゴパンツなどの服一式だった。


「体を拭いて、着替えたら来なさい」


 それだけ言って、男は一組の靴を床に置いてカツカツと足音を立てて部屋の出口へ歩いていき姿を消した。


 先に状況を把握したかったが、このまま全裸でいるのは嫌だ。そう思ったあたしは屈んでタオルを拾い上げ、戸惑いながらも髪と体を拭く。その後は服を拾い、危なくないか確認してから下着と、靴下、カーキ色のカーゴパンツ、そして淡いピンク色のパーカーを身につけ、靴を履いた。サイズはぴったりだった。


 着替えを済ませ、仮面の男の後を追う。培養ポットの部屋を出ると、そこは壁も床も天井も真っ黒な廊下。均等に配置された床の照明だけが道筋を示している。さっきは、ここは病院かと思ったが……。どうやら、その予想は外れたらしい。あたしの知る限り、病院にはこんな場所はない。


 仮面の男は、そんな廊下の中心に立っていた。相手が何者なのかわからない以上、安易に近づくことはできない。距離を空けてあたしは尋ねる。


「あんたは……何者なんだ?」


 自分の声だけが響き渡る。しばらく待ったが、返答はない。


「ここはなんなんだよ?」


 またも返答はなかった。この仮面野郎は、あたしの問に答える気はないようだ。


「あたしは、どうしてここに__」


「お前は」


 仮面の男は、唐突に口を開いた。


「自分の名前がわかるか?」


 なにを言われるのかと思ったら……自分の名前? そんなの、わかるに決まって……。


「……あ?」


 あたしの……名前……。


 …………。


 ……。


「……わからない」


 あたしには名前があるはずだし、誰かに名前で呼ばれたような記憶もうっすらとある。だけど……その名前が、どうしてもどうしても思い出せない。目が覚めたばっかりで混乱している、というわけでもない……違う……もっとこう、思い出そうとすればするほど、頭の中がぐちゃぐちゃになっていくような……。


 それに、今更気づいた。あたしには家族がいるはずだけど、その顔も声も、何人いたのかさえもわからなかった。


「やはり、記憶をなくしているのか」


 仮面の男が言う。やはりってなんだよ。お前が、あたしの記憶喪失に関わってるっていうのか?


「いいか。お前の名は」


 ……あたしの名前を知ってんのか?


「__ジェナ」


 ジェナ?


 ……ああ、多分そうだ。それがあたしの名前なんだろうな。しっくりくる。


「……ラストネームは?」


「…………」


 聞くと、また黙りやがった。少し間を空けると、仮面野郎は急に振り返って廊下の先へと歩き出す。


「お、おい! どこへ行くんだ!」


「この施設の出口に行く。ついて来なさい」


 カツカツと、仮面野郎の足音が鳴る。この時は、このままここにいるのは良くなさそうだし……コイツのことは信用できないけど、ついていくしかないと思った。


 それに、もうひとつ思うことがあった。あたしと仮面野郎は、過去にどこかで会っている。多分。コイツの声には、聞き覚えがある。どこで会ったかとかは……記憶をなくしていてわからないが。






 外に出ると、辺りは真っ暗だった。建物の中にいてわからなかったが、夜だったんだな。深呼吸すると、澄んだ空気が体に染み渡る感じがする。それだけで少し気分が良くなった。


「施設から出たんだ。そろそろ、あたしの質問に答えてもら__」


「ジェナ」


 ……コイツ、あたしが喋ってる途中でまた口を開きやがった。


「ここで見たものは忘れるんだ」


「……あたしがいた実験室みたいなところのものか?」


「ああ。そして、どこか好きなところに行きなさい」


「……なんだそりゃ。あたしを行くべき場所に案内してくれるんじゃないのか?」


 答えないまま仮面野郎は道路に停めてあった車に近づく。


「ま、待てよ! 好きな場所に行けって……あたしを放ったらかしにするってことか!?」


 仮面野郎は、振り返らないままで言葉を紡いだ。


「お前はどこへ行ってもいいし、行かなくてもいい。やりたいことをやってもいいし、やらなくてもいい。だから……」


 その男は、一瞬だけ立ち止まり、あたしに言い放った。


「自由に生きてくれ」


 ……言葉の意味はわからなかった。でもあたしは、どこかで会ったことがあるこの男から、願いか、もしくは想いのようななにかを託されたということだけ理解した。ただひたすらに、そんな気がしたんだ。


 仮面の男は車に乗り込んだ。その車は、ヘッドランプを灯してどこか遠くへと走っていってしまった。






 それから少しの時間が過ぎた。記憶がないあたしは、仮面の男と別れた場所、小高い丘の上の施設の出口から坂を下って街の方にやってきた。行く宛てもないのに。


 夜の街では、こんな時間だというのにまだ窓から光が漏れている建物が多くて、それだけで少し寂しさが和らいだ。でも、帰る場所がないことに変わりはなくて。歩きすぎて疲れたあたしは、路地裏のゴミ置き場の影に隠れるようにして縮こまっていた。これからどうすればいいのかわからず、文字通り途方に暮れていた。


 さらに数時間が経ち、空が白み出してきて、ぱらぱらと雨も降ってきた。傘も持ってなかったあたしは、どうしようもなく雨に打たれるしかなくて。じわじわと服が濡れていく感覚を味わうしかなかった。


 ……ああ、冷たいな……。


 誰かがこの路地裏を通ろうとしているのか、近くからずぶ濡れの地面を蹴る足音が聞こえてくる。きっとこの人には帰る場所があって、迎えてくれる人がいるんだろうな。俯きながらそんなことを考えてしまった。羨ましい。この人は、あたしのことなんて目もくれずに通り過ぎるだろう。そう思っていた。


「……ちょっといいか?」


 足音が止まった。声をかけられた。あたしは少しだけ顔を上げ、目の前でこっちを覗くように屈む人物を見た。


「若い女がこんな場所にうずくまって……なにしてんだ?」


 その人は、三十代くらいの男だった。テレビでよく見るおしゃれな店の店員のような服装をしていた。


「あんたは……?」


「俺の名前はゼン。嬢ちゃんは?」


「……ジェナ」


 自己紹介を終えると、ゼンと名乗った男はあたしの頭上に傘を差し出した。


「嬢ちゃん。雨ん中ここにいたら凍え死ぬぞ。家には帰らねぇのか?」


「あたしは……」


 そう。あたしは記憶喪失。あたしは……ひとりぼっち。


「帰る場所が……ないんだ」


 あたしは目を逸らす。そのまましばらく固まっていると。


「……そうか。わかった。きっと、なにかつらいことがあったんだろう」


 つらいこと……もしかしたらあったのかもしれないけど、それすらも覚えていないんだ。


「詳しくは聞かねぇよ。でも帰る場所がねぇっつーことは、飯にもありつけねぇってことだし、そのうち腹も減るだろ」


 ゼンは、あたしの手に傘を握らせて背筋を伸ばした。


「この路地を抜けてすぐそこに、俺が経営してる喫茶店があるんだ。看板にメアリーって書いてある店。どうしようもなくなったらそこに来やがれ。ちょっとした飯くらいなら作ってやるから」


 そう言ってゼンは雨に打たれながら去っていく。その後ろ姿を横目で見て、あたしは腹が空いていることに気づいた。


 さっきの言葉……。普通の人間なら怪しいと一蹴するだろうけど、頼れる人がいなかったあたしは、その優しい言葉に思い切り甘えたくなってしまった。そして……気づけばあたしはその店の入口に立っていたんだ。


 ガラス張りの壁から覗ける店内は、いかにもおしゃれって感じの内装で。喫茶店の入口のすぐそばに立てて置いてあったメニュー黒板の文字を読んでヨダレを垂らしていると、あたしの存在に気づいたのか、さっき傘をくれた男__ゼンが出てきて、あたしを店に入れてくれた。彼は、そのままあたしをカウンター席に案内する。


「さて、メニューは俺の気分で決めるぞ」


「あ、あのさ……。あたし、金とか持ってなくて」


 それを聞いても、ゼンの表情は崩れることはなかった。それどころか彼は、まるで聞こえていなかったかのように料理を始める。


「ちょ、ちょっと待て! 金も払えないのに、飯なんて食うわけ……!」


「じゃあこうすっか」


 ゼンは振り向き、人差し指を立てて言った。


「洗い物と食器の片付けを嬢ちゃんがやる。その代わり、嬢ちゃんはここで腹いっぱいになるまで飯を食う。それでどうだ?」


「いや、でも……!」


 あたしがなにを言ってもゼンは構わなかった。その後あたしは、しばらくして運ばれてきたピザトーストを食べた……いや、食べさせられたと言った方がいいな。腹を満たしてからは、おとなしく食器洗いとかを手伝った。






 ……それからあたしは、その喫茶店で働く代わりに衣食住を確保してもらうことになった。ゼン曰く「ちょうど従業員が欲しかった」とのことだ。


 そしてその三年後。あたしは、ある人物との出逢いから、自分が何者なのかを探る冒険を始めることになる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ