第8話 クリーム
「・・・そうか」とお兄様は頷き、紅茶を一口飲んだ。
私はなんとなく気不味い思いで目の前に置かれた、砂漠が夢でええとため息がなんだっけ?そんな感じの名前をした美しいケーキを一口食べた。
美味しい!
感動のあまり、ビシッとお兄様を見つめると、お兄様は、ふふふと笑い「クリスティーネはケーキが好きだね」と言った後、ふと何かを思いついたように目を見開き「うん。そうか。そうかもしれない」と呟いた。
「何を思いつきましたの?」
「結局は『鑑定』スキルも他のスキルと同じかもしれない、と思ったんだよ」
「どういう事ですの?」
面倒な名前のケーキの美味しさが、『鑑定』とどんな関係が?
お兄様は楽しげに片眉をひょいとあげ、説明を始めた。
「『鑑定』は希少で特別なスキルだから、他のスキルとは違う性質なのだと私は思っていたんだ。しかし、やはりスキルはスキルなんだ。『鑑定』も他のスキルと同じ性質を持つのかもしれない」
「スキルに性質があるんですの?」
「ああ、そうだ。スキルというのは、それを持つ人間の、好みや関心が少なからず反映されるものんだ」
「好みや関心?」初めて聞く話だった。
「そう。たとえば私が持っている『風魔法』は、多くの人が持っているスキルだが、持つ者によって少しずつ違うのだよ。私の場合はこうだ」
お兄様は手のひらを上に向け、またクルクルと小さな竜巻を作る。
「これ以外も出来るが、これが一番得意だ。風のこの動きが一番好きなんだ。楽しげで自由だ。そして繊細だ。見ていて飽きない。気がつけば、この渦でかなり細かい動きもできるようになった」
そう言って、小さな可愛らしい渦巻きを花瓶の側まで飛ばし、花瓶を倒すことなく、一輪の赤い花だけをそっと揺らすと「どうだい。この繊細な動き。すごいだろ」と、得意げに言って続けた。
「『風魔法』のスキルは持つ者が多いからね。個人差を比較しやすい。本当に同じスキルとは思えないほど多様なんだよ。例えばアレクシス先生の『風魔法』は、ともかく威力が強く、何もかも吹き飛ばしてしまうのだ。あの方らしいだろ。魔物の討伐の時も、ともかく吹き飛ばしてめちゃくちゃにしてしまうから、最近ではアレクシス先生を呼ばなくても倒せる程度の魔物の時は、討伐から外されているらしいよ。魔術士団長なのにね」
お兄様は、くすくす笑った後「分かるかい?持つ人間の好みや関心によって同じスキル『風魔法』でも、これほど変わっているくる。他のスキルも同じようなものだよ。だから『鑑定』も同じなのかもしれない。何をどれだけ深く鑑定できるかは、クリスティーネの好みや関心に左右されているんだ」
お兄様は満足そうに頷き続けた。「つまりクリスティーネが好きなケーキや宝石に関しては、それほどでもない花や人よりも詳しく『鑑定』が出来るのかもしれない。どうだい。私の推理は当たっていると思うんだが」
私はしばらく沈黙した。確かにお兄様の推理は当たっているかもしれない。かもしれないけれど、「そうであるなら、私は人や花は嫌いなくせに、ケーキや宝石が好きな人間という事ですわね」なんだかとても愚かでつまらない貴族の女に思えた。
「え?い、いやそういう意味ではないよ。いや、そういう意味なのか?いや、しかし、うん、別に悪い事ではないよ。私もケーキや宝石が好きだ。人はまあ面倒なところあるから、うん、嫌う理由はある。花は・・・花は私は好きだが、しかし、花にも嫌なところがあるはずだ。例えば、ええと、例えば、ちょっと待ってくれ、すぐ思いつくから、クリスティーネ、そんな顔をしないでおくれ!」
一回目の私の心は弱っていたんだと思う。信じられない体験をして、二ヶ月引きこもっていたのだ。弱っていて当然だと思う。そしてその弱った心に、お前は人と花が嫌いでケーキと宝石が好きな人間なのだという宣告が、変に突き刺さってしまったのだ。
可哀想な一回目の私。でも大丈夫。十回目を超えた辺りから、誰が何を言ってもたいして刺さってこなくなるから。二十回を超えると、相手が全力で刺しにきても弾き返すようになるから。最終的には刺しに来たのを気づきもしなくなっちゃうから!そんな人間になっちゃうから!だから今だけ、刺されればいい。そんな事だってきっと大事な経験なのだ。
すっかり黙り込んでしまった私の前で、お兄様は「ええと、ええと」を繰り返しオロオロとしていた。そしてちょうど私達のテーブルの横を、この店で飼われているらしい真っ白い綺麗な猫が通り過ぎようとしているのを見ると、
「そ、そうだ。猫は好きだったね。小さい頃、お祖母様の家に遊びにいく度にあの家の猫を可愛がっていたじゃないか。猫なら詳しく『鑑定』出来るかもしれない。ほら、そこを歩いている猫を『鑑定』してごらん。もしかすると猫の名前ぐらいまで分かるんじゃないかな?」と、捲し立てた。
私は、ちらりと猫をみると、あっさり言った。
「クリームですわ」
「え?」
「猫の名前は『クリーム』ですわ」
「『鑑定』で分かったのかい!?凄いじゃないか!」
目を輝かせたお兄様に、私は目を伏せた。
「猫の首輪に名札が付いていました」
「・・・そうか」
「『鑑定』結果は『猫』です」
「・・・そうか」
黙り込んだお兄様を前に居た堪れなくなり、「クリーム」と猫を呼んでみたけれど、真っ白いクリームみたいな猫は私を無視して行ってしまった。
それはそうなのだ。ずっと後の巻き戻しの時に分かるのだけれど、この猫の名前はクリームじゃない。そしてこの覚えられないケーキの名前やこの店には秘密がある。でもそんな事が分かるのは、ずっと後の事なのだ。
ともかく一回目の沈み込んだ私に、「落ち込む事はないよ」と早口でお兄様は言ったのだ。
「そうだ。ケーキが好きなら、このケーキに添えられたこのクリームの事も好きなんじゃないかな。うん。クリスティーネが好きそうなクリームだ。ほら、『鑑定』してごらんよ。詳しく分かるかもしれない」とお兄様が言った。
私はクリームを『鑑定』した。
結果は『クリーム』
・・・・私はクリームをフォークで掬い、口に入れ、お兄様をキッと見つめ「美味しいですわ」と言った。
「そ、それは『鑑定』の結果かい?」
「いいえ。食べた感想ですわ」
お兄様は、一度ケーキに視線を落とすと、何かを振り切るようにまた視線を上げ「そうか」と言った後、とんでもない事を言い出した。
「ともかく、クリスティーネが元気になってくれて良かったよ。これなら明日から学園にも行けそうだね」
私は動きを止め、しばらくしてから小さな声で「明日から学園?」と聞き返した。
「ああそうだ。流行りの店に来て、私と楽しく会話ができている。少し痩せてしまったが、以前と同じように綺麗だ。もうなんの心配もいらない。明日から学園に行っても大丈夫だよ」
「そんな。お兄様。まだ無理ですわよ。私」
「大丈夫だよ、クリスティーネ。明日は私が送って行こう」
「いえ、お兄様」
「うん、そうだね。最初から一日学園というのは無理かもしれない。午前中で帰っておいで」
「あの、お兄様」
「午前の授業が終わったら、私が迎えに行こう」
「そんな、お兄様」
「可愛い妹の為だ。それぐらいは、させておくれ」
「お兄様!」
そして私はやっぱり親切なお兄様に負けるのだ。
さらっと再開して、次回から学園編です。