第3話 この『鑑定』に意味はあるのですか?
一回目の可愛い私は、一回目の巻き戻しからの二ヶ月間、ほぼベッドの上でシーツに包まり引きこもっていた。
初めての婚約破棄に初めての投獄、処刑。まあ処刑はされる前に巻き戻っちゃったけどさ、それでも怖かったし、それらが全部無かった事になってる世界を信じられなかった。
「どうかベッドから出てきてちょうだい!」と、お母様が泣き叫んでも無視。
「つまらない我が儘はやめろ。このままでは殿下との婚約が危うくなる」と、お父様が脅してきても当然無視。
「クリスティーネ。良い茶葉が手に入ったんだ。私と一緒に飲まないか?」と、優しいお兄様だって無視だ。
無理だって。一回目の私はそれほど強くなかったのだ。
頑なに引き篭もる私に、お父様とお母様はしばらくすると諦めて来なくなったのだけれども、お兄様はとんでもなく我慢強い人だった。
お茶はどうだい、ケーキがあるよ、ほらこの髪飾り、この曲を知ってるかい?
手を替え品を替えやって来た。
もちろん、全部無視したのだけれど、私が引き篭もり初めてから二ヶ月経ったその日、お兄様はとうとうやり遂げたのだ。
その日は、気持ち良く晴れていた。
開いた窓から吹き込む風には、花の香りが混ざっていた。
花の香りはシーツに包まったままの私にも届いていた。
それで私が庭の花の事を思いながら過ごしていると、お兄様がやってきて、穏やかな声で言ったのだ。
「クリスティーネ。これを見てごらん。先ほど庭で摘んできたんだ。珍しい色をしているんだよ。まるでおまえの瞳の色みたいだ。新種の花なんだそうだが、何の花か分かるかい?」
私の瞳の色?私の瞳は緑がかった淡い琥珀色で、少し珍しい色合いだと言われていた。
そんな色の花があるのかしら。
ふと興味が湧き、シーツから顔を出すと、花を差し出していたお兄様が、一瞬大きく目を見開いて、泣くのを堪えるようなクシャッとした笑顔を見せた。
私に花を近づけてくれる、その花を持つ手が微かに震えていた。
「ほら、珍しい色をしているだろ。何の花か分かるかい?」声も少し震えていた。
私は深く深く反省したのだ。その二ヶ月間、自分の辛い気持ちだけを見ていたけれど、この優しい人にもこんなに辛い思いをさせていたなんて。
「何の花かしら・・・」久しぶりに出した私の声は掠れていた。
とまあ、ここまでは感動的だったのよ。
私はこの後、何度も巻き戻されるけれど、あの花を差し出された時のお兄様の深い愛情を思い出すと、心が温かくなったし、辛い事だって何とか乗り切れた。
でもさー、ここからが酷かったのよ。
お兄様が差し出した花は、本当に私の瞳と同じ色をしていたのよ。緑がかった淡い琥珀色。こんな色の花びらを見たのは初めてで、何の花かしら?と、ぼんやりと考えていると、その珍しい色の花の上に黒々とした文字が見えた。
『花』
「花?」
「ふふふ。花だね」
「いいえ!確かに花なんですけれど、そうではなくて、その花の上に、『花』という文字が見えて!あの!」
混乱しながらお兄様を見ると、お兄様の上に『人』の文字が見えた。
「何ですの、これ」
辺りを見まわし、そこにある物に注目すると、その上に文字が浮かび上がる。
テーブルには『テーブル』
シーツには『シーツ』
窓には『窓』
窓枠だけに注目すれば『窓枠』
窓ガラスだけに注目すれば『窓ガラス』
「何ですの、これ!?」
わざわざ文字にして教えてくれなくても分かる物の名前が、わざわざ文字になって浮かんでくる。
混乱した私から事情を聞き出したお兄様は、難しい顔をしてしばらく考えた後、
「それは『鑑定』と言うスキルかもしれない」と呟いた。
「『鑑定』?」
「ああ。とても珍しくて貴重なスキルだ」
「貴重なスキル・・・」
「そうだよ。スキルを持つものは少なくはない。二つ持つものもいる。しかし、スキルには色々な種類があり、有益なものと無益なものがある」
お兄様はそう言うと私に向かって手を差し出した。お兄様の手のひらから、くるくると風が沸き起こり、私とお兄様の黒髪を揺らして消えた。
「私が持つスキルは『風魔法』だ。よくあるスキルだが、有益なスキルだ。『鑑定』はそれ以上に間違いなく有益なスキルだ。そして持つものは稀な貴重なスキルだ。我が国でそのスキルを持つ者は、私が知る限りでは、現魔術士団長だけだ」
「そんな貴重な・・・でも、皿が『皿』だと分かるだけのスキルが、それほど重要なものでしょうか?」
お兄様を見つめる私の目には、お兄様の顔の上に『顔』の文字が浮かび上がっていた。これに何の意味が?
お兄様は目を泳がせると、「魔術士団長に聞いてみよう」と言った。
丸投げを決意したお兄様の行動は早かった。すぐさま魔術士団長宛に、妹が『鑑定』のスキルを得たかもしれないこと、その事で相談がしたいので面会を願い出るといった内容の手紙を書き、『風魔法』で、ぴゅうっと飛ばした。
返事は驚くほど早く『風魔法』で飛ばされてきた。
何の飾りもない簡素な紙に、すぐ行く、と書かれてあり、返事を読み終わり顔を上げた私達の前に、まるでずっとそこにいたかのように美貌の魔術士団長が立っていた。